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2009年12月8日の「私家版・夜感鉄道」に掲載した北上線・第二和賀川橋梁の写真が出てきた。前出の写真を撮るために、昼間にロケハンしたときに撮っておいたものだ。今まで気づかなかったが、分格ワーレンではないか。

KITAKAMI3.jpg支間何mのトラスかは未詳。写真左の気動車は車長20mで、ざっとその6.5倍ほどある。ということは支間150m程度にも見える。

トラスを構成するのは直角三角形だろうか。そのため、端柱が45度くらいになっていて、非常にゆったりした配置に見える。

橋梁工学の本によっては、この角度は60度が適切、としてあるものもあったと記憶する。いずれにしろ、解説する人によって、斜材の角度も格間の寸法もそれなりに異なるものなので、専門外の人間はどれかを鵜呑みにしないようがよい。

kitakami4.jpg

夏の昼間の分。都合3シーズン、たぶんこの現場は20回は通っているが、分格ワーレンなんてものを気にしだしたのは最近なので、興味というのはつくづく不思議なものだと思う。
写真を漁ってたら、樽見鉄道に乗ったときに橋梁を通過している写真が見つかった。途中の連にも銘板があるのがわかる。
20100115.jpg

上り列車から撮っている。

渡ると、このように東大垣駅が見える。模型のようだ。

20100115-2.jpg


微妙な時刻だった。夏ならば、確実に明るい時刻ではあった。とりあえず、行ってみた。

名古屋駅から歩けば歩ける距離だ。電車に乗ってもそれなりに歩かなくてはならない。いつもなら、こういうときは歩く。しかし、荷物が重かった。近鉄名古屋線の電車に一区間 だけ乗ることにした。ところが、名古屋駅のJR改札を出ると、近鉄の乗り場は明後日の方向だった。急ぐ。切符を買っているうちに電車が行ってしまった。次 のは10分後。ああ、暗くなる・・・。

米野駅に着く。ホームから、向野橋は見えていた。しかし、もう感度を1600にあげても手ぶれしてしまうような露出しかない。そこから数百メートル歩く。途中、線路の柵にもたせてレリーズ。

20090114-1.jpg

















向野橋(こうやばし)は、280フィートのピン結合のプラットトラスである。アメリカン・ブリッジの前身のひとつ、。A&Pロバーツ製であり、京都鉄道が現・山陰本線の旧線の嵯峨野(現・嵯峨嵐山)~保津峡間で保津川(下流で桂川となる)を渡る部分に架けられていた。いま、同ルートは新線に切り替えられたが、旧線は嵯峨野観光鉄道としてトロッコ列車が走っている。下記の地図を写真とすると、まさにその保津川橋梁をトロッコ列車が走っている。

この向野橋は280フィート、当時最大スパンであった。他に同型の桁はなく、唯一無二の存在である。推定1899年製(小西・西野・淵上論文による)。これを超える300フィート桁は、そもそもクーパーの設計が完了したのが1903年10月、製造されたのは1907年以降で、架けられたのは中央西線の第1木曽川橋梁、第5木曽川橋梁、奥羽本線板谷峠の松川橋梁(いろんなところで話題に出るが、いずれ)の3桁。以後も創られた数は極めて少ない。

以前に触れたものとして、1911~1912年製の磐越西線釜ノ脇橋梁、徳沢橋梁、深戸橋梁、1921~1922年製の国産桁、北上川橋梁と羽越本線の三面川橋梁がある。

20090114-2.jpg東側から。三脚を持っていなかったので、欄干の上にカメラを載せてレリーズ。赤かぶりしているのは、撮影地点に信号機があり、その赤いライトが影響するため。

20090114-3.jpgどうだ。こちらはなんとか手持ち。

20090114-9.jpg美しすぐる。

20090114-6.jpgピン♪

20090114-8.jpgピン♪♪

20090114-4.jpgピン♪♪♪

20090114-7.jpgピン結合・・・・・・

20090114-5.jpgプラットトラスたる部分。叩けばバィィィィーーーーン・・・と振動する。こんな帯板が、橋の重さを支えている。

20090114-11.jpg20090114-10.jpg昭和5年6月竣工。ん? 歴史的鋼橋集覧や小西・西野・淵上論文では「1930年5月開通」とある。


保津川時代の橋梁は、1929年まで使われたらしい。『国鉄トラス橋総覧』では1934年までとあるらしいが、それでは本橋梁の竣工年よりもあとになってしまう。


連続している鈑桁のスティッフナーはJ字形である。


向野橋について、全方向を内側から眺められるサイトがある。すばらしい。
fromNAGOYA


20090113.jpg中央本線や飯田線の各駅には、「災害用桁」と称した予備の鈑桁が保管してある。ここに示すのは、須原駅にあったものだ。電車の窓ごしに撮影したため、色がにごっている。

見てわかるように、スティッフナーがJ型をしており、ポーナル型のひとつである。ポーナル型にもいくつかのバリエーションがあるが、対傾構の部材の形状を見なければ判断できないので、この角度からだけではわからない。

イギリス人のチャールズ・ポーナルがこの通称「ポーナル型」を設計し国鉄に制定されたのは1885年~1889年(作錬式)、1897年(作30年式)、1904年(作37年式)。その間に橋梁のイギリスプラクティスからアメリカプラクティスへの大転換が起こるのだが、それを考えるとこの桁は100年以上前に製造されたものである。当時のことであるから、おそらく製造もイギリスないしアメリカ(アメリカンの会社に、イギリス流の桁を製造させたことはある)であろう。

この写真では見えない(あるいはない)が、災害用桁にもきちんと塗装標記がなされており、他の駅で見たものには「災害用けた」と明記してあった。そして律儀に(?)塗装の工程と年月が記されていた。


詳細は、電車の窓越しではなく、実見しなくてはなんの判断もできまい。実見すれば、なにか(自分にとっては)新しい発見があるかもしれない。

なお、スティッフナーがJ型であるのは上記の3形式に限るわけではなく、関西鉄道や日本鉄道ではまた別の形式が使われていた。ここでの可能性をいうならば、関西鉄道のものである可能性はないわけではない。とにかく、この桁の出自がどこであるか、とても気になる。


追記:訪問記事
中央本線須原駅 災害用桁(ポーナル桁)



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