橋の形態だけに惹かれる。
これが、いいことなのかそうでないのか。 本当は、解析し、さまざまな角度から検証し、その橋の意味を見いだし、 ついでにドラマを見いだし、・・・なんてのが理想なんだと思うが、 自分としては、別にそれでいいんじゃないの、と思う。 例えば、蒸気機関車。 きっと、目撃すれば誰しも目を向けるし、見続けるだろう。 でも、石炭を燃料にし、煙を煙突から吐くことくらいしか知らない人がほとんどだろう。 それでもいいのだ。 別に、石炭の熱量や蒸気機関の弁装置の理論など知らずとも、誰も非難しないだろう。 同様に、橋の構造解析などせずとも、非難される筋合いはない。 ということで、ピントラスが最上位である。 文句なしにかっこいい。 以上。
旧・越路橋(1)
旧・越路橋(2)の続き。 前述の越路橋の兄弟橋である。 かつての信越本線信濃川橋梁の6連のうち、端部の1連が この越後岩塚駅からほど近い場所に道路橋として転用された。 架けられているのは、渋海川という信濃川の支流である。 いかにも鉄道橋然とした細身。 前述の、拡幅された旧越路橋のトラスと比べてほしい。 プラットトラスの斜材の実測寸は(括弧内インチは推測)、 第1パネル:圧縮材 幅304mm(12インチ) 厚さ40mm(1と9/16インチ) 第2パネル:圧縮材 幅256mm(10インチ) 厚さ40mm(1と9/16インチ) 第3パネル:圧縮材 幅232mm(9と1/8インチ) 厚さ30mm(1と3/16インチ) 引張材 幅103mm(4インチ) 厚さ18.5mm(11/16~3/4インチ) 第4パネル:圧縮材 幅205mm(8インチ) 厚さ25.4mm(1インチ) 引張材 幅154mm(6インチ) 厚さ18mm(11/16インチ) そして、圧縮材(上写真)と引張材(下写真)の下弦との接合部分はこうであった。 (関連情報)ハンディサイド/不動沢橋(新潟県)
(旧・越路橋(1)の続き)
8パネルであったものが3パネルに短縮されている。 注目していただきたのは中央パネルである。 この写真でいうと\の斜材の幅は304mm(1フィート)、厚さは40mm(1と9/16インチ)、 /の斜材の幅は153mm(6インチ)、厚さは18mm(11/16インチ)。 ・・・というのはメモを見て書いているのだが、後日報告する 不動沢橋・岩田橋の部材の寸法や、写真(リベットの打ち方)から判断すると \の斜材の幅は205mm(8インチ)でなければおかしい。 謎だ。 薄い斜材は軽く叩くとゴイーーーーーン・・・と振動する。 本来は、中央パネルの引張方向の荷重を受け持つ部材である。 なお、橋台・橋脚は、原型を望むべくもない。 なんでこんなに何カ所にも橋脚をかましてあるんだろう・・・。 なんとも美しい。 ハンディサイドの銘板はレプリカだろうか。 (関連事項) ハンディサイド/不動沢橋(新潟県) ハンディサイド/岩田橋(新潟県) 越路橋。 こしじばし。 いい響きだ。 越後国を「越路」と呼ぶことがある。 越前、越中を前にして遠慮はないのか、と思わなくもない。 その「越路」を冠した町名が、ちょっと前まで存在していた。 これも新潟県全体を前にして・・・(ry JR信越本線来迎寺駅や塚山駅付近を町域としており、いまは長岡市に編入されてしまった。 この越路町民が、国鉄が使わなくなった橋げたを利用して、自分たちのための橋梁とした。 1950年代のことである。 ココに、1947年の航空写真がある。 複線化工事中である。 ページのソースを見れば画像を抜き取ることができるが、 あえてせずにおくのでリンクをたどっていただきたい。 そして、ここに1975年度撮影の航空写真がある。 見事に旧線が道路橋となっているように見えるが、 ちょっとまった。 話はそう簡単ではない。 旧橋梁はハンディサイド製の1897年製200ftプラットトラス6連。 ここに見えているのは、そのうち4連である。 中央部4連がソレで、端部の各1連は新造の桁である。 これは、スパンが変わることかららしい。 画面左端は長く、右端は短い。 また、単線鉄道橋から道路橋への転用であるから、拡幅を必要とした。 253cmの拡幅がなされ、その痕跡は橋門に見ることができる。 1952年に鉄道橋としての使命を終えたこのトラス桁は、それらの改造を経て 1959年から越路橋として供用を開始した。 とはいえ、なんで半端に道路幅員6mでやめちまったのか、 この狭さがネックとなり、また老朽化も手伝って、 越路橋として生まれ変わってから約40年後の1998年には 新たな越路橋が架橋された。 そして、旧桁の一部は2002年に付近の河川公園に保存された。 (2011年4月17日追記) 越路橋は当初、有料道路として利用されていたが、工事開始時は「十日町来迎寺道路」だったらしい。 昭和32年11月28日の官報(9281号)に、こうある。 ○十日町来迎寺道路工事開始公告 県道柏崎高浜(?)堀之内線(十日町来迎寺道路)の改築工事を本公団において下記の通り実施しますので、道路整備特別措置法第10条第1項の既定により公告します。 昭和32年11月28日 日本道路公団 総裁 岸 道三 路線名 県道柏崎高浜堀之内線 工事区間 新潟県三島郡越路町来迎寺から同県長岡市十日町まで 工事の種類 改築(道路改良及び橋梁架設)工事 工事開始の日 昭和32年11月30日 以上、革洋同さんの情報によった。 ~~チラ裏~~ 最初、誤って泰平橋の河川公園に行った。 そのため、いくら探してもトラスはない。 そこで管理事務所のおっさんに「越路橋のトラスが・・・」と訪ねてみたら、 「ハァ?」 「あんた、どこの人?」 「どこの人?」などという質問が飛んでくることに驚きだった。 説明しても無駄だと思って引き返し、地図を見たら 越路橋のたもとにも(地図上では)同じ名称の「河川公園」があった。 即、そちらへ向かった。 橋脚はRCだし、親柱と言っていいのかわからないが、その位置にはご丁寧にも「平成二十年七月竣工」などとも書いてある。 80ft桁改は1897年製で製造所不明(イギリスではあるらしい)、70ft桁がパテントシャフト製である。 1897年製というのが正しければ、ポーナルが20ftから70ftの鋼鈑桁を制定したのが1893年(明治30年)である(作30年式。80ftは1894年)。このころの鋼はすべてイギリスかアメリカからの輸入である。 とはいえ、中・下の写真のとおり、ポーナル桁らしいJ型のスティッフナーは外観からは見えてこない。桁の下に潜れる場所があればいいのだが。 |
カレンダー
最新記事
(04/12)
(04/02)
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|