これも、すでにない橋梁である。
国土画像情報閲覧システム(CCB-75-22_C19B_9)より転載、トリミング。 鶴来駅(画面右上)から西(左下)へ分岐し、手取川を渡る3連の橋梁のうち、 ひときわ目を引くのが右端の桁だろう。 250フィートのペンシルベニアトラス。 紀和鉄道和歌山線からの転用品だ。 製造は1899年、A&Pロバーツ。 かの地で紀ノ川を渡るのに30年間使用され、1930年には撤去、 そしてこの地に落ち着き1932年から供用開始された。 1980年の路線の廃止まで、48年もの余生をここで過ごした。 250フィートの分格曲弦トラスは、最大高さが41フィート6インチ(12.649m)もある。 電車は、その高さの半分にも届かなかった。 そういう写真がたくさん残っている。 前述の金名線の手取川橋は、web上では写真を見つけられなかった。 場所はココ。 すぐ北の道路橋(曲弦ワーレン)は、今も残るが 架け替えの準備が進んでいるようである。 PR
先月末で、北陸鉄道石川線の末端部分、鶴来~加賀一の宮が廃止になった。
かつては石川県内に縦横に路線を敷いていた北陸鉄道は、 かつてこの加賀一の宮から南に金名線という路線を有していた。 その路線が運転をとりやめたのは1984年、廃止は1987年である。 廃止となった理由は、手取川を渡る橋梁の橋台の劣化であった。 その手取川橋梁の美しいプラットトラスのシルエットが 航空写真に記録されていた。 国土画像情報よりccb-75-22_c23_5 を転載、トリミング いま資料を探索中・・・。 ほぼ同じ場所に、いまは別の橋がかかっている。 グーグルマップで上空から見ると、同じ橋かと思ってしまうが、 実際には微妙に位置がずれている。 自転車専用の橋で、金沢市内の御影大橋の幅を詰めて転用したものである。
http://www.toyama-mlit.go.jp/siryo/r_guide/jyouganji/page/jy0396.html
上記サイト(常願寺川フィールドミュージアム、以下サイト1)によれば、 立山カルデラ内には20万トンの土砂があるという。 しかし、下記サイト(国交省北陸地方整備局、サイト2)では 2億立方mの土砂があるという。 http://www.hrr.mlit.go.jp/nyusho/big_tateyama.html よく見ると2億「平方」mとなっているが、これは書き誤りだと思うことにする。 他にも2億立方mとした公的なサイトがいくつもあるし。 しかも、サイト1のURLを削っていくと、サイト2のドメインになる。 つまり、両者の根っ子は同じである。 しかし、よく考えてみるとおかしい。 20万トンの土砂の体積が2億立方mもあるわけないだろ! 水の1/1000の重量しかない土砂。。。 (検証) サイト2には、立山カルデラは6.5km*4.5kmとある。 土砂が2億立方mとすれば、そのなかに平均6.83760684m堆積していることになる。 まあ、そんなものだろう。 サイト1の土砂の比重を、瓦礫なのでかなり小さめに1とすると(石の比重は2~3程度らしい)、 平均6.83760684mm堆積していることになる。 6.8mmの層、恐るるに足りぬ。たぶん。 比重を2にすれば、3.4mmの層。 ということで、サイト1は誤り。 指摘したほうがいいのだろうか。 ところでサイト2に 「約2億m2もの土砂がカルデラ内に残っています。 この土砂量は、富山平野一帯を約2mの厚さで覆うほどの量」 という記述がある。 2億立方mが流出して2mの厚さで地面を覆うとすると、 その面積は10km四方相当ということになる。 それを富山平野にあてはめると、 ・北陸道以北/神通川以東/白岩川以西の範囲より狭い または ・富山-中滑川-上市-寺田-岩峅寺-富山という鉄道が囲む範囲より狭い ・・・である。 「富山平野を2mの土砂が覆う」というのは、2億立方mでは大げさすぎるんではないか? こういうのは、えてして最初に書かれた文献が孫引き孫引きで拡大再生産される。 途中に誤りが入ったかもしれない。 また、wikipediaでは 「流出すれば富山平野が1m~2mは埋没してしまうほどの大量の土砂(約2億立方メートル」 という記述があるが、 1m~2mって幅ありすぎじゃないか? 1億立方mと2億立方mは、大きく異なるぞ。 別件。 常願寺川が暴れ川だったのは「有史以来」でいいのか? 違うだろ? http://www.hrr.mlit.go.jp/tiiki/manaviva/guide/toyama/tateyama.html なんだかいい加減なサイトばかりだな。。。 中央緩行線(総武線)の橋梁である。 複線下路鈑桁1+単線上路トラスの並列1+単線下路鈑桁の並列2、 4径間のべ7連すべてハーコート製らしい。 銘板は複線上路鈑桁についている。 こうして見ると銘板がふくらんで見えるが、 上のリベットとくらべても、これは樽型収差ではないと思う。 200mmで撮っているし、このレンズにここまでひどい収差はない。 ただ、真正面から撮ったつもりでも、角度がついてしまっている。 人間の感覚というのは制御しづらいものだ。 この前も、髪を切ってるときに椅子が微妙に右を向いている気がしたが、 体も椅子も真正面を向いていると言われた。関係ないか。いやある。 残念なのは、人目を引く上路トラスが 周囲から見えづらいことである。 北側(外堀通り側=神田川側)には歩道橋が、 南側には快速線の鈑桁が視界を塞ぐ。 下の写真は南側から快速線越しに橋台を撮ったものである。 手前が快速線のコンクリート製橋台。 中央が本橋の最初の煉瓦積み橋台で、隅が切石で処理されている。 奥が道路の三崎橋の橋台であり、橋台はコンクリート製で切石は擁壁か。 水道橋周辺は場末のニオイがプンプンするところだ。 現代の土木工事の象徴のような首都高の桁の影になるような位置である。 この架道橋の下には人が住んでいると言っても疑われることもないようなところだ。 小便くさい気もするし、屋台が置いてあったりもする。 いずれ改めて記述するが、筆書きの注意書きもそこかしこにある。 ここは、1904年製の桁が残っていても違和感のない場所である。 複線鈑桁を裏から見れば、2主構であることが見て取れる。 歴史的鋼橋集覧を見ていて「3主構」だと思い込んでたので、 おかしいなあ、と思い、あとからグーグルマップで上空から見ても やはり2主構だよなあ、と思い、あらためて集覧を見たら、 その記述は快速線のものであった。とほほ。 上記のアングルは、グーグルマップのストリートビューでも見ることができる。 残念ながら、前後のカットを見ても、銘板は確認できない角度でしか撮影されていない。 水道橋にはハーコート製の橋梁が3組ある。 元同僚がこのすぐそばの会社に出入りしているが、 その話をしたところ「聞いたことがある」と言っていた。 ぜひ毎日眺めてほしい。 17-35で撮った写真はとにかく色の収差がひどい。いや、色そのものがひどい。 隅では像が流れてゆく。 定評あるシグマの28/1.8ばかりを使うことにしようかしら。
『廃道ナイト』のネタのひとつに「石垣をまじまじとみつめたことがある?」
というのがあった。 先日、箱根に行った際に見つめたのはココである。 大涌谷に行く道で、クルマがまったく動かなかった。 駐車場入場待ちなのはわかっているので5分でUターンした。 規則正しい谷積み。 でも、すごく手作り感がある。 その理由は、石材を加工した間知石が、整然としていないためだ。 とくに端部に注目すると、五角形の大きさがまちまちなのがよくわかる。 線を引いてみると、直線でもないことがわかる。 なお、斜めなのは現地がそうなっているからであって、 撮るときに斜めってしまったのではない。 こうして見ると、/方向のものは長め、\方向のものは短めである。 長めの/型は、長辺2:短辺1くらいの比だが、 短めの\型は、長辺1.4:短辺1くらいの比である。 まさか、黄金比・・・ 言ってみたかっただけです。すみません。 |
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