http://www.toyama-mlit.go.jp/siryo/r_guide/jyouganji/page/jy0396.html
上記サイト(常願寺川フィールドミュージアム、以下サイト1)によれば、 立山カルデラ内には20万トンの土砂があるという。 しかし、下記サイト(国交省北陸地方整備局、サイト2)では 2億立方mの土砂があるという。 http://www.hrr.mlit.go.jp/nyusho/big_tateyama.html よく見ると2億「平方」mとなっているが、これは書き誤りだと思うことにする。 他にも2億立方mとした公的なサイトがいくつもあるし。 しかも、サイト1のURLを削っていくと、サイト2のドメインになる。 つまり、両者の根っ子は同じである。 しかし、よく考えてみるとおかしい。 20万トンの土砂の体積が2億立方mもあるわけないだろ! 水の1/1000の重量しかない土砂。。。 (検証) サイト2には、立山カルデラは6.5km*4.5kmとある。 土砂が2億立方mとすれば、そのなかに平均6.83760684m堆積していることになる。 まあ、そんなものだろう。 サイト1の土砂の比重を、瓦礫なのでかなり小さめに1とすると(石の比重は2~3程度らしい)、 平均6.83760684mm堆積していることになる。 6.8mmの層、恐るるに足りぬ。たぶん。 比重を2にすれば、3.4mmの層。 ということで、サイト1は誤り。 指摘したほうがいいのだろうか。 ところでサイト2に 「約2億m2もの土砂がカルデラ内に残っています。 この土砂量は、富山平野一帯を約2mの厚さで覆うほどの量」 という記述がある。 2億立方mが流出して2mの厚さで地面を覆うとすると、 その面積は10km四方相当ということになる。 それを富山平野にあてはめると、 ・北陸道以北/神通川以東/白岩川以西の範囲より狭い または ・富山-中滑川-上市-寺田-岩峅寺-富山という鉄道が囲む範囲より狭い ・・・である。 「富山平野を2mの土砂が覆う」というのは、2億立方mでは大げさすぎるんではないか? こういうのは、えてして最初に書かれた文献が孫引き孫引きで拡大再生産される。 途中に誤りが入ったかもしれない。 また、wikipediaでは 「流出すれば富山平野が1m~2mは埋没してしまうほどの大量の土砂(約2億立方メートル」 という記述があるが、 1m~2mって幅ありすぎじゃないか? 1億立方mと2億立方mは、大きく異なるぞ。 別件。 常願寺川が暴れ川だったのは「有史以来」でいいのか? 違うだろ? http://www.hrr.mlit.go.jp/tiiki/manaviva/guide/toyama/tateyama.html なんだかいい加減なサイトばかりだな。。。 PR 中央緩行線(総武線)の橋梁である。 複線下路鈑桁1+単線上路トラスの並列1+単線下路鈑桁の並列2、 4径間のべ7連すべてハーコート製らしい。 銘板は複線上路鈑桁についている。 こうして見ると銘板がふくらんで見えるが、 上のリベットとくらべても、これは樽型収差ではないと思う。 200mmで撮っているし、このレンズにここまでひどい収差はない。 ただ、真正面から撮ったつもりでも、角度がついてしまっている。 人間の感覚というのは制御しづらいものだ。 この前も、髪を切ってるときに椅子が微妙に右を向いている気がしたが、 体も椅子も真正面を向いていると言われた。関係ないか。いやある。 残念なのは、人目を引く上路トラスが 周囲から見えづらいことである。 北側(外堀通り側=神田川側)には歩道橋が、 南側には快速線の鈑桁が視界を塞ぐ。 下の写真は南側から快速線越しに橋台を撮ったものである。 手前が快速線のコンクリート製橋台。 中央が本橋の最初の煉瓦積み橋台で、隅が切石で処理されている。 奥が道路の三崎橋の橋台であり、橋台はコンクリート製で切石は擁壁か。 水道橋周辺は場末のニオイがプンプンするところだ。 現代の土木工事の象徴のような首都高の桁の影になるような位置である。 この架道橋の下には人が住んでいると言っても疑われることもないようなところだ。 小便くさい気もするし、屋台が置いてあったりもする。 いずれ改めて記述するが、筆書きの注意書きもそこかしこにある。 ここは、1904年製の桁が残っていても違和感のない場所である。 複線鈑桁を裏から見れば、2主構であることが見て取れる。 歴史的鋼橋集覧を見ていて「3主構」だと思い込んでたので、 おかしいなあ、と思い、あとからグーグルマップで上空から見ても やはり2主構だよなあ、と思い、あらためて集覧を見たら、 その記述は快速線のものであった。とほほ。 上記のアングルは、グーグルマップのストリートビューでも見ることができる。 残念ながら、前後のカットを見ても、銘板は確認できない角度でしか撮影されていない。 水道橋にはハーコート製の橋梁が3組ある。 元同僚がこのすぐそばの会社に出入りしているが、 その話をしたところ「聞いたことがある」と言っていた。 ぜひ毎日眺めてほしい。 17-35で撮った写真はとにかく色の収差がひどい。いや、色そのものがひどい。 隅では像が流れてゆく。 定評あるシグマの28/1.8ばかりを使うことにしようかしら。
『廃道ナイト』のネタのひとつに「石垣をまじまじとみつめたことがある?」
というのがあった。 先日、箱根に行った際に見つめたのはココである。 大涌谷に行く道で、クルマがまったく動かなかった。 駐車場入場待ちなのはわかっているので5分でUターンした。 規則正しい谷積み。 でも、すごく手作り感がある。 その理由は、石材を加工した間知石が、整然としていないためだ。 とくに端部に注目すると、五角形の大きさがまちまちなのがよくわかる。 線を引いてみると、直線でもないことがわかる。 なお、斜めなのは現地がそうなっているからであって、 撮るときに斜めってしまったのではない。 こうして見ると、/方向のものは長め、\方向のものは短めである。 長めの/型は、長辺2:短辺1くらいの比だが、 短めの\型は、長辺1.4:短辺1くらいの比である。 まさか、黄金比・・・ 言ってみたかっただけです。すみません。
この状態ではampm。多分。
こうするとファミマに変身。多分。 多分、というのは、広域←→拡大を繰り返すと、 同じ縮尺でも、ampmが表示される場合と、 ファミマが表示される場合が混在する。 なんでだ? 正解は、非常につまらんことでした。 最大限に拡大してみてください。
先日、同僚がクロアチアに出張に行き、ニコラ・テスラの像の写真を見せてくれた。
ニコラ・テスラとは、少しばかり因縁がある。 ひとつは、ウォーデンクリフ・タワー。 アラン・ホールズワースのアルバムタイトルにもなっており、 その存在を知ったのは、たぶんライブで来日した1993年のことだ。 もうひとつは、ジョン・ピアポント・モルガン。 ピアポントは、このウォーデンクリフ・タワーに出資していた。 元々はアメリカのディーゼル機関車について読みふけっていたら、 いつのまにかディーゼル機関車史、 それを使用したアメリカの鉄道会社とアメリカ鉄道史、と踏み込んでいき、 そうなるとアメリカ経済史まで知る必要があるため、 BNSF鉄道について調べていたら、 その前身のひとつ、バーリントン・ノーザン鉄道を、 さらにその前身のひとつ、ノーザン・パシフィック鉄道を把握せねばならず、 すると「ノーザン・パシフィック・コーナー」という株式買い占め事件に行き当たる。 ここで、ピアポントが大きく関わってくるため、モルガンの伝記等も読む羽目になった。 そんななかに、ウォーデンクリフ・タワーとニコラ・テスラの記述が出てくる。 ふと思う。 深町純は、ニコラ・テスラ的じゃないか、と。 氏が創造したといっていいジャンルは、それにのっかった人たちが席捲してしまい、 また、果たした役割があまりに大きすぎるがゆえに、世間に見てもらえない。 テスラ研究家の新戸雅章氏ならば、深町純をどう見るだろうか。 |
カレンダー
最新記事
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|