前述当麻橋梁の鹿瀬側は、そのまま平瀬(びょうぜ)隧道である。
隧道中央部だけ改軌のテストとして拡幅されているとか、 後藤新平が揮毫した扁額だとか、 そういうことでも知られている隧道である。 隧道ポータルをバックにした鉄道写真の名作も多く見た。 この付近の何カ所かの電柱に「平瀬の鍾馗大明神」と、 さも観光名所でもあるかのような案内がある。 とくに立ち寄りもせず、写真も撮らずにいたのだが、 後日、お台場の東京カルチャーカルチャーで 仏像マニアックス2に出演されていた小嶋独観さんの 珍寺大道場を拝見してたら、図らずも再会しました。 詳細は『ショウキサマ』をご覧ください。
磐越西線当麻橋梁。
いまのこの橋は、横側橋梁製であり、アメリカン・ブリッジ製ではない。 下の写真手前に、古い橋脚が見える。 かつて、ここに上路式のアメリカン・ブリッジ製のトラスがかかっていた。 それも、わずか15年ほどの間である。 この下流に鹿瀬ダムが造られることになり、上路式では冠水の懼れが生じた。 そのため、下路式の橋梁を設置することになったものだ。 旧橋梁、3径間のそれぞれは、現在の秩父鉄道に転用されている。 7月3日の押手沢橋梁は、かつてここにあった桁である。 架け替えにともない、ルートの変更が生じた。 そこは、短いながらも廃線跡の趣がいまも残る。 昭和51年撮影の航空写真を見てみよう。 (国土地理院のサイトより引用、トリミング) 画面右手が日出谷駅。 そこから左(西)に向かう現在の磐越西線のすぐ下(南)に、 道型が残っている。 ここは川霧が発生しやすいのか、鉄道写真として発表されているものにも 川霧と絡めてあるものが多い。 私が行った翌日、この場所で撮影された写真が、雑誌に大きく載っていた。 |
カレンダー
最新記事
(04/12)
(04/02)
(02/15)
(01/01)
(12/31)
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|