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20090913.jpg






















樽形収差の見本ではありません。
でもキャノンの17-35の35mm側だと書いておきます。
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前述当麻橋梁の鹿瀬側は、そのまま平瀬(びょうぜ)隧道である。
隧道中央部だけ改軌のテストとして拡幅されているとか、
後藤新平が揮毫した扁額だとか、
そういうことでも知られている隧道である。
隧道ポータルをバックにした鉄道写真の名作も多く見た。

この付近の何カ所かの電柱に「平瀬の鍾馗大明神」と、
さも観光名所でもあるかのような案内がある。
とくに立ち寄りもせず、写真も撮らずにいたのだが、
後日、お台場の東京カルチャーカルチャー
仏像マニアックス2に出演されていた小嶋独観さんの
珍寺大道場を拝見してたら、図らずも再会しました。

詳細は『ショウキサマ』をご覧ください。
磐越西線当麻橋梁。
いまのこの橋は、横側橋梁製であり、アメリカン・ブリッジ製ではない。
20090912taima.jpg20090912taima2.jpg












































下の写真手前に、古い橋脚が見える。
かつて、ここに上路式のアメリカン・ブリッジ製のトラスがかかっていた。
それも、わずか15年ほどの間である。

この下流に鹿瀬ダムが造られることになり、上路式では冠水の懼れが生じた。
そのため、下路式の橋梁を設置することになったものだ。
旧橋梁、3径間のそれぞれは、現在の秩父鉄道に転用されている。
7月3日の押手沢橋梁は、かつてここにあった桁である。

架け替えにともない、ルートの変更が生じた。
そこは、短いながらも廃線跡の趣がいまも残る。

昭和51年撮影の航空写真を見てみよう。
国土地理院のサイトより引用、トリミング)
20090912taima3.jpg













画面右手が日出谷駅。
そこから左(西)に向かう現在の磐越西線のすぐ下(南)に、
道型が残っている。

ここは川霧が発生しやすいのか、鉄道写真として発表されているものにも
川霧と絡めてあるものが多い。
私が行った翌日、この場所で撮影された写真が、雑誌に大きく載っていた。


昨晩の廃道ナイト。
予想通りの大成功だった。
お二人様、本当に楽しい時間をありがとうございました。
物販で『廃道本』はじめいろいろお買い求めいただいた方々、ありがとうございました。

個人的には他ジャンルとのコラボも見てみたい。

看板、廃隧道が描かれています。
お店のスタッフに拍手!


20090906_2.jpg20090906_3.jpg20090906_1.jpg20090906_4.jpg
沢尻川橋はここにある。


20090902_1.jpg






















いきなりこんなだった。
看板の中に描いてあるのが、広島県の可部線の105系が太田川橋梁を渡るところで、
バックにR54太田川橋が写っているのはなぜだろう。


見えるものといえば、こんなものだった。
20090902_2.jpg






















全景すらお目にかかれない。
銘板など見えようはずもない。
早々に退散した。


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