坑口が土管のように丸い。 PR
アメリカン・ブリッジに関心を持った経緯はこうだ。
↓ BNSF鉄道 ↓ BN(バーリントン・ノーザン鉄道) ↓ GN(グレート・ノーザン鉄道) ↓ NP(ノーザン・パシフィック鉄道) ↓ ノーザン・パシフィック・コーナー ↓ ジェームズ・ジェローム・ヒル ↓ J・P・モルガン ↓ USスチール ↓ アメリカン・ブリッジ こう至る過程で、いろいろ寄り道をした。 モルガンに関することがいちばん時間がかかった。 元々金融だの経済だのを勉強したことはない上に 書物に書かれているのはアメリカとイギリスの金融界の常識である。 日本に置き換えて考えることのできる話ではない。 アメリカン・ブリッジについては、いまなお理解していない部分が多い。 公式サイトは基本的に「いま」のことばかり書いてあるし、 こちらの関心はとっくに終わってしまった技術、ピントラスである。 古い土木学会誌などのほうが役に立ったりするが、 いかんせん読みにくい。 日本における鋼橋史とその系譜、みたいな書物がないかしらん? 磐越西線徳沢橋梁。 下りでいうと、徳沢駅を出てすぐに阿賀野川を斜めに渡る橋梁である。 両岸の木立に囲まれ、端部の短いプラットトラスを全貌できない。 釜ノ脇橋梁とともに、日本初のカンチレバー工法にて架設された橋梁である。 (土木図書館の工学会誌参照) これまた古さをまったく感じさせない、落ち着いたたたずまいを見せる。 いかにもアイバー、という形のアイバーが中央パネル下部にしかなく、 また副材(ここでは斜材)が多数備えられているため、 ピントラスが持つ華奢な印象がないのかもしれない。 確か、R359が鬼光頭川を渡る橋から撮影したと思う。 同じ場所には、こんなものもあった。 振り返っての撮影だったと思う。 旧橋だろうか。それとも水道橋かなにかの遺構だろうか。 昭和51年度撮影の航空写真でもわからない。 国土変遷アーカイブでも、もちろんわからない。 下記はhttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/76/cto-76-26/c1/cto-76-26_c1_10.jpgをトリミング。 写真の左下の橋の左下に、上記橋脚があるはずである。
よく山に登っていた頃、3000m峰全部登っても、
富士山だけはまさか登るまい、と思っていた。 それが、ふとしたタイミングで登ることになった。 山を知っている者には予想外の連続。 いや、正確には巷間喧伝されていることから事前に「予想」していたものの、 それがその通りであることを確認して驚くことの連続だった。 とにかく山頂でご来光を迎えた。 ただし、私が過去に見た数十回のご来光のうち、 どれくらいの順位かといえば、、、後半だろう。 行程自体は、思っていたよりもイージーだった。 天候、気温、いろいろな要因があるだろうが、 途中でツライ、イヤだ、もうへたり込みたい、ということは皆無だった。 もっともっと体力が有り余っていた高校生の頃には もっとつらい思い出がある。 しかし、いま考えると、それは「つらい」と思い込んでる思い出であって、 同じことを体力の数段落ちたいま実行したとしても、当時ほどには苦痛に感じないだろう。 つまり、気の持ちようである。 下山道は「ブル道」である。 3回、すれ違った。 思ったよりも荷は少ない。 屋根上に人が座っているのは、 運転席から前が見えないためである。 |
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