吉野川を渡る三好橋。元は国道32号の橋として開通したものだ。昭和初期の建設時、国内最長の吊橋だったようだ。ケーブルが老朽化したが、補剛桁は大丈夫だったので、それを使用して桁下にアーチを構築、そのままにローゼ橋に改造された。 右岸側。親柱は、左は「みよしばし」、右は「吉野川」。左の親柱手前に記念碑がある。 記念碑。左はケーブル。 ケーブルは「東京製綱株式会社小倉工場 福岡県小倉市 大正十五年製造」の銘板とともに保存されている。 手前には2連の鈑桁。下は土讃線、その桁の向こうに見えているのが、吊橋時のアンカレッジだと思われる。主塔が、どの橋脚のところにどう建っていたのかは不明。 左岸。左の親柱は「三好橋」。 右の親柱は「徳島え七九粁」。 右岸の鈑桁下にある公衆トイレ。桜を見に来る人のため? PR 2021年11月、紀伊半島に行く際に伊勢湾フェリーで渡った。早朝に東京を発ち、豊川でまでは高速、豊川放水路橋梁を見てから渥美半島を延々走っていくので時間が読みづらい。 伊良湖発は9時30分、10時50分、その次は13時40分だ。10時50分発に乗りたいが、もし乗り遅れると13時40分着。鳥羽に着いたあとの行動時間がすごく短くなる。そんなリスクもあるので宿も取れない(せっかくなので明るいうちしか走りたくない)。そこで東京を4時に出たところ、順調も順調で、9時30分発に間に合ってしまった。 車両甲板は、バイク用のスペースがあった。ここでは、床からシートをまたいで逆側の床にタイダウンで留めるタイプ。船内は、祝日ということもあってけっこうな混みようだった。 乗船券。裏面には赤福の広告が2色で印刷してある。 伊勢湾フェリーには、1995年に鳥羽から乗って以来だ。 これは当時の乗船券。左は切り取り線。右端に「師崎のりば」とあるように、知多半島~鳥羽という航路もあった。そちらはその後、常滑港に切り換えられたが、短期間で休航となった。 裏面の赤福の広告は赤1色刷。 ぼくはTT250R。GWなので混んでおり、たしか1本待って乗った気がする。並んでいるバイクを見ると、いかにも1995。ZZ-R、TZR、TRX850、左はエリミだろうか。ここが指定された待機所なのだが、歩道上だ。現在ならコンプライアンス的にこういうことはしないだろうな。 こうして、「かつて乗ったことがある/走ったことがあるけれど、GPSログがないところ」の再訪は続く。 |
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