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その地方の、とてつもない富を集めた商家の近く。住宅街でもない、商店街でもない、少し広い通りにある、家電メーカーも取扱う商店。その一角に、丸善灯油の壁がきれいに残っている。

すでに計量器はない。防火壁は取り壊したほうがスペースを有効に活用できると思うが、残してあるのだろう。

看板に掲げられた電話番号は2桁。これは、「市外局番7桁+加入者番号2桁」の名残と思われる。



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紀伊半島の南端も南端。国道脇の漁港に視線をやったら、その前に、たくさんの無人販売の小屋が並んでいた。


 
 
「営業中」のものも「休業中」のものもある。売られているものは、ほぼ生花だ。「1本100円」とある。この町で、そんなに花の需要があるものだろうか。いや、これだけ売る「店」があるのだから、この町で、これだけの花を作って売る人がいるものだろうか。

 
この無人販売所群は、みな少しずつ違った形をしている。こういうものは、ゼロから考えて作るのは少しハードルが高いかもしれないが、一つお手本があれば、それを目指して作ることができる。きっと、ここに最初に作ってガードレールに括り付けた人がいて、それをみんなが真似し始めて、……。




 
のと鉄道能登線の終端だった蛸島駅。こうして切り取ると、終端駅ぽさはない。1面1線だからか。三セク転換後から無人駅だったからか。

 
裏手。駅名標が転がされている。

 
ホームも現役当時のまま、時間が経っている感じだ。こちらは終端方向。

 
穴水側。この方向は、道路整備で線路が途切れいて、その先にMT102が留置されている。

 
10年以上、この場にあるようだ。





 
のと鉄道の松波駅跡。駅舎は「松波城址情報館」という展示に使われていたようだ。

 
駅の裏手へ。島式ホームと上屋、待合室が残る。

 
9月下旬だった。夏がまだ残っていた。上屋下の広告行灯は白地となっていた。

 
ホームの上から振り返ればこんな。

のと鉄道は多くの駅が残っている。


 
吉野川を渡る三好橋。元は国道32号の橋として開通したものだ。昭和初期の建設時、国内最長の吊橋だったようだ。ケーブルが老朽化したが、補剛桁は大丈夫だったので、それを使用して桁下にアーチを構築、そのままにローゼ橋に改造された。

 
右岸側。親柱は、左は「みよしばし」、右は「吉野川」。左の親柱手前に記念碑がある。

 
記念碑。左はケーブル。

 
 
ケーブルは「東京製綱株式会社小倉工場 福岡県小倉市 大正十五年製造」の銘板とともに保存されている。

 
手前には2連の鈑桁。下は土讃線、その桁の向こうに見えているのが、吊橋時のアンカレッジだと思われる。主塔が、どの橋脚のところにどう建っていたのかは不明。

 
左岸。左の親柱は「三好橋」。

 
右の親柱は「徳島え七九粁」。

 
右岸の鈑桁下にある公衆トイレ。桜を見に来る人のため?
























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