この前、XF08が1980円で売ってた。
なんでだ??? 当然、買ってはきたが、 どこで買ったかは忘れてしまった。 たぶん富山県内のホームセンター。 で、改めてみてみると、やはりどこのホームセンターでも 安くて3980なんだよなあ。 なんでだ??? せっかくの上路プラットトラスが、、、美しい上路プラットが、、、 上路トラスを美しいと思うには、多少の桁下高さも演出として必要なんだと思った。 この長谷川橋梁は、鉄道院の設計によるもの。 他のアメリカ製長支間トラスと同時期ではあるが、 日本人の設計で、日本人が作ったもの。新橋工場製だ。 だが、「ただし」がつく。 トラスの部材は、それ以前に作られたものだ。 東海道本線(現御殿場線区間)の第4相沢川橋梁の転用で、 開通は1889年開通、105ftの上路プラットトラス(ピン結合)であった。 こいつを換骨奪胎して新橋工場が作ったのが長谷川橋梁である。 果たして部材の製造はどこだったのか。 第4相沢川橋梁と開通時期も撤去時期も同じ第1~第3相沢川橋梁は200ftの単線ダブルワーレン、 これの製造はパテント・シャフト&アクスルトゥリーである。 これらは1901年の複線化の際に、A&Pロバーツ製の200ft曲弦プラットに架け替えられた。 参宮鉄道(現参宮線)には同じ105ftの単線上路プラットトラスが架けられたが、 製造所不明、1897年製である。 橋脚は切石積み。 といっても旧長野隧道ほどの感動はないので、言われるまで気づかないほどだった。 「すごくいいもの」、すなわち旧長野隧道のことだが、それを最初に見てしまうと それより「普通」のものに感動できなくなる、ということに改めて気づいた。 (20091114一部修正)
続いて、釜ノ脇橋梁である。
場所はここだ。 これまた見事なペンシルバニア・トラス。 写真では、阿賀野川の河床は見えるべくもないが、 実際には中央支間の下が深く、その両脇支間の下は浅い。 ピントラスのもっとも美しい部分だと私が思う、下弦のアイバーは 中央パネル2格間部分にしかない。 これは、左右から張り出して架設するという方法を取ったためだという。 かつては緑色に塗装されていた。 南側の県道は、この区間、スノーシェッドに覆われており、 東側坑口にクルマを止めて歩いた。 線路面の高さには出ることができない。 ・・・いま思いついたが、スノーシェッド内からシェッドの天井に出る 通路があるかもしれない。それを行けばよかったか? 北側からアプローチすれば、あるいは線路面に出られるかもしれない。 事実、銘板を撮影してあるサイトもある。 面倒がらずに迂回して、銘板を撮っておくべきだった。
大峠の翌日、一ノ戸川へ向かった。
晴れ間が見えたり、サーッと通り雨が降ったりという おかしな天気だった。 ここは過去にも来たことがあるが、こんな色になっているとは。 実はこれを撮りに来た。 アメリカン・ブリッジの銘板である。 これは、この橋梁を有名にしているボルチモア・トラスに ついているのではなく、十何連かのプレート・ガーダーの 側面についている。 このときは70-200mmしか持っていなかったので、ちょっと遠かった。 せめてテレコン、できればもう売っちゃったけれど500mmがあるとよかった。 でも、こんなことでゴーヨンゴを引っ張り出されても 持ち腐れ感プンプンだな。だからいいや。 600mmのミラーレンズならおあつらえ向きです。 この橋梁名は、土木学会のサイトでは「一ノ戸川橋梁」となっているが、 ここに記載してあるのは「一の戸橋りょう」である。 通称されているのは前者だろう。 このあと、磐越西線沿いに残るアメリカン・ブリッジ製の橋をめぐった。 |
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