居坪坂の途中に、ユウレイタケの群生が数カ所あった。 なんで、こんなに「ゆうれいらしい」んだろう? うつむいているし、 のぞけば花は一輪だけだし、 白いし。 その他、見たもの。 ・ニホンリス(タイワンリスではないと思う) 朝、清水集落に向けてクルマで走行中、道を横断した。 ・ヘビの幼体 後頭部(?)に黄色い菱形があった。30cmくらい。 写真撮っておけばよかった。 そうすれば同定できるもんね。 ・カエル 謙信尾根(文字通り尾根筋の道)で、標高1200mあたりでもいた。 「こんなところ、水あるのか?」なんて思いながら進んだら、 清水峠から100mほどのところに雪渓があり、 すごい勢いで水が流れていたから、まあ、どこかにあるんだろう。 PR 久々の山登りの足慣らしとして清水峠に行ってきた。 かつて下った謙信尾根を登り、居坪坂を下る周回コースである。 この日は砂防ダム工事をしていため、清水集落奥地のゲートには 警備員さんがいて、そこで通行止め。 そこが標高約630m。 そこにクルマを止め、両コースの分岐点である標高780m付近まで自転車でさかのぼった。 基本的に急登が続くので、疲労は一定。 1時間歩いて5分ほど休む、を2ピッチで小屋が見えた。 しかし、そこからが長かった。 小屋の直前、直線距離であと500mほどのところで道が崩れていたため、 その右手山側を迂回するように見えるルートがあった。 迷うことなくそちらに行ったら、登れども登れども迂回にならず。 いつか七ツ小屋~大源太へのルートと交わるはず、と思っても交わらず、 送電線巡視員の慰霊碑のちょっと先で道は消えた。 やむなく先の崩壊地まで戻り、慎重に崩壊部分を乗り越えて小屋に至った。 この間、ロスは30分以上。疲労は1時間分。 峠は風が心地よく、小屋の横に寝転んだ。 太陽がほぼ真上なので、日陰がないことがつらいが、非常に気持ちよかった。 土合~白髪門~清水峠とトレイルランのグループが来た。 なんと3時間40分ほどだという。 21年前、おそらく10時間以上(休憩込み)を費やして登ったルートなのだが。 下りでは、坂を下りきったところで砂防ダムの工事が進行中、 ここから下は、藪か、目印のない河原か、という選択。 二度ほど失敗のできないジャンプをして、いつしか謙信尾根で渡った 本谷に合流し、クルマに戻った。 今回は、新調した軽登山靴(などとは言わないらしいが)とデイパックで試した。 軽い靴、いい。
清水峠まで登ろうとして地図をプリントし、はたと気がついた。
2006年に刊行されたカシミール3Dに収録されている 2万5000分の1「巻機山」「茂倉岳」に描かれているルートと、 現在の「ウオッちず」に描かれているルートが異なるのだ。 左がカシミール収録のもの、右が地理院がいま公開しているもの。 正確には、山さ行がねがの記事を読みながら地図を見ていてきがついた。 本谷川の徒渉点が異なるほか、いくつかの違いがある。 地形図とは変化するのが当然であるが、いままで、もっと有名な山で 登山道に嘘が描かれているものを多数見てきたので、 よりによってこんな(?)場所が正確に描かれていることに 逆に違和感がある。 このエリアの地図を初めて買ったのは1987年。 どこかにしまいこんであるはずだ。 翌1988年、土合~白髪門~朝日~清水峠~謙信尾根を歩いた。 この週末、その末端を、ちょっとばかり、歩いてみようと思っている。 果たして足の付け根と腰がもつかどうか、そのテストである。
十数年ぶりに早稲田界隈を相当隈なく歩いた。
自治という名の無法地帯ぽさはなりをひそめていたような気がするが、 それでもなお、各サークルの立て看板やビラはそれなりにあり、 それを見た学生たちは「自分もそういう活動をしなくちゃな」という気になり、 自分というものを確立していく。 翻って、大人がそういう環境に足を踏み入れたらどうなるだろうか。 「いいなあ」で終わりになってしまうだろう。 バイクにしろ何にしろ、人から「へえー」と羨ましい目で見られることがある。 たいていの場合は、そういう人には趣味がない。 いや、かつてはあったのかもしれないが、忘れてしまった人もいる。 自分はそうならないために、今日もまたprismを聴く。 |
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