ほぼ年イチ、秋の南会津の山のなかでしか乗らないRMX。それゆえに、タイヤが減っていても「来シーズンでいいか」→結局そのまま、で5年くらい経った気がする。 とはいえこのタイヤ、入れたのはいつだったか。写真でさかのぼると、2009年秋は、2003年に入れたミシュランのコンペ3をまだ履いていて、2010年2月のウエポンでのレースでAC10を履いている。つまり、AC10を11年も履いてしまった。その間、走行距離は2000kmに満たないはずだが、2割くらいはダートだと思われる。よく「林道が1割」などという人がいるけれど、多くて5%未満じゃないかな。ぼくの場合は南会津にもっていき、そこから一回り約150kmするうちにダートを2~3本、それでも合計30kmくらいになるかどうかだ。甲子とか黒森川とかは時間がかかるけれども距離は短い。 タイヤ、何にしようかなとさんざん迷った挙げ句、いちおう公道走行可能なものをチョイスすることにした。ミシュランのトラッカー。いま、輸入タイヤは欠品が多く、御多分に漏れず、これのリヤもそう。幸い、110/100-18がamazonにあまり高くなくあったので購入。 さっそくフロントから交換。もうタイヤ交換なんで2年に1回くらいしかしないので、目標30分…と思ったら、硬化しているのか、もともとそうなのか、AC10が固くてホイールから外れない。なかり力をつかって、1時間以上かかってしまった。 タイヤの減り具合。 チューブ。2003年にコンペ3入れたときのヘビーチューブが入っていた。劣化していて、表現からゴムがボロボロ落ちる。そりゃ18年前のものだもんな。しかもカビくさい。ということで、急遽、近くのタイヤ屋さんにチューブを買いに行く。これが18年もったら、おれ、もう2スト250乗れる歳ではなくなるな…。 倉庫をさらったら、新品チューブが何本も出てきたんだけれど、これは、仕事でいただいたもの。どれも20年近くたっているので、すみません、サヨナラします。 続いてリヤ。フロントで難儀したのでどうかと思ったら、リヤはそうでもなかった。 タイヤの山があるっていいねえ。。タイヤを外すと、リムバンドの代わりにガムテが巻いてあった。それもきっと20年ものだ。(写真なし) 組み上げて、スポークの緩みをチェックしたら…スポークの曲がりを発見。これ交換お願いしなくちゃならない。サスのOHもしなきゃいけないし、まとめてお願いしよう。 組み付けて、空気圧1.5くらいにして試走。 1年9カ月、マトモに走らせていないので、エンジンもなかなかかからず。プラグを見るとかなり汚れている。工具箱にあった、きれいめのやつに交換し、予備がもうないのでamazonでポチり。 今年の秋、またこれを積んで南会津に行くか。それ以外でも、2~3回は連れ出してやりたいな。でもTENERE700でも林道行きたい。遊ぶ時間だけがほしいよ。 PR 房総半島の大原の北東に位置する太東崎(たいとうざき)。そのすぐ北に広がる九十九里浜とは対照的に、断崖似波が砕け散る。南側はクルマを駐めるスペースもあり、早朝から釣り人が来るにもいい場所だ。ここで北を見ると、道路のようなものが見える。 ずんずん歩いて行って見る。コンクリートスラブはどう見ても道路のような使われた方をしたものだがガードレールもなく、すでに目的を果たして放棄されたか、傾いたりズレていたりする。ズレているのは波によるものか、その下にあった岩やテトラの破損によるものか。 ここから先にも行けるが、濡れるのでここまで。 南に引き返す。これくらいの断崖で、この道路の特に海側にはテトラが並んではいるがどれも砕けている。これは、テトラを敷設するための作業用の道だろうか。陸側からはアプローチできないし、海側が浅かったり潮流や水深の関係でそれも無理だったのかもしれない…と思っていたら、らいどろさんからご教示いただいた。 なるほど~。そしてGoogleMapsの航空写真を見ると、太東崎一帯の北側まで延びている。とすると、これも旧道ではなく護岸整備のための作業道だろうか 国道278号 波に破壊された旧道(戸井/日浦トンネル)
みちさんが発見し、ヨッキさんがレポートしたのを見て、ずっと行こうと思いながら、バイクで近くまで行くと雨雲が迫ってきたりしてなかなか行けなかった落合橋をようやく訪問した。 もう6月だ。当然、緑に覆われていた。それでも東側は、その貴重な姿を見せてくれていた。上弦、下弦とも2本の木材が並行している。 どなたかが降りた跡がある。ありがたくそこをたどり、危なくない程度のところまで行く。奈良の寺院のような木造の大建築の中に入ると息を呑むが、この落合橋を眺めていると、それと同じ心持ちになる。圧縮方向の斜材(写真では\)は太く、二重になっていて、引張方向の斜材(写真では/)は細い。木材の軸方向は圧縮に強く引張に弱いのでこのような組み方をするわけで、それがハウトラスで、引張のための鋼棒の垂直材をかますのがアラントラス…と解釈していのだけれど、これはダブルワーレン+鋼棒の垂直材だ。(しかし、木造で、基本はハウトラスというこでカテゴリはそうしてある) いつの架橋かは不明。それが明らかになってほしい。 木製ゆえに接ぎの概念がうっとりする。おそらくスパンは30m程度、軸方向でそんな長い木材はないだろうから、上弦や下弦も接ぎで造ってあるものと思う。下弦の接合プレートのようなものも木製だ。格点に横方向(枕木方向)にボルトが入っているが、これは格点で斜材を受ける三角柱は実は下弦にめり込んでいて、下弦にボルト留めされているものと思われる。 上弦の上に横方向に材が載り、その上に縦方向(軸方向)に床版を支えていた梁が載る。(縦=軸方向、横=それと直角方向) 梁は7本。左右側の3本ずつの「その先」にある梁はオフセットされて配置されるが、センターのものは一直線になっている。 梁の上に、縦方向に倒木があって、まるでこれも梁のようだ。倒木更新か、真上に細い木が何本もある。 タラの木もある。そして先端がカットされている。山菜採りの人がここに来てカットしていったんだな…。周囲にはタラの木あり。 左には、上弦の2本の材の間から伸びてきた樹木。 いったん現道に戻り、東側には北に上る道があるので少し上がると、上流側を見下ろせる。ドローンで撮れないかと思って持参していたのだけれど、この繁茂では断念。冬枯れの時に再訪しよう。 なお、ヨッキさんの『山さ行がねが』でのレポートはこちら。もっと下まで降りている。 * * * さて、Wikipediaのアラントラスの項目を久しぶりに確認(この項目を英語版から翻訳して大幅加筆したのは私)。アラントラスとして例示されているハンデン橋 (Hampden Bridge) は、なんと2014年、ヨッキさんが記事を公開した3カ月後に取り壊れていた。この落合橋だったらどうかな。木製の橋は、モニュメンタルなものとして観光地で架けられることがあるが、ここはそれなりの山奥。いつか落ちてしまうのだろうな。 2019年11月に右折ですっころんだ時に、ハンドガードが少し歪んでレバーに干渉するようになった。装着しているのは90年代後半に一世を風靡したアチェルビスのラリーブッシュガード。もともと、デフォルトのレバーでは長すぎるためにショートレバーにしているのだけれど、歪んだために干渉し、当初は特になんともなかったものの、あるときから引っかかるようになった。 本来ならガードを曲げたいところだけれど、人力で曲げられるものではない。対処として、レバー先端の頭を切断した。 アルミなので、グラインダーで削るのもすぐだ。レバーは少し面取りした。 * * * TENERE700が来たので、ぼくが乗ることはほとんどなくなった。すっかりバッテリーも弱くなってしまい、充電しても厳しくなってきた。GSユアサのバッテリー、買ったのは2015年だったか。家族がエンジンがかからないというので、ブースターにつなげてみると、たしかにダメ。こりゃプラグを見なければ…。 こりゃひどい。たぶん、家族が乗ろうとした際、セルでかからなくて、勢いのないキックを何度もしたんだろうな。8番がいくつか転がっていたので交換。 ランツァは整備性がむちゃくちゃ悪い。あまりに空間が狭くてプラグキャップをうまく脱着できない。写真のようなところまでしかズレてくれないので、タンクを外したほうが早い。
ぶじに交換、火花も飛ぶ。 後日、新しいバッテリーを注文し、交換した。 品鶴線の新鶴見操車場ができたころからあった「江ヶ崎跨線橋」。ここには鹿島田、小倉、江ヶ崎の三つの跨線橋が架けられ、いずれも架け替えられたが、最後まで古い姿を留めていたのが江ヶ崎跨線橋だ。 189x年ハンディサイト製の複線200フィートプラットトラス2連と、1895年コクレーン製の複線100フィートポニーワーレントラスを使い、1929年に架けられた。このブログを始めたころに存在を知ったのだが、タイミング悪く撤去されたところだったので、現役時代は見に行けていない。 それでも、こうして一部が保管されているのは素晴らしいことだ。 コクレーンの銘板がつけられている。十条跨線橋とは位置が異なるので、付け替えられたのかもしれない。 貴重な断面を見ることができる。 素晴らしい解説板がある。古びた橋梁だったはずだが、3km以上もある広大な操車場の東西を結ぶ、この地域の象徴だったのだろう。 * * *
この100フィート桁の出自である荒川に架けられた橋梁を整理すると、こうだ。 1885年製 単線100フィートポニーワーレン×4 1895年撤去 →3連が1897年に磐城線(常磐線)久慈川に転用され、1917年に撤去された。 →1連は不明 1895年製 複線100フィートポニーワーレン×4 1928年撤去 →1連がここ(保存) →1連が十条跨線橋(現用) →1連が群馬県水上町大鹿橋(撤去済み、時期不明) →1連は不明 * * *
保存されてはいないが、相方となっていたハンディサイド製の200フィート桁は、隅田川橋梁土浦線(常磐線)の隅田川橋梁用に複線型が2連、同じく磐城線(常磐線)の阿武隈川橋梁用に単線型が8連、そして北越鉄道(信越本線)の信濃川橋梁用が6連作られた。信濃川橋梁用のものは、道路橋の越路橋に転用され、さらに転用されて2連が現存、1連が短縮されて保存されている。 ・ハンディサイド/不動沢橋(新潟県) ・ハンディサイド/岩田橋(新潟県) ・旧・越路橋(2) 同型の200フィート桁を整理するとこうだ。 189x年製 複線200フィートプラットトラス 隅田川橋梁2連 1928年撤去 →2連ともここ 1896年製 単線200フィートプラットトラス 阿武隈川橋梁8連 1938年撤去 →1連が大糸線穂高川橋梁(現用) →1連が東武砥川橋梁(現用) →2連が赤城登山鉄道第1利平橋梁(1957~1968) →2連が赤城登山鉄道第2利平橋梁(1957~1968) →2連は不明 189x年製 単線200フィートプラットトラス 信濃川橋梁6連 1952年撤去 →4連が越路橋(1957~1998?) →1連が短縮されて保存 →1連が不動沢橋(現用) →1連が岩田橋(現用) 【参考】 明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第1報)200フィートダブルワーレントラスを中心として(西野保行・小西純一・渕上龍雄) ■関連項目 英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考の整理ページ |
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