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茨城県の常陸大宮市と城里町の間に架かる4連のランガートラス。橋長282.4m。設計は田中豊、常陸大宮市でも「宝」と形容している、地元のシンボルとなっている橋。赤茶色が青空に映える。下流側にはプレーとガーダーによる歩道橋が架けられている。

 
iPhoneしかないので引けない…。1949年の架設で、県の点検で老朽化が指摘されており、架け替えの話も出ている。同じく5連のランガートラスで1952年の架設だった湊大橋は既に架け替えられている。
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オーシャン東九フェリーに22年ぶりに乗った。1995年GWに徳島、1996年GWに新門司、1999年に徳島まで、それぞれ行きで乗っている。その3回ともバイクでの乗船だが、今回は徒歩乗船。

 
19時30分の出港に対して、19時ころに徒歩乗船の案内があった。てくてくと歩いていくと、そこには「苫小牧・那智勝浦・高知」の表記があった。ブルーハイウェイラインだ! 

 
苫小牧便は1999年まで、高知便は2001年まで運航していた。それぞれ、1995年夏と1996年夏の行き、1999年GWの帰りに乗っている。この表記は徒歩乗船でないと見つけられない。徒歩乗船してよかった。

 
ボーディングブリッジ。徒歩客は10人ほどだった。

 
東京港を出るときのハイライトが、東京ゲートブリッジをくぐるところだ。これはくぐったあと。くぐるときのは動画でどうぞ。






栃木県の県道をバイクで走っていたら、なんだかスケール感がおかしいトラス橋が目に飛び込んできた。

 
 

オーソドックスな3パネルのワーレントラス。斜材はアングル材、弦材と垂直材はC型の材だ。すべてボルト結合のようだ。床版はコンクリートの板が渡してあるだけ?

ガードレールと見比べると、その小ささがわかるだろう。とくに車両通行止めとは書いていないし規制標識もない。道路が「普通に」続いている。

 
私の目の高さ(170cm程度?)で撮った写真がこれ。私の背丈(178cm)では頭は当たらないが、空頭は180cm程度か。

 
TENERE700を置いてみると、この大きさ。幅員は2mはありそうなので、4・5ナンバーのうち、高さが180cm程度ならば通れそうだ。重量制限の規制標識もない。上流側・下流側ともに230~250m程度いったところに別のもっとちゃんとした(?)橋がある。「マイ橋」だろうか。








2021年2月27日(土)、切通理作さん主宰の阿佐ヶ谷・ネオ書房で開催された『丸田祥三の日本風景論・令和編〜東京物語〜』。刊行準備中の『日本風景論・令和編』のベースとなるもので、既に数回開催されている。今回は「東京論」的な部分となった。

話は多岐にわたるが、特に私が聞き入ったのは、「人の故郷感」を、東京の生まれ育ちの丸田さん、そして参加者の方々からうかがえたことだ。丸田さんは町田での暮らしが長いが、丸田さんにとっては12歳まで過ごした新宿の大京町が故郷、「帰ってきた」感じがするとのこと。とても便利な場所で、まだ都電もそこここが徒歩圏内で、東京の距離感も起伏もそこで培われた。

ここで、二つのポイントがある。「故郷感」と「東京観」だ。(
「故郷感」「東京観」という言葉は便宜的に私が作ったものです



まず「東京観」から。まだ都電がいまの外苑東通りや新宿通りを走っていたころで、電車といえばそれ。長じて東京郊外や地方出身者の持つ東京都心の距離感…地下鉄などの駅で把握していることを知ったときに、その差に驚いたそうだ。「駅で把握している」というのは、例えば「西銀座から東京駅まで歩けるという感覚を持っておらず、電車に乗る」というようなことだ。切通理作さんは阿佐ヶ谷の方でなので、電車といえば中央線。後者だ。

参加者の方々の東京観は、とても個人的なものが多く、これまたおもしろいのだけれど、幼少のころの印象が強く尾を引いている方が多かったようだ。



そして「故郷感」。丸田さんは、国立競技場周辺がまったく違った姿になっていても、故郷感があるという。そういうものだと思う。もし仮にそこが飛行場になってしまったくらいにまったく変わってしまったら違うのかもしれないが、建物の更新くらいでは故郷感はなくならない。この故郷感は、私の関心のあるところだ。

森鷗外は、津和野を出てから一度も戻っていないのに「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言したことはよく知られている。人によって、出生地と育ちの地が異なるのに出生地を意識して記載する人もいる。この意識の根底を、いろいろな人に聞いてみたい。

「故郷感」といえば、東京の人は帰る故郷がない、地方出身者がうらやましい…というような、ステレオタイプの観念がある。これは地方出身者による対東京人マウンティングでしかない。東京を「故郷たる価値がない」というのはとてもひどい見方だ。しかし、こういう観念は無批判に受け入れられている気がして、そして、それがマジョリティだとも思っている。文脈として理解しやすいし、物語も描きやすいのだ。もちろん東京の人にとっては東京が故郷だ。

ふと思ったのだけれど、近年の漫画作品で郊外…埼玉県の武蔵野線沿線が舞台になることが多いのは、そういう郊外生まれ育ちの人の「故郷感」が反映しているのかもしれない。そこには「新興住宅地だって故郷たりうる」という念が埋め込まれている気がする。




「故郷感」「東京観」を合わせて考えると、「東京」というのはあまりに広い。浅草生まれ育ちと渋谷生まれ育ちが同じく「東京生まれ育ち」というのはちょっと無理があると思う。一方で、東京では都内で転居するのは当然のことで、生まれ育った家で死ぬまで暮らす人はほぼいないのではないか。
また、親の職業の都合で、短期間で全国を転居している人も少なくない。そういう人の「故郷感」もまたたくさん聞いてみたい。

「故郷感」「東京観」も、おそらくほとんどの人にとっては一つではないだろう。私にとっての「故郷感」は一つだが、「東京観」は、子どものころの印象、上京したころの印象、そしてさまざまな知見を得た現在の印象でどれも異なる。こういうことを考え始めてだいぶ経つので、ナチュラルに東京をどう感じていたかを思い出すことができなくなってしまったが、一つではない「東京観」のうち、印象の強いものを整理していきたいと思っている。きっとこれから得る知識でそれはどんどん変わるとしても。



丸田さんと切通さんによる
『日本風景論・令和編』は、毎回、我々が「当たり前」のこととしていることについて、「ちょっと立ち止まって、それがなんなのか考えてみる」というきっかけをたくさん提供してくれる。私はそういうふうに考えることが好きなので、きっとそうしたものになる書籍も楽しみにしている。

次回の
『丸田祥三の日本風景論・令和編』の日程はオープンになっていなけいけれど、3月末かな? 楽しみにしています。丸田さんと作っている『廃線だけ』は着々と進行中です。



 
南武線南多摩駅のすぐ西に架かる橋。名称不明。宮地エンジニアリングの技報では「南多摩PC2」とある。神奈川県道9号府中街道に架かるので「府中街道架道橋」と仮称しておく。南武線の高架化に際して架設されたもので、地上時代の踏切は「谷戸川踏切」といった。三沢工務店のサイトでは「南多摩ランガー橋」とあるが、これは便宜上のものだろう。このPCランガーは、最初は下り線が架かり、次いで上り線が高架化された(JR南武線(稲田堤駅・府中本町駅間)連続立体交差事業の概要)。曲線区間に架かっている。上の写真は上り線。

 
上り線(北側)。上り線はR500、支間長40.999m。

 
下り線(南側)。

 
下り線もカーブしている。通常、この程度のスパンなら直線で架けて軌道のみをカーブさせるが、ここではランガー桁そのものがカーブしている。


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