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TENERE700インプレ/XTZ750スーパーテネレとの差から
という一文を書いたが、改めて倉庫の奥から引っ張り出し、外していた外装をつけた。


左がXTZ750スーパーテネレ。2012年夏にミッションが逝き(スーパーテネレを廃車してきた)、廃車してから外装をすべてつけたのは初めてだ。テネレ700に慣れてから久しぶりに見ると、ずいぶんとずんぐりとしている。「小さい」と感じる。それは、タンク上面が低いのと、メーター回りが寝ている上に「向こうまでない」からだ。

この個体は1997年春に購入、2001年ころに外装一式をオリジナルで塗ってもらったもの。タンクは部品取り車から、プラパーツは新品。プラパーツだけで14万円くらいした。塗装は、ヤマハのこのカラーリングのヘルメットをデザインした札幌のペインターを紹介してもらって依頼した。デザインはぼくが行い、それをペインターがアレンジしてくれた。たしか13万円くらいだった。

青は当時のヤマハの青。テネレ700も同じ色に見える。下の茶色はミヤビマルーンだ。元々は、当時のXJR1300と同じく黒を指定したのだけれど、この色にアレンジしてくれた。おかげでずいぶんと明るい印象になった。

このオリジナル外装と同時に、スイングアームのメッキ化やフロントフォークボトムケースの交換(きれいな新品にしただけ)、エキセルリム装着などをした。

 
右後ろから見るのがカッコイイのは変わらない。しかし、XTZ750は80年代のバイク。デザインの古さというか、パーツの形状の単純さというか。

テネレ700を動かすときは「軽い」、乗ったときには「重心がまとまっている」と思うものの、XTZ750を動かすと、テネレ700よりも重心が低く、しかも車体がコンパクトに感じる。しかし重い。

 
XTZ750のほうは、保管の都合でハンドガードとミラーを外している。また、スクリーンは、きれいなものが見つからず、古い汚いものを取りあえずつけた。このカラーリングでゼッケン15をつけて走ったことはない。

 
フロントフォークの上端が、テネレ700のほうが5cmくらい高い完時がする。ハンドルも高い。とにかく、テネレ700はでかい。そう感じる。シートも長い。キャリアをつけているが、現代のキャリアは「2ケツ+箱」を前提に造られているので後ろに長い。ホイールベースは90mm長い。

 
このオリジナル外装は完成したらすぐにつけて乗っていたが、2002年のGWにロシアンラリーに行ったときには古い外装にしていった。傷つけたくなかったからね。



この古い外装は、こんな使い方をしていたので傷だらけだったのだ。その外装を引っ張り出して見た。



右のパネルが大きく破損している。これは女神湖スカイエンデューロに出たときに転倒したため。パネルは左右どっちがどうかわからないが、3万5600円と3万7400円。

 
サイドカバーもゴリゴリ。これは左が7750円、右が7800円。

 
顔面まで割れている。これは意外に高くて2万4400円。

今後、この手のバイクをここまで投げたり転んだりすることはないだろう。これらの傷は、自分が20代だったころのもの、そういう環境があったころ、つまりバイク仲間たちもそういう遊び方をしていたころのもの、と考えると、もうずいぶんと来てしまった気がする。


今回、青い外装をつけたのは、テネレ700と記念写真を撮りたかったからだ。終わったら外装をすべてはずす。この個体は部品取りとして人に譲ろうと思う。オリジナル外装は手元においておく。

* * *


おまけ。テネレ700のリヤアクスルは27mm。やむなく12.7mm角のでかいハンドルとソケットを持ち歩いているが、KTCの27-24のメガネレンチがシート下に収まることを発見した。でも、でかすぎるし、重すぎるよ…。


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山梨県の「猿橋」と同じ「刎橋」が防府市にある。両岸から柱を突き出し、そこに桁をかけるものだ。「枡築らんかん橋」(ますつき…)という。


刎ね出しは2段。この「高さ」、構造由来ではあろうが、説明文には空頭の確保というようになされている。


親柱などはない。名前の由来である「らんかん(欄干)」もない。

 
石板が4枚、渡してある。刎ね出し部分はコンクリートが充填してある。

 
反対側から。「バイク通行禁止」とあるということは、かつては日常的に通っていたんだろうな。

 
刎ね出し部分のアップ。人力による石積みと、現代のコンクリート護岸と。

「枡築らんかん橋」の「枡築」とは、入川(海水の水路)に囲まれた塩田のこと。それが桝の形をしているのでこう呼ぶ。このあたりは塩田だったのだ。「枡築らんかん橋」は9基あったが、現存は3基。現役なのはこれ。あとは2基が、佐和川SA上り線と三田尻塩田記念産業公園にあるというが、それを知ったのは帰宅後のことだった。










 
山口県のガードレールは黄色だ。初めて知ったのは、『ツーリングマップ中国・四国』だった。『ツーリングマップ「ル」』の前身。

ただ、ここのように、両側にしばらく続いているところというのはなかなかない。ガードレールは、民家があれば途切れるし、峠道ならば谷側にしかない。上の写真では、奥の右は切れている。

 
振り返るとこう。上って右に曲がるとガードレールは途切れる。

場所は国道376号、獺越。





夏休みロングツーリング後、オドメーターで6000km近くになった。マニュアルでは1万kmで…となっているけれど、古い人間なので「3000kmで交換しなくては…」と思ってしまうのと、炎天下、9日間で4300km走ったので相当にオイルに負担をかけたと思われ、8月半ばに交換。


テネレ700のオイルフィルターは、MT-06と同じもの。エンジンが同じだから同じだろう…とは思ったけれど、そうでもない場合もあったような気もする。これは1000km点検時にYSPで交換した純正。5GH-13440-61。

これだけ普及しているエンジンなので、Amazonにも社外パーツが多い。ノーブランドよりは有名パーツメーカーのほうがいいが、あいにくAmazonには即納のものがないのでNAP`Sに買いにいった。ところがベスラもキジマも品切れ中。


そこで、唯一在庫していたXStageというものを購入。オイルフィルターレンチはあらかじめTONEの64mmを購入しておいた。これはソケットとしては3/8インチだが、22mm(24mmだったかな)のメガネでも回せる。

オイルは1000km走行時よりも(1000km点検前に自分でも交換してしまった)少し金属が混ざり、キラキラしていた。次回は1万km時点か。いま、7200km超。

 
山口県防府市の向島にかかる旋回橋、錦橋。写真のように、本土側にプレートガーダーを挟んでいる。

 
向島側に操作室がある。私が訪ねたときは詰所には係の方がいたが、ほどなく施錠して立ち去ってしまった。あと少し…30分ほどでも早ければ、旋回したのかもしれない。その際には、遮断機が下りただろう。

 
 
向島側の親柱は、左が「昭和44年3月完工」、右が「にしきはし」。遮断機は大同信号製。鉄道用の警報器はないが、この信号機が明滅するようだ。youtubeに動画があるが、サイレンではなく、鉄道用警報器と同じような音が鳴っている。

 
橋桁は回転するため、端部は弧を描いている。桁の軸方向中央はグレーチングで、向島側はコンクリートで埋められている。

 
地上側の端部は鉄で補強されている。これは本土側。

 
本土側のプレートガーダー上から。


本土側。

 
 
本土側の親柱。左は「中関航路」、右は「錦橋」。通常、河川名が入るが、渡るのは川ではなく「航路」、ということ?

 
向島側の防波堤には白色三角標識(板)がペイントされていた。








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