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メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

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出合橋(国道193号)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)



 
長安口貯水池にかかるカンチレバートラス。といってもキャメルバック型とでも言おうか、通常は支承の上部が突き出すが、吊り桁の上弦の高さがそこと同じ高さになっている。シチサンないし真横から撮れる位置がないので、なかなかわかりづらいのだが。(この日は上流側、国道193号が通行止めだった)

左岸川(北側)の親柱は、左が「であいはし」、右が「那賀川」。

 
手前に見える|X|X|X|X|という橋門構のような部分の垂直材の真下が支承・橋脚。その一つ奥の上横構はよく見ると2本あり、そこが接合部で、その向こうが吊り桁。

 
 
接合部。上弦はピンで接合されている。

 
橋を渡るとそのまま出合トンネルに吸い込まれる。信号機のあるトンネルだ。

 

右岸側(南側)の親柱。左が「出合橋」、右が「徳島市へ八二粁」

 
銘板がある。

昭和29年(1954)
徳島県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作株式会社宮地鉄工所

 
隣接して上流側に仮称出合大橋が建造中だ。ニールセンローゼになる。




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長安吊橋

吊り橋

 
 
長安口ダムの下流側にかかるのが長安吊橋。

国道195号から対岸に渡る道としては、もう少し下流に小浜大橋があるが、その旧道にあたるか。

 
 
 
主塔はコンクリート製、その内側に高さ3mのゲートがある。主塔の空間を考えると、3.8mでもよさそうなものだが…。

主塔につく銘板。「昭和二十七年十月四日竣工」。長安口ダムの竣工は昭和30年。

 
 
左岸側(国道側)のアンカー。壁面の覆工に穴が空き、その奥にアンカーされている。

 
その近くにある石碑。現地では読めなかったので書き起こす。石碑は、1行が長すぎ、行間が狭すぎ、そしてはるか目の上に文字があるので、非常に読みづらい。石碑設置者は、読む人のことを考えてもらいたい。

(原文縦書き)
嗚呼美なる哉日野氏の行ひ美なる哉虎吉扇の心明治三十一年一
作氏の長南として旧下木頭村深森に生る質性温厚篤実夙に植林
事業の重要性を痛感し森林組合の創立に或は種苗圃の経営に将
又林道の開発に率先垂範孜々営々三十余星霜其の成果は既に
鬱蒼たる沃林を●成す翁は斯く植林事業に精進する傍ら若冠(ママ)三
十歳余にして村議会議員となり地方行政に挺身する事二十七年
後宮濱村長を経て初代上那賀町長となり自治行政に盡瘁しつつ
今日に及ぶ就中古屋川林道開発に翁の悲願にして粉骨砕身遂に
之を完成せしむ今回有志相謀り其の偉徳を頌し不朽の業績を讃
え以て萬世の師を仰がんため翁が偉業の一端を叙す
 昭和三十六年二月廿五日 阿南市議会議長 市瀬慶治郎 謹撰
              海部郡由岐町 名田八十一 謹書


要するに初代上那賀町長・日野虎吉氏を讃える文面である。深森とはここから県道36号を南下したところにある。古屋川林道とは、県道36号のことだ。


(おまけ)
 
下流側に造られた川口ダム。堤体正面側は撮れなかった。

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府能隧道(国道438号)

隧道・廃隧道


徳島県の神山町と佐那河内村の間にある旧道・府能隧道。これは西側・神山側。きれいなU字型の断面。覆工は鋼板で補修されている。扁額は、後述する佐那河内側にならって右から読むと「道通山郡」になるようだ。(参考:マフラー巻きさんのサイト

 
手前に引くと、このような形でガードがある。高さ制限よりも、車幅制限の標識をつけたほうがいいのではないか。

 
さらにその手前の情景。写真下側(手前)から右に折れると隧道がある。写真に見えている道は無関係だが、地図を見る限り、それをたどっても峠を越えることができそうだ。

 
東側・佐那河内側。

 
こちらの扁額は「府能嶺隧道」。左には「大正十一年竣工」とある。


【2017年10月17日追記】
平成29年度選奨土木遺産に選定された。
http://www.jsce.or.jp/contents/isan/files/2017_22.shtml




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元・郵便局舎?

郵便局舎


落合橋(徳島県/勝浦川)のたもとに建っていた、「顔」にも見える木造二階建て。車寄せがあり、なんだか郵便局のような雰囲気。でも、郵便局だと2階はいらないような…?

いまは人の出入りがないようで、中をのぞいたら、カウンターがあった。(と記憶している、写真はない)


2017.1.28追記
@Einshaltさんからの情報で、「元・郵便局舎」で確定しました。いまは工房として使われているとのことです。ありがとうございます。
http://www.tsci.or.jp/kamikatsu/kankou.html#koubou
http://iko-yo.net/facilities/35885







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四国山間部の旧道の給油所にふさわしいクルマは

ENEOS/日本石油


四国の剣山地を東西に走る国道の北側に、ひっそりと旧道が走っている。地形図で見ると、国道沿いよりもこちらのほうが家屋の記号が多くあるが、とはいえ点在する程度であり、見ての通りの道幅。早朝、ここに給油所を見たときには「なぜここに、これだけの美しいENEOSが?」と思うような集落。

駐車場代わりに使っているに違いない、小さなキャノピーの下に停まっているのはナナマル。アルミこそ履いているが、オーバーフェンダーもない、ステッカーチューンもない、まったくもってシンプル、無地に見えるランクルは、この給油所の佇まいにとても似つかわしく見えた。



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角屋橋(徳島県/勝浦川)

ポニーワーレントラス

 
落合橋(徳島県/勝浦川)のすぐ上流の橋が、この角屋橋だ。剣山スーパー林道の「起点」がここであるが、同時に「終点」の標柱もある。現在は新橋がかかっていて、これから紹介するのは旧橋である。


すでに渡れないようにバリケードが作られている。

 
2.5tの重量制限の標識が朽ちかけている。

 
新橋から見ると、このようなスマートなポニーワーレントラス。部材は、斜材がアングル、垂直材がチャンネル。当たり前だが理にかなっている、それが可視化されているのが好きだ。

 
銘板には

徳島
昭和28年6月製作
株式会社アルス製作所
ARS IRON WORKS,LTD.

対岸側は、かつての道の姿を彷彿させてくれる感じになっていた。

新橋は銘板によれば昭和49年11月竣功。旧橋は21~22年しか使われなかったことになる。新橋は竣功後、41年が経っている。







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落合橋(徳島県/勝浦川)

ボーストリングトラス


徳島県上勝町の役場のすぐ近くに、2連のポニーボーストリングトラスがあった。「歴史的鋼橋集覧」には載っておらず、突如こういう橋に出会うと本当に嬉しい。あとで検索すると、さすがサイト「橋の散歩道」には掲載されており、そこそこの知名度はあるようだ。

上の写真のように、川の中洲に橋脚…ではなく、岩場をベースにした橋台があり、2連とはいえ、1連が二つ、という形になっている。

東側。上流側にプレートガーダーの歩道橋が併設されている。ここはもはや旧道であり、8トンの重量制限がかかる。

美しい折れ線、美しい「低さ」。上弦の内側に銘板がある。

 
昭和八年製作
大阪
日本橋梁株式会社

さて、この橋は、上述のように「1連+1連」になっていて、その中間はこんなふうに途切れている。
 
これは歩道橋側=上流側。見たとおり、像がある。

 
剣を持った不動明王の石仏と思われる。四国は弘法大師の関係で不動明王像がある場所が多い。

こんな形で像の横を通って河原に降りることができる。

反対側は、バルコニーになっている。


この橋には橋梁名が書かれた銘板が見当たらないのだが、落合橋というようだ。




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モービルの庇に巻かれたゼネラルの帯

Mobil/ESSO/ゼネラル

大隅半島の町役場の近くに、閉店したゼネラルがあった。サービスルームを見ると、羽根のような庇がある。元モービル石油の痕跡だ。

 
いまは、Mobilとゼネラル、そしてessoは東燃ゼネラルが展開する3ブランドとなっているが、そうしたことが、この店のブランド変更に影響しているのかどうかはわからない。ただ、その庇が、出自を物語るのみだ。

もしかすると、防火壁の塗装を剥がすと、そのしたにはモービロイルの文字が隠れているかもしれない。

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『保線のはなし』(西本三郎著)

鉄道の本


この本をご存じの方は少ないのではなかろうか。昭和45年に鉄道図書館公開から刊行された、檀上完爾『赤い腕章』と同じシリーズだ。著者は西本三郎、明治40年(1887年)余市生まれ、大正10年(1921年)国鉄に就職し、昭和36年(1961年)国鉄退職。大正13年(1924年)から昭和33年(1958年)までの間、倶知安、中湧別、興部、岩見沢、月形の保線区を振り出しに、道内の保線に携わる。そんな、当時のエピソードを交えながら、保線一般の話を語る。別名「藻岩山麓」という名前での著書もあるが、それはまたの機会に。

やはり、読んで面白いのは「当時の話」だ。プロローグは、石北本線がまだ開通していない頃に旭川から名寄、興部と通って小向に向かう。紋別から南に二つ目の駅だ。そこに単身、列車で赴任する。当時の保線という職業、そして職業人たちの様子が細かに書かれている。それを転載はしない、ぜひ入手して読んで欲しい。


さて、メインの内容はというと、書名のとおり、保線の基本である。
第1章 プロローグ
第2章 線路の話
第3章 名人(ビーター)保線から近代(マルタイ)保線へ(下写真)
第4章 天災・地災・人災
第5章 トンネル・鉄橋・踏切道
第6章 雪や寒さと闘う
第7章 競合脱線
第8章 速度と保線
第9章 都市保線の憂うつと新幹線保守
第10章 保線よもやま話


現代でも通用する、極めてまじめで、簡潔な内容である。

興味深いのは、書かれた時代性である。「第6章 雪や寒さと闘う」「第7章 競合脱線」はまさにそれで、第6章ではED16(!)が押すラッセルの写真もあれば、『北の保線』(太田幸夫)にも通じる部分もあり、そしてDD53などの機械除雪の話になる。第7章は狩勝実験線が成果を上げてきたころであり、「競合脱線」というものが解明されつつあった。それまでに多発した脱線の原因は保線に帰され、著者を含む関係者に重大な処分…ある例では線路工手長が馘首…がなされてきたが、(おそらく原因は貨車の側にあるのに)保線の個人が責任を負わされる理不尽さを嘆いている。

下記のような「黄害」についての記述、これも時代性が強く、現代では「昔話」になってしまったが、貴重な記録であろう。




* * *

二点、重要な観点を紹介したい。本書がすごいと思った点である。一つ目は、第10章保線よもやま話のなかの「<保線の神様とは--?>」という一節。NHKのテレビ小説『旅路』に「線路を自分の手足のように知悉している保線の神様」という人物が出てくる。これに対して「こういうタイプの人物は、現実にいたことはいた。が、保線の神様とは、一体どういう意味なのか、私にははっきりしない(中略)線路状態を熟知しているだけの老保線員を神様とは、このデンでゆけば、全国六万五千の保線関係者の半数以上は、保線の神様であると私は思う。神様などという表現は、そう気易く使ってもらいたくない。」

これは、マスメディアがよく使う「新幹線の安全神話が崩壊した」につながらないだろうか。当事者たちはだれも自分を神になどなぞらえていない。無関係の者が、勝手に「神」を作り出し、そこに酔い痴れてしまう。いま、メディアが「安全神話」という言葉を使うたびにSNSにはそのメディアの稚拙さを指摘する声が沸騰するが、46年前に、別の場面で、これに違和感を持った保線屋がいたのだ。これは、すごいことだと思う。これまた逆に「国鉄神話」を作りかねないが、そうした慧眼の持ち主が、一保線屋にいたのだ。

もう一つは、第8章速度と保線の「最高速度とスピード記録の違い」の一節。各国の記録について「どうか、競馬における馬と騎手のみに拍手を送ることのないようにお願いしたい」という記述。

この二点こそ、現在にも通じる内容といえよう。

* * *

関係あるというかないというか、本書の著者のお孫さん・西本有氏が、別府で、竹のカゴを編む有製咲処(タモツセイサクショ)を主宰している。西本氏が作った竹細工は「ななつ星in九州」の車内調度品に採用されている。北と南で、祖父と孫で、鉄道に関わっておられる不思議なご縁。私も竹かごバッグ(bamluxe)を購入した。





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『寝ても覚めても国鉄マン』(石井妙子著)

鉄道の本

ちょっと毛色の変わった本。鉄道員の家族が語る本はいくつかあるが、たいていはありきたりなことしか書いてなく、いや、それは普通の人はありきたりな生活をしているので当たり前なのだが、どれどれと思って読んでみた。

まず最初に驚いたのは夫が「国鉄マン」といっても「JR東日本発足時の取締役」で、国鉄末期の「本車列車課長」だった人物、ということだ。検索すると、退任後は関連会社(現在社員2000名超)の社長を務めている。超エリートじゃないか。「国鉄マン」とうたっているので、機関士や車掌、駅員、保線などの現場の人の妻かと思い込んでいた。サブタイトルの「夫と転勤家族」は目に入らなかった。

…ということを知った上で、改めて、一説には300人しかいないという本社エリートの生活として読んだ。彼らごく一握りの人間が、40万職員を束ねる。そんなヒエラルキーがある職場とはどんなものなのか。大卒者のデスクワークしかないという職場に通う私には想像すらできないのだが、それは、本書冒頭、30前の夫が高松機関区長として赴任するあたりから、もうその雰囲気が色濃く出ている。

読んでいると、これが本当にエリートの暮らしなのか、と驚く。官舎が狭い、古いというのは、時代性という面も確かにある、それにしても、厳しい環境だ。当時からよく「国鉄の給料は安い」と言われていたが、このクラスの人物……高級官僚に相当する……にして、家を建てたのが(おそらく)野田線沿線というのは……。

そしてまたこれも時代性なのだが、これだけのエリート夫に対して、妻があまりに専業主婦。いまの若い世代が読んでも「ふーん???」としか感じないかもしれない。家庭を顧みないし妻に一切の…国鉄からJRの取締役に内定したことすら話さない夫、自分の原理で行動して夫を常に困らせる妻。そんなエピソードが後ろの半分以上を占めるので、本書を読破するのに時間はかからない。飼っていた鳥だとか子どもが交通事故に遭ったとかそういうことを詳細に書くのではなく、官舎がどういうものだったか、幹部職員の家族、職場のレクリエーション、そういったものをもっともっと披露して欲しかった。

それにしても、「運転」のことなどの記述は正確だ。本人は専業主婦なので、もちろんそんな知識があるわけもなく、また、付け焼き刃で書けるものでもない。文章含めて、きっちりした人がバックアップしているのを感じるが、前述のように、文章としてはきちんとしていても、趣味的には中身がない。まるで自分の親や親戚、同僚の話を雑談として聞いているような内容だ。うっかりさらっと読める本だが、気がつく人なら、途中で「あれ? なんで自分はこの本を読もうとしたんだっけ?」となるだろう。私は別に、そこらへんの人の子育てや家族の生活の話を読みたいわけではないのだ。


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