
いまのJR吾妻線は戦時中に群馬鉄山からの鉄鉱石輸送のために敷設された路線だ。長野原から北へ6km弱、太子(おおし)駅まで専用線が伸びていた。戦後、旅客輸送もなされたが、1970年には休止。以後45年経ち、かつてのホームととともに「駅便」が残っている。この駅便は公衆トイレとしていまも使われている。
男子用の朝顔が三つ。しかし、旅客営業していた当時でさえ三つも必要だったのかどうか。
個室には小振りな便器。清掃が行き届いているということは、放置でもなく、誰も使っていないわけではないということ。木桟の窓が少し開いていた。
天井の電球は取り外されていた。配線は剥き出しの銅線か。
太子駅全景。左が道路で、そのさらに左の山越しに、鉄鉱石がこのホッパーまで来ていたようだ。連れて行ってくださった丸田祥三さんによれば、このホッパーはつい去年まで半分以上は土に埋もれて木が生い茂っていたそう。それが、きれいさっぱり土砂が取り除かれている。「数十年かけて積み重ねてきたもの」を除去してしまったということだ。

長野原町の国道沿いに、廃バスがたくさんある地域がある。そこで見かけたもの。丸田さんがtwitterにアップしたら、すかさずCURIOUS編集部が下記のツイートを。
その5RAは昭和63年時点ですでに廃車体だったんです。でも、まだ錆びてないですねえ。 pic.twitter.com/uI6KGlFUCq
— CURIOUS編集室 (@CURIOUS_49) 2015, 4月 12
「常盤館」とある。合宿所の送迎バスかなにかだろうか。
やはり「常盤館」とある。前面に簡易トイレがくくりつけられている。
国鉄バス。私は国鉄バス不毛地帯の新潟で育ったため、まったく馴染みがないのだが、長野原線(吾妻線)沿線は国鉄バスは多数走っていたはずだ。その名残だろうか。
丸田祥三さんの撮影にお誘いいただいたときに見つけた、群馬県長野原町の町道標識。「町道大屋原4号線」と書かれた簡素なものだ。
同種のものは、長野原町内でいくつも見かけた。
これを丸田さんがtwitterにアップしたところ、CURIOUS編集室が、昭和63年に撮影したこれをアップしてくれた。
その5RAは昭和63年時点ですでに廃車体だったんです。でも、まだ錆びてないですねえ。 pic.twitter.com/uI6KGlFUCq
— CURIOUS編集室 (@CURIOUS_49) 2015, 4月 12
新城市と設楽町の境界は豊川本流。その豊川が蛇行している部分をショートカットする形で、この新段嶺トンネルがある。
旧隧道が口を開けている。こうして見ても、大きさもなにも遜色がないように見える。
この隧道は現在、「町道133号 竹桑田清崎線 呼間線 設楽町」という標識が立ち、歩行者用トンネルとして使われている。