渥美半島の地形図を見ていたら、なんだか不思議な水路が書いてあった。とくに山がちでもないところに、隧道と堀割を交えつつ、時に海岸縁まで近づきながら、伊良湖岬近くまで伸びている。元を辿るとかなり遠方、飯田線の三河大野駅の南側から取水している。そのあたりの標高は78mほど。
水路隧道は用雨水の幅に適したこぢんまりしたものだ。断面は方形か。扁額には
水路隧道手前には「救命竿」。きちんと整備されたルートなのだなあ。
同じく水路隧道手前には、別の用水の水路橋がかかっていた。
水路には、きちんと案内板が出ている。「ここは和地第1開水路(東713地点) (独)水資源機構 豊川用水」。
ここに架かる橋は「西大坂橋」。
親柱にはきちんと銘板がある。「西大坂橋」「豊川用水」「にしおおさかはし」「昭和四十二年八月完成」。
(Kashmir3D+DEM5m+数値地図25000)
このように、3径間くらいの曲線の箱桁が連続する。この青い桁は1車線で、豊橋バイパス豊橋港インター→神野埠頭というルートだ(逆方向も青の1車線)。黄色はメインルートたる2車線の海軍橋←→神野埠頭、赤は海軍橋→豊橋港インター(逆方向も赤の1車線)。
神野埠頭側の基部は、1車線の桁にはPC桁がつき、2車線の桁には緑の桁がつながっている。奥の「緑・黄」には銘板がある。
2014年7月、『空から見る戦後の東京 60年のおもかげ』という本を、竹内正浩さんに作っていただいた。空中写真は、1948年(上写真)、1975年前後、2009年のものが東京区部を全網羅しているので、その3時代の変遷を見るという趣向だ。2009年のものは、写っている建物もおよそ見当が付くが、住宅地図の掲載物件データは著作権の関係で使えないため(許可申請したが、最新データ以外は使用不可だった)、竹内さんがさまざまな手を尽くしてプロットした。1948年となるとさらに同定が困難だが、それを丹念に作り上げた竹内さんには感謝の念しかない。
日本銀行周辺に大銀行が集中する様子と、有楽町駅周辺に新聞社が集中する様子。帝国銀行は三井銀行と第一銀行が戦時中に合併した銀行。帝銀毒殺事件でのみ有名ですが。☞『写真と地図でめぐる軍都・東京』http://t.co/uRWNUQUyDq pic.twitter.com/7ahN7JK64I
— 竹内正浩 (@takeuchmasahiro) 2015, 4月 2
拙著『写真と地図でめぐる軍都・東京』では、70年前に「建物疎開」で取り壊した地域が、今まさに環状四号線建設で取り壊されている現象にもふれています。 pic.twitter.com/qndFfYU4OO
— 竹内正浩 (@takeuchmasahiro) 2015, 4月 1
ところが、すべて通行止めだった。見ると、どうやら嵩上げしているようだ。
県道標識を流用したか。
豊田市なのに「町道」とあるのは、ここが旧稲武町であり、その表記が残ってしまっているのだろう。形状はありがちな長方形。
「村道○○線 地名A・地名B」というパターン。「線」は数字の整理番号につく。
ヘキサならぬオクト、とでも言おうか、八角形の標識。
こちらは国道標識を流用。補助標識(→)も、色が違う。
1996年夏の北海道で見た、町道茂足寄上螺湾線。バイクは半年後に盗まれてしまった1台目のスーパーテネレ。
沼津から東名高速に乗ったことがある人は、見たことがあるに違いない。国道1号から沼津ICに登っていく途中にあるのが、この岡一色歩道橋だ。写真は交差する県道22号を西から東に向かうクルマの中から、信号待ちの間に撮ったもの。横着ですみません。
この歩道橋がおもしろいのは、四つの階段のうち三つが弧を描いている点だ。地図を見ても、そのためにスペースが確保されている。
米屋こうじさんによる、いままでになかった書き方の、「国鉄という仕事に携わった人の、人生の記録」+「カメラマン・米屋こうじ」の本。(画像は交通新聞社のサイトからのリンク)
(このページの地図はすべてkashmir3D+DEM5m+数値地図25000。写真ともクリックで拡大)
(1)地点より(地図中はマル数字だが、表示の互換性を考えて文章では括弧書きとする)。少し道路が高くなっていて、その左右に田が広がる。写真右、奥に向かう未舗装の道はかつての左岸で、その右は畑で一段高くなっている。上記地図ではわかりづらいので、さらに別の地図を。
旧河道に黄色を乗せてみると、こんな感じになる。
おもしろいのは、ここが行政界になっている。同時に道路の管理も変わる。「道路管理界」という標識とともに、左(左岸)は新潟市で道路は新潟市江南区建設課、右(右岸)は阿賀野市で同じく新発田市地域振興局の管理となる。
赤い矢印は流路方向。ここに来ると、両側には堤防があるために、川底にいる気持ちになってくる。おもしろいのは、旧河道を横切る形で用水路が設けられていることだ。正面の堤防をアンダーパスしているが、堤防の上には次の写真のように用水路があるので、立体交差していることになる。しかし、25000図では接続しているかのように書いてある。
旧河道の右岸の堤防上には用水路があり、歩いていくとこれが越えられない。川の水はなくなって川を横断できるのに、堤防上を横断できないのだ。
(3)地点、旧旧河道の右岸から。対岸に見えるこんもりした部分が「京ヶ島」である。
諏訪神社。
旧河道の右岸堤防を歩く。画面右は旧河道、左は旧旧河道。
(5)地点から。右は住宅地、道路が旧旧河道の堤防、左は旧旧河道。
旧旧河道に黄色を乗せてみる。ここはいま、水田だ。
途中から県道27号になる。こうして歩いていると、左の家並みの向こうに大河があったとは信じられない。
京ヶ島の諏訪神社。ここには「町道記念碑」があった。「大正二年五月再建」「従二位伯爵源重明書」等とあるが、この旧旧河道左岸に道をつけた、ということなのだろうか。また「再建」というのも気になるが、それ以上の情報はない。