利根川の橋梁密集地帯(利根川橋梁)に関連して。
現在、快速線の古いトラス橋を架け替える工事が進行中である。googlemapsの衛星画像でもそれがわかる。 大きな地図で見る 上(北西)から ・快速線(下り)単線桁 …(A)(4)…架け替え予定 ・快速線(上り)単線桁 …(B)(2)…架け替え予定 ・(この空間)…(C)(3) ・工事中複線桁 …(D)(1) ・緩行線複線桁 …(E)(5) とする。(A)(B)(C)(D)(E)は桁のことではなく、位置を示す。 線形を見ると、いまの(A)(B)は北側にオフセットされている。これは以前の架け替えによるものである。 年表にするとこうなる。 ・1896年(明治29年) 単線で開通。(D)に200フィート単線ダブルワーレントラス(8連)など…(1) ・1917年(大正6年) 複線化のため(B)に200フィート単線プラットトラス(8連)など架設(開通は1923年)…(2) ・不明 (1)架け替えのために(C)に200フィート単線プラットトラスなど架設…(3) ・1957年(昭和32年) (3)架け替えのため(A)に200フィート単線ワーレントラス(8連)など架設(開通は1958年)。こちらを下り線とし、(2)は上り線とする…(4)。 (3)の桁は羽越本線阿賀野川橋梁・神岡線第二高原川橋梁・北陸本線庄川橋梁に転用される。 ・1980年代 複々線化のため(E)に複線連続ワーレントラスが架けられる(開通は1983年)…(5)
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快速線下り車内から撮ったものを。 見えてきた。快速線は築堤だが、右見える緩行線はPC桁。 橋門構が! 快速線は単線桁なので、わけわからない状態に。4線のトラス桁がある。 振り向いて取手方の橋門構。 いままでは留置線にでも使われていたのだろうか、車止めがあるその先に、新しい橋梁が架けられている。開通までにはこの車止めや線路そのものも更新されてしまうだろう。 車止めが不憫に思えてきた。 PR
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県)の続き。 場所はここ。 ここは面白くて、下り線(1924年=大正13年開通)が上路、上り線(1963年=昭和38年開通)が下路となっている。その理由の考察は後述する。 下り列車に乗っていると、津久田方からトンネルに入り、出たらすぐに利根川を渡るというロケーション。利根川の両岸が切り立った場所に架かっていて、写真に撮りづらい。 下流側から見ている。右が津久田・高崎方、左が岩本町・水上方。津久田方から、205フィートワーレントラス(62m)、9.8mの上路プレートガーダー。このワーレントラスは、紀勢本線の宮川橋梁、すなわち有名撮影地、「三瀬谷の橋梁」と同一。ただし、製作会社が異なり、上越線は石川島、紀勢線は横河橋梁。宮川橋梁の架設の写真が、土木学会のアーカイブスにある。 近寄る。 ここまで近寄れるのに、なんという状況。 この部分、力がかかる部分とそうでない部分の部材の使い分けを見て欲しい。上路のワーレントラスも、真横から見て台形であるのが基本であることがよくわかろう。端柱(写真でいうと、端部の\方向の部材)はリブまである。ここは圧縮力がかかる。その真上、レールに並行している上弦材は、トラス桁を構成する部分と異なり、アングル材をレーシングでつないであるだけ。むしろレールが載っている縦桁のほうがずっと力が加わると言うことだ。 断面。レールの真下はカルバートになっており、そこに開いた明かり取りの窓からこのように眺められる。 点検用通路、歩いてみたいなあ。 その場で下を見る。左側(下流側)の端柱に凹みがある。なんでこんな位置に…? そのまま見上げる。縦桁がとても力強い。 カルバートの山側はこう。この前後に道路隧道(高岩隧道)がくっついている。 次は上り線。 一度、その下をくぐって上流側に行ってから振り返ると、こう。津久田側から、プレートガーダー+上路トラスであり、下り線(津久田側からトラス+プレートガーダー)とは逆の構成である。 こちらはこれくらいには引いて撮れる。 津久田方に銘板がある。 ●上 日本国有鉄道 1962年() KS-18TT3… (ちょっと読めない) ●下 材料 (読めない) 読めないじゃないかヽ(`Д´)ノ プレートガーダーの全景。なんというか、それよりも隧道坑門が段違いで直角に交わっているあたりに、とても違和感がある。 さて、もったいぶってきた「下り線は上路、上り線が下路の理由」だが、これは橋台が理由だと思う。 下り線が下路であるということは、上下線の線路面高さがほぼ同じである限り、上り線も上路にしたほうが、橋脚の工事費が安くてすむ。以下はそれを前提にした想像というか妄想だ。 おそらく、右岸のほうが左岸よりも崖の切り立ち具合が激しく、右岸に上路トラスの橋台を設けることが困難だったのではないか。 下り線は、左岸に橋台を設けやすかったのでそうした。右岸にはプレートガーダーで渡した。そうすることで、レール面下の桁の高さが抑えられる。 一方、上り線は、右岸側の崖に、上路トラスに適するような橋台を設置することが困難だったか、利根川が急カーブを描く内側に橋脚を置くことを避けたために、あえて下路を採用した…のではなかろうか。 あくまで状況から考えたことである。もしかしたら、どこかで余ってしまったトラス桁が転用されたとか、当時は下り線も下路化しようとしたとか、そんなことがあったかもしれない。「複線化工事誌」みたいなのがあると、解答がわかるのだけれども。 只見の街(といっても只見だから…)から東へ向かった。撮影ポイントとして有名な叶津川(かのうづがわ)橋梁の手前から、相当な被害が見えてきた。金山町の落橋地点にしろ、家屋への被害は眼に見える形ではなかった(すでに片付けが済んでいただけかもしれない)けれど、そこでは、明らかに被害を受けた家屋が立ち並んでいた。また、山側の沢から土石流が流れ出た跡がたくさんあった。 叶津川橋梁を過ぎたところの右側は、さらにひどかった。家のガラスは割れ、戸は開け放たれ、人は住んでいなかった。その先、土砂を除去する作業をしている先に、上の写真のような橋が見えた 最初、手前側の桁が流失したのかと思った。しかし、望遠レンズで覗いてみるとそうではなく、橋台を残したまま、堤防部分が流失してしまっていることに気づいた。 アプローチ道路がどうだったのかはわからないが、鋪装はされていただろう。その築堤の、法面も、路面も剥がれた。そして、橋と繋がっていた土盛りが流失した。このアプローチ道路は工事中で、クルマが出入りしていたため、近づいての撮影はしなかった。 トラス桁に引っかかっている流木。あの高さまで水があった、ということにはならないけれど、漂流物はあの高さに達した。 東側に廻って、西方向(上流方向)として見る。 この写真ではわからないと思うが、右側の建物の窓のいくつかは割れている。そして、建物の前の道は完全にえぐり取られている。国道の路面と只見川のふだんの水面は、2mくらいの差しかなかった(と思う)ので、とくに川幅が狭まったこの八木沢地区はひどいことになったのだろうか。 国道252号が通行止めになっているのは、これよりもう少し下流、会津塩沢駅付近以東である。 【関連記事】平成23年新潟・福島豪雨で被害に遭った橋梁群の記事 (金山町側) 西部橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 国道252号 二本木橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 田沢橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第五只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第六只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第七只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) (只見町側) 只見線 第八只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 小川橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 楢戸橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 万代橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 五礼橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 そそり立つ田子倉ダム(その向こうが田子倉湖)。手前の湖面は只見ダムが作り出す只見湖。二段構えのダムとして知られるふたつのダム。この、只見湖に架かる万代橋の1スパンが、平成23年新潟・福島豪雨で落橋した。 湖面の標高は地形図にないので不明だが、万代橋たもとの道路に392mの標高点があるので、おそらく380m程度だろう。護岸部分には流木等のひっかかりが見えず、またトラス桁にもなにもひっかかっていない。もし、そのような状況であれば、このように「1スパンが落ちる」というのではなく、他の桁も流失する可能性も高いだろうから、只見湖の湖面はそれほど上昇しなかったものと推測する。 では、なぜこの1スパンだけ落ちたのか。それは、橋台側がごそっとえぐり取られたからである。桁の両端は橋台・橋脚によって支えられているが、その一方がなくなれば、落ちる。思い出すのは、新潟地震(1964年)の昭和大橋だ。 橋台部分はこのようになってしまった。1m以上もえぐられた。奥の東屋の右にある立て看板が傾いているが、それも、片方の足の下がえぐられた結果だ。 少し離れて、上流側から。只見ダムの堰堤の上の道路は通行可能なので、対岸に渡ることに問題はない。 下流側から。 トラス桁。このトラスをはじめ、万代橋は歴史的鋼橋集覧にも収録されているが、詳細なデータはない。 只見湖の中に、このように破損したまま不安定な桁を置いておくことは危険だと思うので、早晩撤去されるものと思うが、優先順位はもっと下流の被災地だろうし、どうなるのだろうか。 RoadExplorerさん撮影の、被災前の画像のリンクを貼っておく。この親柱もろとも、流された…? ・正面より ・シチサン 【関連記事】平成23年新潟・福島豪雨で被害に遭った橋梁群の記事 (金山町側) 西部橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 国道252号 二本木橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 田沢橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第五只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第六只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第七只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) (只見町側) 只見線 第八只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 小川橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 楢戸橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 万代橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 五礼橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 この第八只見川橋梁は「渡らずの橋」だ。蒲生岳の山裾が只見川に深く落ち込んでいるこの地点では路盤を造りづらいため、桟橋としてこの橋が架けてある。地図で見るとこうなっている。「とりつく島がない」のがよくわかるだろう。 (カシミール3Dと山旅倶楽部の10mメッシュ標高データで作成) 上の写真はA地点である。 全18連、RC桁と鋼橋の組み合わせで、会津若松側の第1連~第8連はRC桁(T型断面)9.8m、第9連は鈑桁で31.5m、第10連は25.4m、第11連・第12連が62.4mのワーレントラス、第13連が31.5mの鈑桁、第14連・第15連が19.2mの鈑桁、第16連~第18連が9.8mのRC桁である。赤字のものは、飯田線からの転用桁で、ワーレントラスは天竜川橋梁、三信鉄道の発注である。第14連は不明。 第12連(右端のトラス)・第13連・第14連。 電柱のような流木が、手すりを突き破って桁の上に横たわっている。 第12連のトラス桁。やはり、桁の上に流木が横たわっている。 第18連のRC桁が終わると、スノーシェッドとなる。この部分の地盤は人工のものだろうか。地形図や衛星画像を見る限り、土を盛っているように見える。 路盤の側面、壁柱とでも言おうか、コンクリートの壁面を抑えている縦の柱の上半分が折れて下に落ちている(三ヶ所)。これも直さねばならない…のだろうな。また、シェッドの中にも流木が入っている。 写真には撮っていないのだが、第1連より東側に、路盤が流失して軌匡が宙づりになっているところがあった。只見線は橋だけでなく、細かな被害を多数受けている。 【関連記事】平成23年新潟・福島豪雨で被害に遭った橋梁群の記事 (金山町側) 西部橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 国道252号 二本木橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 田沢橋(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第五只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第六只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) 只見線 第七只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で落橋) (只見町側) 只見線 第八只見川橋梁(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 小川橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 楢戸橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 万代橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 五礼橋(平成23年新潟・福島豪雨で被害) 福島県只見町 |
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