鉄道でいえば、井上勝から始まるトップと、小林一三や五島慶太、その番頭たちの物語…の、電力会社版である。自分の知らなかった世界なので、すこぶるおもしろい。いや、小林や五島も絡んでくるのだけれど。
現在は「9電力体制」になっている日本の電力会社は、戦時中に国策で統合されるまではかなりの乱立状態で、事業としても不安定な要素を含むものだった。そのなかで、異様な情熱を持ったカリスマたちが着々と勢力と権力を強め、日本を仕切っていく。そうした電力史を人物の面から、主として好意的に描いたのが本書だ。 それぞれがどういう人物か、生まれから育ち、職に就いてからの師弟関係などが、その人物の性格とともに、それぞれ細かに述べられている。そういう書き方だから、多少は色がついているだろうし、客観的事実を読み取ることの妨げになるかもしれない。それでも、こうしたことを把握するには、本来は評伝(掲載されているのは評伝がかかれるような人々がほとんどかもしれない)を読破しなければならないところ、簡単に把握できることはありがたい。 そういう書き方だから、いとも簡単に電力会社が設立され、資金が集まり、買収が成功していく。本書の読み方としては、あくまでおあらすじであって、そこから個々の人物の探求を始めるというのがいいのだろう。 刊行は2009年。東日本大震災の前なので、原子力発電に関することも、肯定的に書かれている。いまなら、そこにいろいろな配慮を入れざるを得ないだろう。そう考えると、本書は「震災前の電力史観」の集大成なのかもしれない。 カバーは左上から時計回りに松永安左エ門、藤岡市助、小林一三、岩垂邦彦、新井章治、福沢桃介。掲載されている肖像写真と見比べて同定しようとしたが、似顔絵が下手だから全部わからなかった。と思ったらカバー袖に書いてあった。 実は、本書とほぼ同じものが、帝京大学のサーバにPDFであがっている。 『電気事業家と九電力体制』。 https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/kshimura30.pdf これをベースに、章立てを再構成したものが本書のようだ。ぜひご覧いただきたい。 PR
神保町の南洋堂書店で開催されていた「スリバチカフェ」にお邪魔してきた。
洋泉社から刊行された『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(皆川典久著)の刊行記念で、東京の「スリバチ」を見ながら皆川さん(上写真の後ろ姿の男性)とお話をしましょう…というイベントだ。私は皆川さんにお目にかかるのは初めてなので、ご挨拶申し上げた。 会場には『東京の微地形展』で展示されていた、5mメッシュ標高データを元にした東京の地形図(高さ8倍強に強調)、やはり5mメッシュを使用した関東の地形図を大きなボードにしたものなどが展示され、話の糸口がつかみやすいようになっていた。常に10人以上の人で満杯、なかなかお話ができなかったのは嬉しい誤算だろう。用意してあった100冊の本はすべて売れてしまったとのことだ。 地形図は、石川初さんが制作したもの。 ここでしか見られない特大の目次。5mメッシュに地形図を貼り込んである。 個人的にはここがツボ。 川越街道が環八に向けて左に曲がる、あそこである。あえて書き足さないが、下記の写真の左端の中央付近の五叉路が和光陸橋である。 池袋方から走ってきた川越街道は、成増を過ぎると堀割になる。そして、左に急カーブして急勾配を登り、環八にぶつかる。その堀割は、「成増台」から白子川まで降りるものであり、急勾配は「朝霞台」に登るものである。現代なら、こんな堀割と急カーブ、急勾配を避けるために、白子川の谷は高架で突っ切るに違いない。R246がそうであるように。 この場所は私にはわりと身近なところだ。こうした本は、「自分に身近なところ」が出ているかどうかで、本へのシンパシーが大きく変わってくる。いや、それで価値が増減するものではないのだけれど、心情的にはそういうものだ。本書には、こうした「スリバチ」が15エリア、豊富な地図やイラストとともに解説されている。 装丁もすてきだ。カバーは、こうしたことに関心を持つ人なら一目でわかる「都心の谷」。そこに、タイトルがシアンで刷られ、浮き上がっている。これはUV厚盛りニスという加工。私なら、少しでも価格を下げるために泣いてしまう(やめてしまう)かもしれない。定価に反映すると○○円くらいに相当するのだ。また、見返しも本体表紙への糊付けがされていない挟みっぱなしのタイプ。 通常、私はサインをもらわないのだけれど、せっかくこういう機会なのだから、サインを入れていただいた。いいですねえ、「谷へ出よう」。山じゃない。谷。 会場では、バドンさんによる「スリバッジ」が配布され、また「スリバチてぬぐい」が販売されていた。茶色をひとつ所望。 さて、本題というか。 上に貼った、地形のみの地図。標高別に色分けすることを「段彩」というが、段彩次第で地図は表情を変える。私が今回思ったのが、「低地を基準に段彩を施すと、地図が違って見える」ということだ。別に目の錯覚でもなんでもなく、「何を見せようとしているか」で見え方が変わってくるだけの話だが、私はこれを面白いと思う。上記の地図や本書に使われているものに近い、石川さんが設定した「5mメッシュスペシャル」と、私が設定した「緑グラデーション」で比較してみよう。(すべてカシミール3Dと、解説本付属の20万地図+50mメッシュ標高データを使用) この描き方だと、川が山を浸食しながら流れていく様がよくわかる。また、高崎付近まで「海が入り込んでいる」というように見える。 一方、この描き方だと、山岳地帯(急斜面が多い)と平野部との差がよくわかる。 20万地図を貼り込んだものだとこうなる。 カシミール3Dを使えば、段彩も自由に、簡単に設定できる。こうした遊びをしながら、地形を楽しんでいると、あっという間に時間が経ってしまうから恐ろしい。 残念ながら、このスリバチカフェは2日間限りのイベントだったが、どうやら「無地」の微地形模型に、いろいろな要素を投影する企画が進んでいるようだ。またお邪魔する機会があると思う。楽しみだ。
写真家・中筋純さんの新作『チェルノブイリ 春』(二見書房)をご恵送いただいた。
中筋さんは、1990年代より廃虚の写真を雑誌に発表したり本としてまとめている方だが、私にとってはバイクでのつながりである。初めてお目にかかったときは、雑誌『アウトライダー』の編集者を辞め、カメラマンとして独立した頃だったと思う。いまから思えばまだ30歳そこそこか…。 2009年、銀座キヤノンサロンで、中筋さんの写真展『黙示録チェルノブイリ』が開催された。元となった写真集はいま友人に貸しているので手元にないのだが、取材は秋で、無人の団地に、それを凌駕する高さに伸び伸びと育っているポプラがとても印象的な写真集だ。植物の持つ生命力が、これでもかと出てくる。廃虚は刺身のつまだ。 その写真展の時には合間に撮影に行ったなどということは聞かなかったような気がするのだが、その時期に撮影した作品が、本書『チェルノブイリ 春』である。 * * *
圧倒的な植物の力から始まる。芽吹きと、朝の光。『黙示録~』が、秋と夕景だとすれば、本書は春の朝だ。無人のコンクリートの街を、好き放題に伸びる植物。『黙示録』ではオレンジ色に輝いていたポプラも鮮やかな緑だ。ややあって、展開は断絶する。建物の中へ。人々が置いていった玩具や本、のちに盗賊が破壊したピアノなどが乱れている。そこには光ではなく影が描かれる。外に出る。再び陽光が差す。老いた男性がいる。今度は、植物が展開するのは人の存在が感じられる場所。かつては人が跨っていた、バイクの残骸。民家。教会・墓地。そして、「石棺」と、放射線マーク看板の乱立。 そこからは乱れてくる。植物の繁茂もあれば、ガスマスクもある。窓から差し込む明るい光を受けて室内に伸び始めた木もあれば、川に沈みつつある大型船もある。有刺鉄線。篠突く雨。放射線マーク。うっかり、そこが汚染地帯だということを忘れて浮かれてしまった気持ちを、ここがどこだか忘れてはならぬ、と冷たく諭すような展開。 本書の作品を元にした写真展は、この4月にニコンサロンで開催された。あいにく私が行った日のみ中筋さんは不在で、話を聞くことができなかった。会場にいた奥様にお話をうかがうと、写真集は写真展に合わせて完成するはずだったが、東日本大震災の影響で間に合わなくなったとのこと。また、写真展会場には、福島第一原発の事故が起きたことにより、写真展そのものをどうするか迷った旨の掲示もあった。それらのさまざまな判断を部外者の私がどうこう言うことはできない。展示された作品に込められた思いを、ただ受け取り、自分なりに鑑賞するのみである。 デジカメウオッチのサイトで、作品や写真展の様子を見ることができる→こちら
失礼ながら、最初は期待していなかった。今尾氏の本はいままでいくつか読んでいて、そのどれもがそこそこの内容ではあるのだけれど、雑学本のような、テーマのぼんやりしている散漫な内容である、という印象を持っていた。『生まれる地名 消える地名』では、平成の大合併で誕生した新地名に苦言を呈する割には自分で考え出した新地名を披露して「こうすればよかった」というような記述が多々あり、なんだこれは、と呆れた記憶がある。
ただし、それは物書きとしての姿であって、地図収集者としての今尾氏のすごさは他社の追随を許さないと思っている。とはいえ、それにも限界はあって、新潮社の『日本鉄道旅行地図帳』シリーズに、多々不備があることは巷間指摘されているとおりだ。地形図刊行の狭間で敷設され、消えていった軌道は多いし、すべてが記載されているわけでもない。地形図は、資料を基に加筆するけれど、すべてを加筆するわけじゃないだろうし、資料がすべてそろっているわけでもないだろう。仕方のないことだと思う。 さて、『地図で読む戦争の時代』。版元である白水社のサイトに連載していたものをまとめたもので、連載そのものはすべてではないにしろ読んだことはあった。しかし、あまり身に入らなかった。なぜかはわからないが、「紙媒体的なもの」は、そのままモニタで見てもダメなんだと思う。モニタで見るなら、モニタで見るなりの構成がなければならない。 (1)神社と寺 本書で最初に「お」と思ったのは78ページ。朝鮮の地図を日本の陸地測量部が作ったことについて書かれたあと、「日本人が住み着けばまず最初に神社が建てられるというのは、今よりはるかに『お宮』が生活に密接だったこの時代、国策以前に自然なことだったのだろう」という記述。そうだ。それはいろいろなところで見かける。実際、明治時代の地形図を見るとき、まっさきに探すのは神社や寺だ。私の住む地域は、昭和50年代になってからようやく宅地化が進んだ場所なので、古い地形図や航空写真では、畑ばかり。道路もいまとまったく別のルートを描いている。そこで、神社と寺を頼りにいろいろと見比べている。 (2)ステレオタイプの歴史観への警鐘 次いで、「歴史の見方」を諭しているのが90ページ。「戦前の警官はみんなオイコラと威張っていた、などという紋切り型の理解では歴史はわからない。かといって『台湾人はみんな親日的』などと無邪気に思い込むのはもっと愚かであるが」と書く。そうだ。私が嫌いな言動の一つに、官僚叩きがある。十把一絡げにするな、と。そういう考え方を「愚かだ」という。まことに同意する。 同様の記述が101ページにある。これは私も本書で初めて知ったことで、松岡洋右が国際連盟を脱退したときの様子は、その新聞記事を「資料」として高校時代に習った記憶がある。そこには「聯盟よさらば!遂に協力の方途盡(尽)く」「和が代表堂々退場す」という見出しが躍っている。これについて、本書では本題とズレながらも「(松岡を)勝手に『英雄』にしたのは例によってマスコミであり、本人は外相に向けて、潔癖すぎる対応で連盟を脱退することのないよう意見具申までしている」と書いている。その筋で検索すると、これが事実のようだ。 (3)地図を見る姿勢 これが、本書のテーマだと思っている。190ページ。戦時改描された地図を見て、後世がそれを「史実」として扱ってしまうことへの懸念がある。とくに地図に限ったことではなく、たとえば明治期に辞書に意味を誤記された単語が、延々と孫引きされて数十年間流通してしまった話(井上ひさしの何かの著作で読んだ記憶がある)や、鉄道趣味誌で表組みが誤っていたためにやはりそれが延々と孫引きされ…というような話だ。身につまされる。 いままで私が見た今尾氏の著作とは明らかに違う。いままで見たものがよくなかったのか、それとも今回、突き抜けたのか。それはわからないが、内容はとても素晴らしいものであったことをここに明記する。 惜しむらくは価格か。四六判268ページで1890円。この体裁なら1365円~1470円くらいであってほしい。カバーと同化してしまっている帯などいらないから。 ひとつだけ、誤記の指摘を。 P48後ろから5行目、「垂井駅が
『東京ぶらり暗渠探検』を刊行した洋泉社から刊行された『川跡からたどる江戸・東京案内』。編著者は菅原健二氏、『川の地図辞典』の著者だ。クレジットを見ると、もう一人長田ゆき氏という著者がいて、ともに東京都中央区立京橋図書館に勤務している。会社の近くだ、というか何度も利用している。
私は大きな勘違いをしていた。この本は、埋め立てられてしまった河川を土木的な観点で解説するものではない。ここにこう水路があって、それがいまはこうなって…というものではない。タイトル通り、「江戸・東京案内」なのである。内容は、何年に誰が何をした、何年にはこうなった、当時の様子はこうだった、と文章で書き連ねてある。 私の勘違いは勘違いとして、私の観点で書く。 この本、明治時代の地図が適当に載ってて、すでに埋め立てられてしまった河川について載ってそうだから買ったのだが…あまりに図版が少なすぎる。著者は地図を見ながら文章を書いているのだろうが、その地図を読者にも見せてよ。 一体、この本に書かれている内容を、地図を見ずに位置関係を把握できる人間が何人いるのだろう? 現存していない地名を羅列するのであれば、図版としては、「現在の地図」と「現存しない地名が書かれた地図」を併載し、さらにそこに川の跡をプロットするのが筋だろう。そういう地図がないわけではないが、それがあまりにいい加減な地図なのである。明治13年測量の地図などもあるのだが、縮小しすぎて読めない。現在の道路や地名との比較がないので、それとわからない。地図はほぼすべて「京橋図書館蔵」なので、そうやってコストを節約したのではないか。 では、と自分で記載事項を頼りに地形図に川跡をプロットしようとしても、現在の地形や地名とは大きくことなっているので、どこにプロットしていいかわからない。やはり、当時の地形図が掲載されていることが重要なのである。本書は、東京の消えた地名まで完璧に把握した人物を読者として想定している本になってしまっている。 単価が数百円あがってもいいから、きちんと図版を入れて欲しかった。それにつきる。 また、明治時代の地図に付された注記が解せない。 「明治13年測量の…」とあるのだが、そこには、当時開通していないはずの鉄道や駅があり、当時はないはずの市街地がある。測量と編集は、完全に分けなければならない。測量など、とくに古い時代はしょっちゅうするものではない。一度測量した結果を延々何十年も使って、そこに「編集」として資料や現地調査から地図を作り上げていく。だから、昭和も50年代になっても、山間部などは明治時代に測量したものをベースにした地図しかなかったりするのだ。ここは「測量年」ではなく「編集年」を記載すべきだ。 一方、先日、白水社から刊行された今尾恵介氏の『地図で読む戦争の時代』を入手した。今尾氏の著作は主観で自分の意見を述べるものもあるのであまり期待していなかったのだが、さにあらず。いま読んでいるのだが、地図の本ではなく、地図を見続けた人ゆえの思想を語る本のような気がしている。レポートはいずれ。 |
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