『劒岳<点の記>』における新田次郎の視点は一貫している。
唯物的な視点である。 立山信仰の中で「登るべきではない山」とされていた劒岳に、 これでもかこれでもかとそういう視点を投げかけ、 立山信仰を削り取っていく。 「美」ということは一切語られなくなっていく。 玉殿の行者も、列車の中で出会ったその仲間の行者も、 「登るべきではない山」という視点そのものを拒絶する。 あまりに宗教的な存在であるはずの行者というものが そうであるという時点で、これは強烈な印象となる。 長次郎や鶴次郎は、ただただ現代風である。 柴崎は、義務感と現代風とを併せ持つ。 ついに劒岳に登頂する。 しかし、三等三角点は造れず、よって「点の記」は存在しない。 このことが、どれだけ柴崎らをくじいたことか。 劒岳山頂には、はるか昔に捧げられた錫杖と鉄剣があった。 これらは、ビヨンド・ザ・「美」の「崇高さ」とは別な意味での崇高なものではあるが、 柴崎らはそれを崇高な存在から引きずり下ろそうとする。 上司たる陸軍陸地測量部はその最たるもので、 「先人があったのなら、劒岳登頂なぞ偉業ではない」という立場をとる。 では、同書において、美の上に崇高さはあったのか? 私は「あった」と考える。 劒岳登頂を不可能たらしめる岩の存在は、完璧な「美」であろう。 そして、山頂に三等三角点を設置できず、 陸地測量部に劒岳登頂のことを理解してもらえず、 後日も劒岳に関することはほとんど語らず、 ただひたすらに胸のうちにしまっていた柴崎。 その「胸のうちにしまっていた」ことそのものが、 「美」を完全に超越したもとして描かれている。 すなわち「崇高さ」である。 これを胸のうちに秘めたまま、柴崎は老いてゆく。 PR |
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