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唐木田駅(上記地図の右上)の左下、南多摩尾根幹線に対して「渡り線」のような形で道路がある(赤い線)。地図左下から右上に向かう際にそこを通ることにした。ところが。


入れない。いや、徒歩だから入れるんだけれど、車道としての用途は廃されている。


なのに、少し入って振り返ると、標識どころか青看がある。見る自動車はないはずなのに。


何かの目的があって残されているのだろう。犬の散歩をする人とすれ違った。また、自転車で休んでいる人がいた。散歩道としては使われているようだ。長池のほうへの分岐もある。つい、「クルマが来ないならここでテント張ってもよさそうだな」などと考えてしまう。すぐそんなことを思うのはサガ。

 
「出入口につき駐車禁止」とある鉄の扉があったが、その前後は背の高い草に覆われ、クルマの突入を拒んでいる。その奥には通信鉄塔があったが、使われてなさそうだ。帰宅後、検索してみると米軍の由木通信所、というものがあり、2016年に日本に返還されたそうだ。Wikipediaもあってびっくり東京都のサイトにも記載があった


陸橋から北を見る。胸の空く眺め。


南を見る。


この陸橋は「長池上小山田陸橋」というが、銘板は1枚が紛失、残り3名は橋名だったので、何年の架設かは不明。


北側の出口付近。運送会社の大型トラックのプールとなっている。そして、出たところには青看。これは、この柵の向こうのわずかな道路…事実上、運送会社のためには役立っている。



さて、この渡り線のような道はなぜできたのか。そんなことは検索のしようもないと思っていたが、今昔マップで古い地図を見ていたら、実は古来からの道であることがわかった。

 
(今昔マップ1896-1909)
町村道(間路)として、このルートが描かれている。


(今昔マップ1944-54)
町村道(達路)になった。


(今昔マップ1998-2005)
グッと下って2000年前後。南多摩尾根幹線建設中は、この道路が未完成区間をつないでいた。この時代が、もっともクルマの交通量が多かったに違いない。

この時代の地形図を見ると、この区間の完成がもっとも後になっていたようだ。おそらく、この区間の完成をもって、この由緒ある里道(あえて「里道」という)はその役割を終えた。









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