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国道46号 橋場付近の旧道

国道46号 橋場付近の旧道

廃道

20120802_001.JPG小柳沢砂防ダムのすぐ南にある線形改良の跡。もともとは竜川左岸にゆるいカーブをもってつけられていた道を、一直線にするために川の屈曲部を2回橋で渡る形で改良されている。

a5ac5630.jpeg(カシミール3Dを使用)
この地図のほぼ中央。左上は道の駅雫石と小柳沢砂防ダムだ。

20120802_000.JPG「通行止め」。洞門は両出口とも塞がれている。雨も降っていたため、洞門の名称などは確認せず。

20120802_002.JPG川側を見ると、新道の橋が見える。無塗装かな。

20120802_003.JPG車道部も、だいぶ草が生えてきている。これから数年かけて草の根が舗装を侵蝕し、10年もすれば道の形の草原ができることだろう。

 
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国道17号旧道の境橋が、現道から見えた!

国道17号旧道の境橋が、現道から見えた!

廃道

国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷)の関連記事。

4月下旬、原付二種で現地を訪れるとなんと、現道から境橋が見えた。
(以下、この項の写真はすべて色味を意図的に変更してある)
20120511_000.JPG望遠レンズで撮ったのだが、肉眼でもはっきりと「上路の橋らしきもの」があることがわかる。

20120511_001.JPGまだ雪が残る旧道。雪がなければ直接、橋の近くまで原付で行けるのだが、旧道への分岐そのものが雪で隠されていたくらいの積雪だったので、歩いて行った。その日のちょっと前に、@watanabejinさんが訪れていたのは知っていたので、行けることは確実だった。雪の上には足跡があった。






















20120511_003.JPG着いた。沢の水が、以前来たときと違い、轟々と流れている。

20120511_005.JPG橋の上の木、そして倒木が、存在感を出している。緑の時期は、もちろん葉っぱが生い茂っているのでここまでの荒涼感はないかもしれない。

20120511_002.JPG渡った先は、完全に雪に埋もれていた。

沢を少し遡って魚眼レンズで収める。
20120511_004.JPG境橋、これから草萌えるまでがいちばんの見頃だ。ぜひ。


国道17号脇の廃橋と白骨

国道17号脇の廃橋と白骨

廃道



20120507_000.JPG国道17号のこの場所、たしかyokkiren氏がレポートしていたような気がするのだが、ORJ何号だったのかを思い出せずにいる。もしレポートがあればそちらが絶対に綿密な検証をしているはずなので、ここでは見てきたことを書く。

このように、洞門と隧道の間に挟まれた一角に、廃橋がある。欄干は、端部に3連のアーチのようなものが刻まれている。手前の欄干のさらに手前に転がっている石材は、おそらく親柱。ただし、銘板類はない。

20120507_001.JPG山側の親柱は健在。こちらも銘板類はない。

見れば、谷側の新道は橋ではないようだ。とすると、この右側の橋を放棄し、谷側に土盛りをして旧道が橋で渡っていた沢を暗渠化して…ということかもしれない。

この場所、たまにクルマの出入りがあるようだ。駐車場のように使われているのだろう。国道17号側に目をやると、はるか彼方に上越線の路盤が見える。

20120507_003.jpg対岸から撮る。右端に、なにかある。

20120507_002.JPG…白骨。鹿の。

完全に真っ白な骨。肉などついていない。頭骨の左半分と思しきものがここにあった。右半分は、少し離れた草むらにあった。ここに出没した動物が持ち運んだか。

鹿はなぜここで死んだのか。クルマに跳ねられたのだろうか。この骨から2mと離れていないその脇を、大型トラックや乗用車がひっきりなしに通り過ぎていく。

ここは道幅が狭く、洞門と隧道が現れるためによそ見などできないと思う。この白骨に気づくドライバーなどいまい。

No Image

11/20(日)『廃道 棄てられし道』トークイベント出演します

廃道

再度の、最後の告知です。

明日11月20日(日)13時から、新宿のNakedLOFTにて、丸田祥三さん・平沼義之さんの共著『廃道 棄てられし道』刊行記念トークイベントを開催します。

http://www.loft-prj.co.jp/naked/schedule/naked.cgi

出演は、丸田祥三さん、小学館の月刊IKKI編集長・江上英樹さん、私。

本書をきっかけに、「廃道」そのものから、さまざまな事象を考えるお話になると思います。もちろん、作品についてもたくさんお話いただく予定です。

写真や廃道に興味があろうがなかろうが、すべての方が、ものの考え方、というところに大きな観点を得られるものになるだろうと思っております。

ぜひ起こしくださいませ。

入場料1000円+飲食代です。
よろしくお願い申し上げます。

『廃道 棄てられし道』をめぐる物語

『廃道 棄てられし道』をめぐる物語

廃道

PB026770_R.JPG
いよいよ『廃道 棄てられし道』が刊行される。いままで取材のレポートをここで書いたり、校正紙のチェックの様子をツイッターに書いたりしていたが、改めて本書の企画から刊行までを、時系列に沿って綴ってみたいと思う。


また、11月20日(日)には、丸田さん、栗原景さん、私で、新宿のNaked LOFTにおいて、本書に関するトークイベントを開催する。詳細はこちら。入場料1000円+飲食代ですので、ぜひご覧ください。


●夜明け前…『廃道本』
 
haido-bon.jpg2008年11月、『廃道本』刊行。『山さ行がねが』の平沼義之氏に持ちかけ、WEB同人誌『日本の廃道』の編集長である永冨謙氏をご紹介いただき、おふたりにご執筆いただいた本。おかげさまで大好評のうちに、在庫僅少となっている。
 
この『廃道本』では、巻頭に、永冨謙氏撮影の美しい廃道グラビアを設けた。そこを膨らました本を作ることができないか、ずっと考えていたが、それだけの写真集では、商業的に成功するか疑わしい。廃墟趣味と異なり、廃道趣味・道路趣味は「趣味的に写真を撮る」というほど写真とはなじんでいないからだ。そのまま、1年半が経過した。









 
●丸田祥三氏との出会い
 
2010年4月22日。丸田祥三氏の『風景剽窃裁判』の判決があった。友人の栗原景氏やO(オー)プロジェクト『軍艦島全景』やiPhoneアプリ『軍艦島黙示録』の制作者)の西田信行氏が傍聴したことを知った。この裁判のことは知っていたし、丸田氏のことは、氏の初の写真集『棄景』(1992年)から知っていたので、twitterにそのようなことを書いたところ、丸田氏ご本人からリプライをいただいた。それが、この『廃道 棄てられし道』の始まりだった。
 
後日、ざっくばらんにお話をしませんか、ということになり、お目にかかった。そのときは、すぐ仕事に結びつくわけではないけれど…とお互いに思いつつ、私は、まだ誰も見たことがない丸田さんの作品でなにかできないか…と思い始めていた。まだ誰も見たことがないものが、きっとあるはずだ。それは、秘蔵のものかもしれないし、新しいモチーフかもしれない…。

その頃、平沼さんとも、なにか企画ができないか…と話を重ねていた。そこで、閃いた。廃墟、廃線跡など「棄てられた風景」を撮り続けてきた丸田さんに、「廃道」を撮っていただいたら、ものすごいものができるんじゃないか…? あの色彩、あのパースで隧道が迫ってきたら。一見、どこの何を撮っても同じにしか見えない藪も、丸田さんの手にかかったら、ものすごい表情を与えられるんじゃないか。そう思って、丸田さん、平沼さんにそれぞれもちかけると、おふたりからは前向きなお返事をいただいた。
 
●企画にゴーサイン、そして取材へ
 
すぐに企画書を書き、2010年7月から8月にかけて社内で検討を重ね、9月始めに、正式にゴーサインが出た。この時点では、3月ころの刊行を念頭においていた。
 
そしてすぐ、9月16日に、平沼さんと丸田さんの顔合わせを兼ね、実際にどこに撮影に行けばいいのかの打ち合わせを持った。私も『山さ行がねが』を参考にいくつかの廃道を訪問しているが、実際に「その廃道」のすごさを熟知しているのは平沼さんである。平沼さんのアドバイスを聞きながら、ここは日帰りで続けて回れるね、ここは道路のすぐ脇だよ、ここに行くなら1泊だね、などという話を積み重ねた。そして、まず最初に、丸田さん、平沼さん、私の3人で、伊豆の廃道に取材に行こうという話になった。
 
打ち合わせの途中で、丸田さんが「そういえば、このへんにも廃道がある」と言いだし、そこに連れて行ってもらった。通称、緑山サーキット。かつてはバイクの走り屋がコースとしていたところで、慰霊の花などもある。
 
打ち合わせ後、平沼さんと私宛に、丸田さんからメールで写真が届いた。「撮りに行ってきました」。その、丸田さんが改めて平沼さん流の「廃道」を意識して撮影した初めての一枚が、本書のラストを飾る標識の作品である(丸田さんは、過去にも廃道をいくつも撮影している)。平沼さんも私も、その作品を見て、成功を確信した。
 
取材の予定を9月24日(金)としたが、あいにくの雨天だったので27日(月)に延期した。しかし、27日も、朝から大雨で、伊豆に向かうにつれ、徐々に晴れてきた。当日の様子はこちら。
 
丸田祥三氏×平沼義之氏
 

●その後…取材の日々
 
12月頭にかけて、取材が続いた。丸田さんからは、取材の都度、作品を送っていただいていた。もちろん、撮影したすべてをお送りいただくわけではなく、丸田さんのセレクトで候補に昇らなかった、陽の目を見なかったカットもたくさんあるはずだ。
 
取材は、丸田さんが、平沼さんのサイトなどを参考にしてお一人で行ったものもあれば、土曜・休日を利用して、私もお誘いを受けて道案内を兼ねて同行した道もある。三連休を利用して関西にも行った。本来の(?)私の仕事はディレクションなので、普通ならすべての取材に同行するようなことはないのだが、取材に行くのはとても楽しいので、「遊び」として嬉々としてついていった。そのうちのいくつかを、レポートしている。
 
廃道取材(2) 南東北
廃道取材(3)都内周辺
廃道取材(4)中部・近畿
廃道取材(5)東北
廃道取材(6)山形県道250号を例に
廃道取材(6)奥多摩(←番号が間違っています)
廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋>
 
丸田さんの撮影とは別に、平沼さんとは、どういう文章を掲載すればいいかという話し合いを続けた。そして、丸田さんの考え方のひとつである「作品は本来、無記銘である」ということが道路にも言えることに気づき、その方向で原稿を書いていただくことにした。


●作品をまとめるということ
 
丸田さんからお送りいただいた作品は、のべ163点。この中には、同じ構図で表現の方法を変えた作品もあるし、残念ながら掲載を見合わせたものがあるが、それらをどうまとめるかが、次の大きな課題となった。写真集は、単に作品を並べればいいというものではない。その並び順が命。これは、雑誌の巻頭グラビアも同じ。セオリーはあるが、正解はない。(『Fの時代』と『Cの時代』参照)
 
20111104-999.jpg12月下旬から、膨大な作品を前に、丸田さんと私とで構成の検討をはじめる。はじめは叩き台すらなかなかできなかったが、作品1点1点をハガキ大にプリントしたものと並べながら、なんとかひとつの案ができた。2月に入ってからのことだった。

 
●祖父江慎氏と
 
同時に、ブックデザイナーの祖父江慎さんにコンタクトを取る。祖父江さんは、出版に関わる者なら誰もが知っている方。写真集も多く手がけられ、製版・印刷への知見は、並の印刷所の方々よりもはるかに深い。「祖父江さんがご担当」というだけで、大手印刷所が襟を正して緊張した仕事をする、というほどの方だ。祖父江さんとのお仕事は、丸田さんの念願でもあった。
 
私も装丁家ときちんと仕事をするのは初めてなので、緊張しながらお電話をしたのが1月下旬。しかし、時期的に祖父江さんが相当お忙しく、お目にかかれたのは2月下旬。祖父江さんは丸田さんの作品にとても興味をもっておられ、幸いにもお仕事を受けていただけることになった。
 
●以後
 
以後、プリンティング・ディレクター(PD)さんの選定、PDさんを交えての打ち合わせを重ねた。展開案も、祖父江さんから「こうしたらどうでしょう?」とまったく新たにご提案いただいたり、それに意見を重ねたりして、徐々に固めていった。7月、ようやくテスト入稿にこぎつける。印刷するのに難しい色彩の作品を中心に、実際に製版してもらうのだ。その数、11点。その結果を見て、製版の方向性を改めて打ち合わせることにした。結果的に、祖父江さんも驚くほどのすばらしい製版が実現した。
 

ここで、トークイベントでもたびたび触れることになると思うのだが、印刷について簡単に書く。
デジタルカメラで撮影されたデータはRGB(減法混色、バックライトあり)。印刷はCMYK(加法混色、紙の色の上に色を重ねる)。これをご存知の方は多いと思うが、総じてRGBの方が CMYKより多くの色を表現でき、鮮やか。細かく説明することはしないが、丸田さんの作品はCMYKで印刷しづらい鮮やかさのものがとても多い。それを、 CMYKでどう表現するか。きれいな青、きれいな緑。『廃道 棄てられし道』のカバーは、実は、かなり表現しづらい色であるが、それが美しく出ているのは、プリンティング・ディレクター・Yさんの力量にほかならな い。
 

以後の詳細は、とくにトークイベントで話すことになると思うので、おおまかに。
 
5月11日(水) 平沼さん脱稿。
(祖父江さん、丸田さんと、展開についてや、校正についての打ち合わせ続く)
7月20日(水) テスト入稿。色味の再現が難しそうな11点を先に入稿し、製版してもらう。
8月3日(水) 先行入稿分が出校。チェック。素晴らしい製版に、一同、笑み。
8月25日(木) 入稿。祖父江さんから作品一点一点について「ここをこう」と指示をいただきながら、PDさんにお渡しする。
9月20日(火) 初校チェック。平沼さんのページは、平沼さん・私の上司・私で校正。

20111101_0920_1stR2.JPG(左から、祖父江さん、ご一緒にデザインされた福島さん。右手前がPDのYさん、奥が大日本印刷の担当・Aさん。右下、丸田さん切れてごめんなさい!)

10月4日 再校チェック。一部、念校を出す指示。平沼さんのページは、平沼さんに校正をお願いしていたものを受け取り、再入稿の形となる。

20111101_1005_2nd3.JPG(再校の仕上がりに大満足!というのがわかる、校了紙へのサイン)

10月17日(月) 念校を出す前のチェック。解決せず、作業続行。
10月18日(火) 念校を出す前のチェック続き。ようやくOK。
10月20日(木) 祖父江さんの事務所で念校確認。カバーも含めて校了。

20111101_1018_cover_1st1.JPG10月28日(金) 表紙、カラーページについて印刷立ち会い。印刷機の前で、丸田さんとPDさん、私で、「刷り具合」を細かく指示しながら印刷。幸い、12時間で済む。
 
そして、
11月9日(水) 見本(予定)。
11月16日(水) 配本(取次=問屋に搬入)。翌日以降、書店店頭で発売。















入稿から校正が出るまで、時間がかかっているように見えるかもしれないが、これは、さまざまな場所にスケジュール的なクッションを挟んでいたためだ。写真 集のようなものを、ギリギリのスケジュールで進めても絶対にいいことはない。製版、校正刷、そういうことに、じっくりと時間をかけていただきたくて、このように段取りをした。平沼さんには、脱稿から本の完成まで、半年もお待たせしてしまった。これについては、大変申し訳なかったと思っているが、丸田さんのページの仕上がりが最高のものになったということで、ご容赦願いたい。



丸田さんは、これから、産業編集センターから重松清さんとの共著を、また、とある出版社から単独で写真集を刊行する予定がある。平沼さんは、また別の出版社から書籍を刊行するだけでなく、さらに別形態の廃道のコンテンツをリリースする予定だ。本書が、おふたりの「これから」のお仕事の一発目として、大きく開くことは、疑いない。本書が、これからのおふたりのお仕事に新たなインスピレーションを与えるものだと、ぼくはそう信じている。



『廃道 棄てられし道』は、11月17日(木)頃から書店店頭に並びます。ジュンク堂新宿店では、廃道Tシャツ等と並んで置いていただけると思います。ぜひ、私たちの思いの結晶を、お手にとってご覧ください。

国道400号 (たぶん)名も無き改良廃道

国道400号 (たぶん)名も無き改良廃道

廃道



20111103-1.JPG国道400号を、舟鼻峠などはとっくに通り過ぎて玉梨豆腐茶屋も過ぎてしばらく行くと、スノーシェッドの前、右手に草むらに続く細い舗装路が見えた。いかにも「改良された後で取り残された道路」といった風情。真正面には橋梁に見えない直線道路。路面のジョイントが、橋梁部の始まりであることを示すだけだ。

20111103-2.JPGかつてはこちらが国道の本線だった。いまでも轍はあるものの、入れるとしたら軽自動車のみか。

20111103-3.JPGこのガードレールも国道だった。かつては。

改良された部分、赤いガーダーが見える。冒頭の写真の欄干を見ると銘板があるので橋梁名も定められているはずなのだが、それを確認していない程度にザルである。



廃道。
放棄された土木構造物がある長大区間に目が行きがちだが、大部分は、こうした短区間の改良である。時には駐車帯になり、時には廃土捨て場になる。見過ごされがちだけれど、よく見ている光景。
 

川口橋(会津川口 国道252号 野尻川)と旧橋の橋脚(福島県)

川口橋(会津川口 国道252号 野尻川)と旧橋の橋脚(福島県)

廃道



只見線の「会津川口」(金山町)があるあたりは、1955年の市町村合併まで川口村といった。周辺の沼沢村、本名村、横田村とあわせて金山村となったあと、1958年に町制施行して現在に至っている。

「川口」というのは、その名の通り、只見川と野尻川の合流地点であることに由来する。例えば、新潟県の「越後川口」は、信濃川と魚野川のそれである(埼玉県の川口市はこの類ではないようだ)。この川口橋は、国道252号が、野尻川が只見川と合流する直前の場所に架かっている。

最初に言い訳をしておくと、このときは、橋脚に見とれてそれをどう撮るかばかり考えていて、記録として必要な写真をずいぶんと撮らずにいてしまった。なにしろ川口橋(現橋)の写真がほとんどない。銘板があるかどうかすら調べていない。反省する。

20111030_000.JPG写真右が会津川口方、左が川口トンネルを経て只見方。写真右下に流れる川(右下から左に向かって流れている)が野尻川で、只見川は見えていない。

この写真でわかるとおり、川口橋の上流側に2組、旧橋の橋脚が残っている。そして、よく見るとコンクリートの桁らしきものも落ちている。

20111030_006.JPG下流側から見ると、さらに別の桁も見える。周辺が荒れているのは、平成23年新潟・福島豪雨によるものである。

国道252号のこの区間は、1990年に川口トンネルとともに開通した(はずだ。トンネルのみしか確認できていない、要確認)。それ以前は、いまは橋脚しか残されていない旧橋と、川口トンネルのある山塊を北に迂回するルート(現在は通行止め)であった。『改訂新版カシミール3D入門編』に同梱されていた2万5000図が、まだ旧ルートだったのでそれを掲載する(入手できる最新のもの、を使用したのだが、ウオッちずは更新されていたものの、データは未更新だったようだ)。

・地図A
20111030_map1.jpg(カシミール3Dと『改訂新版カシミール3D入門編』収録の地図を使用。)
川口トンネルがまだ描かれていない。また、川口橋の描かれ方が「/」のような角度がついている。

・地図B
20111030_map2.jpg(カシミール3Dと電子国土基本図を使用)
川口トンネルが開通している。川口橋の描かれ方が「-」となっている。川沿いに迂回する道は国道指定から外されている。

旧橋の時代を航空写真で見るとこうだ。
20111030_map.jpg国土画像情報より転載、トリミング)
上の「地図A」の時代のものである。川口橋は「/」の角度である。


冒頭写真の2組の橋脚の正体はまったく調べていないが、橋梁史年表によれば、

開通年月日: 1954-
橋長(m): 50.2
幅員(m): 5.5
形式: RC連続桁橋
下部工: 特記事項
出典: 福島県土木部 「福島県土木史」 平成2年 福島市

という記載(抜粋)がある。これは、旧橋なのか、旧旧橋なのか。

現状のみを報告する。
20111030_009.jpg現・川口橋のすぐ上流に1組(橋台も低い)、その上流にもう1組(橋台は高い)がある。状況からして、すぐ上流のが旧旧橋、その上流が旧橋だと推測できる。以後、それにならって記述する。旧橋は、両岸の橋台が残っている、というわけだ。

20111030_007.JPG現在の橋の上から上流側(左岸)を見下ろすと、このように見える。上が旧橋、下が旧旧橋。

旧橋(上)の上面は崩壊して鉄筋が剥き出しになっている。旧旧橋の上面には鉄の部材が三つと、コンクリートの突起が見える。

そして、旧橋・旧旧橋の高さはこれくらいである。豪雨の前、通常時でも、これらの橋脚は水面下にあったようだ。

20111030_005.JPG写真左の大きな橋台は旧橋、右下の石垣があるものが旧旧橋の橋台だと推測する。旧旧橋の橋台の高さには、車道と思しき幅を持つ道路状の平場がある。とはいえ、これらの橋脚は、通常時は水面下にあることもあったようだ。

旧橋の橋台の下部のえぐれ方がすごい。テトラ(じゃないよな、なんと言えばいいのだろう)が剥き出しになってゴロゴロしているのは、護岸がえぐられた跡である。それでもなお、旧旧橋の橋台が残っている。

20111030_001.JPG現橋の桁下より。ヘン橋は曲線桁である。橋脚の左(下流側)に、ひっくり返ったRC桁のようなものが見える(それもちゃんと撮ってないどころか観察してないとは!)

20111030_004.JPG旧橋の橋脚。なんともすさまじい。

この川口橋については、いろいろと知りたいこともあるのだが、今後の課題として記憶しておく。

























 

国道400号舟鼻峠 旧道

国道400号舟鼻峠 旧道

廃道



1998年頃まではダートだった国道400号舟鼻峠(ふねはなとうげ)。狭隘な道で見事なつづら折れが連続していた峠道だったが、2009年10月16日に「田島バイパス」として開通した。直前の2009年9月にはその周辺をバイクで走っている。

20110930-888.jpgいつからかわからないが、旧道部分が閉鎖されていた。

旧道部分には、そこから西へ延びる大窪林道への分岐があったはずである。大窪林道は林間の斜面につけられたアップダウンのあまりないダートで、十数kmはあったと思う。川砂利かとおもうような丸い石で、いつも路面は湿っている印象がある。その道はどうなったのだろうか。

船鼻峠の北側にある旧道への分岐も塞がれていた。写真を撮っておけばよかった。

上遠別へ 

上遠別へ 

廃道




20110831_008.JPG上遠別。北海道の日本海側、遠別町から南東方向に天塩山地に30km以上分け入ったところにある。道路は道道688号遠別名寄線。

20110831_006.JPG37kmほどさかのぼったところで通行止めである。ここは正修地区。

ここまで、すれ違うクルマはゼロ。路面にはバッタが大量に発生しており、バイクで行ったのだが、靴やズボンにバチバチ当たる。バイクやズボンに、バッタの死骸がついてしまったのはかなり辛かった。現地に到着したときには、もちろん誰もいない。私ひとりだけの空間だった。(撮影の時系列が前後しているので、上の画像には他人のクルマが写っている)。

このまま直進方向が、道道741号上遠別霧立線。ここ正修から南下し、R239霧立国道の霧立とを結ぶ予定だったが、ここからちょっと行ったところで工事は中止されている。分岐を左折すると、道道688号遠別名寄線。こちらは現在も工事中だ。

20110831_005.JPG前身して、振り返る。遠別側に架かる、「遠名橋」。なんという切ない名称なのだろう。

向き直ると、こんなゲートがある。
20110831_004.JPG簡易なものだが、ずいぶんと年月が経っているようだ。少し、先まで歩いてみた。

20110831_000.JPGなかなかいい感じだが、行き止まりなのはわかっているので引き返す。

20110831_001.JPG「一の沢橋」。渡る川は、アイヤムナイ川だ。なお、かつての5万分の1地形図にはイヤムナイ川と記載されていた。

遠別名寄線のゲート。
20110831_002.JPGこちらはとても立派。

と、突然、乗用車とタンクローリーが現れた。
20110831_003.JPG乗用車の方に「ここの工事は凍結されたのではないですか」と聞いたら「復活した」との返事。この向こうでは工事をしているということだろう。

ちょっとすると、初老の夫婦がクルマでやってきた。ご主人がここで釣りをするそうで、アイヤムナイ川に降りていった。

20110831_007.JPG小一時間もここにいたろうか。帰り道、バス転回所とバス停を見つけた。1日3本バスが走る? こんな無人の地に?


帰宅後、沿岸バスのサイトを見たら、たしかに走っている。ここ「32号」が終端なのは、転回場所がほかにないからか、それともここまで乗客が乗って来るという需要があるのか。


行き止まりだとわかっていて突っ込んできた道。片道37km。「なにもない」ことを、たしかに見た。

廃道ナイト4(よん)!

廃道ナイト4(よん)!

廃道

20110814-05.JPG8月13日(土)、待望の『廃道ナイト4(よん)!』がが東京カルチャーカルチャーで開催された。出演はヨッキれんさんと石井あつこさん(トリさん)。

過去のイベントレポートはこちらに。
廃道ナイト!(メインはORJにて<PDF>
廃道ナイト2
廃道ナイト3!!!

今回は、チケット発売が確か7月15日。しかし、18日にはチケットが完売していたと思う。カルカルで開催された過去3回はすべてチケット完売だったが、この早さは過去最速。異常。早すぎてチケット取れなかった方が、私の友人たちにも何人もいた。ざんねん! ざんねんさん!(後述)

20110814-03.JPG17時開場。私は物販ブースで『廃道本』ほかトリさんが作成したグッズ(後述)などの販売を担当。一緒にバドンさんが、このイベントでのコラボTシャツを販売(後述)。私もTシャツを購入し、着用して販売した。

18時、まだ外が明るいうちに、スタート! まずはヨッキさん入場、第1回と同様、自転車にて!
20110814-06.JPG(一眼レフを持って行かなかったのでシャッタータイミングが…)

本当は、横山店長から「客席を突き抜けて厨房(舞台に向かって左端)に突っ込んで折り返してこようか」という提案があったらしい。

続いて、トリさんの入場。
20110814-07.JPGこちらはおしとやかに、着物でしずしずと。いい対比だ!

20110814-08.JPGステージでのふたり。前回までは、ステージ上には出演者のほか、シンスケ横山さん(店長)が司会として上がり、進行していたけれど、今回は完全にふたりで進行する。会場内は熱気に包まれているなか、簡単に自己紹介。今回は、トリさんと「落とす」形で紹介。トリさんのキャラが確立していく…(笑)。

20110814-09.JPG第1幕『廃隧道で涼みたい』。

クルマでしか隧道に入ったことがない人は、ピンとこないかもしれない。隧道は、寒いのだ。とくに峠を抜ける隧道は、あちらとこちらで気温差も標高差もあるために風の通路になっており、気温が低いだけでなく風により体感温度も下がる。

今回、ミリンダ細田氏と、まずは現役の国道隧道で調査し、廃線跡の廃隧道で調査し、道路の閉塞廃隧道にたまった水の温度を調査し、最後に仙岩トンネルを調査した。その驚くべき考察。
20110814-13.JPG土被りの大きさが洞内気温を左右する。

普通に考えると、隧道の中央部がもっとも気温が低くなりそうな気がする。しかし、そうではなく、偏りがある。また、坑口近くでは、気温の下がり方が急激である。こうしてグラフだけを見るとなんてことないけれど、なんという「疑問力」と「考察力」だろう。これこそヨッキれんさんの真骨頂。


続いて好例の『道路ファンが選ぶ残念&粋な風景』。「ふれあい橋」やら道路にある看板やらの「残念」なものに注目していくもので、事前に募集がかけられていた。いくつか発表された中から、かいわれ氏のものを。
20110814-16.JPGざんねんさん橋」。由来は検索してのお楽しみ。いや、人が死んでる(たぶん)のにお楽しみ、というのはよろしくないか。

なお、帰宅後検索すると、「残念さん」は、幕末には一般名詞化していたようだ。参考→残念さん

続いて。
20110814-17.JPGこれはヨッキれんさんによるものだと思うが、どうしてこうなった。

20110814-19.JPG新潟県の中山隧道。最長の手掘り隧道として知られている。私は1997年頃、バイクで通ったことがあるが、その坑門がこんなふうに擬木で装飾されているのだ!

ところがトリさんが地元の人に話を聞くと「坑門が延長されて落雪の被害もなくなってよかった」というような反応が来たそうだ。鑑賞者と実用者(ただし、この発言は地元の人ではあるが、ぺらぺら話したがりの人らしい)との意識の差が出た一瞬。

第3幕は、noganaさんによる発表。
20110814-20.JPG四国で見つけた旧道にある背向クランクの話。この警戒標識の大きさが異常で、しかも三つ見えてる。いわゆる「饒舌な道」でもる。

次は「粋な動画」。20110814-21.JPG

バアアーーーン!

なんかすごいの来たよ! 栗子隧道が現役だ!
20110814-22.JPG前面展望もあるのだが、運転士がハンドルを右へ左へひたすら回転させている。当時は「思ステ」、さぞかし大変だったろう。

当然、路面はダート。いまでもダートだしな。この程度の旧曲線でもバスやトラックをフレームに収め切れていない。これが撮影された昭和30年代前半(たぶん)の機材の事情もわかろうというもの。

20110814-23.JPG山形側坑口の前に、オニギリがあったという事実。いまも残っていれば…。

この動画で現役当時の姿を店ながら、その合間に現在の姿の画像を挟
む。とてもわかりやすい、興味深い動画だった。なお、このフィルムでも、すでに山形側坑口は改修されて直線状になっており、初代坑口は「廃」として採り上げられていた。


次は「夏のオブローダー自由発表」と題して「連番名称の愉しみ」。
20110814-24.JPG鉄道では「第三十四閉伊川橋梁」「第四松川隧道」みたいに、「第○」という名称が使われる。対して、道路ではその例は多くない。ヨッキれんさんが見た中で、いままで一番多かったのは、JR北上線沿いの国道105号、黒沢1号橋~9号橋だ。なお、道路では、橋梁は「第○橋梁」、隧道では「○号隧道」となることが実感として多いそうだ。

なお、鉄道では、おそらく山田線の閉伊川橋梁が「第三十四」まであり、最多ではなかろうか。そして、その第三十四閉伊川橋梁は、東日本大震災による津波で流失している。


いくつか例が出たのだが、これはちょっと残念な例。
20110814-26.JPG片倉森であいトンネル、片倉木もれび橋、片倉紅葉橋…。ざんねん名前がたくさん。ほかにも、林業関係をイメージさせる名前、全12本の構造物にそれぞれ睦月、如月…と名付けた例などを紹介。そして、ちょっと不思議なのがこれだ。

20110814-27.JPGこれは、開通記念碑に刻まれた碑文の文字を抜き出したもの。なかなか凝っている。ヨッキれんさんは、これは好きだ、と感動していた。

20110814-28.JPG考察。この関連名称は、道路の個性ではないか。たしかにそうだ。鉄道の橋梁に、どう考えても個人の人名の名称を人為的につけることは考えられない。


ここで第一部終了。の前に、トリさんが作ったグッズの紹介。これでまた、物販コーナーもおおいそがしに。



第2部は、『熱中スタジアム』に出演したトリさんに聞く裏話。15分ほどの番組だったが、5日もロケをしたとか。トリさんは身軽にひょいひょいと廃道をあるき、道がない場所にも踏み込もうとすると、スタッフから「カメラがあるから無理…」(もしかしたら、安全への配慮かも)と言われて行けなかった場所がある等、こうした場ならではの裏話。

続いてあづさ2号さんのレポ。
20110814-29.JPG私も似たようなことをやっているだけに、恐ろしく楽しかった。

そして、いよいよ廃道ナイトのメインイベント、後述レポート。だ。
20110814-30.JPG正月からこんな恐ろしいことをしていたのか…と誰もが思ったレポ。なにしろ、岩場に刻まれた道が凍結しているのだ。

20110814-31.JPG場所は山梨県早川町。旧版地形図に隧道まで描かれた道が、まるまる現在では消えている場所。

20110814-32.JPG地図には隧道はひとつだったが、いくつも出てくる。

20110814-33.JPGこの道に関する調査はまだ完璧ではないらしい。しかし、かつてはこの道を浴衣姿の人が温泉に入るために使っていたとか、そんな驚く話が次々に出てくる。この、ライブならではのテンポがたまらない。おそらく、調査終了後、『日本の廃道』でレポートされるに違いない。


いつも通り(?)時間もオーバーし、なごやかにラスト。『トリの隧道連想クイズ』

20110814-34.JPG全10問。成績上位者にはトリさんお手製の商品がもらえる。

第1問は、とても簡単。三島通庸の写真や地図が3つ表示され、答えも三択。ところが第10問、ヒントは1枚の写真、回答は10択!

結果、全問正解者はなし。9問正解者が5名となった。

ここで、おひらき…から、二次会のスタート!
20110814-35.JPG乾杯!

20110814-36.JPG本編でやるはずだったけれど時間の都合でカットした、細田氏の「渡橋術四十八手入門」。なんだこの爆笑ビデオは!

細田氏が眺めて育ったとある廃橋で、さまざまな渡橋方法を披露する!

「梁渡り」「抱き渡り」「尻渡り」「ハイハイ渡り」「竹竿渡り」など、名称からその内容がわかろうと言うものだ。竹竿渡りは、植村直己が単独で南極に向かったとき、クレパスに落ちてもひっかかるように、自分の身体に竹竿を横にくくりつけて歩いたという話を思い出した。ビデオでは、林鉄規格の細いレールを手に持って歩いていた。なお、細田氏はいつも「スタスタ歩き」。

そしてこれ。机上の空論。
20110814-37.JPGベニヤ渡り。

2枚のコンパネを交互に敷きながら歩いて行く。無限軌道のようだ。もちろん、廃橋と出会うシチュエーションにベニヤ板など持ち込めないだろ!というツッコミが入る。なにより、重労働だ(笑)。

重労働すぎて、細田氏と、撮影役のヨッキれんさんはコンパネの上で横になる。そして、起きようとしたとき! プレートガーダーからはみ出ている部分には足か頭があるのだが、うっかり上半身を起こすと、コンパネごと落下する危険が! みなさん! 廃橋の上にコンパネ敷いて寝転がるのはとても危険です!

20110814-38.JPG本当のラスト。「竹竿歩き」で持っていたレールを、この廃橋に敷いてみた。これがやりたかったのだそうだ。

かつて、鉄道として機能していた橋。そこに、フェイクとはいえ、一瞬でもレールが載った。この感動を胸に、第4回廃道ナイト、終了!


物販について。

●廃道マグカップ(1000円)…トリさんのお手元に、まだいくつか在庫があります。お問い合わせを。→トリさんのブログまたはツイッター

●やまいが携帯ストラップ(500円)…黒と白があります。こちらもトリさんまで。

●「危険」Tシャツ/トートバッグ…ヨッキさんが来ていたTシャツと、同じデザインのトート。会場でもバカ売れ。各2280円+送料で通販開始! →マニアパレル

●『日本の廃道』(通常号)…「日本の廃道」まで。
●『日本の廃道』(バックナンバー/バックナンバCD#2)「日本の廃道」まで。

『日本の廃道』は、ヨッキれんさんとnagajisさんで編集しているPDF形式の同人誌。PC回線とクレジットカードがあえば、即、購入できます。これを読めば、ますます「廃道ナイト」が楽しくなる。直接のエールにもなりますので、ぜひ購入を。
 

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