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国道17号 新大宮バイパスの廃道

国道17号 新大宮バイパスの廃道

廃道

20110723_001.JPG国道254号川越街道を下り、新・環八との交差点を過ぎたあたりで右に国道17号新大宮バイパスが分岐する。ここに、ルート切り替え区間がある。


北側に平行する国道17号のバイパスなのに、国道254号から分岐するのがちょっと不思議な感じもするが、そんな例はそこらじゅうにあるのでパス。

この旧ルートから現在のルートに切り替わったのがいつか、ちょっとわからない。旧ルートを走っていた記憶は明確にあるので、1990年代後半から2000年の間ではないかと思う。記事冒頭の写真の立て看板は「建設相」が塗りつぶしてあるので、2001年1月より以前からその看板があったことがわかる。

航空写真では、1989年のものに旧ルートが写っている。
20110723_ckt-89-2_c11_20.jpg国土画像情報より転載、トリミング)

現在、この旧ルートは資材置き場となっている。しかも、「国道20号新宿こ線橋関連工事」の資材だそうだ。

20110723_000.JPG金網の上から覗いてみる。マンホール、可搬式ガードレールなどが置いてある。真正面、カーブする道路のアウト側にある壁と矢印は、現役だったころの姿をはっきりと覚えている。

20110723_002.JPG東側から見下ろす。左右方向に走っているのが国道254号川越街道で、左が池袋方面、右が成増方面。現在は国道254号との間は歩道が設置されているが、当然、この旧ルートが現役だったときには歩道などなく、横断歩道である(上記1989年の航空写真参照)。

20110723_003.JPG視線を右に向ける。なんという贅沢な資材置き場。

この写真を撮った場所は住宅街であるにもかかわらず、不法投棄の冷蔵庫や机があった。大きな国道沿いというのは荒れやすいような気がする。



この新大宮バイパス、つまり北町交差点から高島平で首都高が覆い被さる地点までは、鋪装路面が4車線分ありながら、車道は2車線である。その流れも、必要に応じて随時変更されているようだ。ただし、ごく一部の区間だけ、4車線分の幅の用地は確保してあっても、道路がない場所がある。ここだ。



東側、橋脚だけ準備してあるものの、桁が架かっていない。ここだけなのだから架けておけばいいのに! と思うのだが、もしかして、この区間に橋がないことを言い訳として、前後の4車線区間を2車線に規制しているのかもしれない。

その、橋があるべき部分に北側からアプローチする。

20110723_005.JPGこのように、あとはアスファルトを敷けばいいだけになっているように見える。そして画像奥、唐突に車道がおわる。なお、画像の右上と左下に黒い三角形があるが、フードがかぶってしまったようだ。。。

20110723_006.JPG先端まで行くと、当然のように金網で塞がれている。その向こうには、鉄筋を剥き出しにした橋脚が立っている。これは北から南を見ている。

20110723_004.JPG地上に降りる。南か北を見ている。


ここが4車線になれば…とも思うが、現状、新大宮バイパスのこの区間は、それほど渋滞するわけでもない。だから、新大宮バイパスが北町を突っ切って南下し、平和台あたりまでつながるまで、しばらくはこのままだろう。

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道路改良跡 静岡県道40号(静岡県磐田市)

道路改良跡 静岡県道40号(静岡県磐田市)

廃道

20110625-1.jpg幹線道路の脇には、こうした「道路改良跡」が無数にある。ここ、磐田市の改良跡も、クルマで走っていてふと目に付いたものだ。

以前は曲線で勾配を登っていたのだろう。それを、なるべく直線敵にして見通しをよくした結果、外側に膨らんでいた部分が廃道化した。新しい道路には新たにガードレールが設置されたため、一切、クルマは入れなくなった。

こうした空間は、天気がいい限り、とても心地よい。

20110625.jpg反対向きで。アスファルト路面にのたくる草。右上と左下には、レンズのフードカブリ(スミマセン)。右のガードレールの下は、天竜川。


場所はここ。


古い航空写真を見ても、これがわかるほどの解像度のものはない。このまま、この改良跡は草に埋もれていく。



丸田祥三氏「風景剽窃裁判」判決傍聴

丸田祥三氏「風景剽窃裁判」判決傍聴

廃道

PC222728_R.JPG

12月21日(火)16時、東京地裁627号法廷にて、丸田祥三氏が長年悩まされてきた「風景剽窃」を問うた裁判の判決が言い渡されると聞き、傍聴に行った。傍聴に行くのは初めてである。

10分ほど前に法廷に入ってみたが、だれもいない。ひとりもいない。そんなものか。いったん廊下に出ると、丸田さんの話し声が聞こえた。行ってみると、待合室のようなところで、同じく傍聴に来た方3人(それぞれ別個で来ていた)とお話されていた。5分ほど前に入室すると、徐々に傍聴人がやってきた。おそらく20人くらいはいたのではないかと思う。丸田さんは傍聴人席の隅に座った。原告側席につくのではないのかと驚いた。

裁判官入室。全員起立、黙礼。柵の向こう側、原告側席にも被告側席にもだれもいない。、裁判官(と事務の人?)しかいない。そんなことを思っていると、判決が読み上げられた。

「原告の請求を棄却する。裁判費用は原告の負担とする」(記憶による。細部が違っていたらすみません)

読み上げた直後、裁判官らは起立、黙礼をして退席。ほとんどの傍聴人も一斉に退席。この間、ほんとに一瞬であった。メモを取ろうとしていた私も呆気にとられた。ペンを持ち直す時間すらなかった。もっとも呆気にとられたのは丸田さんであろう。判決文のなかで「盗作」の基準を明示することもなかったのだから。私を含めた数人の傍聴者と丸田さんが、裁判官が去った法廷に残った。あまりにも呆気なかったが、傍聴していた栗原景さんのお話では、民事裁判では、刑事事件と違い、法廷では認定した事実は言わずに書面で出されることが多いらしい。その書面は後刻、弁護団が受け取ることになった。のちにわかったのだが、その書面は通常よりもずいぶんと分量の多いものだったようだ。(この段落、「傍聴していた」以降、一部事実と異なっていたので修正しました)


丸田さんに何を話しかけていいのかわからない。何しろ1998年に被告が本を出してから12年間、悩み続けたことへの答えが、数秒で読み終えてしまう単語しかなかったのだ。1998年、丸田さんはまだ34歳である。いまの私の年齢よりずっと若い。まだ「お兄さん」と言っていい年齢のころから、痛めつけられてきたのだ。考えれば考えるほど、気が遠くなる。

たぶん、丸田さんも実感がなかったのだろうと思う。場所を変えて、栗原さん、私、他の傍聴者おふたりと5人でお茶を飲んだ。18時半頃、丸田さんは記者会見に向かわれた。記者会見は「司法記者クラブ」所属の人たちしか(たぶん)入れないので、私にはどういうものだったのかはわからない。後刻、丸田さんにお聞きしたら、会見に来てくれたメディア各社は、カメラマンが同行しているということもあり、この問題の本質をきちんと理解されていたようだということだ。

記者会見の結果が最初にネットに載ったのは時事新報か。参考までにリンクを置く(どれも、いつまでリンクが生きているかはわからない)。
時事通信
朝日新聞
日経
読売新聞




PC222723_R.JPG

場所を阿佐ヶ谷の「よるのひるね」に移し、23時から、丸田さん(中央)に枡野浩一さん(右)と切通理作さん(左)がインタビューするような形でUSTREAMで「枡野書店ラジオ」が生放送された。思っていたよりも狭いスペースで、でも20人以上は来ていたと思う。この時刻なのに。夏の「盗作かもしれない」でご一緒した方や、廃道写真集製作取材でご一緒した方などもいらした。私は栗原さんといっしょに、お三方と上の写真の距離の席に着く。

このときのUSTREAMはアーカイブされているのでぜひご覧いただきたい。判決時には読まれなかった、廃十数枚分(七十数枚かもしれない)の判決文がどういうものであったか、どういう問題をはらんでいるかが話されているはずだ。
http://www.ustream.tv/recorded/11562832
http://www.ustream.tv/recorded/11563150
http://www.ustream.tv/recorded/11563628

結局、USTは0時半頃で終了。配信を終了したあと、終電の都合などで客は半分ほどになった。それでも12人ほどが残った。輪が小さくなった。そしてトークは続いた。USTとは違って、みんなでテーブルを囲んでいるような雰囲気の中で、丸田さんの表現というものに対する考えや、その発表、今回の争点の本質などが話題の中心となってきた。丸田さんは他人に気を遣うあまりほとんど主張しない方なのだが、徐々にそれがが解け始めたか、本当の気持ちがその場にいた人に突き刺さるように伝わってきた。

ここで私は書くのをやめる。その場の丸田さんのお話は、一字一句間違わずに文字にしたとしても、誤って伝わってしまうような気がするからだ。裁判にまで持ち込まざるを得なかった、丸田さんの気持ちを、もし私が誤って伝えてしまったら取り返しがつかない。その場の雰囲気があってこその、丸田さんや客(?)の発言なのに、それを棒読みされることの恐ろしさ。あるいは「私の丸田祥三論」になってしまう恐ろしさ。そういう懸念があるため、私は書かない。いつか丸田さんがご自身でお気持ちをお書きになると思うから、「UST後」を知りたい方も多いとは思うが、待ってほしい。

そのまま2時、3時、4時、5時…となり、まだまだ丸田さんを囲む話は続いていたのだが、私は中座し、帰宅した。朝から仕事であることが恨めしかった。その後、ほどなくして終了したようだ。

<ご参考>

国道140号旧道(多分/山梨県市川三郷町)

国道140号旧道(多分/山梨県市川三郷町)

廃道



丸田祥三さんと廃道取材に行った際、身延線の笛吹川橋梁に立ち寄っていただいた。橋梁については後日書くが、西側から撮ろうとして堤防に上がって驚いた。ここは旧道ではないか。

20101206-1.jpgアスファルトが敷かれ、その上には「40高中」の文字。しかも、頭を突き合わせて点対称にふたつある。写真で言えば、左下にひとつ。右上に、向こう側から読む形でもうひとつある。

しかし、この道に一般車は入れない。このまま西に進むと現在の国道140号と合流するが、この堤防道への進入口には車止めがある。そして、この先(東)、身延線との交差点は柵がしてある。この堤防道が、直接国道140号だったのかどうかは未詳。「県道」と表現しているサイトもある。

柵はこのような感じ。
20101206-2.jpgどうやら踏切だったようだ。

「山梨の林道事典」という素晴らしいサイトがあるのだが、その中で、ここが踏切だった当時の写真が掲載されている。こちら。この踏切は「今川踏切」というとのこと。また、その記事掲載時点では「橋梁塗り替え中」だった。笛吹川橋梁の塗装標記から、リンク先が撮影されたのは2005年6月前後ではないか。

幸い、1975年撮影の航空写真がある。元画像はこちら
20101206map.jpg見事に堤防の上を走っている。真ん中の緑の4連トラス橋が笛吹川橋梁で、その左岸(画面下側)の東西に、それぞれ田んぼの中に下りる逆三角形に見える道がある。そして、田んぼの中に、現在の国道140号の姿はない。


偶然しった旧道だが、なかなかに不思議な情景だった。もっと撮っておくべきだった。


廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋>

廃道取材(7)稲又川橋(仮)<廃橋>

廃道

20101205-01.JPG山梨県早川町、井川雨畑林道から見える稲又川橋(仮)に、丸田祥三さんと行ってきた。丸田さんはすでに3回目、私は初めて。私が見たいと言っていたら、連れて行ってくださった。ありがたくご厚意に甘えて丸田号の助手席に収まる。名称を「(仮)」とするのは、文末に掲げた報告から考えて、もしかするとここにはのべ三つの橋が架かっていたかもしれない、などと思ったからである。

この稲又川橋(仮)。丸田さんが「ぜひ見てほしい」と仰っていただけのことはある。「山行が」と丸田さんの作品で、橋の概要は知っていたつもりだったが、自分の目で立体的に見て驚いた。怖気が走ったと言っていい。怖い。真下をくぐったり、見上げたりするのはもっと怖い。


この橋は、mixiの「山行がコミュ」で存在が明らかになったものだという。詳細はよっきれん氏のレポートをご覧いただきたい。<前編><後編> 同時に、発見者である「明日、本栖湖集合!」さんに感謝申し上げる。

蛇足になるかもしれないが、「丸田祥三氏は、自分が撮った場所と同じ場所で撮った他の人を訴えた」という大きな誤解がなされてる。事実はその逆で、丸田氏はデビュー当時から、電話や手紙で聞かれるがままに読者に撮影場所を無数に教えている。訴えた内容は、「同じ場所で撮るな」ではない。詳細はこちらをご覧いただきたい。

このレポは発表されたときに拝読し、その後何回か拝見したが、今日行く前にはチェックしなかった。それでも、帰宅後に自分の撮った写真と見比べると同じところを狙ったカットが多いのがおもしろい。

場所はここだ。







対岸からは、冒頭のように見える。見るからに危うい。

20101205-02.JPG隣接する、数段高い新橋の上から見下ろす。鈑桁は外側にはスティッフナーがなく、内側のみである。

20101205-12.JPG袂まで下りる。道中、路面は、つい先日まで川底であったかのようにグズグズだ。

桁のよじれっぷりがわかるだろう
。写真左手が稲又川の上流、右手が下流である。稲又川は雨畑川に合流し、早川に合流し、富士川に合流して太平洋に注いでいる川だ。

左右の主桁上部には、コンクリートを固定していた痕跡がある。そして、主桁のフランジ部分には多数の岩礫が乗っかっている。そして、桁の左側には、対岸の廃橋脚が見えている。

20101205-13.JPG対傾構も歪んでいる。よほど強い力が加わったか。この高さまで水かさが増せば、浮力で桁が浮き上がり、そこに水圧が加われば、通常は橋脚に「乗っかっているだけ」の桁など移動してしまうだろう。

20101205-07.JPG河原まで下りて、対岸の橋脚を見る。左上に見えるトラス橋は、1983年8月日本鋼管製の稲又川橋(現在線)である。

20101205-11.JPG河川敷から、突端。「ひっかかっているだけ」感がすごい。桁の下にいると、ものすごい圧迫感がある。

20101205-10.JPG主桁。これが曲がっているのだ…。

20101205-08.JPG反対に、突端側から。

20101205-09.JPG橋脚の袂には、林鉄用とおぼしきレールが引っかかっていた。


このような稲又川橋(仮)だが、どうしてこうなったのか。私なりにググった結果はこう。

●1959年(昭和34年)の伊勢湾台風で、ここは10mの土砂に埋め尽くされた。(出典:ADAMSさんのページ
●1982年(昭和57年)~1985年(昭和60年)の間に破損した橋梁のリストには、「稲又」に類する名称の橋はない。(出典:国交省甲府河川国道事務所の資料
しかし、
●1982年(昭和57年)の台風10号、18号、1983年(昭和58年)の台風5号により、雨畑川では、台風10号の総降雨量603㎜最大時間雨量49㎜、また、台風18号において総降雨量468㎜最大時間雨量31㎜となり、1982年には約160万立米、1983年には約180万立米という大量の土砂が流出した。この土砂の流出により、当該事業付近においては 河床が10mも上昇し、上流集落の唯一の生活道である県林道の稲又橋を埋没させるという状況が発生した。(出典:国土交通省関東地方整備局富士川砂防工事事務所による稲又第三砂防堰堤工事報告を要約)
●この廃橋の下流に、平行する3本の鉄骨が刺さったコンクリートの塊が放置されていた。それがこの廃橋の桁でないことは明白だったので、撮影しなかったのが本当に悔やまれるのだが、どうやらそれが「稲又川橋」の橋脚だったらしい。(出典:山梨河川研究会の写真


疑問をまとめる。
・「稲又橋」「稲又川橋」という二通りの表記があるが、これは単なる誤記なのか、それとも別々の橋なのか。
・現在の橋は「稲又川橋」・
・稲又川橋(仮)下流に横たわっている鉄骨橋脚は、果たしてどの橋の橋脚なのか。

不可解な点が多い。よって、表題を「(仮)」とした。他意はない。航空写真が1/15000であり、不鮮明であるのが非常にもどかしい。

冒頭のとおり、丸田さんは今回三度目の探訪。そして、二度目の探訪時にものすごいカットをものにしている。同じものを撮れと言われても無理。ありえな い。同じレンズ使ってもできない。ものすごい。写真集に掲載するのはそのカットになると思うので、今回はヨッキれんさんと同じカットにせよ、私は私 が撮ったものとしてアップする。レポートとしては丸田さんが出てこなくて恐縮だが、いっしょに河川敷で撮影を重ねた。

また、今回、これ以外に廃隧道1件とかつて車道だった堤を取材した。

廃道取材(6)奥多摩

廃道取材(6)奥多摩

廃道

丸田祥三さんの取材にくっついて、奥多摩某所に行ってきた。かねてから行きたかった場所があり、風邪やら天気やら地面の状態やらで何度も延期になっていた。先日、ようやく行けたのだが、1時間半ほど歩いたところで道の状態が悪くて撤退。今日改めて別ルートで行ったところ、徒歩1時間ほどで目的地についた。その前後にもいくつか撮影したので、時系列で書く。



青梅方面から国道411号を西に向かう。国道411号沿いには「黒川通り」という廃道がある。ヨッキれん氏が『日本の廃道』に詳細をレポートしているし、『廃道本』でも掲載、また現地を訪ねるツアーも開催された。上記地図の地点に至るまでにもいくつか旧道はちらほらしていたが、「道の駅たばやま」の前、JOMOの東側に「できたての廃道」があった。

20101128-01.JPG左が旧道、右が新道。右の橋は「丹波山温泉大橋」といい、2009年9月の竣工。供用開始は不明だが、2010年6月27日に開通記念イベントがあったので、今年に入ってからなのかもしれない。名称は、道の駅に接続する温泉にちなむ。

新道を歩いている黒い犬は、どうやら飼い犬のようで首輪をしていた。この犬が、我々のほうに寄ってきて、ハァハァクンクンする。大型犬なので、ちょっとこわいよ…。犬を放し飼いにしないでよ…(うちには犬がいるし、リード付きの犬ならかわいがったりもするので、犬を嫌いだというわけではない)。

この旧道、上記写真のとおり、山肌に沿ったカーブを、ひとつの大きな橋で短絡したもの。新道のほうが法面が低く、旧道と高さの差が大きい。隣接するJOMOの出入り口も、かなり無理な勾配になっている。そして、旧道は、新道に欠き取られた形になっている。欠き取られた部分は舗装がはがされて砂利になっている。砂利は非常に強く突き固められている。

20101128-03.JPG一部残されているのは、ここに下水管が埋まっていることと、電柱があるからではないかと思う。この砂利部分にマンホールが三つある。下水管ごと新道に移設するのはやめた、ということではないだろうか。

写真の電柱の右で石垣のパターンが異なっている。向こう側は切石の谷積み…というには目地が通り過ぎている積み方で、手前(電柱の左)は石を積んで目地を固めた練り積み。

20101128-02.JPG旧道を歩く。風が吹くたび、落ち葉が地面を走っていく。それを流し撮りしたかったのだが、無理!画面奥が丸田さん。


場面を変えて、余慶橋。うわ、「よけい」で一発変換したよ。意味があるらしい(Yahoo!辞書)。知らなかったよ。ここも、旧道を新道が橋で短絡していた。旧橋で撮影。

20101128-05.JPG見ての通り、旧道は瓦礫で埋め立てられている。撮影していると、カメラをもった男性が近づいてきて「紅葉、終わってますね」。僕たちは「そうですね」などと返事をしたが、紅葉を撮っているわけではないので、つれない返事に聞こえたかもしれない。新橋は1992年6月竣工。


以降も気になる旧道がたくさんあったが、とりあえず通過。メインディッシュに急ぐ。

国道を反れ、とある集落に入る。無人らしく、そこそこ新しく見える家にも人影はない。生活感のある家はあるため、特定の期日だけここに通ってくる人がいるのかもしれない。そんな集落を通り過ぎ、砂利道をたどってクルマの終点到着。12時15分。準備の後出発。

20101128-06.JPGおそらく車道として使われていた道を歩く。しかし、3~4ヶ所、このような木橋がある。ここが車道だったころ、どんな橋がかかっていたのだろうか? 当然、木橋だとは思うのだが。

最初は車道の幅があったが、沢を遡る形で歩いて行くと徐々に狭くなる。それでも沢側には低い石垣があったりして、車道を感じさせる。しかし、やがてGPSは地形図の破線とは別の地点を指し出す。地形図が誤っているのか、現在の通行路が地形図と異なるだけなのか。

20101128-07.JPGずっと青空だったのだが、目的地が近づくにつれ、ちょっとかげり始める。山を埋め尽くす樹木には杉以外は葉がほとんどなく、そのすべては僕等の足下にふかふかに積もっている。

20101128-99.jpg目的地到着。
よく見えないと思いますが、すみません、諸事情により見せてません、御容赦ください。

とあるスジには有名な場所で、地名で検索すると画像もたくさんでてくるのだが、あまりにもすてきなので、丸田さんとヨッキれんさんの共著の写真集(タイトル未定)をご覧いただきたい。なかなか感動的な出会いだった。




これを撮影していたときのGPSログ。
20101128-12.jpg場所を推定したい方はgsiの2.5万図と見比べてくださいませ。

この地点で1時間以上撮影した。

行きが1時間なら帰りはその半分かと思うと気も楽で、ふたりで雑談しながら下る。たまに撮影。

20101128-08.JPGこれは、歩いたルートから見えた木橋。ここはオンルートではない。木橋の橋台として石垣が残っていたので撮影した。


この山に入って3時間半。日も蔭ってきたので、もう一つのメインに向かったのだが、場所を特定できず。そのかわり、またたくさんの「新しい廃道」を見た。

20101128-09.JPG柳沢峠から南に下った地点が、長い範囲で付け替えられていた。これは塩山方向を見ている。右端、ガードレールの向こうが新道。手前の、センターラインが色の道が旧道(暫定的に使用された形跡あり)。左側が旧々道。でももうかなり暗かったので、撤収した。

20101128-10.JPGそこにはこんな標識が転がっていた。なんだか無念。



国道411号は、近年の改良がすごい気がした。バイクで走っても、走ることばかりに気を取られるためにちゃんと見ていなかったが、再訪したいと思う。似たような換線ばっかりかもしれないけれど、意外な発見があるかもしれない。


廃道取材(5)東北

廃道取材(5)東北

廃道

週末を利用して、引き続き、丸田祥三さんの廃道撮影にくっついて来ている。道案内役兼運転手。今回は、先日回りきれなかった栃木~福島から、山形に入り、明日も山形だ。決め撃ちで撮影するもののほか、車中から旧道や廃道を見つけるとクルマを停めて撮影したものもかなりの数にのぼる。時間の制限もあるため、すべてを撮影できないのが残念だ。なにしろ、17時すぎにはほぼ真っ暗になるのだ。

20101023-05.JPG大峠道路で見つけた旧道。もしかしたら、工事用道路かもしれないが、舗装された上に藪が繁茂していた。路肩にはガードロープの支柱。そして、入り口はガードレールが塞いでいる。


20101023-01.JPG栃木県の竹ノ上橋。吊橋は、廃止になるとケーブルだけを撤去し、主塔は存置されることが多い。ここは、ケーブルと、腐った床が残っている。もちろん、渡ることなど不可能だ。どんな橋かは、『廃道本』巻末グラビア参照。

20101023-03.JPGこれも吊橋の主塔。この吊橋は、なぜここに架かっているのかがわからない。しかも小さい。人道橋かもしれない。

20101023-02.JPG五十里湖にかかる海尻橋で見つけた、公式の「旧道」。

この橋は、実は珍しい形式で、走行中、思わず声を上げてしまった。ランガートラスという形式で、タイドアーチの一種。アーチリブ(いわゆるアーチの部分)の両端を結ぶタイがトラス形式になっている。しかも、トラス部分は箱状に組まれており、路床はその上にある。これを中路アーチか、と書いてあるサイトもあるが、路床はアーチ下端と同じ高さであるため、下路だと考える。

ばかでかい橋で、スパンは110mを超える。


丸田さん撮影中。なぜか逆光の場面ばかり。後ろ姿が多いのは、私が前から丸田さんを撮ってしまったら、丸田さんが撮影できないからだ。当たり前か。とくに丸田さんは超広角を多用するので、真横にいることすら不可な場合も多い(はずだ)。
20101023-06.JPG20101023-07.JPG2枚とも、福島・山形県境にある栗子隧道(国道13号旧道)の山形側ルート。栗子隧道は落盤で閉塞しているので、福島側から、または米沢側からのピストンとなる。個人的には福島側は行ったことがあるので、今回は隧道坑門がふたつ並んでいる山形側に行った。丸田さんのすぐ左に、明治時代の坑口。画面左に明確に見えるのが昭和に改修で生まれた坑口だ。

米沢側は採石場内を通過しなければならないが、事務所に挨拶すればおk。「クマが出るからね」と言われ、用心しながら歩き始めた。採石場から少しクルマであがると簡単なゲートがある。危険なので徒歩で行け、と保存会の張り紙がしてある。ここから栗子隧道まで約4km。秋らしい、真っ青な青空のもと、紅葉真っ盛りの栗子山を左手に見ながら歩いた。丸田さんも、心身ともにリフレッシュされたようだ。栗子隧道の前では風が冷たく、吐く息がときたま白くなった。

なお、作務衣で撮影されている丸田さん。上の画像ではわからないが、足下はモンベルの登山靴で固めている。また、インナーは発汗製の高いもの、アウターは別に持参している。私はいつもの登山スタイル。違うのは、背負うものがカメラバッグで、三脚を手に持っていることだ。片道1時間強、まあ、ガチガチに固めるまでもない。

今晩は米沢泊。明日も米沢周辺を取材する。


危険!落ちたら死ぬ!タオル

危険!落ちたら死ぬ!タオル

廃道

廃道ナイトで先行発売し、大好評だったタオルが通販開始です。廃道探索にちょうどいい大きさ。トリさんはツタンカーメン化するのにすぐ使っていました。制作したのはバドンさん。お求めはコチラから。

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廃道ナイト3!!! レポート

廃道ナイト3!!! レポート

廃道

20101017-03.JPG10月16日(土曜)、東京カルチャーカルチャーで『廃道ナイト3』が開催された。そこに売り子としてかませていただいた。『廃道本』をお買い上げいただいた皆様、既にお持ちの皆様に感謝しながら、けっこう「コアな人にしかわからない」ネタもそれなりにあったので、そのへんを補足しつつレポートする。

開場は17時30分だが、16時に会場入り。販売品などをセッティングしていると、ヨッキれん・ミリンダ細田・トリ各氏がご到着。すぐに準備を開始。し、同時に「特別メニュー」の名称も検討。

オレンジ色のカクテル、「三島の黄昏」は比較的スムーズに決まったが、対応する緑をどうするか。「○○隧道の苔」「対応しないなー」「三島に対応して藤村紫朗か」「マイナーすぐる」…。細田氏「グリーン(自粛)」ヨッキ氏「却下!」…。悩んだ末、「三島の青春」となった。副題に「和歌夫人」。これくらいのわけのわからなさがちょうどいい。

会場限定メニューはこんなの。「三島の黄昏」は撮り損ねた。。。
20101017-05.JPG 20101017-04.JPG


20101017-02.JPG物販コーナー。私が『廃道本』を、マニアパレル:バドンさん(@BAD_ON)が、廃道ナイト3を機会に制作した「危険 落ちたら死ぬ!!」タオルとTシャツを販売した。

Tシャツは完売、タオルは50本近く売れた。すごい。買い逃した方は、上記サイトをチェック。通販、あるいはジュンク堂新宿店などで販売されるかもしれない。


モチーフはこちら。有名な看板だ。バドンさんは数々の土木をモチーフにしたTシャツや手ぬぐいを作っておられ、私もいくつか持っている。

私は『廃道本』のほかに、現在、丸田祥三さん(@malta_shozo、ブログはこちら)と制作中の写真集の告知をした。ご来場いただいた方々にはチラシを配布させていただいた。丸田さんについては、このブログの他のエントリをご覧ください。

リハは着々と進行。出演する3名の着座位置は、私から提案してカルカルの横山店長とヨッキさんで、トリさんと細田さんを囲む形になった。そのほうが、両側に進行役がいたほうが、話を振りやすいと思ったからだ。リハ中、トリさんの廃道好きの説明をいろいろ展開しようとしていたが、結局お蔵入りしたようだ。



今回、チケットは早々にソールドアウト。そのため、入場は整理番号順になる。開場時刻の17時30分にはかなりの方がお見えになっていた。初めての方もけっこういらっしゃったようで、全席自由にとまどっていた方もおられた。

今回は「女性は500円引き」とした。その試みにはいろいろなもくろみがあったのだが、男性に連れてこられた女性もいらした一方、お一人でこられた女性も。

約1時間後の18時30分、スタート! 以下、ヨッキさん・トリさんの顔が隠れてしまっているカットが多いが、私が座っていた席の都合なので御容赦いただきたい。

20101017-06.JPG第一部は正装。トリさんは着物、細田さんは軍服(?。違ってたらすみません)。細田さんの服、13まんえん…。右腕の階級章は「中尉」とのこと。調べたら「飛行服用袖階級章」らしい。氏はヨッキ氏と夜な夜な長電話をしているらしいが、その内容が知りたい。

乾杯!

まずは自己紹介。この手のイベントは、出演者を知っているかどうかで楽しみ方も随分違うので、かなり重要。ヨッキさんの自己紹介動画(7分!)が音楽と非常にマッチしていて爆笑。そして、ついに廃道が海外で紹介されたという報告。

20101017-07.JPGこの記事はjapantimesのwebサイトにもあるので、じっくりご覧いただきたいのだが、記事中では廃道を「abandoned road」と表現している。「obsolete road」はORJの造語なので、当然と言えば当然。なお、廃線は、営業中止、廃線跡の放置状態、ともにwikipediaでは「abandoned rail」と表現される。


続いて「おぶろぐ」で募集した「私の道路萌えポイント」。全プレゼンを掲載するが、ネタ数は一部カットさせていただく。

(1)ナトリウムランプ萌え(すどきち氏)
20101017-08.JPG共感される方は多いだろう。隧道内、夜間照明ともにナトリウムランプ。最近は隧道内は白色の光も多く、夜間走行していると隧道内のほうが明るいということも多くなった。

すどきち氏は、ナトリウムランプが落ちてきて割れたりしているのに遭遇するとハァハァするらしい。

(2)道の真ん中の木(学生服のヤマダ氏)
20101017-09.JPG学生服のヤマダ氏は、四国在住の方で、いままあでヨッキさんやORJにたびたびものすごい情報をもたらしている方だ。

20101017-10.JPG写真が出ると、開場は「ああーー……」と感嘆が漏れる。

(3)50高(nogana氏
20101017-11.JPG観客としていらしていたnogana氏自身によるプレゼン(下写真右端)。

廃止された道路標示だ。高速車/中速車/低速車という区別あった時代のもの。こんなの。

20101017-12.JPG


簡単に補足する。

現在、速度制限のない道路での自動車の最高速度は60km/h(原付等30km/h)。1992年10月末までは、大型貨物・大型特殊・軽二輪などは50km/hとされており、それを「中速車」と呼んでいた。「50高」とは、「高速車」つまり乗用車、自動二輪なども50km制限ですよ、という表示である。「40高中」となれば、高速車も中速車も40km/h制限であるということ。その表示がいまだに残っているところや、表示する必要がないのに新規に描かれたりしている画像が展開された。

(4)都市部の未成道の風景(kubodi氏
20101017-14.JPGkubodi氏も自らプレゼン。

横山さん(ヨッキさんだったかも)が「都市計画道路が好きな人!」と会場に問うと「ハイ!」「ハイ!」「ハイ!」と、非常に多くの賛同者が現れた萌えポイント。数十年という単位で進行する都市計画道路。とりあえず用地買収だけしてあったり、一部で工事が途切れていたりする部分が好きという。みな共感。

上の画像は横浜市の道路の終端部に放置されていたリヤカー。荷台を竹が貫通しており、竹を切らないとリヤカーは動かせない。リヤカーがなくなるときは、ここが道路になるとき。「廃」と「未成」が同居しているような気がした。

ここで休憩。

再開。ここから第二部、トリ氏と細田氏は「探索時の正装」に着替えているのだが、コーナーが続いているためその説明がなかったので気がつかなかった人もいたかも…。細田氏は「いつものツナギ」で電車に乗っていらしている。

その細田氏のツナギにYUKI TORIIのタグがついていたのをある女性が発見。「でも学生のときに作業服屋で買ったんですよ」と細田氏。奥方がシャレで縫い付けた? でも廃道探索を嫌悪されてるようだしなあ…。YUKi TORII、私は男なのでよくわからず、検索したら「パリコレに毎年出てる」とか書いてあったようなブランドらしい。

(5)橋桁の床版(うさ★ネコサンド氏
20101017-15.JPGとくに中京圏の廃道・廃線などに関する綿密なサイトの管理者さん。このあたりの隧道や峠で検索するとまずトップに来る。ミリンダ細田さんが「私、毎日見てますよ!」というサイトだ。

20101017-16.JPGたとえばこれ。吊橋。足を載せる板が一人分しかない。これはよくあるが、よく見ると、脇に1枚、板が沿えてある部分がある。これがなにかというと「行きちがい用の待避所」。すごい。みすごしそうだ。

20101017-17.JPGそして描き下ろしのイラスト。横山さん「なんでこんなにクオリティーが高いんですか」。たしか本職さんのはず。

(6)旧型道路標識(マフラー巻き氏
20101017-19.JPGこちらも四国の大御所、マフラー巻きさん。いわゆる「白看」好きは多いけれど、それはそこそこ現存しているから。ここではその前の時代、さらにその前の時代の標識についてひとしきり発表があったあと、この写真が出てきたのだ。

大正時代に、日本で始めて制定された標識。運輸省の前身、内務省の制定によるものだ。その事実が、道路大鑑(だったかな)に基づいて語られると、会場内はどよめいた。

なおこの画像、私はマフラー巻きさんのサイトかどこかで見た記憶はあったのだが、どこだったか思い出せない。

追記:いしぐろさんのサイトでした。元情報はマフラー巻きさん。

(7)農業用水路橋(ミリンダ細田氏)
20101017-20.JPGそして出演者のポイント。細田氏は、仕事の合間に農業用水路橋をすべて撮影し、それをすべてヨッキ氏にメールで送りつけているという。ときには1日30通くらいメールが来るらしい。

20101017-21.JPG実際、水路橋を趣味対象にしている人はごく少ないだろう。コンクリートのU字溝を組み合わせた簡易なものから、他の鉄桁を転用したものまである。

横山さん「どこに魅力を感じますか?」
細田さん「え? 魅力ですか? どこに魅力って…どこでしょうね???」(会場爆笑)
細田さん「最初は嫌いだったんですよ。でも、たとえば中学1、2年で嫌いだった女子を、3年になったら突然好きになったりするじゃないですか。それですよ」

どうやら最初は森林鉄道の軌道跡と勘違いして巡っていたらしい。やがてそれが誤りだと気づいたのだが、そのときには既に毒されていたということらしい。嫌いだと思っていたものを意識し始めるとそれが好きになる。深い。

いくつかの農業用水路橋の例が掲示され、解説されていく。ボーストリングトラスのものもあった。これについては「古い形式」と流されてしまったので、補足したい。写真を撮り損ねたので他の橋の写真で説明しよう。題材は福島県の松齢橋だ。
20101017-98.jpgこれは道路橋の例だ。ボーストリングトラスとは、一見、タイドアーチに見えるかもしれないが、部材が負担する力を考えるとトラス橋の一種である。簡単に言うと、通常のタイドアーチは分度器の形をしていて、アーチは軸方向に圧縮力、タイ(下部の直線)は引張力を負担し、それらを結ぶ部材は単に路床を吊っているだけだったりするが、このボーストリングトラスは、トラス部分にも圧縮力・引張力がかかる。

ボーストリングとは、側面から見た形状を、ボウ(弓)とストリング(弦)に見立てての名称だ。この形式は、開口面積を確保するために橋門構(画像に赤い点線で示したような部材だとお考えいただいて大きくは違わない)を設置できないため、この部分の強度が低くなってしまうという欠点がある。そのため、明治以降、九州や福島県で局地的に使用された以外はほとんど採用例はないのだが、水路橋や水管橋のように、開口部が狭くてもいい場合には、ボーストリングトラスもそれほど不利でもないのかもしれない。このへんはあくまで素人考えなので、専門家がいらっしゃったらご指摘いただきたい。なお、新潟県にこの橋のさらに特殊な使い方をした廃道がある(国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷))。

そして、大物がきました。
20101017-22.JPGキングポストトラス!

同時に「六郷川にクイーンポストトラスが…」という解説もあったが、おそらくほとんどの方は意味がわからなかったに違いない。まあ、橋の構造を解説するイベントじゃないしな。ここで補足したい。

このキングポストトラスは、もっとも原始的なトラス橋だ。見ての通り、ひとつの三角形でできているので、短い橋でしか使いようがない。簡単に言うと、/\部分を横に2分する|が__部分を保持する構造だ。/\には圧縮力が、__には引張力がかかる。このプレゼン時にあった「日本で鉄道が開業したときには同類のクイーンポストトラスが…」という説明については、画像をご覧いただいたほうが早い。こちらのサイトが鮮明だ。トラスが/Π\型になる。

さらに補足すると、1972年に新橋から横浜まで鉄道が開通したとき、橋はすべて木製だった。多摩川を渡る橋ですらそうだったのである。その橋が、クイーンポストトラスだったのは上記リンク先のとおり、事実。『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)の49ページに図面がある。
20101017-99.JPG斜橋(川を斜めに横切る)であるために、クイーンポストトラスに見えないかもしれない。鉄道の発展に伴い、早くも1875年には鉄製のワーレントラスに架け替えが決定され、1877年には2代目の橋が架けられた。わずか5年の命だった。2代目の錬鉄製の橋梁は明治村に保存されている(こちらを参照)。ハァハァ。3代目は樺島正義が作ったプレートとトラスの複合桁「牛の眠るような橋」、そして4代目がいまの桁だったと記憶する。ハァハァ。

ちなみにキングポストトラス、宮崎県の西米良村には、かりこぼうず大橋というスパン50mのキングポストトラスが2003年に架けられている。こちらに図面がある。こちらも参照。また兵庫県の六甲山にも、構造的には違うのかもしれないのだが、似たものがある。こちら。ハァハァ。


第三部。

実はこの時点で終了予定の21時だった、メインディッシュたる後述レポを外すわけにはいかない。急ぎ足で、でもそれゆえに高いテンションを保ったままスタート。栗生峠にまつわる話。画像では「数坂峠」になっているものもあるけれど、どちらも関わりがある話だ。
20101017-24.JPG20101017-25.JPG20101017-26.JPG20101017-27.JPGライブならではの後述レポは、ここにすべてを書くようなものではないので割愛させていただく。いずれORJなどで発表があろうが、畳みかけるようなトークに、会場の皆さんがぐいぐいと引き込まれていくのがわかる。固唾をのんで次の展開を見守る。決定的瞬間の前に、一度立ち止まってさらに説明し、じらすなど、これは山行がやORJでもあることだが、本当にうまい。そして最後、小林勘三郎翁のくだり、私は涙が出そうになった。「道への思い」がいかに強烈なものであったか……。同じように思った人は他にもおられるのではないだろうか。



終了後、サイン会。
20101017-28.JPGタオルにサインを、という方がおられて、その後はタオルへのサインが続いた。

20101017-29.JPG.

21時50分ころから二次会。本当は千葉のトークショーでやるはずだったレポをここで紹介した。
20101017-30.JPG

そして細田さん持参の「イソビタン」争奪じゃんけん大会を以て幕引きと鳴った。
20101017-31.JPG

ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。もっといろいろな展開もあるかもしれません。そうなることを願いつつ、次回に期待しましょう!


廃道の表情

廃道の表情

廃道

写真を撮るのは、早朝がいちばん楽しい。太陽が昇りきってしまうともう終了、でもいい。どうせ午後は雲が出てくるし。とはいえ廃道取材は移動も時間的制約もあるから、なかなかそんなふうにはいかない。「あそこに光があるけれど、1時間早かったらここに光が当たってたはずなのに!」という場面も少なくない。

そんななかで、美しい自然光が引き出す、廃道の表情をいくつかアップする。画像はサムネイルを拡大しているのでボケボケだが、画像をクリックすると別ウインドウでもっと大きな画像を閲覧できるのでぜひ。


20101013-01.JPG隧道周辺は、このように切通になっていることも多いため、なかなかその線形に沿って光が入ってきてくれたりはしない。だからこそ、廃道の舗装はやたら苔むして滑りそうだったりもするのだろう。

ここではやや右上からの光が路面、そして左側の壁面を照らしていた。

20101013-02.JPGその壁の一部。落石から道路交通を防護する金網の奥まで光が差し込んでいた。

20101013-03.JPG切り株が苔に覆われていた。まだエッジがあるので、それほど古い切り株ではなさそう。しかし、周囲は鬱蒼とした藪である。

20101013-05.JPG藪の向こうから我々はあるいて来た。振り返って眺めた先が、スポットライトをあてられたようになっていた。

20101013-04.JPGそして見上げて右を見るとあった木。枝は打ってあるが、はたしていつ打ったのだろうか。





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