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『ドキュメント 北海道路線バス 地域交通 最後の砦』(椎橋俊之)

『ドキュメント 北海道路線バス 地域交通 最後の砦』(椎橋俊之)


鉄道趣味誌において、従来とはまったく異なる取材・記述手法とグラフィカルなページ展開を開発し、その筆力で読者を魅了した『ドキュメント 感動の所在地』『SL甲組の肖像』の椎橋俊之さんの手による、北海道の路線バスの本。

取材の様子はFacebookでときどき拝見しており、本書を手に取るまでは、北海道のバス路線とバス会社を丹念に取材したドキュメント、つまり「読みもの」としての側面が大きいと思っていた。もちろんそれが根幹ではあるものの、退職した機関車乗務員たちや過去の現場の描写となる鉄道とは異なり、バスを記述すると、必ず、現在の路線バスの状況と、社会的問題への取り組みにぶち当たる。本書は前半の3分の2で路線バスをレポートしながらその問題を散りばめ、後半で問題を考察し、バス会社や地域、行政の取り組みを述べてゆく。

本書が「いま」刊行されたことが、記述をよりリアルなものにしている。近年、全国的にバス路線網は大幅な縮小傾向にある。この3月にも終了となったバス路線や大幅減便となったバス路線の情報、乗り納めがSNSを飛び交っていた。利用者の減少とともに、運転手の人手不足と労働環境が大きな原因だ。バス事業に関する確実な資料を提示しながら、そうした現状と事業者・行政がどう取り組んできたかを述べていく。

通学利用者がまだ相当にいて続行便まで出していたJR誕生直後(もう38年前だ)でもなく、バス会社を支えた長距離輸送がまだ堅調だったコロナ禍前でもなく、どちらの利用者も激減してしまった「いま」。加えて運転手の不足や労働時間管理という「バス事業」の労働の問題。後者はまだ解決の方法があるのではないか。

近年、公共交通の一つである鉄道も非常に環境が厳しく、解決策の一つにバス転換が話題に上がる。しかし、上記の問題があるのでかつてのように比較的容易に転換できるわけではないことは、「廃止反対」を唱える街場の鉄道趣味者の頭にはない。

本書の内容は、おそらくバス旅や辺境を旅する人たちは以前からよく理解していることだろう。だから、むしろ鉄道趣味者、とくにライトな層(ノスタルジック旅記事の見出ししか見ないような人)こそ、この「バスの本」を読み、公共交通についての知見を醸成すべきだろう。本書で書かれた部分はまだその問題のさわり(まだ路線が「ある」のだ)だ。

もちろん、そうした社会的な話だけではなく、本書のドキュメントは大きな旅愁を感じさせてくれる。「長距離バスの旅もしてみたい」と思うに違いない。私は個人的には座席が窮屈すぎるのでバスはなるべく敬遠するけれど、冬季の沿岸バスに乗ってみたくなった。

少しだけ希望を言えば、本文中の写真はもっと大きなカラーで見たかった。カバー写真が、冬季の薄明かりの中での凍てついた路面や周囲の空気をとてもよく伝えてくれているように、本文中に小さく掲載されているモノクロ写真も、しっかりと冬季を描写したもののはずだ。夜明け前、あるいは日没後の写真も何点かある。これらをカラーで、せめて2分の1ページ大で見たかった。価格が上がってもいいので、巻頭で16ページの口絵などとして見てみたかったな。

【目次】
第一章 真冬の路線バス――過酷な気象条件のなか北を目指す
第二章 自然とのきびしい闘い――今日も走る国鉄代替バス
第三章 生活バス路線を守る――道東・中標津町の闘い
第四章 道北を走る長距離都市間バス――札幌~枝幸298㎞、5時間半の旅
第五章 日本最北のバス路線――宗谷バスを走らせる人たち
第六章 人手不足社会への試行――自動運転バスはどこまで進化するか
第七章 DMVとBRT――バスの可能性を広げる試み
第八章 イギリスのバス復権――徹底したバス優先施策で利用客を呼び戻す
第九章 続く路線バス運営の試練――コロナ禍と2024年問題
終 章 バス運転手不足への提言

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『定本 日本の秘境』(岡本喜秋/ヤマケイ文庫)


現代においても、山間部の奥の奥、あるいは岬の先などに、「どうやって生活しているのだろう」と思ってしまう集落は無数にある。「ポツンと一軒家」のところもよく見る。自給自足に近い形で暮らしているところもあれば、街で暮らす私のような者には想像できない形の産業や経済が成り立っている場合もある。

本書の帯に躍るのは「昭和三十年代の日本奥地紀行」という文字。現代よりはるかにインフラの整備もなかった時代の、そういう場所はどんな様子だったのだろうか。都市でも観光地でもない、記録に残りづらい場所を記録している本書は、大変貴重な存在だ。戦後開拓者が入植して10年程度の地域の開拓民の感覚を載せていたりする。

とはいえ、本書を読むのは難しい。昭和30年代の鉄道や利用者を想像するのは、過去に刊行されている膨大な資料から、比較的簡単だろう。しかし、当時の、ものすごい速さで変化していく社会の感覚を想像することは、とても難しい。それでもなんとか想像をしながら読まないと、描かれている地域の住民の意識も、著者の意識も誤読してしまいかねない。また、現代の観点では「偏見」「思い込み」としかいいようのない描写も散見される。それも「そういう偏見があった、という歴史」として読んでいくしかない。



現代では当たり前のようにほぼすべての公共交通機関の情報、時刻表が瞬時に入手できるし、地形図も手元で即座に参照できるが、当時は「行ってみないとわからない」時代。著者は日本交通社の『旅』の編集者という、特権的に情報へのアクセスができる環境だったにも拘わらず、入手できる情報はわずかだった。電話で確認しようにも、電話もない。情報は、現地在住の知人に手紙で尋ねるという方法で入手している。まさに冒険であり、旅行者からしたら、そのような場所は「秘境」に見えた。

そんな場所でも、旅館はあった。すべて飛び込みでの宿泊だっただろう。当時はそういうことが機能していた。いまでも、「なんでこんな場所に旅館(の跡)が?」と思うことは、よくある。

本書の観点は「都会の旅人」である。旅人といっても、あの時代の登山をみっちり経験した旅人だ。だからかもしれない、「秘境」に夢を見て現地で近代化に失望する、という描写が散見される。読んでいて、鼻持ちならない表現も頻出する。

地域に優劣をつける。
自分が気にくわない場所をこき下ろす。田沢湖がもっともひどい。
蔑視、決めつけ。
「貧しい」という表現が頻出。
田舎は慎ましくあるべきという思想。
村人は素朴であるべきという思想。
「鄙には稀な」という表現。
ダムが地域を破壊する。地域にはお金も利便性も落ちてこない。

探訪した地域を「貧しい」と決めつける著者は、地域にどうあってほしかったのか。おそらくその言葉の裏には「戦後の近代以前の姿を見たかったが、間に合わなかった」という意識があるのではないか。そのためか、執筆は約10年間に及ぶため、立ち位置の揺れも見られる。

しかし、東京のど真ん中だろうと、東京から3昼夜かけないとたどり着けないところだろうと、そこに済む人は、等しく近代化を、経済的な豊かさを欲する権利がある。著者の視点はあくまで「旅人」の上から目線であり、地域の気持ちになってものを考えるということはない。自分が尋ねる場所には、明治時代のような生活をしている人たちがいるべきで、そこには電気やガスが来てはならず、鉄道もバスも来てはならない、と思っているように見える。図らずも、戦前に東北大学に進学できるような都会人の意識という「歴史」の一つが、本書には埋め込まれている。

紀行文そのものは、いい。これくらいの主観が入った紀行文はなかなかない。肩肘を張りすぎて少しこなれていない宮脇俊三といったところだ。



本書が取り上げる地域はこうだ。そのほとんどの地域を90年代に訪ねたことがあるが、その40年前にはここに描写されているような地域だったことを考えると、その変化はものすごいものだ。それから30年が立つが、光景としての変化は「1960年くらいから2000年くらいまで」の40年の変化に比べれば微々たるものだろう。

◎山
山頂の湿原美と秘湯 赤湯から苗場山へ
九州山脈を横断する 五家荘から椎葉へ
乳頭山から裏岩手へ 秘話ある山越え
◎谷
神流川源流をゆく 西上州から奥信州へ
大杉谷峡谷をさぐる 秘瀑の宝庫
アスパラガスを生む羊蹄山麓 地場産業の創出
◎湯
中宮温泉の二夜 白山山麓の動物譚
酸ヶ湯の三十年 冬の秘話
夏油という湯治場へ 奥羽山中の秘湯
◎岬
陸の孤島・佐多岬 四国の最西端
日高路の果て・襟裳岬 開拓民の連帯感
四国の果て・足摺岬 憧憬者の心境
◎海
千島の見える入江 早春の野付岬へ
四国東海岸をゆく 橘湾から室戸岬へ
離島・隠岐の明日 新航路への期待
◎湖
氷河の遺跡・神秘な小湖群 津軽・十二湖
木曾御岳のふもと 開田高原から三浦貯水地へ
長老湖と高冷地 南蔵王に生きる人々






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バイク林道ツーリングマップ(佐藤信哉・窪田京一/凱風社)


先日、凱風社の『バイク林道ツーリングマップ』3冊を譲り受けた。バイク好きでベイスターズファンだった方が、若くして亡くなった。その形見分けとしていただいたものだ。80年代の林道事情は、まとまった資料が乏しい。オフロードバイク雑誌かクロカン四駆誌の連載記事などを丹念にあたるしかない。

…と書いたが、オフロードバイクと対極にありそうな『ミスターバイク』に、佐藤信哉さんが「ファイヤーロードクラブ」という連載をしていた。90年代半ばは、2台のDT200Rでシンヤさんが走りに行き、シンヤさん手書きの地図とともに掲載していた。シンヤさんの軽妙な文章は、「路面の説明」でも「マシンのスペック」でもなく、とても楽しそうな旅の記述だった。この凱風社の本は、その連載の前身だったと思う。


 
この本がどれだけ優れ、どれだけの資料性があるかというのは、これをご覧いただければわかると思う。

 
GPSなどない当時、『二輪車ツーリングマップ』(マップル、でもいいが)の縮尺では、とても林道の入口はわからない。ところがこのマップの細かさといったら、Googleのストリートビューレベルの細かさだ。そして、舗装と未舗装が描き分けられている。

これらを誌面そのまま掲載するのは著作権的にアウトだとは思うが、掲載しなければ本書のすごさは絶対に伝わらないので著者のお二方にはどうかご容赦いただきたい。


この地図を描いているのは、酒の漫画で超有名なラズウェル細木さんだ。本書は「窪田京一・画」となっているが、これはラズウェルさんの本名。私も最初は気づかなかったが、唐突に『信州編パート1』にラズウェル細木さんの漫画が掲載されていて、「あれ?」と思ったのだ。右上、二筒がスポークホイール+ブロックタイヤ…(笑)

私は仕事でラズウェル細木さんのコミックエッセイの文庫化を担当したのだけれど、外部編集者(OB)にすべてをお願いしていたので、直接の面識はない。

 
 
私が今回入手したのは
(1)丹沢編 改訂版 1986年7月15日 改訂版第1刷発行
(4)奥多摩編 1986年4月30日 初版第1刷発行
(5)信州編パートⅠ 1987年6月15日 初版第1刷発行
だ。掲載している林道群は、上記を見て欲しい。「信州編」は、甲府北部など山梨県も多く含む。
ただ、ここに掲載している大多数の林道は、現在では舗装されたか、通行止めとなっており、往時のままなのは、川上牧丘林道ほか数えるくらいしかなさそうだ。とはいえ、これを眺めていると、舗装路でいいから走りに行ってみたくなる。

未入手のものは、
(2)富士山編パートⅠ
(3)富士山編パートⅡ
だ。これら「BIKEの本」シリーズは、自社広告によれば「ビニールカバー付」とある。私の手元に来た3冊はそれがないので、元の所有者が取り外したのだろう。ビニールカバーは、10年もすれば収縮して割れてしまう。そういうものだ。


* * *

 
同時に、この1冊も譲り受けた。『ザ・ベーシック・モトクロス』(石井正美著/山海堂)。1990年初版発行。レジェンド・石井さんによる、モトクロスの入門書。石井さんには『月刊ガルル』時代に大変お世話になった。当時、多くのテクニック本を手掛けている。


この本に、この未使用ステッカーが挟まっていた。このステッカーこそ、元所有者の青春なのだろう。本4冊も大切だが、このステッカーこそ、このままそっと私の手元で大切にしていきたい。

17th 学二連 FESTIVAL ENDURO
3, May, 1987, in S.P Saitama

S.Pさいたまというのはオフロードコースだろうかのちのオケガワ、HARP。「学二連」は学生二輪倶楽部連盟、関東・中部・関西などでそれぞれまとまって活動していたようだ。




















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『水路上観察入門』(吉村生・髙山英男)


「暗渠マニアックス」のお二人による、すごい本が出た。タイトルがいい。『水路上観察入門』。かの『路上観察入門』に1文字加えただけで、こんなに意味が変わるとは。実はタイトルは著者それぞれで意味が異なる。吉村さんは「"水路上"観察」であり、髙山さんは「"水"路上観察入門」。それぞれが「第1部」「第2部」となり、本書はそれらが半分ずつで構成されている。

書きたいことは山ほどあるが、個々の内容の紹介はきっと他の方々もすると思うので、「路上観察」の観点から書く。


※私は『片手袋研究入門』の石井公二さんと、いわゆる「路上観察」界隈のお話を聞く「都市のラス・メニーナス」という配信をしているのだけれど、その流れです。

※私自身は「路上観察」というと、初出から40年近くが経って当時の社会情勢を前提としない解釈がほとんどとなり輪廓がぼやけてきたこと、また「路上」に限らないものへも同じまなざしを送ることから、内海慶一さん提唱の「都市鑑賞」と言っています。しかし、本書の書名からして、ここでは「路上観察」と書きます。


まず、本書を手に取った方は、吉村さんの「はじめに」と髙山さんの「おわりに」を読んでほしい。本書のコンセプトは、林丈二さんの慧眼から発している。林さんは(きっと)すでに何十年も前に、「暗渠と路上観察」を一言で言い表す答えを用意していたのだ。日々、いろいろなものを見て、それについて考察している我々が掴めていない、はるかな高みからの視点を与えてくださった。



お二人に限らず、たぶん、好きなものに夢中になり、それをアウトプットしている方々は、それが、外から見たらどう定義されるものなのかというのは考えない。考える必要がない。他人に説明する義理もない。でも、林さんの言葉をきっかけに、吉村さんは自身の関心が「"水路上"観察」であることに気づき、髙山さんは「"水"路上観察入門」だと気づいた。その気づきをもって、お二人がご自身の活動を「路上観察」の観点で捉え直したものが本書だ。

いままでのお二人の活動は、私が見てきた範囲では、外部からは地図・地理系の視点で見られることが多かったと思う。東京カルチャーカルチャーに登壇されたのは「地図ナイト」であり「スリバチナイト」だったし、雑誌『東京人』での特集もその系統だった。

* * *

吉村さんの「"水路上"観察」と、髙山さんの「"水"路上観察入門」。乱暴にまとめれば、吉村さんの視線は、人の介入を含んだ歴史であり、水路ありきだ。一方、髙山さんのはそれらをいったん捨象してパーツにバラしたあとで整理したものだ。



吉村さんは、一定の基準で集めはするけれど、その個々を定義づけて分類したり分類の基準を語ったりはあまりしない。「どうぞ」と一斉に公開する。鑑賞に委ねる。村田あやこさんの「路上園芸」と似たスタンス。


端的なのが「自前階段」。あまりに「ありもの」を現物合わせで置かれているものなので、そもそも規格も基準もない。でも、そこに惹かれるのが、吉村さん。
 

髙山さんは、イベントでのプレゼンでもそうだが、マトリクスやフレームワークを多用する。見たものをどこかに分類する。人為は鑑賞の添え書きとはならず、人為までもがいったん数値化される。これは、石井公二さんの「片手袋研究」と似たスタンスだと感じる。



そのスタンスでいえば、髙山さんの「誰もが心の中に暗渠を抱えている」という言い回しは、石井さんの「あらゆるものは片手袋である」という考察結果と共通するものを感じるし、一見、分類しやすそうな「暗橋」(あんきょう=暗渠に残る、かつて水路に架かっていた橋の痕跡)でさえ、フレームワークからはみだすものが多いと書いているのは、石井さんが、片手袋で分類できるのは2割くらいだと言っているのと共通する。

マニアは、ものごとを知れば知るほど「知らない」ことを認識する。いろいろな「無意識による顕れ」を定義づけようとすると「定義できないことのほうが多い」という点に収斂していくのは、考察の深さの結果だ。


(石井公二「かたてブログ」より)

* * *



先に「お二人の活動は、私が見てきた範囲では、外部からは地図・地理系の視点で見られることが多かった」と書いたが、「暗渠」は、地図・地形ファンにも、路上観察ファンにも強い訴求力を持つ。暗渠は「境界をつくるもの」ではあるが、境界は、両側から必要とされるものでもある。私がいま思いついていないだけで、また別のものとの境界になっているかもしれない。そうしたことを考えるのはおもしろいし、自分や界隈の視点そのものをさらに俯瞰する視点を与えてくれる。

そういえば、私が「ドボクファン注目の30橋」という記事で参加した『東京人』2020年7月号「特集:橋とドボク」に、髙山さんの「 『暗橋』探訪 かつての橋の欠片たち」の記事があり、驚いた。驚いたというのは、この特集はドボク界隈の視点(+人文系)だとばかり思っていたからだ。そこに、地図・地形界隈と思っていた、暗渠からのアプローチ。こういうまとめ方があったか!と楽しく拝読した。

また、同じく『東京人』2021年3月号「特集:階段で歩く東京の凸凹」に、吉村さんの「暗渠にくっついた、愛しき階段」がある。これらは『東京人』編集者のTさんの発案だと思うが、Tさんもまた、『東京人』各号の特集を通じて、こうした境界を認識し、乗り越えさせてくれる重要な役割をいつも担ってくれていると改めて尊敬の念を抱く。

* * *

本書のサブタイトルは「まち歩きが楽しくなる」である。暗渠そのものの情報ではなく、暗渠に散らばっているいろいろなこと・ものをまとめたものだ。だから、いままでは地図・地形に興味がなくて暗渠は「ああ、あるね」くらいのスタンスだった、路上観察が好きな方にこそ見て欲しい。そこにはきっと、「あ、そのまなざし!」と自分と同じものを感じ、自分で言葉を継ぎたくなる記述が山のように見つかるはずだ。


* * *

おまけ。


古戸越橋は、たまたま撮っていた。2014年の撮影。この橋は2016年にしながわ中央公園に移設されたとのこと。

 
新潟市の万国橋のすぐ西にある暗橋。たしか銘板はなかった気がする。

 
鶴瀬の扇田橋。

あと、「唐突にある謎の池」、思い当たることがある。髙山さんもブログ「暗渠ハンター 練馬の谷一気攻め①羽沢支流のトタン塀」で書いている羽沢支流。

この羽沢支流の暗渠道を、亀が這っていたことがある。このあたりのおうちのお庭に池があり、亀がたくさんいて、たぶんそれが逃げ出したもの。そこのお宅を訪ね、無事に返すことができた。吉村さんの「謎の池」は、それが裏付けのある論かとかそういう話ではなくて、とてもおもしろい見方だと思うし、実際にそう感じてくる。きっとそれも、ものすごくたくさんの暗渠を見たからこその顕れだし、そういう直感は、たいていの場合は正しい。今後、暗渠に入り込んだときは、この観点が必ず脳裏に浮かぶことになるだろう。











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メトロタシケント METRO Тошкент(夜長堂+大福書林)


「ウズベキスタンのタシケントの地下鉄」と言われても、タシケントはおろか、ウズベキスタンの位置もうまく思い浮かべられない。「…スタン」だから、パキスタンから北に連なるあのへんかな…。北緯41度、東経61度あたり。内陸も内陸、ウルムチとジョージアの間あたり…。


タシケントはウズベキスタンの首都。旧ソ連。いま、旧ソ連の都市への旅が増えている気がする。そういう書籍や同人誌も増えている。本書は、ウズベキスタンの、それも地下鉄駅の意匠に限った本である。


タシケントの3本の地下鉄路線。そのすべての駅を掲載している。旧ソ連独特のテイストがグッと詰まっているに違いない。


「地下鉄駅が好きだったらウズベキスタンがいいよ」こんなセリフを言えるほど、多くの都市を知りたい。


駅の野暮な解説はない。鉄道ファン向けの知識もない。ただひたすら鑑賞する。ボドムゾール駅。


こんな駅が自宅最寄り駅だったらいいな。でも、やっぱり飽きるのかな。コスモナウトラル駅。


ドームが連なる。アリシェール・ナヴォイ駅。


いろんな意匠。


駅名標も、可読性など置いてけぼり。パフタコール駅。


帯の表4側には「宝石箱のような」とある。「宝石箱」を見たことはないが、TIFFANYのネックレスが入った箱なら見たことがある(ぼくが買ったりもらったりしたものではなく)。ちょうど、コスモナウトラル駅のような色合いの、美しい小箱だった。「宝石箱のような」という形容で、思い浮かべるもの、つながる誌面は人によって異なるだろうけれど、だからこそ「宝石箱のような」なんだろうな。

オールカラー、表2・3までカラー印刷、144ページ。これで本体1800円は安すぎる。

直販ページはこちら。
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カストリ雑誌創刊号表紙コレクション(西潟浩平著/カストリ出版)


「カストリ雑誌」という言葉は、高校の日本史で習ったような気がする。カストリ焼酎の「3合でつぶれる」にひっかけて「3号でつぶれる、粗悪な紙に印刷された、エログロ雑誌」というような形で。

そんな「カストリ雑誌」の創刊号(出版業界では「創刊」は雑誌コードを取ったものに使うので、「創刊」にはいくつもの意味があることにご留意いただきたい)の表紙を116冊分掲載し、分析を試みたのが、本書である。購入はカストリ書房およびサイトより可能
 

「表紙だけを集めても、中身がないと…」とか「資料性はあると思うが…」などと思うことなかれ。多くを集め、同じ距離感で眺めることで、見えてくるものがある。それは『街角図鑑』しかり、私が尊敬する方々の収集(具体的にモノを集めるという意味ではなく、同じカテゴリを見続けるという意味)で、私たちは十分に感じている。

まずは、116冊におよぶ表紙を眺めて欲しい。私がそこで気づいたのは「昭和23年5月創刊が、やたら多くないか?」ということだ。

次いで、タイトルや表紙に謳われた惹句を眺めて、ああ、この時代にはこの単語がそういうイメージで使われているのか、ということも大いに感じ取ることができた。当たり前だが、性に関する意識、行為ともに、現代とは比較にならないほど「幼い」とでもいおうか、そういう時代である。

これは、イラストやデザインの知識がある人はそちらが気になるなど、各人の素養に大きく左右される部分があるだろうが、とにかく一通り眺めることで、カストリ雑誌の表の意図と裏の意図、あるいは志まで感じることができる。



巻末には、編集・発行者であるカストリ出版の渡辺豪氏による「カストリ雑誌小研究」と題された付録がある。創刊タイトル数、価格分布、ページ数分布の推移がグラフになっており、前述の感想は、まさにそのとおりだった。我ながら、直観がなかなかいいところを突いていた。


その付録の資料性は高く、収録された創刊号のタイトル、版元、創刊号の目次などが詳細に記されている。大日本印刷、共同印刷という、日本を代表する印刷会社も関わっている。

また、私はこれまでカストリ雑誌について解説された記事すら読んでいなかったが、付録を読み進めるにつれ、冒頭に書いたようなイメージがすべて誤りだったことを知る。

巻末に、渡辺氏による「カストリ雑誌とは何か」という解説がある。私は先に、116冊の表紙を眺めることで「カストリ雑誌の表の意図と裏の意図、あるいは志まで感じることができる」と書いた。私にとってはこの解説は、私の感想をもっと高みから俯瞰して分析し、考察し、定義し、あるキーワードとともに、現代の我々の感覚に直接呼びかけてくるものにしてくれた。ものすごく腑に落ちる解説だった。そのキーワードは、他の芸術界隈でも、時に、いや、よく耳にする言葉である。

* * *



2015年9月、東京・池袋の東京芸術劇場ギャラリー1にて「戦後池袋 ヤミ市から自由文化都市へ」という展示が開催された。そこで多くのカストリ雑誌が並べられ、自由に手にとって見ることができた。こういう場所と、カストリ書房に出入りする人たちが結びつくといいなと思う。芸術劇場に行った人でも、カストリ書房を知らない人、『カストリ雑誌創刊号表紙コレクション』を知らない人はものすごく多いだろう。そこが結びつきますように。


●関連項目
『秋田県の遊郭跡を歩く』(文・小松和彦/写真・渡辺豪)
『遊郭を行く1976』(遠藤ケイ)
『御手洗遊郭ものがたり 女は沖を漕ぐ』(黒川十蔵/カストリ出版)




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『御手洗遊郭ものがたり 女は沖を漕ぐ』(黒川十蔵/カストリ出版)


遊郭関連書物を精力的に発掘・復刻・編集・販売するカストリ出版から、初めての文芸作品として刊行された。

私は、ミステリーというものは、物語を成り立たせるために特殊な殺人や状況が設定されていたり、ダイイングメッセージみたいな中途半端な仕掛けがあったりという「たくさんのすれ違いというお約束」の上に成り立っていると思っているので、基本的に敬遠している。本作品は「遊郭もの」ということでぜひ読んでみたいと思っていたが、「遊女ミステリー小説」と銘打っているので、少し構えつつ読み始めた。ところが、さにあらず。コナンみたいな「お約束ミステリー」とはまったく異なる、大河ドラマのような、長い、厚い物語だった。

舞台は大崎下島。そこの、昭和史である。読み進めるごとに、おもしろさに引き込まれていった。文章や台詞回しなどは荒削りで、描写も少しステレオタイプな部分があるのに引き込まれるということは、それだけ、物語で大崎下島と御手洗遊郭、そこにまつわる人びとが生き生きと描写されているということだ。

おもしろいと思ったのは、市会議員、県会議員という設定である。こういう設定は、地域に根ざしていないと出てこないのではないか。著者は福山に大きな関係があるようだが、そういう感覚がこの設定を生み出し、物語の設定を実感あるものにしていると感じる。福山、広島、三次といった、広島県の地方が出てくることも、功を奏している。

設定といえば、フィクションとノンフィクションの境目が曖昧というか、実在の人物や実際のできごとが、架空のそれらと非常にうまく噛み合っている。登場人物はみな故人かと思いきや、冒頭のプロローグのとおり、そうではない。考えてみれば当たり前のことだが、「いまも、そういう人たちがそういう記憶を持って生きているんだ」ということを読者に認識させることが、本書の意図なのかもしれない。

* * *

大崎下島には行ったことがなかったが、行かねばなるまい。

【追記】2018年1月、行きました。
大崎下島・御手洗の菱形
芸予諸島の道路風景


【関連項目】
『遊郭を行く1976』(遠藤ケイ)
『秋田県の遊郭跡を歩く』(文・小松和彦/写真・渡辺豪)







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『遊郭を行く1976』(遠藤ケイ)


『キジ撃ち日記』の遠藤ケイ氏が、こういうテーマで書いていたのはまったく知らなかった。そして、新潟県出身ということも知らなかった。特に後者は個人的に、勝手にシンパシーを感じてしまう。
 
1976年に『ビッグコミック』に連載されたものを、大幅加筆の上、カストリ出版が改題・復刻したのがこの本だ。カストリ出版は遊郭に関する資料を刊行している出版社で、こうしたジャンルに世間の関心が確実にあることを証明してくれている。未訪だが、吉原には関連書籍を販売する実店舗・カストリ書房がある。

本書は、北海道から九州まで、著者が遊郭跡を訪れ、時に適当に店に入り、縁をたどって関係者に話を聞き、あやうく引きずり込まれそうになり…というレポートで、文章を中心に、イラストや写真が添えられている。2017年現在からだと1958年の売防法は59年も前のできごとだが、このレポート取材時はまだ17~18年しか経っておらず、色街の中、あるいは近くの飲み屋でその流れを残している女性達は、まだ30代だったりする。そのやりとりのシーンは、私の中では『トラック野郎 熱風5000キロ』の、階上がそういう部屋になっているスナックと二宮さよ子のイメージで再現される…が、もちろん、というか、二宮さよ子ではなく、もっとずっとアレな感じだったようだ。なにしろ、著者は、向こうからカマをかけられるとその店から退散してしまうのだ。

ここが絶妙で、きっと、殿山泰司ならそのままやっちゃったみたいな描写になるに違いない。しかし、遠藤氏はいたさない。実際にどうだったかなんてどうでもよくて、こうすることで、下ネタレポートに陥らず、逆に読み応えのある紀行文となっていく。全国にまだ色濃く残っていた色街の成り立ち、街の構成、中心街から微妙に外れた位置にある、曖昧な性格の飲み屋やその建物、中で働く女、それぞれが、その地域の雰囲気とともに、もう手の届かない懐かしさをもって迫ってくる。

巻末には、カストリ出版の渡辺豪氏による著者インタビューがある。これが貴重で、当時の「遊郭を取材する」ということがどういうことだったのか、どのように行われたのかが証言されている。それは、出版界、そして世間が相当にゆるやかだった時代の描写でもある。本書にはそういう「佳き時代」のテイストがあるが、決して古くさく感じないのは、いまなお色街の残照が全国各地に残っていて、それは隠すべきものではなくてきちんと向き合って記録していこうというような、健全な(色街にとっては迷惑かもしれない)流れができつつあるからだろう。

私の生まれ育った新潟のシモ、その小学校の校区で友人がたくさん住んでいた地区が遊郭だったことを知ったのは、わず数年前だ。たしかにそこには、なぜか旅館がいくつもあり、妙に派手な木造建築があり、ストリップがあり、怪しげなビルがあり、質屋があった。そこが本町遊郭だったと私が知らなかったのは、当時は周囲も親も隠す方向だったからだろう。本書に本町遊郭は登場しないが、私が幼少時の頃のその一角は、本書に書かれている15の街のどの雰囲気に近かったのだろうか。


【関連項目】
『秋田県の遊郭跡を歩く』(文・小松和彦/写真・渡辺豪)
『御手洗遊郭ものがたり 女は沖を漕ぐ』(黒川十蔵/カストリ出版)
























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『秋田県の遊郭跡を歩く』(文・小松和彦/写真・渡辺豪)



私が通っていた小学校の校区内、とてもよく知る場所が遊郭だったのを知ったのはわずか数年前だ。そこにはかつてストリップ劇場はあったし、あやしげなビルはあったし、旅館もいくつかあった。知人に旅館の息子もいた。子供ながら、なんだか不思議な空間であるとは感じていた。近くには特殊な様式の民家もいくつもあった気がする。遊郭部さんのブログ『十四番町遊郭に泊まってみた・新潟県同市「福田旅館」』近辺である。

そんなこんなで、いろいろなご縁もあり(端折りすぎか)、また、東北は大好きでよく行くことから、『秋田県の遊郭跡を歩く』を興味を持って開いた。まっさきに、この8月にも訪れた五城目を読んだ。あんなところにあったのか。遊郭が。

他の章も、そんなふうに「こんなところに…?」と感じる場所ばかりだ。著者の小松氏も書いているが、「かつて賑わっていた街」かつ「いまはその産業が衰退して老人ばかりの街」に、いろいろな偶然が重なり、遊郭跡が残っている。そこを、急ぎ、かつ丹念に周り、証言を集めている。そしてそれを、文芸作品たる紀行文としても読み応えのある丁寧な文章で綴っている。

聞き取りも撮影も、いまとなっては時間との闘いだろう。赤線があった頃に大人だった人は、ほとんどが80歳を超えている。本書の取材中にも、それを実感するできごとが起こる。「間に合った」のか、間に合わなかったのか。両方だろう。それでも、それがこうして書籍の形をとってくれたことで、片鱗を知ることができた。



面白い考察がある。鉄道の開業で秋田の産業は活性化したが、同時に東京で働く秋田の出身の娼妓の激増ももたらしたという。そのような「気づき」が、本書では、昭和中期、そして平成中期の二段階で、さらになされている。詳細は書かない、ぜひ本書を読んで欲しい。



本書は、渡辺豪氏の写真もすばらしい。私の好きな、超広角が多用された構図で、しかも切り取られている。いろいろな事情もあって建物ズバリを写せないからこういう撮り方になるのかもしれないが、とても本書の雰囲気にあっている。

写真は最初、一瞬、2色印刷でうまく雰囲気を出しているのかなと思ったほどに作り込まれている。25倍ルーペをあててみたら、4色分解で製版されていた。とても贅沢にカラー印刷を使っている。小松氏の文章と補完し合い、見事な一冊となった。



私的な余談を。

母方祖母は地主の娘だったが、芸者になりたいといって出奔し、同じく軍人家を飛び出した祖父と一緒になって貧乏暮らしから始まったと聞く。「芸者」とは聞いたが、それは、言葉を飾ったのだろうか。本当に意味するところは、もうわからない。その祖母は、柏崎の祇園祭りでクルマの山車に乗り、三味線を弾いていた。祖父は私が幼少の頃に、祖母は高校生の頃に亡くなった。

花街太郎さんのブログに、新潟県柏崎市(旧新花町遊郭)がある。



もう一つ、余談を。

潟上市昭和大久保の章で、大正14年、摂政宮(のちの昭和天皇)が、大久保駅からトロッコに乗ってオイルマネーに沸く豊川油田をご視察されたことが書いてある。『昭和天皇御召列車全記録』(日本鉄道旅行地図帳編集部編/新潮社)を繙いてみよう。

大正14年10月11日から25日まで、「山形・秋田・宮城県行啓」というスケジュールが載っている。その10月16日の項に、秋田駅→機織駅(現東能代、秋田木材訪問)→大久保(日本石油豊川鉱業所専用トロッコ乗車」→秋田、という行程が書かれている。写真は「今でも「燃える土」は見ることができる」に掲載されている。


【関連項目】
『遊郭を行く1976』(遠藤ケイ)
『御手洗遊郭ものがたり 女は沖を漕ぐ』(黒川十蔵/カストリ出版)



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『燃料電池自動車のメカニズム』(川辺謙一著)


本書は「燃料電池自動車の…」と銘打ってはいても、それがメインではあるが、モーターで動く電動自動車全般について、現時点で俯瞰し、それぞれの長短をまとめた本。ミライ(FCV)、リーフ(EV)、プリウス(HV)といった「電動自動車」、そして比較対象としてガソリン自動車が登場する。

本書では、まず、ミライの加速感やレスポンスのよさ、コーナリング特性などが、読者が試乗していると感じられるように書かれている。そして、その理由が構造にあることを説明し、こんどは構造そのもの…構成部品とエネルギー源についての説明をしていく。私は20年ほど四輪駆動のワンボックスディーゼル車に乗り続けているので、普通のガソリン車などに乗るとその曲がりやすさにびっくりするのだが、電動自動車の運動特性は、おそらくそれよりさらに印象的なものになるのだろう。電動自動車に、そんな「乗りこなす楽しみ」があろうとは想像もしなかった。純粋に「新しいタイプのビークル」として、乗ってみたいという興味が湧く。

全般に、説明はとてもわかりやすい。それは、なるべく特長を単純化して長短を描く、という書き方にある。「なぜここにこの部品が使われているのか」「なぜこのエネルギー源なのか」「なぜこの駆動システムなのか」が、言葉で説明されている。化学式などはほとんどなく、記載されている理科的知識は中学レベルくらいか。それすら忘れていたとしても、十分読みこなせるはずだ。

また、トータルコストや、そもそも電動自動車を作る際にガソリン自動車よりも余計にエネルギーを使ったり環境負荷を増大させたりしないのか、ということまで検証されている。本を「商品」として考える時、こうした時事的な情報はあまり載せないものだが、そもそもミライやリーフという車種を採り上げているので、そこだけ普遍性を持たせても仕方がない。だからこそ、2016年という今の時代を反映したワンテーマ新書としての思い切りのよさを感じる。そして、実は、5年後、10年後に、2016年にこの本が出たということに、意義が出てくるものだろう。

カバーには、サブタイトルとして「水素で走るしくみから自動運転の未来まで」とあるが、自動運転についてはページ数は少ない。こちらは「ハード」ではなく「ソフト」だからだろうか。自動運転については、例えばゼンリンが国内の道路の3次元データをかなり詳細に取得してデータ化しており、そうしたデータをもとにソフトがクルマを動かすことになる。本書は「ビークル」の説明を主としているので、ソフト面は主題からずれてくるかもしれない。それはそれで、専門の本が出るべきだとも思う。

年々、排ガス規制の厳しさは増している。だからこそ、電動自動車がもっともっと安価になり、個人的には、ハイエースに早く安価に搭載されることを願う。


●関連項目:川辺さんの本
『鉄道をつくる人たち』(川辺謙一著/交通新聞社)
『鉄道を科学する 日々の運行を静かに支える技術』(川辺謙一著)
『図解・首都高速の科学』(川辺謙一著/講談社ブルーバックス)
『東京総合指令室』(川辺謙一著/交通新聞社新書)

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