九十九里の桟橋にいたバージの側面に、60度ほどの同心円が刻まれていた。そこに垂れた鎖が刻んだ溝。それほど長い年月でもないだろうが、それでもこうなってしまうほどの揺れ、風に晒されるということか。 ●関連項目 大滝工務店「いわき」の起重機 PR 大滝工務店の押航多目的起重機船「いわき」。巻揚力150トンの浚渫・砕岩兼用船だ。 その起重機(クレーン)の回転部分。台座との間にはコロの役割円筒の上面を小さな車輪がびっしりと並ぶ。台座上面の鍔の裏に引っかけるようにして車輪がある。旋回の動力源と直接の機構はなんなのだろうか。機器室上部に煙突が見えるので、ディーゼルエンジンを搭載しているのだろうとは思うが、その先が、ミッションなのか油圧なのか電動なのか。 乾板には浚渫用のグラブが置いてある。ここでは消波ブロックを搭載し、それを据え付ける作業でもするのだろうか。 「いわき」の特徴は、その後部にある。本船には推進用動力はないので、移動する際にはプッシャーに推してもらうことになる。プッシャーの舳先を押しつけるためのU字型の構造がある。 この押航多目的起重機船「いわき」の諸元と図面はこちら。 http://www.otaki-komuten.com/crane_barge.html
日帰り佐渡ツーリングの帰りの便は、おけさ丸だった。両津では船首から乗り込む。
美しい。 バイクは船尾まで走ってそこで固定された。タイダウンの油染みが年期を感じさせる。甲板はそれほど傷んでいない。 振り返れば車輌甲板。まだクルマは乗ってきていない。 そして。 新潟港着。船尾から出る。 マラソンランナーたちは、この便より1本前の便で大多数が帰ったようで、今度は2等船室でゴロ寝することができた。 ●関連項目:佐渡汽船 ときわ丸のディテール
2014年4月8日、佐渡汽船の新潟~両津港路にときわ丸が就航した。それまでの佐渡汽船の船体と異なり、青く塗られている。4月27日にバイクで乗船した。
フェリーターミナルまで自宅から徒歩でも行けるくらいなのだが、早朝、家を出るつもりだった時刻に目覚めてしまった。一瞬で身支度し、バイクに荷物を積み、20分後にはフェリーターミナルにいた。 でかい。総トン数5300トンなので、北海道航路などよりは小柄ではある。このクラスだと、かつて乗った東京~那覇航路がこれくらいか。(この写真は両津港にて) 新潟港では、船尾から乗る。 航走の醍醐味は車輌甲板。まだ塗料の臭いがすごい。 ちゃんとバイク置き場もあるのが嬉しい。 タイダウンもチョック(輪留め)も新しい。たぶん未使用。 船尾のゲートは閉じるとこうなる。 この甲板が、これから10年、20年と使われていく。おそらく20年以上後、60を過ぎたぼくが、またこの甲板に入るはずだ。 これはなんだろう? 両津港では船首から降りる。 この日、佐渡でマラソンが行われるということで、早朝の便はごった返していた。新しい船だけあって、ホテルのように気持ちがよかった。
第一武智丸、第二武智丸という。よく見ると、船の形をしている。
wikipediaの項目および検索すれば詳細を記したサイトがたくさんあるので、詳細はそちらに譲る。 船体は防波堤なのだが、(おそらく)釣り人用に通路が造られ、安全に歩ける。 2隻はこれくらいの位置にある。見ればわかるとおり、鋼材を骨に、船体をコンクリートで造っている。 船首は鋼鈑で固めてある。律儀に、それに続く堤防はそこを切り欠いてある。 船首を内部から見ると、鋼鈑の裏をコンクリートで打ってある。二つの穴は、錨のためのもの。甲板から管でつながれていたようだが、意図的に削られたか、欠けてしまっている。 甲板、船首から船尾を見る。 船体内部はコンクリートの骨組みがあるのだが… 一部の梁は木材だったようだ。これと並行する部分も同じだろう。 船上に立つと、このコンクリートの塊が本当に浮いていたのか…と不思議な感覚と、これが戦争の落とし子なのか…という思いにとらわれる。もしこれが鋼製だったり、あるいは戦争と関係なければ、感慨もまた違うはずだ。また行きたい。 |
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