北恵那鉄道が木曾川橋梁を渡って右岸へ行き、すぐに支流をまたぐ。そこにかかっているプレートガーダー。支流の名前はわからない。車道も橋で渡っているのだからそこに明記してあると思うのだが、まったく私の目は節穴である。
地上の橋脚は角型で石積だ。上に残る橋桁は、レールも枕木もないので天に抜けている。 川の中に立つ橋脚は円柱。水の流れに対応するためだろうか。写真を見る限りは橋脚の位置を工夫すれば川の中に橋脚を建てなくてもいいような気もするが、周囲の地形をよく見ていないので、ここも節穴である。 この周辺、廃線跡はわかりやすい形で残っている。Yahoo!地図を見ても、ちゃんと線形や橋の位置がプロットしてある。地図を貼ると思いので、リンクで。 http://yahoo.jp/aaXBxI
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県) 上越線 第五利根川橋梁(群馬県) 上越線 第六利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県) 上越線 第七利根川橋梁(群馬県)の次の橋 上越線 第八利根川橋梁(群馬県)の続き。 利根川に沿って遡ってきた上越線は、湯桧曽駅の手前で上下線が別れ、上り線は利根川の支流、湯檜曽川に沿ってさらに遡る。ここと、土合の先で2回、湯檜曽川を渡る。 上越線開通時は単線だったので、いまは上り線となっているそのふたつの橋も、高崎方から第一、第二と名称がつけられている。第一湯檜曽川橋梁は3連のプレートガーダーで、ご覧の通りの石積の円柱橋脚がすてきな橋だ。 上の写真は、一度橋をくぐってから振り返って撮っているが、水上から国道291号を登っていったときに目にするのはこんな光景だ。 左下(手前)が水上駅・湯桧曽駅方、橋を渡って対岸が土合方。この角度では、湯檜曽のループ線の「上」も見えている。 手前に見えるかわいい吊橋は稿を改める。 ご覧のような、立派な石積円柱橋脚。対岸の基部を見るとわかりやすいのだが、基部はコンクリートで補強されていて、そこが赤く塗られている。 架線柱は橋脚に取り付けられている。まるでUFOキャッチャーのアームがプレートガーダーごしに橋脚をつかんでいるかのようだ。 桁を完全にくぐって、角度を変えて。 架線柱と橋脚の関係。 真横から。これは第2連。上流側に塗装標記と銘板。それを見ると、「第一」という橋梁名も、3連の数え方も、建設時の基準(高崎方から数える)を踏襲しているのに、「位置」は土合湯檜曽間137K895M61」とある。銘板は鉄道省規格だろう。 高崎方の橋台。コンクリート製。翼壁は石垣。 さて、この湯檜曽川を渡る国道291号の橋。一見、なんの変哲もない橋。しかし、そこに刻まれる「縣界へ十六粁四」の文字。これは、清水国道の名残だ。詳細は「山さ行がねが」の清水国道の項目を熟読されたい(湯檜曽橋の記述は『廃道本』にもある)。廃道ファンや国道ファンにはよく知られた道なのである。 渡りながら、対岸の橋台。こちらもコンクリート製…の大部分は見えず、その手前が整備されて化粧板が張られている。 対岸。親柱の銘板とともに振り返る。「ゆびそはし」。ここから支線を上げたのが、この記事冒頭の写真。だ
* * *
この第一湯檜曽川橋梁は、道路とのクリアランスが比較的少なく、かつ真横から見ることができるため、ここを列車が通過する際の迫力はすさまじい。深夜にEF64重連の貨物列車が通過するのを見たことがあるが、ありえないくらいの騒音と迫力だった。これはぜひ体感してほしいと思う。
上越線 第一利根川橋梁(群馬県)
上越線 第二利根川橋梁(群馬県) 上越線 第三利根川橋梁(群馬県) 上越線 第四利根川橋梁(群馬県)の続き。 上越線の岩本付近、国道17号を山側に線路を並行させつつ北上すると、こういう形で国道をオーバークロスする橋桁が見える。 手前が第五利根川橋梁の下り線、奥が上り線。どちらも鈑桁だが、下り線は石積の円筒橋脚で上りは円筒PC橋脚だ。 上下線の間に入るとこんな。 一歩前に出ると、利根川が見える。撮影したのは豪雨の後なので、川の水が多く。しかもとても濁っている。 架線柱…ではなく、画面左にある架線柱のようなものはなんだろうか。いまは電線が張られていないので、使用されていないようだ。 下り線の円筒橋脚。こちらは石積。桁下は16mほどはありそうだ。赤いテープは限界の水量だろうか。 上り線の円筒橋脚。こちらはPC。どちらも橋脚上部に点検用の回廊を持つ。 下り線の橋台。石積+コンクリートだ。 上り線の橋台。コンクリートだ。桁の裏側を見ると、下り線(古い)は単に左右の主構をつなぐだけに見えるが、新しい方は綾になっている。 上り線を内側から。 橋の向こうに出て振り返る。こう見ると、上越線はずいぶんと高度を上げている。後年の造りになる関越は、さらに高台を走っている。 この第五利根川橋梁は「歴史的鋼橋集覧」にもない。上下線とも水上方に銘板がついているが、何年どこ製か、確認できなかった。 (続く) 上越線の下り列車で、土樽駅を出るとすぐに渡るのが、この毛渡沢橋梁(けどさわ)である。下り列車の場合、上り線が見える。その上り線は、美しい緑色のプレートガーダーと、石積の円柱橋脚である。 奥の上り線が鈑桁+石積橋脚、手前の下り線がPC桁+PC橋脚という、見るからに建設年代の差がわかるつくりが興味深い。画面右が土樽方向、画面左が越後中里方向。 下から見ることもできる。 土樽側の橋台に登れば上れると思うが、私は冬期の積雪期にしか登ったことがない。高さがあるので、もっと登らないときれいな写真は撮れない。 ゆるやかなカーブを描いているが、鈑桁それぞれは直線だ。その上に、曲線の線路が乗っている形になる(半径はいくつだっけな…会社には資料があるんだけれど)。 この堂々っぷりは、このように下から見上げないと実感できないかもしれない。例えて言うなら、北海道の牧場にある(けれどもいまはほとんど使われていない)サイロ。あるいは、カントリーエレベーターのサイロ。あるいは丸山ダムのバッチャープラント跡。 なお、数字がペイントしてあるが、これは高さではなく、天端から数えた石積の段の数。最下段が「50」なので、この橋脚は50段の石積よりなる。 上越線には、このような石積円柱橋脚を持つ橋梁がいくつもある。適宜、紹介していきたい。 |
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