昭和57年11月14日の『とき』廃止において、初めてかつ最後の181系『とき』乗車をさせてもらった顛末は11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~に書いた。そのとき、12日(金)深夜発の夜行急行『佐渡8号』で東京に行った。実は『佐渡』も乗るのは2回目だった。私は新潟に住んでおり、親戚が柏崎にいる関係で、信越線の急行には乗ったが上越筋とは無縁だった。『佐渡』は小学生の時、町内会の遠足で小出まで乗ったことがあるだけだ。
きっぷを新崎駅で買ったことも、前記記事の通り。「もし、売り切れていたらどうしよう」などというのはまったくの杞憂だった。そもそも「自由席が満席だったらどうしよう」と思って生まれて初めて指定券を取ったのだが、乗車してみると、乗客はほとんどいなかった。昨今、夜行列車が廃止になると決まると指定券や寝台券が瞬く間に売り切れてしまうことから考えると隔世の感がある。夜行『佐渡』こそ廃止になるが、ダイヤ改正後も『佐渡』は残るし、全国各地に夜行列車は多数走っていた。 新崎駅で買った急行の指定券は、料金線用補充券だった。これは私が使ったもので、小児用。急行料金450円に指定料金250円…あれ? 当時、11月の平日は指定料金は大人300円だから、小児は150円のはずだが…。同様に母が使った指定券は1400円だった。 乗車券は母が使ったもの。私が使ったものは小児断片が切り落とされていて、いまちょっと行方不明。
* * *
11月12日(金)深夜。所定は165系10両。1号車のボックス、指定されたCD席に座っていたが、その車両には誰も乗客は来なかった。車掌が来て、「この車両は暖房の効きが悪いから、ほかの車両に移ってもいいですよ」と言ってくれた。でも、たしか、移動はせずに、ジャンパーをかぶって眠ったように記憶している。 上野着は5時6分。夜中、何度か目をさまし、大宮付近で目をさましてからはずっと起きていた。尾久で583系と、交直流急行形電車を見たときには感動した。本の中でしか知らなかった車両たち。そして、東北筋の主力車両としての旅情を大きく感じた。 上野に着いた後、どこで朝食を取ったのかは憶えていない。いきない「国電フリーきっぷ」を買って、山手線全駅下車をやりはじめたかもしれない。まったく憶えていない。わずか30年前のこと、当時、自分史上もっとも嬉しいできごとだったはずなのに。いまここに書いたことも、もしかしたらあと数年もすれば忘れたかもしれない。それを書き留められただけでもよしとしよう。 PR |
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