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昭和50年代の駅名標(越後線)その1

昭和50年代の駅名標(越後線)その1

鉄道

20110411-99.jpg

19歳まで新潟に住んでいた。そして母方の実家が柏崎だったため、日頃は急行「しらゆき」または「赤倉」をよく利用していた。「とがくし」は、利用時間が都合が悪かったのか、1回しか乗った記憶がなく、気動車急行が非冷房で窓全開だったのに対し、冷房が寒すぎた記憶がある。もちろん、自由席にしか乗ったことがない。

昭和55年、なぜかは知らないが、越後線で行った。急行なら柏崎まで1時間半のところ、越後線の各停は3時間かかる。吉田を過ぎると子供心にエキゾチックな駅名が続き、興味をそそられた。その時の写真が、上のキハ55である。これは母がカメラを持っていて(ミノルチナSという)、母が撮った。

それから少し経って、ミノルチナが壊れた。シャッターが下りなくなった気がする。もともと写真など撮る家ではなかったので、私がへたくそな小学生らしい写真を撮るために、お年玉でミノルタハイマチックSというカメラを買った。それで駅名標を撮った。間違いなく、種村直樹『鈍行列車の旅』巻末の、森嶋孝司さんの824列車全駅名標撮影、が大きく影響している。そのため「鳥居型」に絞って撮った。

総じて、越後線の鳥居型駅名標には木製ので鳥居型に組んだものはなく、すべて鉄製であったと思う。L字型のアングルか、古レールを組み合わせていた。興味深いのは書体である。すべて手書きであるため、個人のクセが出ている。文字にも、矢印にも、罫線にもクセが出る。そのおかげで、同じ人が書いたと推測できる複数の駅名標がある。そうした観点で見て行く。


なお、定型は、

ひらがな
漢字
ローマ字
(所在地)
←---→
燐駅|燐駅

である。

ここにアップするのは、。そのとき、あるいは後日撮った写真である。雪景色のものは、ほとんどが昭和56年冬の撮影である。モノクロは昭和57~58年頃と思う。

●新潟駅

「鳥居型」がないので割愛。

●白山駅
5048e90e.jpgとにかく平仮名の太さが目立つ。「は」「さ
」に、後日書く越後西線の駅名標と同じテイストを感じるが、他の平仮名を見ると別。所在地表記もない、オリジナル型。

後ろのキハ45 32は、寒冷地仕様の500番台とともに新潟の顔だった。

白山駅は島式ホームで、駅舎には地下道が通じていた。その、地下道の階段がとても味わい深かったのだが、いま現在はホームともども改築中で、跨線橋が架設されている。白山駅は、高校時代、「汽車通」してた友人をときどき見送りに行った。私は自転車通学だった。

●関屋駅
c21b5694.jpgこの時代の駅名標は、ローマ字に特徴がある。PCで言うところの「全角英数字」になっているのだ。こんなに丸っこいアルファベットはアルファベット文化圏の人は読み取りづらいのではないか。アルファベットには、アルファベットを表記するのに適した書体があるのだ。気にしてない書物が世の中には多すぎるけれど。

窓の外を見れば、まだ貨物輸送をしていた時代。

新潟から内野あたりは当時でも乗客が多く、車内から駅名標を撮るとどうしても人が入ってしまい、思うように撮れなかった。子どもとはいえ、(被写体でもない)人にカメラを向けることには抵抗があった。

●青山駅

当時は存在しない。

●小針駅
321e8a5d.jpg駅名標は、古レールである。ローマ字を「TE RA O」と書くようなスタイル。これは新潟口で見られた。

●寺尾駅
dff9b3f0.jpgこれも「アルファベット全角系」だ。露出オーバーのため、よく見えない。

●内野駅
8a813b9c.jpg「てらお TE RA O」の書き方からして、小針駅と同系統だろう。

●内野西が丘駅

当時は存在しない。

●越後赤塚駅
55616d50.jpgここだけ書体が違う。丸ゴシック系ではなく、角ゴシック系で力強い。「か」を見ると、国鉄フォントに似ているが、他の文字はそうではない。

ローマ字表記、「越後」と「赤塚」の間にハイフンが入る。

ここまで(旧)新潟市。

●越後曽根駅
47de0e24.jpg白山駅と同系統かもしれない。所在地表記もないし。また、ここも「越後」「曽根」の間にハイフンが入る。

その向こうの「銀バス」が気になる人もいるかもしれない。

●巻駅
cf905599.jpgなぜかローマ字だけが角ゴシックになっている。それ以外は、後述する荒浜駅などと同じ系統に見える。

こちらも古レール。古レールを門型に組み、その上に鉄板をかぶせてある。

●岩室駅
7ab3b3d1.jpgこんな写真ばかりで本当に申し訳ない。所在地表記あり。

●北吉田駅

当時は存在しない。

●吉田駅
669ffa28.jpg岩室駅と同系だろう。「み」「よ」がかわいいし、「わ」も筆順ではなくレタリング的に処理されていて、かわいい。

燐駅表示、「いわむろ 」とスペースがあるのが気になる。


昭和50年代の駅名標(越後線)その2に続く。
昭和50年代の駅名標(越後線)その3もあるよ。

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『鉄イッターサミット』@東京カルチャーカルチャー

『鉄イッターサミット』@東京カルチャーカルチャー

鉄道

20110206-11.JPG


.
20110206-01.JPG楽しみにしていたイベント、『鉄イッターサミット』に行ってきた。この看板の電車がかわいいw

今回の出演者、小倉沙耶さん栗原景さんオオゼキタクさんは、よくツイッターで絡んでいるお友達。そして向谷実さんは、私にとっては20年前にはカシオペアのコピーバンドをしていたくらいの方で、#mmclubもずっと注目している方。どう絡むのかに注目しながら、そしてツイッターという個人対個人のツールをどうイベントに仕上げるのかに注目しながら開演を迎えた。

会場内は、イベントがイベントだけにPCを開いている人が多かった。私はiPadを借りて参加。携帯だといろいろつらいので。また、ツイッターイベントなだけに、会場内で「ツイッター上では知り合いなんだけど、会うのは初めて」のような挨拶があちらこちらで聞こえる。私のTL上にいらっしゃる方も多い。

20110206-02.JPG第一部、乾杯から。左から、小倉さん、向谷さん、栗原さん。

20110206-03.JPGまずは、ツイッターと鉄道旅行の親和性の話。フォロワーを旅気分に誘うだけでなく、現地での情報交換、ニアミス、あるいは実際に(偶然の要素を含んで)出会ったり。いろいろうなづける方も多いと思う。


第2部。名古屋から大阪へ移動中?の斉藤雪乃さんが電話でゲスト出演。会場では雪乃さんの声がほとんど聞き取れず、それもそのはず、電話の声はこのような「電話+マイク」で拡散していたのだ…。リハではうまくいっていたらしい。
20110206-05.JPG.

次いで、鉄道会社などのツイッターの状況の話。和歌山電鉄のたま、ひたちなか海浜鉄道のおさむなどがツイートしている。この場で、琴電のキャラクター、ことちゃんとリアルタイム(少しタイムラグがある)でツイッターで絡む。そして、それに関連してひたちなか海浜鉄道の吉田社長が登壇。
20110206-04.JPG画面右端が吉田社長。ひたちなか海浜鉄道では公式ツイッターはやっていないが、ツイッターが持つ大きな力は感じているという。

ここで、向谷さんが突然「上野発の気動車列車を運行して、阿字ヶ浦まで乗り入れましょうよ!」と提案。それにまじめに答える吉田社長。でも、このノリはまさしく向谷倶楽部。そうして数々のプロジェクトを立ち上げ、成し遂げてきた向谷さんならではの呼びかけだ。ツイッターイベントとは無関係だが、この程度の脱線はまったくOKだ。

第3部でオオゼキタクさん登場。『早春列車』を歌った後、突如向谷さんのiPadによる伴奏つきに!20110206-07.JPG
なにこれすごい。

20110206-09.JPG事後に手の部分だけアップ。いやあ、こうした競演は鳥肌もの。会場でしか味わえない。UST見ている人たちの「行けばよかった」コメントが多数流れる。すかさず向谷さん「どうしてこなかったの?」。ほんと、そうだ。

ハッシュタグで見ていると、この発言にマジレスで返す人が少なからずいた。「事情があって行けない人もいるんです」みたいな。そういう意味で言っているのではないだろうに。他の場面での向谷さんの発言が正鵠を射ている。「ソーシャルなメディアなんだから、自分の意見も言うし反論もする」。

別の場面の話だが、しかしこういう人も出てくる。「USTなんだから放送倫理に云々」。じゃあUSTやめればいいのですね。わかります。ツイッターで異様な正義感を発揮する人には辟易する。

続いて「ツイッターあるある」。
20110206-08.JPG鉄道旅行をしながら見たり書いたりしていると車窓を楽しめなくなったり、ここぞというところで圏外になったり。この場面で、ハッシュタグ#tetsusumにメンションがどっときた。

そしてオオトリはツイッター大喜利。これは先のハッシュタグをご覧いただければわかるが、あまりのメンションの多さに読み切れないものが多数あったようだ。その中から、4つのお題にそれぞれ4~5個くらいのネタがひょみあげられる。高評価のものに「特急」、まあまあのものに「急行」、まあのものに「各停」が与えられるというもの。

これも、参加している人は、お題に対しての回答を発言をしているので、たとえば「クモハのクってなんだっけ」という「ボケ」的な回答をしている人に、そのフォロワーが「駆動のクらしいです」みたいなリプライを送っていたりというなかなかカオスな面もあった。

この大喜利、TLではとてもおいきれないので、この機械が活躍した。
20110206-06.JPG

そんなこんなの盛りだくさんで、21時近くに、終了。

終演後、楽屋で向谷さんにご挨拶して一緒に記念撮影していただいた。光栄です。

終演後、出演者らと打ち上げへ。企画者の小倉さんはほんとうに安堵されたようで、それがとってもさわやかでした。大阪でこのイベントやるなら行きますよ!


タクさんがツイッターで書いていたけれど、ツイッターのおかげで「個人の活動」だった鉄道趣味が大きく広がった。それは私も同じ。いわゆる「鉄仲間」はひとりもいなかったのだけれど~~栗原さんや土屋さんは仕事仲間であり、そういう会話もしてはいたけれど~~ツイッターのおかげで、1年前にはゼロに近かった鉄道の仲間が大きく増えた。40間近になって友達が増えるというのはとても嬉しいことだ。

私は2009年夏にアカウントをとっていて、その後休眠状態だったところ。『山さ行がねが』ヨッキれんさんがツイッターを始めたことできちんと(?)使い出した。そしてそのヨッキさんに進めたのは『廃道写真館』鳴瀬たつきさん。お二人には深く感謝している。


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『アジアン鉄道』米屋浩二さん写真展

鉄道

写真家・米屋浩二さんの写真展『アジアン鉄道』に行ってきた。場所は新宿東口、タカノのビルの4階、コニカミノルタプラザだ。作品の画像をあげるわけにはいかないので画像ナシのエントリになるが、御容赦いただきたい。下記リンクをクリックしてほしい。

コニカミノルタプラザの案内
「フォト蔵」に米屋さんがアップされた作品1
「フォト蔵」に米屋さんがアップされた作品2


今回の写真展は、「まだ若いアジアの鉄道(←文言は違っていたかもしれません)」と、それを利用する人々の表情を披露するもので、どの作品もとびきりに明るい。ほとんどの作品は乗客が主役で、みな、カメラを見て微笑んでいる。時にはニヤリとしていたり、無表情だったりもするが、それもコミュニケーションの結果。

作品に写っている女の子はどの子も本当にかわいいし、おじさんも温かみのある表情をしている。舞台となる列車は、旅の雰囲気あり、日常使いの雰囲気あり。モノトーンの作品ゆえに、それらが際立つ。自分も銀塩カメラに広角レンズをつけてトライXを詰めて現地に行けば、そうした風景に出会えるのではないか…という錯覚に陥る。錯覚、というのは、もちろんそんなに簡単にそうした作品をものせるわけがない、という意味である。その錯覚が悪いということはまったくないと思うし、私はかつて所持していたペンタックスKX(デジタル一眼レフのk-xではない)をもう一度入手したくなった。


私が会場を訪れたときは比較的早い時間帯だったので、米屋さんから直接、撮影時のエピソードをお伺いしながら拝見するという非常に贅沢な観覧ができた。じっくり拝見し、もう一度ゆっくり拝見したら、あっという間に1時間以上がすぎていた。

この写真展を見たら、きっと、車両中心で撮っていた写真好きな人でも、人物を撮りたくなるに違いない。今度は5Dに28mmだけつけて出かけてみようと思う。


なお、米屋さんの作品について、過去のエントリはこちら。

インドネシアのトレリストラス+ランガー(?)+トレッスル橋脚
インドネシアのCikubang Bridge(続)



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映画『アンストッパブル』をより味わうために(3)

鉄道

映画『アンストッパブル』をより味わうために(1)
映画『アンストッパブル』をより味わうために(2)のつづき。

■SD40-2は「旧式」?

公式サイトのストーリーでは、主人公らが乗るSD40-2を「旧式機関車」と書いている。旧式だと、なにか不都合があるのだろうか? 端的に「新型の暴走機関車を、旧式の機関車が止める」という対立の図式を作りたかったのだろうか。日本で例えれば、DF200が重連で牽引する機関車を、1両のDD51が綱引きして止めるイメージか。

「旧式」の欠点は? 機関車の性能で考えると、粘着牽引力だったり、燃費だったりするのだが、それを次で比較してみる。


■SD40-2は、AC4400CWを止められるのか?

サイトThe Diesel Shopにあるデータを羅列してみる。なお、両車種ともに6動軸である。

車種/原動機出力/粘着牽引力(起動時)/粘着牽引力(定格)
AC4400CW/4400PS/18万lbs@粘着係数*35%/14.5万lbs@13.7MPH
=81647kg/65771kg@22km/h
SD40-2/3000PS/9.2万lbs@粘着係数*25%/8.21万lbs@11MPH
=41739kg/37240kg@17.6km/h
*adhensionとだけ書いてあるので「粘着係数」、日本では%ではなく「0.35」などと表記される数値だと思うが、違うかもしれない。

このAC4400CWが重連で牽引しているのだから、SD40-2が1両だけ追いついたとしても…。

では、実際の事故はどうだったのだろうか。実際の機関車は、暴走した列車の牽引機、最後尾に連結して原則させた機関車も、ともにSD40-2であった。


■鉄道会社は株価を気にする?

運行部長が「この事故で株価はどうなる?」といったことを発言するシーンがある。会社のことしか考えていないと印象づけるシーンだが、アメリカの鉄道会社は大きな投資対象になっているため、こういう考え方をしてもおかしいとは思わない。

実際にCSXが事故を起こした2001年5月頃の株価推移を見てみると、これが重大なインシデントで済んだためか、影響がないように見える。株価推移はこちら


■鉄道安全教室

鉄道施設を見学する小学生の団体が出てくる。アメリカでは、踏切事故対策に頭を悩ませており、こうした取組はよくあることのようだ。

そのシーンで「鉄道に乗ったことある人!」と挙手をさせたときに、多くの子どもたちが手を挙げたのが意外だった。アメリカの鉄道は基本的に貨物輸送であり、一般の人間が乗るとしたら大都市近郊のコミューター路線くらいだと思うのだが、この子どもたちが乗ったのはなんなのだろう? 



…といったように、アメリカの鉄道のことを知ると、より各場面が持つ意味が理解できよう。


■鉄橋の存在感…まとめ

もっとあやぶまれた「スタントンの大曲」。そこに橋梁があり、手前というか奥というか、一端には急曲線かつ勾配のあるアプローチ線がある。映画『アンストッパブル』をより味わうために(1)で地図を示したその橋は、冒頭、まだ事件を知る前の主人公たちのシーンなど、幾度となくスクリーンに登場する。速度制限25MPHということは、かなりの急曲線だ。この橋を俯瞰するシーンがとても美しい。

この橋は、プラットトラスとプレートガーダーで構成されている。プラットトラスの大きさは2種類あり、大きなものは当然径間が大きい。おそらく、元々は水運のために径間を大きくとったものであろう。アプローチ部分はトレッスル橋脚だ。

ほかにも随所で橋梁が出てくる。そのほとんどはプラットトラスだったり、ペンシルバニアトラス(分格のプラットトラス)だったり。もしこれが日本なら、コンクリート製の高架橋となるのではないだろうか。言い換えれば、アメリカの鉄道が舞台の映画だからこそ、鉄橋だらけなのだ。と思う。

アメリカの鉄鋼産業は19世紀末から大規模に発展した。トラストを組み、莫大な利益を上げ、株価も一方的に吹き上がっていった。橋梁技術も発展させた。そして、架ける橋架ける橋、そのほとんどを鋼製橋梁とした。鉄道でいえば、高架橋は鋼橋。橋脚はトレッスル。道路でいえば、長大な径間が必要な橋は鋼製吊橋。そこまででもない橋はカンチレバートラス。それぞれ、当時の日本では考えられないほどの大型のもの。

私は、この映画の見所は、近代的な機関車の重量感と、前近代的な鉄橋の組み合わせだと思う。もしスタントンの大曲がコンクリート製高架橋だったら、クライマックスシーンでジェットコースターのごとく描かれてもちっとも時間がわかないだろう。鉄橋ゆえの、トレッスル橋脚ゆえの軋みを再現することで、この映画は完成度を高めている。



最後に、未消化で残った点をふたつ。

(1)重要な役割を果たす、溶接工のネッド。彼の存在意義が不明である。それがこの映画で唯一、消化不良となっている。出勤前、スタンドで油を売っているネッド。彼の元に電話が入り、「ポイントを切り替えろ」との指示が入る。その後、彼はクルマで列車を追いかけることになるのだが、なぜ彼にその指示が下ったのか? その辺が読み取れなかった。

(2)脱線機が失敗するというくだりがある。これ、確実に脱線させるなら、レールを外せばいいじゃないの。


以上、3回に分けて勝手に解説した。もしまだ見ぬ方がいらっしゃったら、ぜひご覧いただきたい。既に見た方は、ぜひもう一度。そのようにして、実際に見に行っていいただければ幸いである。

映画『アンストッパブル』をより味わうために(2)

映画『アンストッパブル』をより味わうために(2)

鉄道

映画『アンストッパブル』をより味わうために(1)の続き。

■日本語字幕について

●賛辞

英語との対訳はわからないが、日本の鉄道用語とは正確に対応している。たとえば、大部分のアメロコにはダイナミックブレーキがついていて、これがストーリーにも関わるのだが、アメロコの場合、ダイナミックブレーキは発電ブレーキを意味する。これは、アメロコのことを知らないと、単に「ダイナミックブレーキ」などとカナ表記しかねない部分なので、訳者GJ!である。

 アメロコのボンネット(フードという)上部がキノコのように張り出しているものがあるが、
これが発電ブレーキの放熱器であり、その上にはファンがある。
アメロコウォッチャー(トレイン・スポッターという)は、そのファンの数を気にする。


「力行」にはルビを振ってまでこの日本語を充てていた。すばらしい。ほかにも多数のGJがあった。


●惜しい!

残念だったのは、アメリカはマイル表示が普通であって、機関車のスピードメーターもマイル表示なのに、字幕がキロ表示だったことだ。

「時速128km」という字幕でも、映像は80MPHのスピードメーター。
「スタントンの大カーブの制限速度は時速25km」という字幕の後ろの映像は、「15」(MPH)と書いた標識。
「91.7km標」(だったような気がする)という字幕の後ろの映像は57マイルのポスト。

それぞれ

「時速80マイル(約128km)」
「~時速15マイル(約25km)」
「57マイル(約91.7km)標」

などとすればいいのに。


■機関車について

この映画では、貨物列車をGEAC4400CWが重連で牽引している。しかし、実際に起こった事故ではEMDSD40-2が単独で牽引していた。これはおそらく、映画の視覚的な効果を狙ってのことだと思う。また、時速80マイル(時速128km)ということに信憑性を持たせるためかもしれない。

しかし、SD40-2が暴走する列車に追いつき、連結したときには時速80マイルだった(と思う)。ということは、。SD40-2はそれ以上のスピードで走らなければならないのだが、本機の最高時速は65MPH(約時速104km)である。このへんを言うのは野暮というものか。なお、たしか、劇中、「いま時速104km(←数値はうろ覚え)でおいかけてる」というようなセリフがあった。これはそれを踏まえているのか。

また、AC4400CWは、その車名どおり4400馬力。これが重連で引く貨物列車を、果たして3000馬力のSD40-2のダイナミックブレーキで、引っ張って止められるのだろうか。これは、私にはその計算ができないので真偽は不明である。


さて、wikipedia英語版によれば、撮影には複数の車両が使われたとある。

●#777、#776…カナダ太平洋鉄道からのリース。
この2両が、無人の貨物列車の牽引機。4両とも、撮影終了後も映画の塗装のまま使用されている。
・#777…前半#9777、後半の傷んだ姿は#9782
・#776…前半#9758、後半の傷んだ姿は#9751

●#1206、#7375+#7346…ホイーリング・アンド・レイク・エリー鉄道からのリース。
#1206が主人公。#7375+#7346は「失敗した作戦」のため爆発炎上した機関車。

・#1206…3両使用。#6353と#6354。もう1両は運転台のショット。
・#7375…#6352(エキストラ的に出ている#5624も)
・#7346…#6351(エキストラ的に出ている#5580も)

#7375+#7346は、#777+#776に押し出される形で脱線・転覆したあと大爆発する。軽油を燃料とするディーゼル機関車が、そこまでの派手な爆発をするものだろうか?

●#2002(施設見学の児童たちを乗せた列車)…サザン・ペニンシュラ鉄道のEMDのGP11

■機関車の塗装について

実際の事故は、CSXが起こしたものである。CSXの塗装は、くすんだ紺/グレー/黄色である。
こちらのサイト「Crazy 8's the CSX report」からリンク)

対して、映画の中ではこのような塗装である。
20110129.JPG公式サイトよりキャプチャ・トリミング)

この塗装はサンタフェ(アッチソン・トピカ・サンタフェ鉄道(ATSF))の塗装を連想させる。こういうものだ。
ATSF C44-9W #637 4 (2)

上記写真はAC4400CWの前身というべきC40-9W。

AC4400CWの製造開始は1993年。ATSFは、1996年にBN(バーリントン・ノーザン鉄道)と合併し、BNSF鉄道となった。実際にATSFカラーとなったAC4400CWの画像は見つけられていないが、C40-9WにはATSFの塗装パターンを踏襲しているものがある。意図的に「赤+銀」にした上記のような車両もあれば、BNSFの濃緑+オレンジをベースに、この「インディアンの羽根」をイメージしたロゴをあしらったものもある。
Smokin' It Up


興味深いのは、CSXの事故をもとにした映画なのに、BNSFの前身たるATSFに似た塗装としたことである。営業エリアは、CSXが東海岸、BNSFはそれに接続するように中部から西海岸であるので、ライバル会社を貶める意味合いはないと思う。単に「かっこいい」ためかもしれない。


(まだ続く)
映画『アンストッパブル』をより味わうために(3)

(上記にリンクしたwikipediaの記事は、私が立項したものや大きく改稿したものが多数あります。こんな形で役に立つとは。)

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映画『アンストッパブル』をより味わうために(1)

鉄道

映画『アンストッパブル』を見てきた。大きなスクリーンで見ることを信条としているため、日劇まで行ってきた。この映画は、大スクリーンで見るべき。

とにかく見所がありすぎる。それはきっと、私がアメリカの鉄道会社、機関車、歴史、橋梁などをある程度知っているからそう思えるのだと思う。

この映画はアメリカの鉄道を舞台にしている。だから、日本の鉄道にいくら詳しくても理解が及ばない部分もあるはずだ。ましてや一般人においてをやである。ここでは、映画を見ただけではわからないことを書こうと思う。


●ロケ地

冒頭から意味深に出てくる巨大なペンシルバニアトラス。どうやらロケ地は下記らしいのだが、周囲の光景が全く違う。クライマックスシーンでキモとなる石油備蓄タンク(?)がない。

大きな地図で見る

上の地図で「A」とマッピングされている廃橋は、この2011年6月までに解体される予定の橋だ。wikipediaに記述がある。私有らしい…というのは余談で、この橋の形状、一端で分岐している点など、どう見ても映画で使われてた橋だ。でも、タンクはないし、周辺の住宅の様子も違う…。

いろいろググっていたら、こちらのサイトで、その謎が解けた。答えは合成だった。


●777号

北米(アメリカ、カナダ、メキシコ)の機関車には「ロードナンバー」といって、各鉄道ごとに通し番号がついている。車両の形式名ではないし、製造番号でもない。それが、この「777」と、その後ろにつながっている「776」だ。一般的に#をつけて、「#777」などと書く。験を担ぐこともあり、記念とする機関車にはキリのいい番号が与えられることがある。

(つづく)

こちらもご覧ください。
映画『アンストッパブル』をより味わうために(2)
映画『アンストッパブル』をより味わうために(3)


『鉄道ナイト10』@東京カルチャーカルチャー

『鉄道ナイト10』@東京カルチャーカルチャー

鉄道

20110111-02.JPG

1月10日(月)夜、お台場の東京カルチャーカルチャーで開催されたイベント『スーパーベルズの鉄道ナイト10~鉄道賢人あいのり新年会!「ひたちなか海浜鉄道編」DVD-BOX発売記念!最強アイアンゲスト多数集結!カルカルで2011年の鉄初め!!!』(←長い)に行ってきた。

スーパーベルズのイベントの第10回なのだが、今回は、先日のエントリ【DVD】鉄道6賢人イチ押し最強路線あいのり旅で紹介したDVDの販促イベントということもあり、いつもとは異なる進行となったようだ。ベルズのイベントを見るのは初めてなので、あくまで伝聞。

出演者は、先のエントリをコピペする。上の写真左からの順にした。
南田裕介/タモリ倶楽部などでもおなじみのホリプロマネージャー
野月貴弘/音楽ユニットSUPER BELL"Z(スーパー ベルズ)の中心人物
中井精也/「JR時刻表」の表紙写真などでも活躍する鉄道写真家
梅原淳/鉄道関連著書多数の鉄道ジャーナリスト
オオゼキタク/シンガーソングライター
横見浩彦/JR・私鉄全線全駅下車を成し遂げたトラベルライター


南田さんがお仕事で開演に間に合わなかったため、5人でスタートする。自己紹介などない。いきなり始まる。DVDを見ていることを前提に始まる。あわててタクさんがDVDを見てない人のためにフォローを入れたりしながら、第一部「自分の夢がかなった瞬間」

20110111-01.JPG
私には中井さんの「年に何回か、イメージしているシーンに出会えることがあります」というお話が、とても染み入った。1年中、撮影の現場に立たれている中井さんでも「これ!」というシーンに出会えるのはその程度の回数だということだ。でも、それを確実に作品として仕上げている。本当にすごい。その代表的なものをスライドで何枚か紹介し、そのシーンに出会ったときのエピソードに、会場は飲み込まれてゆく。

私もそれなりに撮影していたほうだと思うが、「これ!」というシーンに出会えたのは何回あっただろうか。いくつか思い出してみる。

中井さんの作品に、日高本線の気動車越しに夕日が沈むというシーンがあった。
20110111-03.jpgこれの朝日版に、音別の海岸で出会ったことがある。確か6月、水平線から太陽が昇ってきた瞬間に、キハ40単行の窓の向こうに太陽が輝いた。しかし、残念ながら撮れなかった。まったく露出を合わせていなかったのだ。当時使っていたEOS3のダイヤルをカリカリ回しながらファインダー内の露出計のメモリを読みながら、虚しく望遠レンズの中で見送った。デジタルカメラのように、試し撮りしてから露出を考える、なんてことはできない。太陽を直接撮る、一発勝負なのに、露出は相当考えなければ失敗してしまう。でも、時間がないからそれもできなかったということだ。しかし、ファインダー越しに見たキハ40と水平線から昇る太陽の神々しさは、それまで見たこともない鉄道シーンであった。

中井さんのお話は、とにかく沿線に立っていれば、いつかはいいものを見ることができるよ…というメッセージのように感じた。私は比較的、机上で満足してしまうほうなので、意識して外に出なければと思う。もう写真は撮らなくなったので、自分の目で見ることを大切にしたいと思う。


続いて第2部「女性に鉄道の魅力を『かわいい』『おいしい』で伝える」(だったかな)。女性3人が新たに壇上に上がり、ほとんど理解されないまま進むが、みなさんの「楽しい旅行」プレゼンが的確でおもしろい!

そして第3部、トミーテックの鈴木さん、DDFの矢幅さんが登壇し、元日に野月さん・南田さんと「常磐初日の出号」で旅行したときのお話。気の置けない仲間と旅するとこんなに楽しいのか!ということだ。私はひとりでしか行かないので、本当に羨ましかった。

そんなこんなであっという間に5時間終了。こうしたイベントに来ると、本当に人の輪が広がるから嬉しい。次は2月6日(日)の『鉄イッターサミット~鉄道×twitter・夢のコラボイベント!』に行きます!


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【DVD】鉄道6賢人イチ押し最強路線あいのり旅

鉄道

…というDVDがポニーキャニオンから発売されている。昨年末から発売記念イベントがいくつか続いており、この3連休の1月10日にも東京カルチャーカルチャーでイベント

『スーパーベルズの鉄道ナイト10~鉄道賢人あいのり新年会!「ひたちなか海浜鉄道編」DVD-BOX発売記念!最強アイアンゲスト多数集結!カルカルで2011年の鉄初め!!!』


…がある。楽しそうなので、それに行こうと思っている。

メインの出演者はスーパーベルズ、それに【アイアンゲスト】として 鉄道6賢人(ベルズの野月さんを含む下記6名)、鈴木雅之さん(トミーテック)、矢幅貴至さん(DDF)ほか、とのこと。6賢人をコピペする。
横見浩彦/JR・私鉄全線全駅下車を成し遂げたトラベルライター
中井精也/「JR時刻表」の表紙写真などでも活躍する鉄道写真家
野月貴弘/音楽ユニットSUPER BELL"Z(スーパー ベルズ)の中心人物
梅原淳/鉄道関連著書多数の鉄道ジャーナリスト
オオゼキタク/シンガーソングライター
南田裕介/タモリ倶楽部などでもおなじみのホリプロマネージャー



イベントに先立ち、DVDを見る。6賢人の方々は、親しかったり、名刺だけ交換させていただいた程度だったり、まったく面識がなかったり。ただし、こちらはみなさんがどのような活動をなさっているかはわかっているつもり。そうしたことを知ることも、私の大切な仕事。

このDVDは、放送作家の鈴木おさむさんと土田晃之さんのペア「ジャーナリストボーイズ」を上記6賢人がご案内するというもので、舞台はひたちなか海浜鉄道。漫画『鉄子の旅』で例えると、キクチさん役がこのお二人で、横見さん役が6賢人だと思っていただければそう違いはない。DVDは2枚組となっていて、DISC1が本編、DISC2が特典である。内容は見てのお楽しみというしかないのだが、楽しみ方をご紹介したい。


まず、見る順番。これは、本編→特典、のほうがいい。本編に見る6賢人のあっちの世界へのイキっぷりの少しわざとらしさに突っ込みを入れたくなりながらニヤニヤ見るのだ。そして、特典で、本編に至った背景を知るとおもしろさが増すと思う。いや、私はみなさんの姿をいろいろなところで(一方的に)拝見しているのでこれでニヤニヤできるが、例えば6賢人のうちひとりしかよく知らないよ、というような方は、ぜひイベントに行ってからこのDVDを見ていただきたい。きっとイベントの余韻が何倍にもなると思う。

DVDに収録されている内容を簡単に。

●DISC1
鈴木おさむ氏と土田晃之氏を、6賢人が案内する。6賢人がどのように登場するかというか、どのようにお二人にアピールしていくのかが楽しい。ひたちなかの各車両が出てくる。いろいろ羨ましい。

●DISC2
6賢人ではなく9賢人での会議風景。賢人たちが「こんな旅が楽しいよ!」とプレゼンしていく。みんなほんとうに好きなんだなあ、と思うと同時に、みんな真剣に考えてプレゼンしている。

もし私ならどんなプレゼンをしようか。やはり鋼橋巡りだな。行き先は…磐越西線でしょう。ワデルの設計による5橋梁(一部は改築済み)を巡りますよ。



1/23には秋葉原の石丸でイベントがあり、1/30にはひたちなか海浜鉄道で特別列車が走る。とくに後者は、DVDを買った人だけが参加でき、6賢人も勢揃いするという。詳細はこちら

11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~

11月14日によせて ~昭和57年11月14日から28年~

鉄道

今日が11月14日だと知ったのは夕方だ。しかも父の誕生日だったりする。

PB142206.JPG(新潟駅にて。ミノルタハイマチックSにトライXを詰めた。子どもながら「白黒は長持ちする」ということだけを知っていたから、そんなフィルムを買った)

昭和57年11月14日、子どもの頃から見慣れた、でも乗ったことがなかった「特急とき」がこの日限りで廃止になった。親しい友人と、ときどき新潟駅に行っては入場券で5時間も6時間も列車を眺めていた小学生にとって、「とき」はいつもホームにいる列車だった。それも、本屋にいちばん近い1番線に停まっていた。

「とき」は14往復運転され、大部分の11往復は183系1000番台、残る3往復が181系だった。1両だけ、151系の生き残りであるモハ181 29があったが、それを見ることができたのは2~3回だけだ。なかなか出会わなかった。私にとって、「とき」、特に181系は新潟を象徴する列車・車両のような気がしていた。その、181系で運転される最後の下り列車、「とき23号」に乗るという願いが叶った。もちろん親に連れて行ってもらったのだ。同行してくれたのは母だ。

きっぷは、発売1ヶ月前に、白新線新崎駅に買いに行った。ここなら硬券だと思ったからだ。ここで、11月12日(金)発の夜行「佐渡8号」、11月14日(日)発の「とき23号」の指定券等を買った。「とき23号」は、最終181系列車にもかかわらず、車両中央部の席がとれた。いまだったら、午前10時に瞬殺だろう。残念ながら、きっぷは準常備券だったが、手書きとスタンプで作られたきっぷを毎日眺めて過ごした。

週休二日でなかった当時、土曜日をどうしたかというと、学校を休んだ。親が恐る恐る担任に説明しに行くと、ぜひ行って来いと言ってくださった。好きなことがあるならどんどんさせろ、と。今は「旅行のために学校を休む」という行為はわりと実践されているものの、その頃、しかも田舎である、異例のことだったろう。まだ新任3年目の、25歳(か26歳)の女性教諭だったが、その先生にいろいろとよくしていただき、その後の私が形成された、とてもいい先生だった。金曜夜、その車両には母と私しかいないガラガラの佐渡8号(それも15日の改正で廃止)で上京し、土曜は一日「国電フリーきっぷ」で各駅下車+入場券購入、日曜は青梅鉄道公園へ行ったあと「とき23号」に乗った。

検査期限の関係ですでに2両減車していた「とき23号」。シートが左右つながっていることに驚いた。でも急行形車両しか乗ったことがなかったので、とても嬉しかった。発車時刻は夕方だったと思う、車窓はほぼ真っ暗、いまにして思えば「最後の181系に乗る!」ことしか考えておらず、事実上初めての東京旅行だったのに、往復とも車窓を楽しむ要素は皆無だ。子どもだったこともあり、乗り心地とか車窓には一切感慨も記憶もない。

PB142208.JPG(新潟駅にて。到着は2番線)

新潟駅に着いた。固定焦点距離のカメラで夜のホーム撮り、しかも子ども。カットを工夫しようもない。36枚撮り2本で、同じようなカットを撮り続けた。子どもだから。

見ると、大阪行き「きたぐに」の車両を撮影していた。11月15日の改正で14系客車に置き換えられたのだが、改正前日は旧編成で運用されていたのか、といま改めて知った。

いまの時代のように300km離れた距離が身近だったわけじゃなし、こんな、子どものわがままによくぞお金を出してくれたものだと思う。親に感謝するばかりである。「とき23号」に乗った当時は、その日が父の誕生日であることなど知らなかった親不孝者である。



現在なら、こうした新線開業は土曜日に設定されるだろう。しかし、この、通称「57-11改正」は違った。月曜日が改正日だった。だから、小学生の私が「最終181系とき」に乗ることができたのだ。ダイヤ改正は、極力影響が少ない日を選んで行われていたので、当時はそれがいいと判断されたのだろう。「とき23号」が到着した新潟駅も、いたって静かなものだった。車両が回送される前に、出札した。

新幹線は「大宮暫定開業」でしかなかったが、この「57-11改正」は国鉄の大きな転換点の一つとなった。国鉄民営化に向けて、新幹線上野開業の60年3月、そして民営化準備の61-11と大改正が続くが、その第一弾として実施されたというインパクトがあった。これ以前は、敷いて言えば53年10月、規模でいえば43年10月「よん・さん・とお」以来の規模だと言ってもいいのではないか。

なにしろ東日本の交通体系が抜本的に変わったのだ。道路交通に例えてみれば、それまで対日本海側は「下道」しかなく、対東北もその5ヶ月前に片側1車線の東北道が開通したばかりだった東日本地域に、突如として関越自動車道が開通し、東北自動車道が片側2車線で開通したようなものだ。鉄道誌が1年近く、改正前、改正後、さまざまな特集を展開し続けた。

子供心に、ひとつの時代が終わったという印象を持った改正であった。その中で「とき23号」とともに181系が消えていった。


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