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オレ鉄ナイト2

オレ鉄ナイト2

鉄道

カルカルで開催された『オレ鉄ナイト2』に参加してきた。

前回の様子はこちら→オレ鉄ナイト


・USTREAMアーカイブ
http://www.ustream.tv/recorded/20237004 20120208_008.JPG企画は武田保志さん(乗り鉄・車止標識好き、社長公募鉄) @yasutkt。壇上にはオオゼキタクさん(ミュージシャン・乗り鉄・ショートカット鉄) @taku1と小倉沙耶さん(鉄道アーティスト/: Ust鉄道情報局 鉄道情報局/ブログ) @kokurasaya。今回は、小倉さんのプレゼンからスタートした。お題は、満を持しての古レール!

20120208_009.JPGわかるなあ。私としては、このそれぞれの項目を、すべて俯瞰してみたくなる。
BV&Coなどは、私がうっかり買ってしまった英国石炭産業の盛衰みたいな論文集に、なぜレールばっかり作っててダメになってしまったのかみたいな章があったりする。

CARNEGIEは、もちろん19世紀の鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーにちなむカーネギー・スチールのこと。20世紀初頭にジョン・ピアポント・モルガンによって買収され、USスチールの子会社になった製鉄会社だ。その経営者、アンドリュー・カーネギーは、モルガンが製鉄会社を買収した際に「世界一の大金持ちになりましたね、おめでとう」と言ったのは有名なエピソードだ。

もちろん小倉さんのプレゼンはすばらしかった。中でも、会津鉄道の会津田島駅に満鉄の陽刻がある古レールがあるという報告は、USTを見ている人を含めて全員を驚愕させた。会津田島駅には2011年には3回寄っていて2回、駅前で寝ているが、もちろんまったく知らなかった!

個人的には、古レールは、ダムと並んで開けてはいけないパンドラの箱として封印してあるジャンル。だから、レールについての小倉さんのお話は、一晩でも聞いていたい。いや、イチからレクチャーを受けたい。そういう気持ちにさせてくれるのが、「オレ鉄」である。詳しいとかそういうことではない、「好き」がいちばん聞いてて楽しいのだ。


第二部。江守さんの「自分撮りオレ鉄」に続き、私のプレゼン。題して「タイムライン鉄」。
20120208_011.JPGあらゆることを、「鉄道史」という時間軸に当てはめて考える机上の遊びだ。本当は、土木史でいきたかったのだけれど、一般的に興味を引きやすい題材でいくつかお話しした。

まず、小倉さんのプレゼン、前述の画像に「1906」とあることから、明治終盤になってもレールを国内で製造することができなかった、そういうことを考えることです、みたいな前置きをしてから、「国鉄」「鉄道省」のイメージのお話。
20120208_000.jpg私の思い込みかもしれないが、一般的に、「国鉄」の前が鉄道省で、その前が鉄道院である、くらいの知識はみなさんお持ちだと思う。でも、それは本当なのか、あるいは国鉄と鉄道省と鉄道院の違いは? みたいなことは、きっと、あまり考えられていない。

上記の表で一目瞭然である。要するに、国鉄ができるまでは国営である。日本の鉄道140年の歴史のうち、前半を超えて73年間もその状態であった。さらに、内閣直属の鉄道院ができるまでは、行政機関たる省の一部局、あるいは庁でしかなかった。

次に、鉄道車両で見る。電車編。
20120208_001.jpgよく419系で言われていたのだが、本来の製造目的である581系の時代よりも、改造後のほうが長くなってしまったということがある。そういうことを見るものである。

101系が、140年の歴史に占める割合はすごい。対して157系の寿命の短さ。181系新製車の寿命の短さ。そして、これら新性能電車は、鉄道140年の歴史の後半部分に出てくる。

機関車その他編。
20120208_002.jpg新性能電気機関車、ディーゼル機関車、液体式気動車、すべて「後半70年」での登場である。つまり、それ以前はすべて蒸気機関車といっていい。

次は、横軽のタイムライン。20120208_003.jpg

EF63が使われるようになる前はアプト式でED42が云々というのは、誰もが知っていることと思う。それが昭和38年までであったことも、まあ知られていると思う。でも、アプト式がどれくらいの期間使われていたのかと問われると、おそらく答えられる人は皆無かと思う。答えはこうだ。
20120208_004.jpgアプトは70年間。それに対して、粘着式時代は半分の34年間である。しかも初期19年間は蒸気機関車による運転である。

横軽の近代化と複線化は十分に役割を果たした。それでも、34年間しか使われていない。それが長かったのか短いのか。そういうことを考えるきっかけとなるのが、こうした年表遊びなのだ。

そして、ハイライト、全国の鉄道網延伸図。
anigif35.gif
(クリックで拡大/1秒刻みの画像にジャンプ)

実はこれ、とっても面白いのだけれど、プレゼンで使うにはちょっと使いづらかった。それがわかっていたので、高知が既存の鉄道網とつながった瞬間というものをお話するくらいにとどめた。本当は、大隅線が全通後18年で廃止になっていることなどを話すつもりだったのだが、忘れてた…。

と、こんなで私のプレゼンは終了。


20120208_012.JPG道路や橋梁でもおなじみ、@lervel_7gさんの未成線プレゼン。「ロリ鉄」などという浮ついた自称とは反対に、ストイックなスライドが付き次と投影される。

20120208_014.JPG松ヒトシさんのCADで描いた蒸気機関車パーツのプレゼン。松さんはこのためにわzわざPCを持参した。ソフトが入ってる必要があることと、会場のノートPCのようなものではあまりに非力なのだそうだ。

ここでは返りクランクをいろいろ描いたが、火室などもあった。2次会では、2軸従台車を回転させたりリンダリングしたりした。
20120208_016.JPG.

全員の内容を紹介したいのだけれど、写真がないものが多い。見るのに集中してたからな。また、後日、カルカルのレポもあがると思う。ここでは、お名前を列挙することで割愛させていただく。ここに列記した皆さんに、敬意を表します。

江守敦史 @emoyan911
磯部祥行 @tenereisobe
ねぎとろ @zwelf_12
LEVEL7G @level_7g
粒来さや香
草町義和 @kusa_yoshi
松ヒトシ @matsu706
平野玲音 @reon_tetsudo
田ノ岡三郎 @saburotter


最後に。よく「自分なんて広く浅くだから…」みたいに言う人がいる。でも、そんなの関係ない。「とにかく好き」という気持ちと、ちょっとの「見せる工夫」があれば、みんな壇上に上がるべき。ただし、自慢や、知識披露になると、たぶん観客に響かない。特定のジャンルに詳しくても、そのジャンルの説明は「オレ鉄」ではない。「なぜそのジャンルが好きか」ということがオレ鉄なのだと私は思う。次回は6月に開催。震えて待つ!



spl.thnx : Photoscape
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蒲原鉄道  形式図(車両竣功図表)

蒲原鉄道  形式図(車両竣功図表)

鉄道

蒲原鉄道 ダイヤ(昭和59年2月改正)
蒲原鉄道 ED1 形式図(車両竣功図表)
蒲原鉄道 クハ10 形式図(車両竣功図表)
蒲原鉄道 ハ1 形式図(車両竣功図表)の続き。

テキスト起こしやめてすべてアップする。


4d1d9ffa.jpg蒲原鉄道 ハ2 形式図

84738b33.jpg蒲原鉄道 モハ11 モハ12 形式図

4b1cc4ec.jpg蒲原鉄道 モハ41 形式図

454e7ac5.jpg蒲原鉄道 モハ51 形式図

8df04fa5.JPGc83eea91.JPG(安田民俗資料館=閉館中に保存してあるモハ51)



124a02e9.jpg蒲原鉄道 モハ61 形式図

7925bc13.jpg蒲原鉄道 モハ71 形式図

f5331553.jpg蒲原鉄道 モハ81 形式図

e222734a.jpg蒲原鉄道 モハ91 形式図

どなたかのなにかのお役に立てれば幸いです。
 

蒲原鉄道 ハ1 形式図(車両竣功図表)

蒲原鉄道 ハ1 形式図(車両竣功図表)

鉄道

蒲原鉄道 ダイヤ(昭和59年2月改正)
蒲原鉄道 ED1 形式図(車両竣功図表)
蒲原鉄道 クハ10 形式図(車両竣功図表)の続き。

6c17ff05.jpg記載事項を転記する。粍をmmに、米をmに、屯をtに置き換えた。

















形式ハ1 車両竣功図表
車種 半鋼製制御客車
記号番号 ハ1 廃車

型式 2軸固定緩急客車
定員…67人(内座席29人)
客室面積 8.30×2.18=18.10平方m
定員1人ニ対スル面積 0.27平方m
最大寸法 長×巾×高 9550×2680×3570
自重…8.30t
連結器中心高 880mm
連結器種類 下作用自動連結器
制動機種類 手用制動
車軸ジャーナル(圣×長) 108×204
 ホヰールフット(圣×長) 153×165
灯 放 客室 グローブ 3個 常用灯6ケ(注:「放」は違うかもしれない)
     尾灯        2ヶ ヨビ灯3ヶ


製造所名 京浜車輌工業
製造年月 昭2.9
改造所名 電機車輌
改造年月 昭23.6
代償
前所有者
旧番号 ハ=3
記事 荷物合造車ヲ改造ス

蒲原鉄道 クハ10 形式図(車両竣功図表)

蒲原鉄道 クハ10 形式図(車両竣功図表)

鉄道

蒲原鉄道 ダイヤ(昭和59年2月改正)
蒲原鉄道 ED1 形式図(車両竣功図表)の続き。

9f117de7.jpg現在、五泉市内で個人により保存されているはずだ(未見)。



記載事項を転記する。粍をmmに、米をmに、屯をtに置き換えた。



形式クハ10 車両竣功図表
車種 半鋼製制御客車
記号番号 クハ10

定員…109人
 内座席…62人
面積 客室 34.55平方m
最大寸法 長サ…16350mm
 : 巾…2725mm
 : 高サ…3655mm
自重…19.00t
連結器ノ高サ 空車…890mm
 : 満載車…770mm
連結器ノ種類…自動連結器
台車ノ種類…軸バネ式
車軸 軸頚…85mm×182mm
 : 車輪座…128mm×178mm

制動装置ノ種類…SME三管式空気制動機 
 : …手用制動機
 : …(記載抹消)
制御器ノ種類…電磁空気単位接触器式
戸閉装置ノ種類…電磁空気式半自動戸閉機
灯ノ種類及ビ個数 室内灯…600V40W(蛍光灯)直列8個
 : 全消灯…100V200W(電球) 1個
 : 標識灯…100V40W(電球) 2個
 : 運転室灯…100V40W(電球) 1個
 : 予備灯…100V10W(電球) 4個
 : ステップ灯…100V15W(電球) 4個


製造所名 川崎車両株式会社
製造年月 昭和10年
代価 719260
前所有者名 国有鉄道
旧番号 キハ41120
認可年月日 昭和25年5月11日鉄監第775号譲受使用認可(注:第=略字)
記事

製造所名 蒲原鉄道株式会社(改造)
製造年月 昭和25.7
代価 
前所有者名
旧番号
認可年月日 昭和25年7月19日新陸鉄業第646号設計変更認可
記事 制御客車に改造

製造所名 上仝 (注:蒲原鉄道株式会社(改造))
製造年月 昭和33.5
代価 
前所有者名
旧番号
認可年月日 昭和33年4月18日新陸鉄監第2066号設計変更認可
記事 暖房装置新設

製造所名 西武鉄道株式会社(改造)
製造年月 昭和38.1
代価 1650600
前所有者名
旧番号
認可年月日 昭和35年12月26日新陸鉄監第2504号設計変更認可
記事 不燃化対策工事及一部改造

製造所名 上仝(注:西武鉄道株式会社(改造))
製造年月 昭和42.6
代価 1475000
前所有者名
旧番号
認可年月日 昭和42年5月4日新陸鉄監第9025号設計変更認可
記事 制御装置改造及其の他設計変更


キハ41120の国鉄最終配置は大館であった。

1930年に製造された車両が、蒲原鉄道最末期まで使用されていたのは奇跡というべきか。キハ41000(キハ04)最後の生き残りだった(注)。1956年の写真が『キハ41000とその一族(下)』に掲載されており、それによれば気動車時代の名残が、孔として床下にあるということだ。ただし、見てもおそらくそれがそれであるとわからないだろう。

(注)片上鉄道にて動態保存されている車両がある。

蒲原鉄道 ED1 形式図(車両竣功図表)

蒲原鉄道 ED1 形式図(車両竣功図表)

鉄道

蒲原鉄道 ダイヤ(昭和59年2月改正)の続き。資料性があるものとしてアップする。とくに記事はない。

ED1.jpg記載事項を転記する。



形式ED1 車両竣功図表
車種 鋼製電気機関車
記号番号 ED1

最大寸法 長サ…9180mm
 : 巾…2445mm
 : 高サ…3904mm
自重…25.00屯(トン)
連結器高サ…880mm
連結器ノ種類…シャロン上作用自動連結器
台車ノ種類…日車釣合梁式
車軸 軸頚…108×203
 : 車輪座…152×156

制動装置ノ種類…A.M.A.空気制動機 手用制動機
制御装置ノ種類…直接制御器 T.D.K Q2LT型(注:東洋電機)
電動機 種類…直流直捲電動機 T.D.K 31SC(注:直流直巻)
 : 出力…75HP(55.96KW)
 : 電圧…600V
 : 個数…4箇
歯数比…14:70=1:5
全負荷ニ於ケル引張力…3380kg
 : 速度…24KM
電動機(制動機用) 種類…直流直捲電動機DH-25
 : 出力…5.65HP(4.22KW)
 : 電圧…600V
 : 個数…1箇


製造所名 日本車両製造株式会社
製造年月 昭和5年5月
代価 21,501円43
前所有者名
旧番号
認可年月日 昭和5年4月9日監第1338号設計認可(注:第=略字)
記事

製造所名 蒲原鉄道株式会社(改造)
製造年月 昭和37年9月
代価 79,550円00
前所有者名
旧番号
認可年月日 昭和37年8月31日○陸鉄監第4047号設計変更(注:○=判読不能だが「新」か?、第=略字)
記事 F動作弁ヲA動作弁ニ変更





















 

蒲原鉄道 ダイヤ(昭和59年2月改正)

蒲原鉄道 ダイヤ(昭和59年2月改正)

鉄道

20110102_000.jpg年末の掃除で書棚を整理していたら、1985年(昭和60年)1月2日に買った、蒲原鉄道のセットが出てきた。ダイヤ、形式図、レール文鎮、シートモケットのセットで、たしか3000円くらいだったと思う。



中学1年のその日、思い立って友人のH君とN君と、県庁前→新潟交通→燕→東三条→加茂→蒲原鉄道→五泉→新潟、というルートで回った。それまで、新潟交通はしょっちゅう見ていたにも関わらず、載ったことがあったのは東青山→県庁前の1回のっみ。蒲原鉄道も折に触れ目にしていたものの、乗ったことはなかった。

当時、少しずつ鉄道趣味から遠ざかりつつあったものの、出かけていった。コンパクトカメラを持って行ったのは、いまにして思えば貴重だった。

同行したH君とは何度も一緒に18きっぷの旅などをしていた。2年ほど前に20年近くぶりに再開できた。N君と旅したのはこのとき一度きり。彼は数年前に脳腫瘍で亡くなった。



さて、ダイヤの話に戻ろう。ここにアップする。
20110102_002.jpg
(クリックすると拡大画像となります)

このダイヤはJRの貨物大改革に対応するもの…だと思う。同時に蒲原鉄道の貨物列車は廃止されたはずだ(うろ覚え)。

注目したいのは右側、閉塞の欄。季節ごとに閉塞方式が切り替えられ、また、閉塞区間も変更される。そして、タブレットの形。国鉄~JRでは4種類(△、□、○、楕円)だったが、ここには八角形が描かれている。どんなタブレットだったのだろうか。

20110102_999.JPGダイヤと一緒にこんなものも同封されていた。実際に仕様された通券だ。前掲のダイヤで、2列車と4列車をご覧いただきたい。2列車、4列車が村松→七谷へと続行したあと、七谷→村松に進む9列車がある。通票を4列車に携帯し、それを9列車で持ち帰ってくるのだ。

また、レール文鎮だが、何kgレールかは不明。高さは約60mmなのだが、底面が約56mmしかない。レールにはまったく疎いので、どなたかご教示いただければ幸いです。


 

オレ鉄ナイト

オレ鉄ナイト

鉄道

10月2日(日)、カルカルで開催された『オレ鉄ナイト』に参加してきた。

このイベントが開催されると聞いて、すぐ企画者の武田保志さんに「出たい!」と伝えた。話したいことは山ほどあるが、とくに話したいのは、鉄道と地図との関係。鉄道は地形とは密接な関係を持つのに、それを「地図」で見てしまうと、あまりおもしろみを理解してもらえない。だが、鳥瞰図で見ると、鉄道路線が峠を越えるときは、川を遡り、登り切れなくなったところでトンネルに入って峠の下を抜け、向こう側の谷筋に入る…というのがとてもよくわかる。そこから、さまざまな想像が始まる。これを伝えたい。

20111004_999.jpgかつて、そんな本を作った。『カシミール3Dで見る・自分で描く 空から眺める鉄道ルート』だ。2006年の刊行で、書店には在庫しているはずなので、ぜひご覧いただきたい。著者は松本典久さん、写真はRGG(ほとんどが荒川好夫さん撮影)。そこに、この鳥瞰図を自分で作れるソフト「カシミール3D」と地図データ、その解説(すべて杉本智彦さんによる)が入っている。














当日は15時に会場入りし、リハ。
20111004_000.JPGおお、伊藤壮さんの「彫り鉄」が図らずも見えている。(撮影時点では、壮さんが何を出すのか秘密にされていた)

17時30分、第一部スタート。私はステージに向かって右端で、写真家の米屋浩二さんと一緒に観覧していた。

・栗原景さんの『ほろ酔い鉄』
・ヤスコーンさんの『寝台特急鉄』
・武田さんの『社長公募鉄』

そして第二部。私が一人目。けっこう緊張する。一人目だし。
20111004_004.JPG自分がステージに上がっている写真は、米屋さんが撮ってくださった(ありがとうございます)。足閉じろよ>自分。

十数ページのPDFと十数枚の画像を用意していったのだが、思った以上にコメンテーターたち(第一部の方たち)との会話になったので、実際はステージ上でカシミール3Dを操作することに終始した。お見せしたのは、タクさんが話した越美南線・越美北線を結ぶショートカット(油坂峠)ルートの鳥瞰図。これでカシミール3Dに興味を持たれた方は多いと思うので、ぜひこういう楽しみ方を試してみて欲しいなと思う。

ほとんど未発表となった画像はこちら。
20111004-998.JPG(Frickrにアップしてあるので、ジャンプ先からご覧ください)


第二部は、こう。
レオンさんの模型動画鉄
しろうまりもえきちょうさんの中の人鉄
・伊藤壮さんの彫り鉄
松ヒトシさんのオブジェ鉄
・やまもとさんの旅人鉄+写真
佐藤弘樹さんのスポーツ撮り鉄


松さんの「オブジェ」がすごかった。
20111004_002.JPG20111004_001.JPG20111004_003.JPG8630。こういうものは、バルブギアの仕組みや位置関係等を立体的に把握していないと、作ることはできない。なおかつ、大胆なデフォルメもお見事。

クリスタルのC11は、砂撒缶がボイラケーシングとサイドタンクの間を通る様子などまでわかる。いろいろと製作のお話もお伺いしたのだが、ほんとにすごい。


壮さんの彫り鉄。
20111004_007.JPG(ほかの皆さん、写真撮ってないのですみません)。


出演者で集合写真。
20111004_006.JPG.


このイベント、会場のお客さんも、UST見ている人たちも(かなり多かったようだ)、口を挟みたくてうずうずしているのがよくわかった。横山店長はまたやる!と言っているので、次回ももちろん申し込む。

好きなことについて話すのが、こんなに楽しいとは思わなかった。次は倍率上がるかな?


当日のTL(togetter)




昭和57年 上越新幹線 開業前試運転ハコダイヤ

昭和57年 上越新幹線 開業前試運転ハコダイヤ

鉄道

20110417.jpg古いアルバムに貼ってある写真をスキャンしていたら、こんなものが挟まっていた。

昭和57年11月の上越新幹線開業を控え、直前の夏には試乗会を多く開催していた。私は鉄道少年団という非常に楽しい組織に属していたので、そこからご招待があった。このハコダイヤは、おそらくそのときにもらったものだと思う。


公式試運転とはよく聞く言葉だが、試運転との違いは何だろう? その編成初めての試運転?



昭和50年代の駅名標(越後線)その3

昭和50年代の駅名標(越後線)その3

鉄道

昭和50年代の駅名標(越後線)その1
昭和50年代の駅名標(越後線)その2の続き。

●石地駅
e651d12a.jpgいまのいままでオリジナルの書き文字だと思っていたが、RAを見ると、大河津系だ。所在地表記もないのも同じだ。

しかし、燐駅表示の矢印がなく、T字型の交点に「・」がある。なぜだろう?

●礼拝駅
7a862b6b.jpg「桐原系」。このRにしびれるね。

●西山駅
7d80f497.jpgこれは新しい系統。燐駅表示のT字の交点が▼になっている。書体は、角丸ゴシックとでも言おうか。そして「わ」の縦棒が左に撥ねるという特徴的な書体。

そして、鳥居の組み方だ。古レールなのだが、縦の柱が、側面ではなく、レール頭頂部がこちらを向いている。これはいま気がついた。写真を撮って30年近く経つのに。こういうのに気づくことが、「数を見ることの大切さ」を再認識させられる。

西山と田中角栄。越後線と平行する国道116号は、新潟から来ると、それまで2車線だったものが、西山駅付近から4車線になる。かつてはまた2車線に戻ったような気がするが、いま改めて衛星写真を見ると、国道8号との合流地点まで4車線となっている。私の記憶違いか。その4車線部分を、この西山駅に停車中の電車内から見ることができる。

周辺は刈羽郡。昭和50年代後半、郡名を冠した刈羽郡刈羽村が「村」であるのに対し、刈羽郡西山町が「町」であることに引っかかった。郡名を冠しているのはあまり意味はないのだが、当時はそう思った。そして、駅の「格」は、その当時から、西山駅は交換可能な2面2線、刈羽は1面1線である。いやもちろん、交換設備というのは駅間距離によるもので、「駅の格」などというのは言葉の綾である。

『国鉄全線各駅停車 中央・上信越440駅』(昭和58年刊)によれば、電化・CTC化前の当時の越後西線の交換可能駅は、吉田側から(括弧書きは棒線駅)

吉田-(南吉田)-(粟生津)-分水-大河津-(桐原)-小島谷-(妙法寺)-出雲崎-(小木ノ城)-石地-(礼拝)-西山-(刈羽)-(荒浜)-(西中通)-東柏崎-柏崎

である。現在は、新たに棒線化された駅を<>とすると、

吉田-(南吉田)-(粟生津)-分水-大河津-(桐原)-<小島谷>-(妙法寺)-出雲崎-(小木ノ城)-<石地>-(礼拝)-西山-(刈羽)-(荒浜)-(西中通)-東柏崎-柏崎

となっている。


●刈羽駅
5cdff71c.jpg西山系。なぜか「あらはま」の「あ」が消されている。

●荒浜駅
71557edf.jpgこれもかなり好きな駅名標。桐原系。RAの特徴も健在。この「ら」は、ちょっと縦棒を左に振り過ぎたか、というような感じ。他の駅名標(撮ってない)では、ここまでひどく(?)ない。

背景のどんよりとした灰色の空、これが冬の裏日本。

●西中通駅
d6dd634c.jpg桐原系。昭和50年代前半に、一度だけ下車したことがある。そのときは相対式ホームだったような記憶があるのだが、不詳。

●東柏崎駅
6a7b1ca8.jpg新しい系統。

最寄り駅が柏崎駅である母方の実家の祖母は、なぜかこの東柏崎駅を愛用した。タクシーでわざわざここまで来て、越後線に乗って来るのだ。やはり新潟駅ではなく、手前の白山で降りてタクシーに乗って我が家に来た。なんでも、「大きな駅は落ち着かない」とのことだった。かつて、「比角駅」と言った。だから、祖母はこの駅を「比角の駅」と言っていた。もう亡くなって23年経つ。

●柏崎駅
c2fe44b2.jpg確か、手書きではなく、プラスチックを貼り付けたものだと思う。柏崎駅の鳥居型はこのひとつだけだった。そして、鳥居型ではなく、このように逆U字型のパイプに吊す「門型」も新潟界隈では珍しい存在だった。


了。



昭和50年代の駅名標(越後線)その2

昭和50年代の駅名標(越後線)その2

鉄道

昭和50年代の駅名標(越後線)その1のつづき。

●南吉田駅
a8041a15.jpg燐駅表示にご注意。「あおうづ AOUZU」である。

●粟生津駅
7d4ebe0d.jpg「あおうづ」が
「AÔZU」

と、「おう」が長音になる! これを初めて見たとき驚いた。駅名標が好きだったので、ローマ字は読めたのだが、こう来るとは。

「う」の形が違うので、南吉田とは異なる筆跡である。

●地蔵堂駅(現:分水駅)
1fffd937.jpgこれまた長音記号の連発に萌える。JIZÔDÔ!

そして

AÔZU! ÔKÔZU!
古レールでできた駅名標に5つも長音記号がある。

b7aea98d.jpg「鳥居型」ではないが、こんなのもあった。どうですか、おの極太丸ゴシックといおうか、看板文字。フォントにして配布したいくらい。

●分水駅(改称)
e3c005c2.jpg昭和58年4月1日、地蔵堂は分水に改称された。このとき、前日と当日の2回、新潟駅から往復した。当日は朝4時50分発という始発に乗って入場券を買いに行ったが、すでに100番を超えていた。

この時代はまだ手書きであるのがよくわかる。前日には駅名標は書き換えられており、上に「じぞうどう」と書いた張り紙がしてあった。

ea7d2d8d.jpg駅舎。「分水駅」の文字、「駅」の「馬」の中の点々を一直線に書くのもお約束である。

●大河津駅(現:寺泊駅)
8fc95543.jpg少し投げやりな感じの書体。擦れているので、薄幸な感じもする。いや、擦れていると共に、イタズラでなぞって削ってあるのだが。燐駅表示の「き」が好きだ。

鳥居自害は古レール型。

●桐原駅
19742179.jpgこの「桐原」で駅名標に目覚めた。この平仮名とローマ字のぶっとい書体、そしてサビ具合。

この鳥居いは照明がない。

●小島谷駅
b8b86c82.jpg美しい駅名、「おじまや」。「き」「R」「A」の書き方からして、大河津と同系統。「大河津系」とする。

漢字表記の「谷」だけ、ちょっと書き直したようにも見える。

偶然か、鳥居の形状も同系統。風格のサビ。


●妙法寺駅
953e65ee.jpgエキゾチックな名前だと思う。妙法寺。同レベルのものは「妙寺」しか知らない。

「桐原」と同系統。もっとも好きな系統。

b5ceb2e6.jpgあるときからプレハブ駅舎になった。そして、こんな駅名標が掲げられた。こんなものでも、手書きである。

●出雲崎駅
9d694e78.jpg桐原系かと思いきや、所在地表記の「潟」が略されている。真相は不明。

●小木ノ城駅
ab71c45f.jpg分かち書きとでもいおうか、ローマ字が一音一音に対応している。



昭和50年代の駅名標(越後線)その3に続く。




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