
ここではマックレーと連結されている。キ604の前部に連結器はないため、左右に渡した梁をひっぱる形になるが、実際の作業でこのように連結したままの写真は見たことがない。キマとロキに別れて「2列車」で運転する。
操作室は十分に広い。こちらはあくまでも除雪装置の操作用で、動力源たる蒸気機関の投炭関係の部屋は後部にある。写真左が前、右が後ろ。右に見える箱は、日立のベビコン。
目立つのは、中央部にある扇形の大歯車とその操作に使う右上の大小歯車。何を操作するのかわからないが、大きな力が必要なもののようだ。位置からして、投雪口の左右切り替え・角度調整か。
操作室背面には、ボイラの圧力計と右に加減弁、右下に逆転機。ここで運転士はボイラの出力を調整していたはずだ。
操作室を振り返り、右からボイラを覗いたところ(車体左側)。左の扉のガラスの左に写っているのが煙突。ほぼ真ん中のが蒸気ドームで、そこに加減弁からのリンクがつながっている。その下のパイプが動力源で、ボイラ右の箱の中がシリンダーだと思うのだが、この中を通る蒸気がどうピストンにつながっているのかはわからない。 
投炭室。蒸気機関車と異なり、運転関係の装置がないので広々とした印象。

数年前から気になっていた三条市の旧越後大崎駅近くにある町会掲示板。明らかに古レールを加工した国鉄の鳥居型駅名標なんだけど、弥彦線廃線跡調査系の文献やサイトがスルーしてるところをみると、越後大崎駅のものではないんだろうか? pic.twitter.com/nQfbkU0vMS
— 広坂 兼六 8/14東モ57b手伝い (@hirosaka_boyaki) 2015, 5月 24
古レールで組まれた「鳥居型」の駅名標の横木にある、本来は電灯がある場所がのっぺらぼうになっているので、これと同じ駅名標なのは間違いないだろう。これがどこにあるのか、探しに行った。探し回らなくてはならないかな…と思いつつ国道289号と県道の交差点にさしかかると…
すぐわかった。写真の道路は県道。写真奥を左右に横切るのが国道289号。左端はコンビニ。
いや、なんとも見過ごしそうなたたずまいである。表面は駅名を塗りつぶしたのではなく、板を当て、ボルト留めしている。
裏から見ると、こう。ナットが見えている部分が鉄板で、表面の板を剥がせば「えちごおおさき」という文字が残っているに違いない。
車体後部から前部に向けて撮ったもの。床にシリンダーが2基。その前部にダルマストーブと長いす。その前部、一段高くなった場所に運転台がある。
左が運転席、右が操作席。その中央にスイッチ類が並ぶ。左から「持ち込み灯」スイッチ、そして家庭用100V用のスイッチが流用されたと思いきや「300V 10A」の表示がある、単純なオン・オフ式の「左旋回窓」「右旋回窓」「表示灯」「計器灯」、「250V 15A」の表示があり「入」「減光」選択式の「作業灯」(前面窓上部左右のシールドビーム)、「前照灯」(前面窓上部中央)。
中央から右にかけての操作部。左のハンドルは縦軸で左翼の「開←→閉」、中央も縦軸で右翼の「閉←→開」、右は横軸でフランジャー「昇↑↓降」。
場所をうっかり記憶していないのだが(おそらく前面窓内側上部)、圧力計。「33.7TZ」とあるので土崎工場で点検したのが最後か。
マスコン左の、かつての新潟交通バスで使われていたものと同じ、バス用押しボタンが逆さまに取り付けられたもの。「笛」「ホエス(ル)」とある。これは制御回路用の100Vではないだろうな。バス流用なら直流24Vがせいぜいか。エアで鳴らすのではなく、クルマのクラクションのような「笛」がついていたのか、とも思ったが、VICOMの映像を見る限り、エアのようだ。
右側にも「笛」があるが、押しボタンとしては取り付け方が正しい。
中央に「カノピースイッチ」。1500V5Aが来ている。制御機器の「入←→又入(リセット)」。その左にはパンタ上下のスイッチ。右の穴はストーブか。その上はブザーか。
新潟交通電車線の月潟駅跡には、キ100形キ116、モワ51、モハ11が保存されている。これは、丸田祥三さんの取材にお供をした際に撮影したものだ。「かぼちゃ電車保存会」が活動している時には車両内部が開放されており、キ116の中にも立ち入ることができる。
車両内部、後部左側に、このようなエンジン発電機が備え付けてあった。全貌がわからないので、何のエンジンを流用したのかはわからない。太い黒いホースが吸気ホース、その上部にあるものがエアクリーナー。その奥の赤いのがガソリン(たぶん)タンク。下部に上面を見せているのがエンジン本体だ。ガソリンタンクには「路上走行をする場合は必ずモミウケ棒を折りたたんで下さい」という注意書きがある。モミ…というからには脱穀機か?
上面の放熱器、左の錆びたカバーの下にプラグが見えるので、これはシリンダーヘッドだろう。ということは空冷エンジンか。そして、このシンプルなフィンは、混合給油の2ストロークだろうか。
(写真はかなりの露出オーバーにしてある。車体・台車とも黒色)
車体内側左最後部に「転換器」箱があった。「定位 発電機←→非常バッテリー」。その下の「操作盤」には
加悦SL広場に、国鉄から貸与されたキ100形(キ165)がある。内部に入れる貴重な車両だ。
こういう鋳物の観察もとてもおもしろいのだが、車体後部にこういうものがあった。
配電盤には「キより給電時及びEGのウテ時」(注:キ=機関車と推測、ウテ=運転)という文字が見える。「総括スイッチ」は、いくつかのスイッチをまとめて入切するスイッチという程度の意味だろう。その上の「B」は、おそらくバッテリーで、この配電盤は、キ165の前照灯・尾灯や室内灯への給電を、機関車からとるか、車載バッテリーからとるかを切り替えるものだと思うが、ではこの「EG」および「エンジン起動用操作□」とはなんだろう。車体後部に発電エンジンでも積んでいたのだろうか。しかし、そんなスペースも様子も見当たらない。キ165の後部も写真を撮っておけばよかった。
福知山線の除雪列車のダイヤ。
1980年の夏だろうか。場所は柏崎-鯨波間の大久保隧道の東側。このすぐ近くに母方の実家があったので、よくここで列車を見ていた。列車が近づくと大久保隧道から新潟地区特有のブザーが鳴り、列車の接近を知ることができた。連結器が剥き出しになっているので、下り列車だろう。
こちらは後追い。連結器カバーがついているので、長岡方。こんなふうに盛大に構図を外すのは、写真の撮り方などは知らなければ教えてくれる人もいない小学生ゆえとご笑覧いただきたい。
こちらは1982年。まったく進歩がない。別にたくさん撮っていたわけでもないし、向上心もない子供なので、それでいいのだ。クハ489は貫通型。プリント欄外のFUJICOLORの文字はイタリック。
新潟駅の1番線。「雷鳥」として大阪から駆けてきた485系を折り返し「北越」に充てる作業と推測する。だとすると「雷鳥3号」、14:54新潟着だ。とはいえ上り「北越」の新潟発は16:30。いったん引き上げていただろう。1番線は「とき」が使うのだ。
スカートの汚れなどから同じ日の写真ではないと思うが、これは向きからして新潟駅の4番線に11:47に到着した下り列車ではないかと思う。隣の3番線にはクモユ141と思しき車両がいる。新潟駅では下り方(新津・新発田方向)に郵便車を連結していた。
北陸本線の特急に乗った経験はごく少ない。中1のときに新潟から福井往復、その帰りは金沢から北越2号だった。もう一回は高2のときの京都修学旅行の帰り。その、のべ3回だ。長岡から新潟までは、東京から新潟まで18きっぷで帰る時に、北越に乗れば1時間ほど早く帰れるダイヤだったときに、何度か乗ったことがある。
十数年ぶりに、京都北部丹後半島の伊根に行った。ちょうど夕日が落ちるときで、それはそれは美しかった。
漁港に船を引き上げるための台車とレールが2組あった。
湾内らしく波もなく、静かに洗われるレール。
台車は、片方は1台だけ、もう片方は2台がつながっていた。どちらも構造は同じで、木製の架台と、ジャッキが2台1組、ジャッキの上にも架台というか木片というか。
船体の塗装に使うのだろう。台車は塗料にまみれていた。パンタグラフジャッキは左右それぞれ独立している。上の木片は内側に向けて首を振るが、外側には倒れない。
ジャッキがある横梁と柱が立つ横梁は、水平になっている。写真にあるコードは柱についたスイッチと、台枠内に装架されたモーターをつなぐものと思う(よく確認しなかった)。
車輪は戸車のように両側にツバがあるもの。当然だが、軸バネなどはないようだ。