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片洞門を見るために四国の石鎚山に向かう道を走行中、ボーストリングトラスが目に飛び込んできた。まったくのノーチェックだった。「歴史的鋼橋集覧」にはない。

 
検索すると、いろいろな情報が出てきた。本四高速のサイトで紹介されているくらいだが、そこでは「曲弦トラス」と書かれている。ボーストリングトラスは曲弦トラスの一種ではあるが、上弦が円弧状で端柱もその延長線上にあるため「アーチの一種」という主張もあり、また特有の弱点もあるので一般的には分けて考えるんじゃないだろうか。


 
垂直材は下弦を過ぎて延び、横桁を保持している。また、一部、補修がなされていて、その部分はボルトが使われている。リベットを置き換えた部分もあるのかもしれない。

 
垂直材は2組が背中合わせになっていて、レーシングの厚みだけ離れている。

 
そこだけを見ると、噛み合わせになっているように見える(噛み合わせではない)。

 
一部に補修の跡。

 
県道側(左岸)。耐荷重は14t。

この県道は行き止まりだ。なのに、大正14年にこの規模で架設されたというのは、なにか理由があるはずで、土木学会の選奨土木遺産・大宮橋の解説では、
このような芸術的な橋(筆者注:大宮橋)が、ほとんど人の訪れることのない山奥に架かっているのには理由がある。実はこの橋(筆者注:大宮橋)は、瀬戸内海側の西条から四国山地を抜けて太平洋側の高知へ至る幹線道路の一部として建設された。(中略)ルート上には、大宮橋以外にも、鋼トラス橋である千野々橋(1925(大正14)年)、RC充腹アーチ橋である河口橋(1925(大正14)年)などの古い立派な橋も現存(中略)。この幹線道路は、明治から戦前にかけて別ルート(現在の国道194号)との誘致合戦があり、地元の熱烈な誘致運動が行われた(中略)このルートは戦後になって誘致合戦に敗れたため、現在では、大宮橋は人知れずひっそりと残されている。
とある。その一環として、この規模の橋が架けられたのだろう。なお、私は帰宅後にこの解説を見たので、大宮橋は行っていない。

それともう一つ、その大宮橋付近では、別子銅山と同様に(?)銅の鉱脈があり、新居鉱山・西之山鉱山があったことは、何か関連があるかもしれない。

愛媛県生涯学習センター
気ままに鉱山・炭鉱めぐり

現在では上流に新しい橋が架けられており、こちらは旧道だ。

 
 
左の親柱は「加茂川」、右は「千野々橋」。

 
 
 
右岸。左の親柱は「大正14年5月完成」、右は「ちののはし」。「完成」という表記は珍しい。

 
 
気づきにくい場所に銘板があった。

千野々橋
大正14年5月
愛媛県
昭和44年11月補修
新橋維第1号
昭和55年3月補修
新橋整第1号
使用鋼材 SS41.
製作 住友重機械工業株式会社


 
右岸より。

 
 
 
渡った先の千野々集落の入口。




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