「石手川橋梁」という名称の鉄道橋は、JR四国予讃線のプラットトラスと、この伊予鉄道石手川公園駅のふたつがある。ここで紹介するのは後者である。流れとしては、「100フィートポニーワーレントラスの横桁考」で考察しているのと同じつもりで見に行ったのだが、こちらはそもそもプラットトラスであり、根本的に構造が異なっている。以下、見てきたままに写真だけ。 松山市内を西へ流れる石手川に架かる103フィートの橋。写真は下流側から見たもので、いままで紹介してきた英国系ポニーワーレントラスとは形態が大きく異なることがわかる。製造は、イギリスのパテントシャフト&アクスルトゥリーだが、標準設計の「英国系」ではない。 (アメリカ製、と書いていたのを修正。眠くて落ちながら書いたんだよ…と言い訳) 北西側(地図でいう左上)には踏切があり、それよりも少し駅寄りの土手から。 この橋が支えているのは、線路だけではない。プラットホームも支えている。 プラットホームから見ると、トラス部分はこのようになっている。ホームに鎮座するトラスの部材間にはロープが張ってあり、通り抜けできないようになっている。 画面左側すなわち上流側のトラスの向こうには歩道がある。駅の出入り口は対岸側(写真右の奥)なので、かなりの頻度でここを人が歩いている。 横桁は英国系100フィートポニーワーレントラスとは架け方も本数も異なる。かけ方は、垂直材と斜材をピン結合してあるその上に架けてある。英国系100フィートポニーワーレントラスのように1パネルの間に2本の横桁が乗る、というようなことはない。 ピン。 横桁の形状は、直線基調である。縦桁をくわえ込んでおり、縦桁の上に横枕木とレールが載っている。その縦桁は、橋梁の中央に位置している。「英国系」は、横桁の上に縦桁が乗るので、明確に構造が異なる。 これは上流側から見た橋の側面だ。 この橋の製造は、歴史的鋼橋集覧によれば1893年。標準設計の「英国系」100フィートポニーワーレントラスは1876年の京都-大阪間の鉄道開通時にすでに使用されており、なぜこの石手川橋梁が、既に多数の実績のある「英国系」ではなく、プラットトラスになっているのかという疑問がある。そして、これが『明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第2報)』のリストにないのも不思議だ。 歴史的鋼橋集覧には「筑豊興業鉄道遠賀川橋梁初代と同形」とある。筑豊工業鉄道が若松-直方間(現在の筑豊本線)を開通させたのは1891年である。また、上記論文のリストにも、パテントシャフト&アクスルトゥリー製のポニープラットトラスは例がない。標準設計が当然の鉄道橋梁の歴史の中で、この石手川橋梁と、既に失われた遠賀川橋梁がどのような位置づけになるのか、とても興味深いが、いまは知る術もない。 PR |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|