ちょっと変わった外見のプレートガーダー橋。3連。橋梁の名称は不明である。場所はここ。八幡運河に架かる。

なんかおかしい…と感じませんか? その違和感は、上面にも側面にもある。
通常、プレートガーターの上面は、左右の主桁をつなぐ横構があるだけで、スカスカだ。また、側面は、主桁を補強する
保護ウザイ補剛材(スティッフナー)がある。この橋は、それらがない。ツルペタだ。

桁の中間に添接板がある。この桁の場合、上面もプレートなので、上面にもきれいな帯状に添接板が留められている。ボルトはトルシア型高力ボルト。
また、側面を見ると、うっすらと、ミミズ腫れのようなスジが浮き出ている。これはきっと、スティッフナーが内側にあるのだろう。と思って裏側へ。

おお。裏から見れば、左右の桁をつなぐ横構も、桁の補強材であるスティッフナーもきちんとある。しかもそれらがΠ字型に剛結されている。
横構に丸い孔があき、ワイヤーのようなものが通っているようにも見えるが、さにあらず。天板側から、半円と円がひとつずつあき、その部分に長手方向の補剛材が溶接されている。そして、その補剛材にも孔があき、半円と円の間の鼓型の部分を逃がしている。なかなか立体的な造形をしているのだ。
この画像は桁の裏側を写すために、下部構造が飛んでいる。下部はこう。

なんだか不自然な形をしているなあ。橋脚左側にある犬走りみたいなのはなんだ。
そう思ってこの桁の銘板を見るとこうだ。

(上)
京葉臨海鉄道株式会社
1993年1月
KS16 支間22.650m
28.014T 382M^3
株式会社宮地鐵工所
(下)
材料
9.10.14.16. SM41A 新日鐵
22.25. SM41B 新日鐵
36.48. SM41C 新日鐵
9.10.16. SM41A 新日鐵
22. SM41B 新日鐵
1993年に架け替えられている。
では、架け替え前の橋はどうだろう?
1974年の航空写真で見てみる。

トラス橋がかかっている。おそらく、この新橋は橋長約60mで、古い橋は200フィートクラス(約60m)に違いない。
例によって、『
明治時代に製作された鉄道トラス橋の歴史と現状(第5報)米国系トラス桁・その2』(小西純一・西野保行・淵上龍雄)を参照すると、あった。
旧橋の名称は八幡運河橋梁(であるので、ここに紹介するのも同じ名称だろう)。1911年アメリカン・ブリッジ製200フィート単線プラットトラスで、元々は東海道本線の大井川橋梁上り線として1958年頃まで使われいたものを転用し、1963年にこの地で開通させたものだった。なお、京葉臨海鉄道には同様の経歴を辿る村田川橋梁があり、そちらには、きちんとその桁が残っている。後日書くつもりだ。
このトラス橋が八幡運河を一またぎしていたのだから、先の橋脚は新桁設置と同時に設置されたものだろう。ますます、左側の犬走り状の部分の意味がわからない。では、橋台部分はどうだろう。

ん…。トラス橋時代の橋台がどうだったかがわからないので比較しようがないな。では、旧橋と同系の桁である、京葉臨海鉄道村田川橋梁の橋台を見る。

おお、新桁と同じくらいの深さはありそうだ。といっても採寸したわけでないため、あてずっぽうだ。「ずっぽう」ってなんだろう?
図らずも旧桁に話が飛んだが、銘板に戻る。銘板付近はこうなっている。

気になるのは、桁を結ぶ落橋防止プレートである。ばかでかいコッタピン。
また、実は斜橋だ。両端の橋台はそうではないので、橋の架け替え時に新たな橋脚を立てる際に、流れを妨げないように、橋脚を斜めに設置する必要があったのかもしれない。
また、桁の端部を見ると、そこだえスティッフナーが外に(も?)ついていたり、フランジ(主桁の下側。断面:エの字の下の横棒に相当)の横幅が広くなっていたりする。
この橋は、平行する道路橋からじっくり観察できる。今後数回、千葉ネタを書くつもりだ。
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