有名な浜中津橋。詳細は
wikipediaがあるので、そちらに任す。さらなる詳細は、土木史研究発表会論文集の1987年6月分にあったはずなのだが、ちょっとリンクが見あたらないのでわかったらリンクすることにする。
歴史的鋼橋集覧もぜひ。
大阪市のサイトにすらある。

阪急各線が梅田を出て、中津を過ぎて新淀川を渡る直前、車窓左にこの桁が見えるはずだ。写真奥は1926年開通の阪急の新淀川橋梁だ。
水平がおかしいように見えるかも知れないが、画像右に向かって下っているから、これでいい。勾配は1/32。右が梅田方(大阪駅方)、左が新淀川方である。
浜中津橋の下は遊歩道である。もちろん最初からこうだったわけではなく、以前はここは
長柄運河という独立した川だった。そのため、ここに架橋が必要だったのだ。
この桁は数奇な運命を辿った桁で、1874年に鉄道が開通した際、単線桁として使用開始された。しかし、複線化を織り込み済みであり、本来の姿は3主構(トラスが3つ、トラスの間に線路が敷かれる)であった。それの、「中央主構+側主構」のみでとりあえずは製造された。煉瓦積み隧道でいえば下駄歯仕上げにしてあるようなものである。
それが、後日複線化され、やがて道路橋に転用された。その際には最初からあった側主構が撤去され、中央主構と追加された側主構だけが転用されたのだ。土木学会をして「撤去の時期が来たら復元保存すべき貴重桁である」と言わしめる存在である。
あとは写真を並べるのみ。

追加された端部の部材。また、裏側をよく見て欲しい。

両サイドの水色のトラスが本来のもので、4本の縦桁は後生に加えられたもの。

床版は、このようトラスの下弦からは浮いている。

親柱1。梅田方・下流側。

親柱2。梅田方・上流側。

親柱3。新淀川方上流。

親柱4。新淀川方下流。

梅田方から。

塗装標記。

斜材の様子。
<参考文献>
冒頭にリンクを貼った各文献。
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