(左岸・下流側より)
JR高山本線白川口駅の近くにある、飛騨川を渡る橋。鋼製主塔を持つ吊橋で、85年が経過している。現在は歩行者用となっている。場所はここ。
飛騨川と、支流・白川の合流地点である。白川はここから東に遡上し、東白川村、中津川市加子母に至る。その道筋を「白川街道」という。現在の県道62号と国道256号の一部である。同じ岐阜県ではあるが、白川郷とは関係がない。同じ県内に「白川町」と「白川村」があるのはよそ者には混乱を招きそうだ。
地図を見てわかるとおり、ここに白川橋がかけられたのは、白川街道の重要性と、国道41号(1953年より)の重要性からである。文章で説明するとまどろっこしいが、川が合流するところで橋を2本かけて済ませられるようになっている。
1960年、下流に飛泉橋(ランガー桁)が架けられて国道が換線され、こちらは県道となった。白川街道から国道41号に出たい人にとっては、飛泉橋を経由すると遠回りになるため、この白川橋が現役のころは重宝されたに違いない。
この白川橋がどんな橋であるかは下記に譲り、ここではディテールを見て行くだけにする。
・
wikipedia(写真がどこかで見たことがあるのは偶然ではない)
・
歴史的鋼橋集覧
まず、東側からアプローチする。

この手前は鈎形になっている。画像右には電気店がある。左の掲示板のようなものは、この橋が選奨土木遺産になったことをきっかけに掲げられた解説である。

いろいろ書いてある。拡大してご覧いただきたい。
さて、一歩踏み込む。

古めかしい送電鉄塔のような出で立ちの鋼製主塔。「白川橋」という扁額も掲げられている。補剛トラスは径間ごとに区切られている。

隧道の扁額は石材だが、橋梁は金属製である。装飾的要素としてだと思うが、額縁のように、リベットが文字を囲っている。

中央径間の補剛桁に製造銘板がある。まず左(下流側)。
大正十五年製作
大阪
日本橋梁株式会社
とある。扁額は右書きなのに、銘板ひ左書きである。

右側の銘板は…
請負
飛州高山
山本宗兵衛(と読める)
請負が銘板を残すのか!

主索とハンガー。主索がもっとも低くなる部分では、主索は補剛桁の上弦より低い位置に来る。主索が何かに巻かれているように見えるが、主索は錆びないようにコートされているのが普通。現代の長大吊橋では、その中に乾燥空気を送り込んでいるはず。

ハンガーが補剛桁を吊っている部分。補剛桁側にU時フックのようなものがあり、それで吊っている。

渡ってきた方向を振り返る。主塔の裏側(?)もよくわかる。興味深いことに、表側(?)とアングル材の見え方も同じだ。
(続く)
コメント一覧
現在、新しいコメントを受け付けない設定になっています。