長野隧道(1) (国道163号/三重県)の続き。
上記の明治隧道は東側であり、西側は強制的に埋没させられている。それはまた後日書くとして、東側の坑口のすぐ「左下」に、昭和の隧道があった。2008年に訪れたときには。そして、2010年に訪れたときも、当然、まだあると思っていた。
しかし。

驚いた。
塞がれていた。
ちょっと手前から。

この「右上」に、明治隧道の坑門がある。そして右側に、なにかの事務所がある。
画面右端に見えている石碑は隧道改修記念碑である。その向こうには、明治隧道から取り外された扁額がある。

隧道改修記念碑。「昭和十四年三月/膵臓が奇襲記念碑/衆議院議員
馬岡次郎書」と刻まれている。「改修」とはいうものの、昭和隧道すなわちここに掲載した閉鎖された隧道の工事を記念したものだろう。昭和隧道は、
nagajis氏の記事によれば昭和16年の完成である。

「其功以裕/従三位勲四等岩村定高」と刻まれた扁額。西側のものか東側のものかはわからない。

「補造化/
内海忠勝書」とある扁額。このふたつの扁額の解題は、やはり
nagajis氏の考察に委ねたい。
2008年に訪ねた際、明治隧道へは、向かって右の斜面をむりやり進んでいった。明治隧道の坑門前に行ったらチェーンソーの音がすぐ近くで響いており、しばらくすると山仕事、というか周辺整備の仕事をしている方が歩いて行った。
しかし、2010年の再訪時には、左に通路ができていた。

整備されるのは嬉しいような、そうでもないような。。。
ここで振り返ると、こう。

路面の状態はこんなだった。これは、台風の後だったからということもあるが、もし昭和隧道が閉鎖されていなければ泥はすぐに撤去されたことだろう。
再度、「寄る」。

この昭和長野隧道の扁額は、なおもnagajis氏の記事に頼れば、当時の三重県知事・佐藤正俊の書である。この写真では、「道」の左に何かしら文字が刻まれているのがわかるが、かろうじて「事」は判別できるものの、ほかは苔が埋めており、判読不能だ。

2008年の東口。左に落石注意の標識がある。拡大
してみる。

▲の左側に落石がある。現実とは逆側に…。
そして、2010年のもの。

標識が更新されている。支柱が新しくなり、▲の右側に石が落ちている。2008年7月の撮影後、12月に閉鎖されてしまうのに、なぜ標識を新しくしているのだろう?
もしかしたら、隧道を塞ぐ際に更新したのかもしれない。その手前までは道路として管理しなければならないためだ。設置年月を確認していないのが悔やまれる。
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