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新潟みなとトンネルの「山の下みなとタワー」から、こんな橋が見えた。

前後に道路がない。まるで、鉄道の廃線跡のようだ。…いや、トラスの軸とは直角方向に、上記画面内に廃線跡はあるのだけれど。
ワーレントラスが3組、並列している。スパン割はそれぞれの端部を除いて同じで、上空から見ると、写真で言うと手前(北側)を長辺、奥(南側)を短辺とした台形になっている。
その晩。

1枚目の写真の「抜こう側」に道路があって、そこからは間近で見ることができた。台形の短辺にあたる側だ。

1枚目の写真でいうと、左側の端部。鉄道になぞらえて言うと、左から、単線/複線/複線の廃線跡。ここは、コンクリートの柵があり、隙間も狭いので、自由に撮ることはかなわなかった。
翌朝。

もっとも長い桁。衛星画像で見ると、スパンは60mくらいか。この桁と平行する奥の桁はスパン70mほどだろう。

写真右が、ひとつ上の長いスパンの桁。そこから左にそれぞれスパン30mほど、40mほど、40mほどの桁が架かっている。
なぜ、こんなスパン割なのか。それは、かつての航空写真を見れば一目瞭然だ。

国土画像情報のサイトにある
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/75/ccb-75-10/c5/ccb-75-10_c5_3.jpgをトリミングしたもの。ご覧の通り、鉄道の路線が張り巡らされている。それらをまたぐために、変則的なスパン割になっていたのだ。
拡大。

これは1975年のものだが、当時から三つ並行していたことがわかる。
なお、
1962年の写真ではトラスはない。火力発電所の稼働が翌1963年7月からで、当時はまだ建設中のようだ。1975年の写真は、これに比べてずいぶんと港が掘り込まれている。
桁に戻る。

右から単線/複線/複線(廃線跡)。右ふたつは同じ年代、左のひとつは少し古いように見受けられるが…

こうして(右=複線(廃線跡)、左=複線)見ると、同じ年代のようにも見える。ひとつ上の写真と方向が違ってスミマセン。なお、「廃線跡」は水管橋としては使われていないが、これらふたつの桁の間には太いパイプが渡されている。

また、その反対側(北側)には、このように別のパイプが5組、並行して取り付けられている。
* * *
端部(東側)。トラスよりもこの太い鉄管が美しい。

「単線/複線/複線(廃線跡)」という表現がおわかりいただけると思う。
製造銘板を、左から。
左端(単線)。

1968年10月
東北電力株式会社
製作 石川島播磨重工業株式会社
架設 第一建設工業株式会社
中央(複線)。

1984年11月
東北電力株式会社
製作 石川島播磨重工業株式会社
架設 第一建設工業株式会社
この「複線」は1981年の航航空写真に写っているので、架け替えられたのかもしれない。
右端(複線・廃線跡)

なぜか右側にある。
1962年10月
東北電力株式会社
製作 石川島播磨重工業株式会社
架設 第一建設工業株式会社
となっている。
単線。

象の鼻とでもいおうか、そんな印象。

「複線」。こちらは階段がない分、とてもスッキリ。
そして、複線(廃線跡)。


トラス部分の鉄管は撤去され、地面に突き刺さる部分だけが残っている。
パイプライン。「第3石油類」というのは、ここでは重油のことだろう。現在稼働している新潟火力発電所の4号機は重油などを燃料にしている。
…それにしても。テロ対策だなんだと言われている昨今、発電所へのパイプラインが露出していて驚いた。でも、仕方ないのだろうな。
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