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八郎橋(奈良県五條市/旧大塔村)

八郎橋(奈良県五條市/旧大塔村)

ボーストリングトラス

奈良県の旧大塔村(現五條市)にある八郎橋。旧道倶楽部で永冨さんが記していたのをメモしておいたので、訪問した。ポニーボーストリングトラスかと思うが、ポニーゆえに橋門構がなく、よって曲弦トラスとの区別が難しい気がする。永冨さんも、サイト「橋の散歩道」も断定には慎重になっている。

北側。写真左は東側(山側)になる。山側は2011年の紀伊半島大水害での被害も大きく、その復旧工事がいまも進められている。その看板により、親柱は見えない。

見えているほうの親柱には「はちろうはし」。

すぐ横(山側)に歩道橋が架けられている。

桁の上部はじっくりと観察できる。垂直材は左右方向に膨れている。左右の垂直材が横桁とつながれ、その上に縦桁が走っているようだが、裏側に回り込むことはできないため、憶測。

南側から。こちらは親柱はない。

トラスを内側から。

全景を合成してみた。悩ましいプロポーションかもしれない。なお、銘板等はなかったと思う。


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2013年GW旅の記録

2013年GW旅の記録

記憶



タイミングよくゴールデンウイークに10連休をとることができた上に、ひとりででかけてもいい状況にもなったので中国地方に行ってきた。ログは上記の通り(dakota20で取得、kashmir3Dで日付ごとに編集、KMLに書き出してGoogleEarthで表示)。

走行距離3190km、累積標高4万4957m、移動時間110時間48分19秒。まあ、こんなものだろう。1日にもっと長く走る人もいると思うが、距離を競っているわけではないし、沿道で出会うものが多いほど、距離は減っていく。道中すべて車中泊。

連日好天に恵まれたため、およそ2000カットも撮影してしまった。撮影した橋や建物等については省略する。

●4/27(土)自宅→嬉野
移動。

●4/28(日)嬉野PA→大塔
『廃線跡の記録4』でLEVEL_7Gさんがレポートしている国見山鉱山の廃線跡へ。上部軌道にはおかしな橋がたくさんあった。偶然にも、土中に半分埋もれていたというD-507の解体作業を目にする。

●4/29(月)大塔→御坊→吉備
紀州鉄道に乗る。

●4/30(火)吉備→津和野
広島の橋等をめぐりながら。

●5/1(水)津和野→三次
観光地としての津和野ではなく、地形や集落について体感しに。

●5/2(木)三次→高梁川沿い→岡山

●5/3(金)岡山→倉敷→加茂川
岡山で開催されている『ピクトさん展』を見に。ここで内海さん、ポールさん、のむたいさん、小鳥遊さんとお会いする。岡山電気軌道、水島臨海鉄道も乗る。

●5/4(土)加茂川→津山→柵原→若桜
津山の機関庫と片上鉄道保存会の動態保存を見る。

●5/5(日)若桜→浜坂→余部→京都南→赤塚
若桜のC12運転→山陰のラティストラスへ。

●5/6(月)赤塚→東名→自宅
渋滞がこわいので午前10時前には帰宅。



撮ってきた写真を全部書くまで2ヶ月分以上の素材がある。お楽しみに。

大木茂さん「石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」と「オリジナルプリント」

大木茂さん「石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」と「オリジナルプリント」

鉄道

縁あって、大木茂さんにお目にかかれる、ある会合があった。その会合にて、なんと「なんちゃってオリジナルプリント」(大木さんの命名)による「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」のデジタルプリント(A3ノビサイズ)をいただいた。(作品名は、プリントに記載されていたものによる)

下記は大木茂写真展『汽罐車』ギャラリートークの写真だが、川端新二さん(右。大木さんは左のひとの向こうに左腕だけ写っている…)の後ろに隠れているのが、「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」だ。

20120801a_003.jpgいただいたのは、これとほぼ同じトリミングのものだ。

そのプリントをここに掲載するのは控えるが、作品は『汽罐車』に収録されているもの(P78)と、ずいぶん印象が違う。掲載されているものは、9600+D51から下りた乗務員の後ろ姿が、強く、大きく感じられる。一方、写真展およびいただいたプリントは、9600+D51と、信号所詰所向こうの林(写真左上)の存在感が強まっている。

そして、そういえば『汽罐車』のサイトに『北辺の機関車たち』の作品として、この作品があったな…と思って見たら、また別のトリミングだ(リンク先を参照)。そちらは、写真展およびいただいたプリントから、さらに左側をトリミングしており、機関車と乗務員どちらも強調されている。

ここで、三種類のトリミングの「北海道・石北本線 常紋信号場 1971年3月13日」が現れたわけだ。縦横比がスクエアに近い『汽罐車』版、天地をトリミングした写真展版・いただいたプリント版、左と天地をトリミングした『北辺の機関車たち』版。オリジナルは『汽罐車』版だろうか。天地方向がもっとも広い。となると原版は6×6だろうか。

私の感想としては、少しだけ天地をカットした『汽罐車』版が、現地、山間の信号場の広がりを感じ、かつ乗務員も9600+D51も存在感もものすごく強く感じる。『北辺の機関車たち』版は機関車をメインに仕上げたのだろうか。いただいたプリントはその中間といったところか。このことから、画面左下の雪の白色の面積が、作品の印象を大きく左右していることに気づく。そして、トリミングという行為が作品づくりの一部であることに認識を新たにする。私がもっとも好むのは『汽罐車』版だ。

仕事で写真を扱うときは、無意識にそれをやっている。撮影者の意図を自分なりに汲んで、あるいは自分勝手に拡大し、あるいは大胆にトリミングしている。しかし、自分の写真に対してはそれをしたことがない。それは「作品づくりとしてのプリントをしたことがない」からかもしれない。撮った時点で完成されているかどうか、などという話ではない、念のため。

* * *

大木さんに「なぜ『なんちゃって』オリジナルプリントなのですか?」とお尋ねした。これはデジタル出力したものなので、それも「オリジナルプリント」と言ってもいいのではないか。また、それこそ写真集と同じく、ファンは同一品質のものを入手できるのだから、ばらつきがなくていいではないか…というようなことをお聞きした。

ところがお返事は「アナログでプリントするときには自分の気分や考え方が反映される。だから、プリントする日によって仕上がりがかわってしまう。これこそがオリジナルプリントなのだ」(要約)とのことだった。自分でアナログ現像・プリントしたことがない私には、そこまでの想像力がなかった。「オリジナルプリント」に作家性が出る。「なんちゃって」である理由は、それだった。言われてみれば当たり前のことを知らなかったことを恥じる。



『汽罐車』をまたうろうろと眺めていたら、こういう時刻になった。まだ買ってないひとはすぐ買った方がいいです。





鍛冶橋架道橋のレンガ風書き割り

鍛冶橋架道橋のレンガ風書き割り

高架橋

東京駅の丸の内駅舎が復元されて以来、常に人々がたむろし、写真を撮るようになった。しかし、それに続く南側の鍛冶橋寄高架橋のこれはどうだ。

もともとレンガアーチの高架橋があったところに、皇居側にコンクリートアーチを増設してあるのだけれど、そこにレンガ風の書き割りがほどこされている。

コンクリートアーチは無視され、ただ長方形の四角が書いてある。時には斜めになり、幅が広がり、…。

ピラスター部分はこのようになっている。

もっとも、ここは店ごとに塗り替えてあり、左のようにアーチを行かした塗り分けのところもれば、右の「玄」のように隠してしまっているところもある。しばりはないようだ。そして、真ん中に、また書き割り。ここで気づいた。書き割りは、はとバスのしわざである

高架橋の端部は、コンクリートの地肌がでている。その奥にはレンガアーチも露出している。はとバスの書き割り、せめて、このアーチのように「正しいレンガの積み方」で描いてくれたらいいのに。

端部の側面に「鍛冶橋寄高架橋」の文字。これは国鉄によく見られる角マルゴシックだ。コンクリートアーチの延長線上、本来はなにもないはずだが、プレハブが建っている。

見え隠れしているレンガアーチの上部をよく見ると、デンティルがこのような意匠となっている。デンティルが垂木から来ているとは藤森照信氏の著書にあったけれど、これは雲肘木をイメージしたのだろうか。



『国鉄史 国鉄を支えた人々の歴史(東日本編)』(地方自治政経調査会)

『国鉄史 国鉄を支えた人々の歴史(東日本編)』(地方自治政経調査会)

鉄道の本



2014年2月16日追記

本書は問題のある訪問販売により作製されたものと推測されます。下記のプレスリリースが北海道庁より出ていますので、追記します。

『国鉄史という本の取材をしたい。 」などと目的を隠して消費者宅を訪問 し、高額な書籍の購入を勧誘してい た事業者に対し、業務の一部停止を命 じました。 』(PDF)


==
大著である。2kg以上ある。

本書は、国鉄に勤務した人々の文集といったものだ。…ということは入手した後で知った。
刊行は国鉄末期。同タイトルで地域別に分かれており、
・北海道
・東日本
・中部北陸
・関西
・九州
などがあるようだ。
また、発行元も、私が入手したのは「地方自治政経調査会」(富山県)だが、「地方人事調査会」(香川県)刊行のものもあるようだ。(「~ようだ」「~ようだ」というのは、ヤフオクでの出品情報からの推測から。他の地域分を買うつもりはない)

地域別に分かれているとはいっても、「国鉄全史」たる部分(「前付」と書かれている)は全冊共通で、カラー8ページ、モノクロ176ページ。どうも、他の書物からの転載のようだ。この部分、少なくとも写真はすべてそうだ。原版を製版したものではなく、複製である。そして「前付」に続いて「国鉄史」が展開する。本書はこうだ。
私が入手したこの本は関東編、中部編、東北・新潟編として、各鉄道管理局や現業機関の歴史が書かれている。「前付」+1248ページもある。

これらも、どうも各現場の内部資料、たとえば『新潟鉄道管理局三十年史』などの転載のようだ(その旨の記載がある)。まあ、資料としては誤転記がない限り、重宝するのかもしれない。写真は一部、「○○氏提供」とあるのでオリジナルのようだ。

そして、これがこの本の特徴であろう、現業のOBたちの業績紹介である。
これが約1000ページ分、ある。

氏名、住所、電話番号、元職、現職、生年月日、家族。そして「経歴」として、聞き書き的に、各人の紹介が書かれている。いかなる人生を歩んできたか、いかなる家族がいるか。

経歴は、大規模な現場の助役や小駅の駅長が最上級のようだが、ほとんどは駅職員、荷扱職員、検査掛、といった一現場職員である。

…史実の資料にはならない。おそらく全ページ読んでも発見はない。

巻末に「協賛」として氏名だけ掲載されていることからすると、…これは推測なのだが…このシリーズは、OBに「あなたの紹介記事を掲載する」と言って寄付を募り、寄せられた作文を元に、統一した視点で紹介記事を書いたものではないだろうか。リライトの仕事量は途方もないものと思う。さぞや苦労されたに違いない。

しかし、資料にはならない。残念な買い物だった。



「趣味歴70年」の強さ

「趣味歴70年」の強さ

鉄道

今日は、ある写真家の方のお声がけにより、蒸気機関車趣味者の集まりに参加させていただいた。そこには、私の書棚にある本の著者、雑誌の執筆者、写真家などこちらが一方的にお名前を存じ上げている方々がたくさん。私なぞ若造もいいところで、現役蒸気機関車を山ほど見てきた方々と対等に話せるような知識も経験もないが、みなさんとても気さくにお話を聞かせてくださった。

最年長が、蒸気機関車に携わってから70年という方。ほか、趣味歴60年、50年という方々がほとんど。私より20~30、上の方々である。「C51が好きで…」「添乗すると、蒸気機関車がどれだけひどい乗り心地なのかよくわかる…」「世には出せない写真がある…」というようなお話をたっぷり聞かせていただいた。

そうした方々に感じるのは、強さだ。その趣味一筋で、その歳でなお突っ走っている一徹感ゆえの強さ。強すぎる。間違いなく、彼らは、他人に何かを言われても微動だにしない。私は、20年後、30年後に、そうした強さを得ているだろうか?

* * *

その場でうかがったお話で強く共感したものとして、「いまならまだ間に合う」というテーマがあった。いまなら、蒸気機関車を運転していた方が生きている。いまなら、まだだれも見たことがない写真を撮った人が生きている。また、各地には「よく捨てられなかったな」と思われる国鉄時代の資料が残っている。蒸機全廃から38年、国鉄解体から26年。いまが、それらをアーカイブとして残せるかどうかの瀬戸際だ。

1970年代にテープレコーダーに収録した、明治20年代生まれの機関士たちの談話の音源が披露された。大変貴重なアーカイブだ。鉄道趣味界では、まるで蒸気機関車は9600形以降の各形式しか存在しなかったかのような扱いだが、いわゆる「古典機」だって、かつては本線を疾走していた。明治の世から蒸気機関車に携わっている方々によるそうした機関車の話など、二つとない資料なのではないか。

本来ならば、鉄道の博物館がこうしたものを保存しておくべきだとその方はおっしゃっていたし、私もそう思っているが、なかなかそれも難しいだろうし無理だろう。もし、私がなにかの拍子に個人事業主になったら、こうしたことをまとめ、なんらかの事業にできないか…などと妄想している。

会場には大変貴重なものがいくつもあった。おそらく処分されるものを救ったのだろうと思う。冒頭の写真は「省外秘」とある東海道・山陽本線のダイヤ。鉄道省の時代か。上の写真、中下の横太線は大阪駅。「2」という数字をみれば、2列車が9時に大阪駅を発車している。こんど、戦前・戦後の時刻表を参照して特定したいと思う。


こんな貴重な機会をいただいたOさん、また、お話しさせていただいた皆様に深く感謝申し上げます。



『駅Q』(冨田行一著)/『列Q』(栗原景著)実業之日本社

『駅Q』(冨田行一著)/『列Q』(栗原景著)実業之日本社

鉄道の本

私が担当した本が、本日から書店に並んでいる。写真は神保町の書泉グランデ6階(許可を得て撮影)。

『駅Q』『列Q』。鉄道をテーマにしたクイズ本だが、たぶん、「これは楽しい!」と思ってもらえるはず。

いままで、鉄道クイズ本はありそうでなかった。作るのが難しかったのだと思う。問題を「Q:用語/A:その解説」とすれば、すぐにでも、だれにでも作れるのだが、そんなものが売れるわけがないと世の中の編集者は思っていたのだろう。私もそう思う。こんな本、誰か欲しいだろうか?

Q:キハ58に搭載されていたディーゼルエンジンの型式は?
A:DMH17H。(以下wikipeidaのコピペのような説明)

* * *

本書二冊は、『駅Q』の冨田さんが作成した問題をきっかけにして生まれた。こちらで多少の編集はしたが、最初から、問題は上記のようなテイストがいっさいなく、『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版)のような「楽しさ」に満ちあふれていた(意外なことに、冨田さんは同書をご存じなかった)。考えたこともないような観点で、「駅名」で遊んでいく。「駅名」であり「駅舎」や「駅の歴史」ではないことが、鉄道に詳しくない人も、あるいはものすごく詳しい人も楽しめる要素だと直感した。これはいける!

ならば、単体ではなく、シリーズ化したい。そこで、栗原景さんに『列Q』を依頼した。列車名をメインに問題を考えていただいた。こうした設問にはユーモアが必要で、その点、ユニークな問題も散りばめられている。

問題の例は、amazonをご覧いただきたい。
駅Q
列Q

冨田さんは、「鉄道コム」のスタッフの方。仕事とはまったく別に個人で駅のデータベースを作り、そこから駅名の漢字を集計したり、駅の数をカウントしたりしていることから、本書ができた。


カバーデザインは、『タイポさんぽ』で知り合った松村大輔さん。イラストはライター・イラストレーターの川辺謙一さんにお願いした。すばらしいカバーになった。

(関連項目)
『鉄道をつくる人たち』(川辺謙一著/交通新聞社)
タイポさんぽ(藤本健太郎著/誠文堂新光社)
『タイポさんぽ』刊行記念トークイベント「タイポがたり」
川口メディアセブン「かわぐちタイポさんぽ」


『駅Q』『列Q』どちらも、解答できなくても読み物としてもおもしろいはず。ぜひ。各冊定価780円。



『I LOVE TRAIN アジア・レイルライフ』(米屋こうじ/ころから)と写真展

『I LOVE TRAIN アジア・レイルライフ』(米屋こうじ/ころから)と写真展

鉄道の本

米屋こうじさんの写真集が発売された。ほぼ同時に銀座のキヤノンギャラリーで写真展が開催された。オープニングパーティーもぜひうかがいたかったが、どうしても都合が付かず、その後もアレで、なんとか最終日に写真展にうかがった。

(撮影自由でした)

大きなパネルが並ぶ会場。
米屋さんのお好きな、アジアの鉄道風景…いや、アジアの、と形容するのは適切ではないかもしれない、「鉄道がある風景」が、そこにあった。拝見して思ったのは、「どれだけ、鉄道の近くにいたのだろう?」ということだ。

とにかく、鉄道のそばにいる。夜明け前から夜更けまで鉄道を見つめている。間にご飯食べたりビール飲んだりしながら。そうすると、ふと、その瞬間が舞い降りてきて、自然とそこに絵ができていた…そんな印象の作品ばかり。それに出会うのもまた、写真家のワザだと思う。(念のために書くが、偶然いいシーンに出会ったからこそ作品できあがった、などというくだらない話をしているのではない)

作品の色は、赤と、真っ青。どちらも印刷では表現しづらいような色。緑はすこしくすんでいる。写っている人々の肌は、褐色だから赤の印象を強める。そして、太陽光線。もし、米屋さんと行くアジアツアーなんていうものがあったら、なんとか工面して参加したいものだ。私も、こういうシーンに立ち会いたい。もっとも、写真など撮らないかもしれない。写真は米屋さんにお任せして、この目で、見たい。



さて、写真集。制作の過程は米屋さんのブログにアップされている。

鉄道憧憬


感想は…写真展のパネルとは別物だということ。写真集は写真集だけの作品世界になっているということ。当然といえば当然のことなのだが。

全体に、ネガで撮ったプリントを原版にしたかのような軟らかい色調なのは、意外だった。会場で米屋さんがおっしゃっていたのだけれど、写真展の作品が掲載されているわけではない。おそらく、この色調の雰囲気とこのサイズで見るからこその作品のセレクトと思われる。ページをめくるたび、そこに現れる人たちの表情に、読み手の心はほぐれていく。これこそスナップと呼びたい。

外国製のポストカードは、良質のスナップが多いけれど、それに通じるものがある。1枚1枚が切り離せて、ポストカードみたいに、机上に飾ったり、壁に貼ったりできたらいいのに。

そういう造りなので(と私は勝手に思っている)、大きなパネルで展示されていたバングラディシュの写真は収録こそされているが、失礼ながら、こちらはパネルの色調と大きさに軍配を上げる。そして、そういうパネルもまた「ほしい」と思わせてしまうのだから、こわい。いままで写真展はそこそこ見てきたけれど、「ほしい」と思ったのは初めてかもしれない。どれもすてきだったけれど…P53のWay home from school、がほしい!



写真集は、ハードカバーで2310円。安い。ジュンク堂池袋店2階に旧知の店員さんがいるのでそこで買おうとして言ったところ、なんと最後の一冊で、ちょっと傷んでた。だから取り寄せてもらい、先日、やっと入手した。いまはジュンク堂にもちゃんと面陳されている。

こういう本が、こういう世界が商業的に受け入れられるとき、やっと、鉄道趣味が、「それと意識しない文化」になるのではないかと思う。常々思っていることだけれど、鉄道趣味誌は「楽しい」が、ない。憧れも、ない。知識しかない。タコツボ化がひどいと思っている。(鉄道)写真家がめざすものと、鉄道ファンがほしがるものが違ってしまっている。ほどよい文芸作品がいっさい存在せず、ラノベと文芸評論しかない、みたいな感じ。それじゃダメだろ。これは、メディア側の問題だと思っている。なんとかしたい。



米屋さんのパネル作品には、これから仙台、大阪、札幌で会える。絶対に行くべき。

米屋こうじ写真展:I Love Train ~アジアレイルライフ~
2013年5月23日(木) ~ 6月4日(火)キヤノンギャラリー仙台
2013年6月27日(木) ~ 7月3日(水)キヤノンギャラリー梅田
2013年7月25日(木) ~ 8月6日(火)キヤノンギャラリー札幌

作品のいくつかは、米屋さんのサイトにも掲載されている。
http://www.geocities.jp/yoneya231/


スマホですみません。米屋さん、最終日、多くの方々に囲まれてお忙しいところ、やっとお話しできました。。。




『鉄道デザインEX06』の「鉄道文字」

『鉄道デザインEX06』の「鉄道文字」

鉄道の本

※2016年1月、『されど鉄道文字』を読んで改稿。下線部は『されど鉄道文字』で判明した、私の誤認だが、そのままにしてある。後述の(C)(D)(E)は私は分けるべきと思うし、それを同じ「スミ丸ゴシック」として記述してしまうことには反対する。それは『されど鉄道文字 駅名標から広がる世界』(中西あきこ著)で述べる。

「鉄道文字のおはなし」という記事があるのを知ったので、パラパラとチラ見してそれなりにページ数があったから買った。ところが、体系だった記述になっておらず、多くのミスリードを招きそうだ。

「スミ丸ゴシック」という言葉と「書体」の概念を知ったばかりの人が、なんでもかんでもそれにあてはめようとしている、という印象。国鉄の書体を策定した方へのインタビューもあるのだが、「なぜその書体が制定されることになったか」という話がいっさいない。国鉄の書体はおろか、世の中の書体を誰が作っているか、看板のペンキ文字を誰が書いているか、そういう前提の知識がない、特に若い読者は、この記事で大きな誤解をしてしまうだろう。基礎と俯瞰を織り交ぜながら記事は書かれるべきで、編集者は、それが不足していたら指摘し、再構成すべきだ。



国鉄は、いくつかのオリジナル書体を持っていた。官庁(ではなく「公共企業体」ではあるが)らしく、ゼロからすべて自分たちでまかなおうとしたからではないかと勝手に思っているのだが、たとえば国鉄時代にはこんな書体があったのは、鉄道を知る人なら漠然と知っていると思う。

(A)車両の文字表記書体(1)機関車の形式記号等 例)「C62」「EF65」「DD51」という書体
(B)車両の文字表記書体(2)客車・貨車の形式記号等 例)「クモハ101」「ワム80000」という書体
(C)現在「国鉄方向幕フォント」として知られる書体
(D)行灯色の駅名標やホーム上屋柱(現在のJR東海の駅名標の平仮名書体に近い)
(E)Π型の駅名標に使われていた書体(こちらのサイトの「神足」


・ほか
(縦書きホーロー看板の駅名標の書体には(C)(D)どちらもある)

上記のうち、(C)が1967年に最初に制定されたスミ丸ゴシック、(D)が後年追加された(新たに追記された?)スミ丸ゴシックである。「スミ丸ゴシック」または「スミ丸角ゴシック」というのは書体のセットの名称なので、これ以外のものをそう呼んではならないと思う。これらの書体にも図面があった。その図面は鉄道ジャーナルやRailMagazine等で何度も公開されており、広く知られている。

現在は各社独自に書体を規定しており、駅名表記も車体標記もバラバラである。

なお、国鉄だけでなく、郵政省も独自の書体を持っていたし、引き継いだ日本郵政も独自の書体を改めて定めている。出版社では、写植時代、大手版元は独自の書体を持っていた。書体とは、そういうものである。



さて、以下は過去に読んだ本と自身の経験による記述である。私の思い込みによる誤りもあるかもしれないので、それを含んでご覧いただきたいし、誤りがあればぜひご指摘およびご教示いただきたい。なにしろこの手の話題はとても少ない。いきおい独自研究になってしまう。

本書の記事が恐ろしいのは、なんでも「スミ丸ゴシック」だと考えてしまうことである。そして、(C)(D)を区別していない。また、端部が丸い文字はすべて「丸ゴシック」に分類してしまう。写研の書体である「ナール体」は、たしかに丸ゴシックの派生なのだが、これを単に「丸ゴシック」と称するのは書体の話の記事ならば、ありえない。ナールは、ゴシックの端部を丸めただけの書体ではなく、総合的にデザインされた、とても優れた書体である。いまでも道路標識で多用されている。
この駅名標の写真がいつの時代のものであるか、それがとても重要だと思うのだが、仮に国鉄時代だとしたら、私がキャプションをつけるなら「稀に写研書体の駅名標もあった。これはナール体といい…」。JR化以降なら「JR化以降、写研の標準的な書体を使用するようになった。これはナール体といい…」。

国鉄時代の駅名標は、地域ごとに非常に強い個性があった。地元の看板書きが書いたのではないかと思っているのだが、非常に大きな地域的な偏りがある。ごくごく一般的に言って、町の看板屋が書く文字といういうのは角を丸めた太い文字がほとんど。なのに、そうした個性溢れる文字をすべて上の(C)(D)でいう「スミ丸ゴシック」を基準にして語り、「それ以前は丸ゴシック」と結論づけるのは暴論に過ぎる。私が30年ほど前に撮った狭い地域での数十の駅名標の写真をご覧になっただけでも、いかに個性に富むか、またいかに偏りがあるかがわかるだろう。昭和50年代後半になっても、まだ(C)(D)とは別個に、看板書きが「スミ丸ゴシック」などおかまいなしに書いていたのである。

また、駅名標は適宜塗り替えられていて、昭和40年代は、さらに前の世代の駅名標が多々残っていた。より地域色が濃かった。図らずもそれを記録しているのが、『駅名おもしろ大辞典』(夏攸吾著/日地出版)である。筆文字の駅名標も多数掲載されている。



もし「デザイン」として国鉄文字をの記事を作るならば、JR東海の須田寛初代社長が制定に関わった、というあたりを掘り下げるべきだろう。それを現在に継承するJR東海の見解も聞くべきだろう。また、JR6社の駅名標の標準形式の意図とそのデザイン的な比較もあっていいだろう。書名は『鉄道デザインEX』なのだ。

それ以外にもいくつもネタはある。たとえば東京メトロが現在のサインに置き換えたときにはパンフレットを発行し、そこには書体まで細かく指定してあった。あるいはそれ以前の営団地下鉄の書体、4550というのだが、それだけで本まで出ている。(こちらの記事に詳しい。新設計書体〈ゴシック4550〉 — 営団地下鉄用に設計されたサイン書体の資料集

この記事は、鉄道各社が腐心してきた書体・サインの歴史を知らないライターが思い込みでさまざまなものを混同し、そのまま書いてしまったように思う。本書には、この記事に限らず「サイン」の写真が出てくるが、それがどういう意図で作られているかは書かれてない。例えば「エキのナカ巡り探検隊」という記事では、サインやデザインのキャプションは「なかなかしゃれている」「しゃれた街灯」「目を引く」「俗に『修悦体』と呼ばれる独自のフォントを発見」「なんともシンプルなサイン」…路上観察にすらなっていない。

非常に残念な記事であり、かつ、ここに書いてある記事を鵜呑みにしてなんでも「スミ丸ゴシック」と言い出す人が出ないことを祈るばかりだ。

スミ丸ゴシックについては、こちらのサイトが非常に詳しい。この方に書いていただけばいいのに。
スミ丸ゴシックに関する研究




以下、ついでに記す。

JR東日本は、JR化当時、駅名標の書体を「ゴナ」に定めた。写研の書体である。時が経ち、駅名が改称され、新駅が造られ、駅名標を変更する際には「ゴナ」に酷似したモリサワの「新ゴ」が使われるようになった。PCで扱えるのが後者で、前者は対応していない(だから出版物からほぼ駆逐された)。現在はそういう仕事環境なので、いきおい「ゴナのようなもの」を使ったのだろう。新ゴは「似ている」ということで写研から訴えられている。

ちょっとどの駅かの記憶がないが、そうした書き換えの狭間に、メイン書体がゴナ、隣駅表示が新ゴになっている駅名標を見たことがある。慣れてくると一発でわかる。とくに「か」「さ/き」「り」などが見分けやすい。ぜひ。

スーパーテネレを廃車してきた

スーパーテネレを廃車してきた

スーパーテネレ・テネレ700

2012年北海道ツーリングの終盤、ミッションがおかしくなった。5000回転ほどまで上げないと、ローからセカンドに入らなくなった。ドグが欠けたか。まあしょうがない、だましだまし丁寧に走り、帰ったら修理に出そう。そう思っていた。しかし、最終日前日には、3速、4速への入りも悪くなる。セカンドへは、7000回転くらいまで上げないと入らなくなった。

P8079273.jpg
帰京後、YSP横浜南に相談すると、どうもドグだけではすまなそうだ。3年前のオーバーホールでは腰上だけで済んだが、今回はクランクも割らなければならない。20~30万円コースだ。加えてブレーキ周りはディスクの交換をしなければならないほどだ。クラッチも、まだ滑ってはいないが、替え時ではある。それらでプラス10万以上かかる。

対して、腰上オーバーホール後まだ5000kmくらいしか走っていないし、チェーンとギヤも交換したばかり。なにより、オリジナルのカラーリングだ。こういう時のために、予備エンジン(5万km走行)も持っている。いろいろ迷う。

1997年3月に2台目のスーパーテネレとして購入してから16年。30~40万かけて修理してまで、このヤレたバイクに乗るのか。好きで乗ってはいたが、絶対評価で言えば、フロントタイヤは細いしブレーキは効かないしフレームはよれる。気持ち良くはない。

だから、もう乗るらないことに決めた。
これからは、ランツァ(妻のだが)とRMXに乗ってあげよう。



かといって、車検場での廃車手続き、つい億劫で行かなかった。いよいよ年度末、4月にはると税金がかかる。そんなときになって、ようやく手続きに行った。

さようなら、練馬ひ69-51。抹消登録だから、再度登録すれば乗れるのだけれど、その時には、練馬C…などというナンバーになってしまう。

北海道から帰ってきてからいっさい乗っていないので、オドメーターは5万5214マイルを差している。8万8858kmほどだ。10万kmには届かなかった。



北海道から沖縄までの47都道府県と、ロシアを走った。林道ばかり行っていた。アタックにも持っていった。全盛期の「女神湖スカイエンデューロ」にも出た。国内に数百台しか入っていないスーパーテネレとしては、かなりダートを走った方だと思う。でも、2000年代に入ってからは日常生活に時間を取られ、1年以上まったく乗らなかった時期もあった。ここ数年は年間2000~3000km程度、要するに年1、2回の遠出くらいしかしていなかった。まあ、そんなものだろう。

とはいえ、このカテゴリ、これで最後ではなかろう。車体をどうするかは決めていない。とりあえず、そのまま保管しておく。

スーパーテネレに関するページ等へのリンクを記念においておく。

・2001夏 北海道 最後のバイクツーリング
・2002春 ロシアンラリー
・ブログのカテゴリ:スーパーテネレ ( 26 )
・Flickrにとりあえずアップした分:SuperTENERE



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