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第二高原川橋梁(岐阜県/神岡鉄道)

第二高原川橋梁(岐阜県/神岡鉄道)

プラットトラス

20120618.jpg廃止になってずいぶん経つ神岡鉄道は、富山県の猪谷から神通川の支流である高原川を遡っていた。

川の上流から見ると、神岡側から流れる高原川、高山側から流れる宮川が合流する地点が猪谷で、そこから神通川と名前が変わる。ふたつの川が合流する付近では、富山・岐阜県境をなしている。

再び下流から見ると、猪谷を出た神岡鉄道はすぐに宮川を渡り、しばらく高原川の左岸を行たあと、高原川を計4回渡る。そのうち、2番目に渡るのが、ここ第二高原川橋梁だ。撮影地として有名だった場所だ。

200フィート級のプラットトラス(正確には205フィート)なのだけれど、クーパートラス(アメリカン・ブリッジ製の200フィートプラットトラス)よりちょっと大きく見えるのは8パネルであるせいか。実際、高さはクーパートラスよりも2フィート大きい。

このトラス桁は御殿場線の第3酒匂川橋梁と同じ形式で、もちろん転用桁である。第3酒匂川橋梁は1914年横河橋梁製で東海道本線天竜川橋梁であるのはわかっているが、こちらは1922年石川島製で、天竜川ではない。果たして?


それにしても、色がひどい。

参考:歴史的鋼橋集覧

 
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小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋

小川町駅の跨線橋は3主桁のトラス橋

跨線橋

20120620_000.JPGJRと東武東上線の接続駅、小川町。東武「東上」線は、東松山からほぼ西に向かっているので方向感覚が狂ってしまうのだけれど、この跨線橋は南側=駅本屋につながる跨線橋である。見ての通り、古レールをプラットトラスに組んだもの。写真は東を向いていて、右が南である。

20120620_998.jpgご覧のように、ホーム上屋の支柱も古レール。線路方向の梁として、レールを縦に2本重ねているのだけれど、下側が/ ̄\になっているのを東武ではよく見かける。

20120620_002.JPG階段部分を覗く。よくある跨線橋……ん? なにか見える。

20120620_003.JPGなんだこれは?

一瞬、歩く方向を分ける柵かと思ったが、もちろんそんなことはない。おそらく上弦の上に乗っかっている横梁は、上弦とつながっているだろう。アングル材を添接しやすいレールの底面が向こう側なので、反対側の写真を撮らなかったのが痛恨なのだが、時間がまったくなかったので仕方がない。

となると、跨線用としては珍しい、「3主桁のトラス橋」ということになる。3主桁のトラス橋は日本の鉄道創業期の複線桁にもあったし、条件によってはあり得るのだけれど、跨線橋のような、たいして荷重のかからないもので3主桁は、過剰な構造なのではないだろうか? こんな跨線橋は初めて見た。

古レールの陽刻には「6040 CARNEGIE 1922」と見える。また、左に監視カメラが見えるが、これは日立製。まったくの印象なのだけれど、珍しい??

20120620_999.jpg冒頭の写真を拡大すると、たしかに、跨線橋の裏側には主桁(トラスの下弦)が3本見えている。




この跨線橋は、北側=八高線ホームにもつながっているのだが、まったく形が異なる。

20120620_001.JPGアングル材をプラットトラスに組んでいる。

20120620_004.JPG中はこう。幅は、東上線のものよりも狭い。

しかし、どちらが先にできて、どちらが継ぎ足されたのか、そこまで見ることができなかった。近々再訪して、もっときちんと見てこようと思う。

 

第一九頭竜川橋梁(福井県/越美北線)

第一九頭竜川橋梁(福井県/越美北線)

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

20120617_013.JPG久しぶりに、アメリカン・ブリッジのピン結合200フィートプラットトラス。福井県の越美北線の柿ヶ島駅のすぐそばにある。暴れ川である九頭竜川を200フィートのプラットトラス1連と短いプレートガーダー計7連、橋長214mでまたいでいるのだが、こうして見ると、上流なのに川幅がこれだけ広いというのが実感できる。これは、南側の国道158号から見下ろしている。

場所はここ。



20120617_000.JPG反対側から見る。写真左が柿ヶ島駅。

20120617_010.JPG下唯野側の鈑桁。22.3mの6連。

20120617_011.JPG拡大すると「第一九頭竜川」と書いてあるのだが、文字の高さが揃っていない。「第一/頭」「九/竜川」でそれぞれ段差がある。

20120617_012.JPG美しい、9パネルのプラットトラス。

20120617_001.JPG真横。斜材を叩いてゴイーン…ってしてみたい。

20120617_009.JPG下弦。このアイバーの並びが美しい。

20120617_008.JPG柿ヶ島駅からはこの近さ。

20120617_004.JPGここに銘板があるが…

20120617_003.jpg上が、アメリカン・ブリッジの銘板、左右が欠けており、「(AMERI)CAN B(RIDGE)」「(CO)MPAN(Y)」「(N)EW YO(RK)」「(US)A 19(11)」。

その下には国鉄の銘板。
「日本国有鉄道/1962-3/TTR462-1/**** **** /株式会社宮地鉄工所/********」

1962年?

越美北線が、この区間を含む勝原まで開通したのは1960年(昭和35年)12月15日。しかし、ここには1962年の銘板がある、ということは、架け替えられているということだ。

冒頭で、トラスで流路を、鈑桁で溢流部を…というようなことを書いたが、開通時には9連の鈑桁で構成されていた。それが、開通翌年である1961年9月14日から16日にかけて日本各地に甚大な被害をもたらした第二室戸台風による増水で橋脚3基が倒壊、鈑桁も流失した。台風による福井県の被害は、流失・家屋損壊125戸、農地及び宅地の浸水面積3264Ha。この台風により、全国で194名が亡くなった。

復旧工事には、東海道本線の大井川橋梁からの桁を転用した。それが、このプラットトラスだ。宮地鉄工所で改造し、流路部分に架けた。柿ヶ島寄りの1スパンは、コンクリート桁に置き換えた。そのため、9スパンだったものが8スパンになった。

…これは帰宅後にわかったもので、もし事前にわかっていたら、鈑桁やコンクリート桁の銘板類も撮ってきていたのだが…。

ディテール。
20120617_006.JPG20120617_005.JPG20120617_007.JPGさて、どこが改造された部分か。

20120617_002.JPG自分の過去の記事(カテゴリー「アメリカン・ブリッジ」をご覧ください)と見比べても、ちょっとよくわからない。不勉強ですみません。


<参考>
歴史的鋼橋集覧
水害と治水事業の沿革(PDF)

<関連項目>
[西勝原第三発電所の水圧管路と九頭竜川第二橋梁]
[無表情な戦後型のポニープラットトラス]
[小舟渡橋 その1 (福井県)]
[小舟渡橋 その2 (福井県)]

西勝原第三発電所の水圧管路と九頭竜川第二橋梁

西勝原第三発電所の水圧管路と九頭竜川第二橋梁

水圧管路

20120616_001.JPG(イメージ)

┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨┣¨



この水圧管路は、国道158号にかかっている。国道158と聞くと、ほとんどの人は松本から上高地、高山へと抜けるルートを想定するに違いない。しかし、これは福井県にある。越美北線の勝原駅の近くだ。水力ドットコムによれば、この鉄管の内径は最大4740mm、細いところで3200mm。1本の鉄管がドカンと落ちている。

20120616_002.JPG好みは分かれるでしょうが、こんな仕上げで。

超広角で寄っているが、もっと下がると、このように越美北線が見える。

20120616_000.JPG第二九頭竜川橋梁。一番スパンの大きいのは、流路をまたぐ上路ワーレントラスで、支間46.8m。向かって右、見えないけれども9.8mの鈑桁がかかっている。

こうして見ると、短い鈑桁数本+背の高い橋脚数本よりも、長いトラス桁+橋脚2本のほうが安くできるんじゃないか、なんて思ってしまうけれど、おそらく架設のコストがぜんぜん違うのだろうな。鈑桁は、この場合は操重車(1960年架設なので、ソ1かソ200か微妙)で架設、トラスは懸吊式ケーブルエレクションである。この時代の上路トラスは、懸吊式ケーブルエレクション工法で、という記述をよく見かける。工法の分布についてはまったく不勉強なので、強化せねば。


 

大井川発電所の水圧管路

大井川発電所の水圧管路

水圧管路

20120615_001.JPGこの、ぶっとい鉄管の中を轟々と水が流れ(てい)ると思うと、戦慄する。もし、この管の中に閉じ込められたら…?

20120615_000.JPGいまいる車道を挟んで、下には発電所建て屋。その地下に、水圧管路は潜っている。

20120615_002.JPG再び。

あくまでも重力に従って流れる雨だれの跡が美しい。

大井川鐵道青部駅から徒歩圏内。鉄道旅行のついでにいかが?


こちらのサイトに詳細あり。


 

赤谷のヨ5000

赤谷のヨ5000

鉄道車両廃車体

20120613_015.JPGかつての国鉄赤谷線沿いを走る、県道14号沿いに、ヨ5000が放置されている。

20120613_013.JPG「赤谷の駅」とあるが、もちろん赤谷駅跡ではない。別荘のような、喫茶店跡のような建物とともに、この珍妙な塗装のヨが眠っている。

20120613_004.JPG屋根がかけられているのはなぜだろう?

20120613_007.JPG車輪はこのようにコンクリートの土台の溝にはめ込まれている。板バネを見ると、ずいぶんと沈んでいるようだ。廃車体では沈んでいるのをよくみかける。

20120613_009.JPG床下を見ると、車軸発電のベルトがまだかかっている。

20120613_006.JPGヨ5133、と読める。国鉄の銘板も現存している。


20120613_010.JPGいちばん見惚れたのが連結器だ。私は子どもの頃から、自動連結器が大好きなのだ。なかなかよく撮れたと自分では思っている。



新発田市のワム80000

新発田市のワム80000

鉄道車両廃車体

新発田市郊外のワム60000とほぼ同じ場所にある。所有者はまったく異なると推測する。

20120612_001.JPGこの写真でいうと、このワムハチと並行する形で、ワムハチの向こうにワム60000が見えている。

見るからに、畑の倉庫として使われているようだ。

20120612_000.JPG2両が並行して並んでいる。その間が通路になっており、本来のスライドドアは半開きで固定され、新たに巻き上げ式のシャッターが設置されている。相当の重量になる戸袋とでも言おうか(正式名称がわからない)、その部分がこんな梁もない場所に取り付けられていることにちょっと驚く。

20120612_002.JPG旧国道側には、農家の名称(?)が描かれていた。その一方で、シャッターの脇には「被害有 警察に連絡」という木の札が下がっている。目立ちたいのかそうでないのか。…いや、見学するときには怪しまれないように気をつけましょう。



続編 東京の微地形模型展@南洋堂書店

続編 東京の微地形模型展@南洋堂書店

地図・航空写真・分水嶺

『東京の微地形模型』展で公開された微地形模型が、さらに豊かなコンテンツになった。東京・神保町の南洋堂書店で、6月16日まで『続編 東京の微地形模型』展が開催されている。

今回は、微地形模型に、プロジェクターでさまざまな映像を投射する、いわば「立体映像」。とにかく美しく、そして「微地形」が際立つ。すべての写真をアップするのもなんなので、以下、順不同で4点だけ。

20120611_041.jpg縄文時代のイメージ。いわゆる「縄文海進」により、いまの東京駅付近などの「台地以外の場所」が海面下だったころのイメージだ。色は、地形がわかりやすいように考えられている。

20120611_033.jpg武蔵野台地を表現。

20120611_009.jpg首都高。意外に地形に制約を受けていない気がする。直角に何度も曲がっていたりするのは、むしろ都市に制約を受けているといえる。

20120611_035.jpgもっとも美しくわかりやすいもののひとつがこれ、河川と河川跡をそれぞれ城、黄色で浮かび上がらせたもの。谷筋だけが発光しているかのように見える。写真の状態から、さらに「LOST RIVER」が追記される。

写真だけでも十分美しいのだけれど、これだけは、実際に目で見てほしい。紙媒体で仕事している私からすると、こういう映像をどうやったら紙媒体(このブログも根本は紙媒体と同じ)で再現できるのか、そこばかり考えてしまうのだが、ここはじっくり鑑賞してほしい。1ターン15分、しかし、きっと3ターンも4ターンも見ていたくなることだろう。

宣伝用のyoutubeを共有しておく。



この『続編 東京の微地形模型展』は6月16日までの予定ではあるが、店主の荒田氏の意向では、今後も定期的に公開していきたいとのこと。もし16日までに見るチャンスがなくても、大丈夫だ。カシミール3D好きの人、あるいは地形が好きな人は、絶対に見ておくべきだ。

いろいろインスピレーションをいただいた。大変刺激を受けた映像であった。

<関連>
[『東京の微地形模型』展]
[スリバチカフェ@南洋堂/『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』]

 

『鉄道車輌工業と自動車工業』(坂上茂樹/日本経済評論社)

『鉄道車輌工業と自動車工業』(坂上茂樹/日本経済評論社)

鉄道の本

IMG_2012061040834.jpgツイッター上で@bokukouiさんから教えていただいたのがこの本。ずいぶん前に、別件の氏のブログ、『アメリカ軍のディーゼル機関車に関する覚書』にもこの本のタイトルがあったのを全然重視しなかったのは不覚。

国鉄蒸機に対する高木宏之氏の見解のようなもの、と言うと乱暴に括りすぎだろうか。気動車は、旅好きの人(車両の構造や歴史に興味がない人)には、蒸気機関車と同じく国鉄型マンセーなジャンルなのだけれど、クルマやバイクという身近な存在があるからか、エンジン好き(と、構造や歴史好きを総称しよう)な人には、国鉄型がダメダメだったという認識はある。少なくとも、DMH17を「音がいい」という人はいても、「国内においては最適解だった」などという人は一人もいない。そこが救いである。

本書は、日本の車輌工業史を、他業種との比較で見つめた良書である。自動車工業との比較が多いため、主として工業製品としての観点と、ディーゼルエンジン史の観点で書かれている。ここでは、ディーゼルエンジンについて、著者がいかに憤っているかのフレーズを抜きだそう。


●戦前の海軍との関連
日本海軍の艦政本部長、渋谷隆太郎が昭和元年から翌年までアメリカを視察し、ウィントン製エンジンに興味を持ったこと、ウィントンの信頼性・堅牢製と国産品は比較にならぬことを挙げたことを引用し、
「本機関が神鋼に技術移転されておれば国鉄DLはよりマシな心臓を得ていたであろう」

ここで述べられるウィントンのエンジンは、ボア8インチ×ストローク10インチの201-A型で、すでにwikipediaに項目としてアップしてあるのでご覧いただきたい。ウィントンは、のちにGMに買収され、GM-EMDとなり、アメリカで長年にわたり最大のディーゼル機関車メーカーとして君臨し続けた。いまはGEに少しだけ劣勢な二番手。

●終戦から1980年代までの「沈滞期」について
「『新系列』DC機関開発の相次ぐ失敗などは史上最悪の事例に属する」

●DMF15系を出力ダウンして搭載することについて
「1977年、60系(磯部注:文脈よりキハ66・67)に代わって投入されたのが、悪名高い40系である」
「ほとんど信じ難いことにDML30HSAから-HSHへの、あるいはDMF15HZAから-HASへの定格切下げに際し、国鉄と制式機関メーカーは圧縮比を16.0から14.2へと大幅に落とす手を用いた(略)DE(磯部中:ディーゼルエンジン。以下同)の高効率の根拠である高い圧縮比を低出力・軽過給機関においてここまで引き下げたやり口は自虐行為に等しい(略)基本設計が出鱈目であった」
「悪化した燃費でも悪評高かった(略)真因は排気温度を徒に上昇させ熱効率自体を低下させた圧縮比切下げにある」

等々。ここまでひどい罵倒は、個人的なブログや掲示板以外では見たことがないが、それぞれ納得できる内容である。

* * *

また、本書には、私にとって未見のことがいくつか記されている点が興味深い。本書には詳細な注釈と参考文献があるが、これらにはソレが記載されていない。もしかしたら私の持っている本に記載されているのを忘れているだけかも知れないが…。


●EH66
「1970年代に入った頃、EH10と同じ手口でEF66の主電動機を8基使用する総出力5,200kWの(仮称)EH66が計画された」

●DML61-NC(仮称)の開発
「JR貨物は1989年頃からDD51の出力向上を目指し、新潟およびコマツディーゼルに連続定格810kWの機関(仮称DML61-NC)の開発に着手させていた」


これらの根拠(記載されていた文献)が知りたい。

 

『眠る鉄道ナイト』!!!

『眠る鉄道ナイト』!!!

鉄道車両廃車体

2012年6月9日(土)、カルカルで『眠る鉄道ナイト』が開催された。『廃道 棄てられし道』(実業之日本社)、『問いかける風景』(産業編集センター)とあわせた三部作のトリ。私は『廃道 棄てられし道』を会場で販売していたが、流れで壇上に上がることに…。

●カルカル
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_120417203907_1.htm

●USTアーカイブ
http://www.ustream.tv/recorded/23185472
http://www.ustream.tv/recorded/23188015

●制作時の実況中継まとめ
http://togetter.com/li/280962

●出演は、著者・丸田祥三さん、担当編集・江上秀樹さん、装丁・祖父江慎さんと福島よし恵さん、凸版印刷・金子雅一さん。(少しだけ私も登壇)

●当日に関連するツイートまとめ
http://togetter.com/li/318137
 
* * *

詳細は上記USTとtogetterを参照していただくとして。

20120610_002.JPGこのイベントに向けて、江上さんが作成した「廃電車のジオラマ」。

20120610_001.JPGもうひとつ!!

20120610_003.JPG会場には、三冊の製作に関する資料を展示。『廃道 棄てられし道』の初校と再校も展示した。


第一部は、『廃車体が丸田写真になるまで』。丸田さんと江上さんと私の3人で大井川鐵道の新金谷の側線に撮影に行った(大鉄の許可あり)ときの模様を中心に、丸田さんの意識に迫った。



20120610_004.JPG第二部は、『眠る鉄道』の製造的なことについて、デザインの祖父江さんと福島さん、印刷の金子さんとのトークになる予定だったが、事情で祖父江さんの到着が遅れ、祖父江さんを欠いてのスタート。

20120610_005.JPGそして…祖父江さん登場!第三部もその流れで進む。

20120610_006.jpgほぼラスト。なんと、九州で「廃電車ジオラマ」を作った主婦、「しまだひなた」さんの作品を掲げつつ、電話でのご出演となった。機材トラブルで中断しちゃったのが残念。

20120610_007.jpgすてきだわー。




* * *

これにて終了。二次会へ。
20120610_009.JPG乾杯!

20120610_010.JPG二次会では、冒頭のジオラマなどのプレゼントジャンケン大会があった。見事、ジオラマを獲得した小倉沙耶さん。おめでとうございます!



こんな感じで、あっと言う間の6時間だった。

最後。
「作者が言うのはなんですが」と前置きして、「(丸田さんの)写真はいいとか悪いとか言いにくいかもしれないかもしれないけれど、反響がほ しい。ずっと反響がなくて、10年、15年後になって続々と『あの本はよかった』と言われても、本は出てすぐ反響がないと、版元や書店が商品価値を判断し てしまう。よかったとか悪かったとか、どんなことでもいいので、反響をいただけたら嬉しい。いまは、ツイッターなど、いろいろな発信手段がある」
「また、本は、作者だけのものではない。本の制作に関わったすべての人たち、どんな場面でも決して手を抜かない人たちに報いたい。いい本をつくれば売れる世の中になってほしい」(すべて磯部要約)という言葉で締めくくられた。

みなさまご来場ありがとうございました! また、ご出演されたみなさま、ありがとうございました!


 

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