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『須田寛の鉄道ばなし』(須田寛著)の奇妙さ

『須田寛の鉄道ばなし』(須田寛著)の奇妙さ

鉄道の本

須田寛氏(正しくは「、」のある「寛」)は、国鉄時代からなにかと表に出ていた方で、現代においては、JR東海元社長、JR東海のリニア・鉄道館収蔵車両を保存していた張本人だとか、そういう捉え方がされる方である。本書は「鉄道営業近代化への挑戦」というサブタイトルが付与されており、須田氏が取り組んできたことをたどりながら、その裏話をインタビュー形式で開陳するものである。

20120406_003.JPG
内容は大変におもしろい。須田氏の著書を読んだのは初めてなので既出かもしれないが、多少は内部的な話に詳しいつもりの私でも初めて聞く話がいくつもあった。鉄道史に詳しくない人でも、すんなりと読める良書だと思う。

しかし、私はこう思う。本書は国鉄の「表」の歴史書であるから、本書を読んだら「裏」の歴史も学んでほしい、と。

本書は、国鉄の表裏の「流れ」と、時代性を正しく認識する目を持つと、なお深く想像しながら読むことができるだろう。聞き手の福原俊一氏は、折に触れ、裏の部分についても質問しているので、須田氏も労組との絡みや国鉄自身が抱える問題についても言及してはいるのだが、いかんせん、本来は営業史を語る本なので、まったく深く言及できない。読者は、少なくとも公共企業体として独立した時点から昭和50年代の歴史と、そこから国鉄改革至る猛烈な展開の基本的な流れを把握して、本書を読んでほしい。そういう観点に立つと、須田氏は「表」を歩んできたことを、否応なく感じさせられることだろう。

(参考)
『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店)
『さらば国有鉄道』(三塚博) など

***

国鉄改革に関する本を読んでも、須田氏の名前は出てこない。須田氏の次の社長、葛西敬之氏は国鉄改革を語るときには絶対に外せない人物であり、著書もあるほどなのに、である。そもそも須田氏は国鉄常務時代、分割には反対だった。葛西ほか改革の中の人物の著書には、分割反対派の理事たちの暗躍が繰り返し描かれている。そこに須田氏が含まれるのかそうでないのかはわからないが、反対していたことは確かである。

JR化直後の社長/会長は、こういう布陣だった。

東日本:住田正二(運輸官僚、国鉄再建監理委員)/山下勇(三井造船社長)
東海 :須田寛(国鉄常務理事)/三宅重光(日本銀行出身、東海銀行頭取)
西日本:角田達郎(運輸官僚)/村井勉(住友銀行出身、アサヒビール社長)

初代社長は、看板的な布陣だったはずである。住田氏、角田氏のような改革派と並べると、須田氏の浮きっぷりはどうだ。須田氏は、国鉄改革時になにをしていたか、まったく聞こえてこないのが、私にはとても奇妙なのだ。そして、それなのに社長に据えられたこともまた奇妙だ。

なお、葛西氏はじめ改革の実働部隊は、JR各社に取締役や副社長などの形で入り、後日、社長の座を射止めた。そして、改革時のことを積極的に発言する人もいれば、あえて沈黙を守っている人もいる。

(2013年1月12日追記)
[『巨大組織腐敗の法則 国鉄に何を学ぶか』(屋山太郎著/文藝春秋)に、須田の名前が出てきた。

***

その流れで補足。151ページ、スト権ストについての記述について。
「盛岡と新潟と九州の一部地区(略)輸送を守らなくてはいけないという使命感を持っている人もいたことだけは申し上げておきたいですね」という須田氏に対して、福原氏は「労使関係が荒廃した時代であっても、鉄道魂をもつ職員も残っていたということですね」と返しているが、これは勉強不足ではなかろうか。

新潟は、労使協調路線の鉄労発祥の地といってよく、その勢力が強く、国労を上回っていた。それを「鉄道魂」などという言葉で安っぽく括ってほしくはない。盛岡は不勉強でわからないが、仙台も鉄労が強かった。

191ページ、分割の方法について。
「千葉を分けるという議論もありました」。これは初耳だが、これも労組がらみではないだろうか。千葉には、動 労 千 葉という、過激敵だった動労から分離してさらに先鋭化したような組合がある。この分離の内容については『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店)を参照されたい。

***

最後に、「本」として。

本書は読み物なのに、なぜこの造本なのだろう? 本文用紙は厚くて読みづらいし、定価もモノクロ224ページで1890円と、高い。もっと普通の書籍用本文用紙を使って、四六判1365円程度で売ればいいのに、と思った。また、写真がひどい。「リニア鉄道館」は本当にひどい。。。

でも、読むと楽しい。久々に、一気に読める本に出会った。


 
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バス停だったもの

バス停だったもの

道路全般

栗原景氏JR完乗の日に水郡線が倒木と衝撃、常磐線ダイヤ大混乱のとき、先に現地に行ってた私は水郡線瓜連駅から静駅まで歩こうとしていた。たいした距離ではない。空はまだ明るさがあった。

瓜連の駅は橋上で非常に立派で、駅前にはロータリーまであるが、その横には広大な砂利敷きの駐車場があり、さらにすでに強風が吹き荒れていることもあって、もの悲しい風景に見えた。

その駐車場に、なにか資材のようなものがかたまっておかれていた。

20120405_001.JPGバス停だ。



20120405_003.JPGそれも、福祉バス。

ただ単にバス停が交換されただけかもしれないが、そういうものが一塊にゴミのように置かれているのを見ると、それが「この地域の福祉」そのものを表しているようにも見えてきた。



『十勝の森林鉄道』(小林実著/森林舎)

『十勝の森林鉄道』(小林実著/森林舎)

鉄道の本

20120404_003.JPGものすごい内容の自費出版本である。ナローの大家、レイルマガジンの名取編集長も「驚愕いたしました」と書くほどの、恐るべき執念で「携わった人の声」を集めた、手作業の記録集である。

編集長敬白:お薦めの新刊『十勝の森林鉄道』

本書は、よくあるように資料をかき集めてそこから作ったものではない。著者が丹念に、いろいろな人を介しながら直接ご当人に会い、お話を聞く…というスタイルを貫いている。だから、「○○さんがこう言っていた」「△△さんがこう」「文書による記録によれば□□」それぞれが矛盾していることもある。その場合、適宜推測も入れてはいるが、基本的には写真や痕跡が見つからない限りは断定はせず、潔く「今後の課題だ」としている。非常に慎重な、適切な記述となっている。

もともとは郷土研究誌『トカプチ』に連載していたもの。だからなのかタイトルは『十勝の森林鉄道』だが、いわゆる「森林鉄道」に括ることもせず、馬鉄(馬車軌道)や河川工事で使用された作業線まで網羅しようとしているあたりがまたすばらしい。

***

私にとってもっとも興味深かったのは、音更森林鉄道だ。「音更」といいながら、十勝三股よりさらに先まで敷設された鉄道だ。まあ、音更森林鉄道にとっては、音更川の最上流に達するのだから「音更森林鉄道」で文句を言われる筋合いはないだろう。その音更森林鉄道、かつてはこれだけ張り巡らされていた。
20120404_005.JPGまさに垂涎。今年またバイクで北海道に行けたら、ここらへんを見てみたい。とある場所には廃車体がある可能性も書いてあった。

著者・小林実氏はすでに85歳。いつまでもお元気で、調査が続けられますことを。304ページ、頒価2200円。都心では書泉グランデが特別に取り扱っている。ただし、誤字や誤記、単位系の誤りが多数あるので、読むときは一字一句を吟味しながらぜひ。





 

水上駅1番線の古レール+ホーム上屋

水上駅1番線の古レール+ホーム上屋

古レール・駅ホーム上屋・柱

駅舎正面以外は大好きな駅、水上。夏には3番線の向こうの水の流れの音が涼やかだし、冬には舞う雪が構内の照明に照らし出される。冬はいつも濡れている跨線橋もいい雰囲気だ。駅舎の建築年はわからないが、昭和30年代に多くあったような造りと意匠をしている。ホーム側、腰部がタイル張りになっているあたりにそれが見て取れる。

現在、駅舎の正面入口付近が増築され、ちょっと悲しい姿になっているが、その土台はいかにもな国鉄駅舎である。その水上駅1番線のホーム上屋の支柱は一部に古レールが使われている。

20120403_000.JPG屋根は木製で片流れ…のように見えるが、V字形になっている。支柱は古レールをY字に組んだものの上部にフタをするように、少し曲げたレールが枕木方向に添えられている。Y字の腕は、画像左の駅舎方向も右の線路方向も独立しており、たとえば駅舎にもたれかかっているということはない。

使われている部材はそれぞれレール底面同士をリベット留めしている。そこに木製の垂木(レール方向)を通して屋根板を貼っている。

20120403_001.JPG


支柱部分。フタ部分のレール腹部を利用してケーブルが這っている。

20120403_002.JPGV字形の屋根板の底を、レール方向にトラス構造の部材がついている。このパターンはよく見るが、各支柱を連結すると同時に、それによって補強しているということだろうか。

このトラス構造の部材は至るところで見かけるが、この水上駅のものはガセット的なものがついている。

高崎方を見ると、古レール支柱の木製上屋とは別の、鉄骨+波板屋根の上屋になっている。少し行き、振り返る形で最上段の画像と同じ向きで撮る。
20120403_004.JPGこんなに太くなくてもいいような…。

その境目は。
20120403_005.JPG屋根の垂木もトラスの部材もぶった切られている。なんらかの問題があって改築されたのだろうか。

20120403_003.JPG古レール部と鉄骨部ではこれだけ異なる。しかし、こんなことになっても乗客には気づかれないのだろうなあ。




保線の動力用に改造された軽トラックかと思った

保線の動力用に改造された軽トラックかと思った

鉄道

20120402_011.jpgアルピコ交通上高地線…と書くとなんだか落ち着かないので松本電鉄の新村駅は、車両基地がある。保存された青ガエルも見える。

でも、手前の保線車両が気になるよな。

20120402_001.jpg台車に軽トラが乗っている。しかもホイールをはずしている。もしかして、なにかの動力として使っているのか? しかし、固定はされていないようだし、荷台のシートは台車に結ばれている…。

20120402_010.jpg道路に回り込んで正面。ハイゼットは、ヘッドライトを眼球に見立てると、ウインカーが眉毛に見える。


【参考画像】

hosen-yamada.jpgこのように使うのかな。これは山田線で早朝見かけたモーターカーで、撮影は2004年。RHP3を+2増感したフィルムが入っててよかった1枚。

しかし、横に回り込んだら…

20120402_000.jpg台車の下はスカスカだった。ということは、ハイゼットのプロペラシャフトからなにかしらの動力を得る…というものではなさそうだ。いや、元はそのように使っていたものを撤去したのかもしれないけれど。ホームに車両基地の方らしき方がいらしたので、実際に車庫の方に聞いてみればよかったなあ。

 

常磐線 利根川橋梁架け替え

常磐線 利根川橋梁架け替え

ワーレントラス

利根川の橋梁密集地帯(利根川橋梁)に関連して。

現在、快速線の古いトラス橋を架け替える工事が進行中である。googlemapsの衛星画像でもそれがわかる。


大きな地図で見る
上(北西)から
・快速線(下り)単線桁 …(A)(4)…架け替え予定
・快速線(上り)単線桁 …(B)(2)…架け替え予定
・(この空間)…(C)(3)
・工事中複線桁 …(D)(1)
・緩行線複線桁 …(E)(5)
とする。(A)(B)(C)(D)(E)は桁のことではなく、位置を示す。

線形を見ると、いまの(A)(B)は北側にオフセットされている。これは以前の架け替えによるものである。
年表にするとこうなる。

・1896年(明治29年) 単線で開通。(D)に200フィート単線ダブルワーレントラス(8連)など…(1)
・1917年(大正6年) 複線化のため(B)に200フィート単線プラットトラス(8連)など架設(開通は1923年)…(2)
・不明 (1)架け替えのために(C)に200フィート単線プラットトラスなど架設…(3)
・1957年(昭和32年) (3)架け替えのため(A)に200フィート単線ワーレントラス(8連)など架設(開通は1958年)。こちらを下り線とし、(2)は上り線とする…(4)。
 (3)の桁は羽越本線阿賀野川橋梁・神岡線第二高原川橋梁・北陸本線庄川橋梁に転用される。
・1980年代 複々線化のため(E)に複線連続ワーレントラスが架けられる(開通は1983年)…(5)

***

快速線下り車内から撮ったものを。
20120401_000.JPG見えてきた。快速線は築堤だが、右見える緩行線はPC桁。

20120401_001.JPG橋門構が!

20120401_003.JPG快速線は単線桁なので、わけわからない状態に。4線のトラス桁がある。

20120401_004.JPG振り向いて取手方の橋門構。

20120401_005.JPGいままでは留置線にでも使われていたのだろうか、車止めがあるその先に、新しい橋梁が架けられている。開通までにはこの車止めや線路そのものも更新されてしまうだろう。

車止めが不憫に思えてきた。





栗原景氏JR完乗の日に水郡線が倒木と衝撃、常磐線ダイヤ大混乱

栗原景氏JR完乗の日に水郡線が倒木と衝撃、常磐線ダイヤ大混乱

鉄道

2012年3月31日、友人のフォトライター、栗原景さんが、水郡線常陸太田駅で国鉄・JR線完乗になるというので、お祝いというか立ち会いというかでご一緒しようと思い、出かけた。予定では929D、11時50分着の列車だったのだけれど、私は1本前と勘違いして2時間も早く水戸についてしまった。完乗については栗原さんのサイトをご覧いただくとして、その前後の出来事を書く。

当日はものすごい強風が予想されていて、私の列車も強風のための徐行で10分遅れで8時55分頃、水戸に着いた。結果的に、それが吉となった。

***

20120331_003.JPG下菅谷で駅便と撮り直し、瓜連から静まで歩いたりして時間を過ごす。砂が顔にバチバチ当たり、髪はゴワゴワに、そして耳の中まで砂で黒くなる始末。

10時34分、上菅谷に戻って栗原さんと合流。その列車は、時々飛んで来た枝を踏んづけているらしく、床下からそんな感触が難度かあった。

この時点で常磐線は強風で止まっており、水戸に向かっていた方々が内原や羽鳥、土浦で足止めを食っていた。

様子を見ながら、栗原さんは完乗列車を1本遅らせることを決めたが、その間常磐線は動かず、機転を利かせてバス移動した方々だけと合流し、完乗列車に。乗車したのは上菅谷発12時33分の931D。風はさらに強く、車内から前方を見ても砂煙でよく見えない。列車は断続的に警笛を鳴らしながら走っていた。ところが、額田と河合の間で…

20120331_006.JPGガコガコガコガコ。

衝撃と共に、車窓になにかが飛び散る。さっきの経験からしで枝だろうと思ったら、なんと枝を押しながら走っている! これが12時41分頃。

20120331_007.JPG急ブレーキがかかるよりも衝撃のほうが早かったので、おそらく発見できなかったのだろう、倒木と衝撃してから非常ブレーキをかけたようだ。停止してから窓を開けてみると、こんな状態だった。

動画。


幸い、単に停車しただけ、のような状態で、ケガ人などはなし。国鉄時代ならば運転士が撤去して点検後再開、なのかもしれないけれど、いまの時代だ。点検後、手歯止めをかけて指令に連絡し、保線の方(?)の到着を待つ。

20120331_008.JPG右前部のドアから。ここに見えるということは、台車の2軸の間にあるということだ。左側には、あまり飛び出していなかった。

いつのまにか保線の方(?)が来て、作業中。鋸で切断し、撤去する。

20120331_010.JPG撤去後の枝を見ると、これは枯れ枝を踏んだのではなく「倒木と衝撃した」のだとわかる。

動画。



左側。
20120331_009.JPG偶然、真横に鉄道電話が!

こうして撤去し、車両点検の後、現場停止から約45分後の13時26分頃、運転を再開した。

そして。

20120331_011.JPGおめでとー!

20120331_012.JPG小倉沙耶さんからのお祝いの品を掲げつつ、とんぼ返りする方々をお見送りする。この後、バスで大甕まで出て…と思っていたが、急遽、同じ列車で折り返すことにした。

20120331_014.JPG先の現場は少し慎重に通過し、それよりも上菅谷寄りでは、このように実際に倒木があった箇所の片付けをしていた。白く見えるのは警察官2名。

20120331_015.JPGそうして水戸へ戻ると、本来ならば駆けつけるはずだった、ライターの土屋武之さんが乗ったスーパーひたち13号が4時間以上の遅れをもって到着した。その後、居酒屋で打ち上げ。18時頃にいったん締めたあと、まだ運転再開していないので2次会に。

***

20時。そろそろ帰るかと改札に入ったら、すぐに出発するとのこと。急いで乗り込む。建前としては水戸発17時35分の1442Mが2時間以上の遅れで運転する形となった。2次会の参加者のうち、この列車で帰ることにした5人はグリーン車へ。

神立までは比較的順調だったけれど、そこから断続的に抑止がかかる。強風による抑止なのか、上野駅が詰まっているためなのかはわからない。

GPS端末で取得したログを置く。

20120331_000.jpg(拡大版)
20120331_001.jpg20120331_002.jpg佐貫で1時間以上停車した。いささかうんざりしたが、どうしようもない。我々はこういうときの事情も推測できるので、静かなグリーン車で静かにしていると、1駅ずつだが動き出した。

なぜか、藤代を出たところで、車内灯が消えた。
20120331_017.JPGE531系は、デッドセクションでも車内灯は消えないはずだが、検索すると、そういうこともあるらしい。どういうときに消灯するのかは未詳。

そうして0時頃に日暮里に着いた。約4時間かかった。その後、私帰宅した。他の方は、ホテルに泊まった方もいた。

常磐線の特急車内では殺伐とした状態になったらしい。ほかにもあちことでそういうことがあっただろう。乗客および関係者の方々、お疲れさまでした。
 

さよなら、銀座。

さよなら、銀座。

独言・日記

4月1日から、勤務先が移転する。銀座一丁目から京橋3丁目へ。徒歩5分ほどの場所への移転だ。

入社後、別館的に京橋2丁目に3年、八丁堀4丁目に3年いて、銀座に戻った。銀座勤務は11年間になる。その感覚からすると、銀座と京橋は華やかさが違う。八丁堀は全然違う。でも、仕方ない。

20120330_000.JPG銀座一丁目の駅を出てすぐ、「わした」の横から路地を入り、裏口からビルに入っていた。入社当時は新築に近く、7階から11階が執務スペースで、ひとりあたりの面積も大きかった。のちに6階~11階を勤務先が占めた。

20120330_001.JPGぼくは最初8階、異動で10階、異動で9階と動き、宝町は4階から異動で5階、八丁堀は1フロアだったので動かず、銀座に戻ってからは10階だった。

20120330_002.JPG5年近く使ったこの場所も、今日でおしまい。くたびれた什器類も更新される。

***

明日は実際に引っ越し作業をするのでフロアに入れる。しかし、明日行っても、もう「自分の場所」はない。裏口から「いつものように」入っても、きっとよそよそしく感じてしまうだろう。

この感覚は、例えば卒業した学校を、あまり時間をおかずに訪ねたときや、実家を出てから帰省したときに見る自分の部屋だったところ、みたいなときに感じるものと同じだろう。

もう絶対に戻ってこない場所。

勤務先におけるそういう場所は、宝町の4階だ。当時はバイク雑誌で仕事をしていて、そのフロアはほかに三つの雑誌があった。そのため、不夜城という言葉が似つかわしく、24時間人がいた。ぼくも、休日など皆無に近い状態だった。でも、仕事はとてもやりがいのあるものだったし、こなせばこなすほど、仕事が楽しくなっていった。そんな場所が宝町の4階だ。すでにそのビルは建て替えられしまった。


感傷的なことを書いたけれど、4月2日、新しいビル、新しい什器で18年目の勤務が始まる。新しいことをやらねばと、わくわくしている。

長野駅3・5番線の古レール+ホーム上屋

長野駅3・5番線の古レール+ホーム上屋

古レール・駅ホーム上屋・柱

長野駅の番線の呼称は変則的だ。かつて、善光寺を模した駅本屋があったころ、駅舎側の第1ホームが1番線、第2ホームが2番線・3番線…と、順送りに7番線まであった(『国鉄全線各駅停車6 中央・上信越440駅』に図がある)。しかし、現在は橋上駅舎となり、第1ホームは使用されておらず、第2ホームが1番線・2番線、第3ホームが3番線・4番線・5番線、第4ホームが6番線・7番線となっている。

第3ホームはどうなっているかというと、東側の中央で分断し、車止めを設置した上で、北側を4番線、南側を3番線としている。wikipediaによれば、こうなったのは橋上駅舎化時(1996年)ではなく、2000年12月1日である。

その、分断したあたりから北側のホーム上屋の支柱に古レールが使われている。
20120327_05.JPG北から南を見ている。ホーム中央の自動販売機の上あたりから向こうが、新しい屋根と支柱だ。自販機の右に写っている男性の後方に白い板がみえるが、これが分断された車止めの上に設置してある板である。

ご覧の通り、手前(北側)の支柱は古レール。しかし、屋根は波形鋼鈑であり、支柱が塗り替えられた上に清掃が行き届いてピカピカ光るほどなので、一見、古レールであることに気がつきづらい。

接合部をアップ。
20120327_06.JPG

振り返ると…
20120327_08.JPGこうなっている。垂木(枕木方向の梁)が鈍角である。支柱は踏面あわせ。軒桁(線路方向の桁)との接合もおもしろそうだ。

20120327_02.JPG軒桁と支柱を真横から見ると、こう。

20120327_04.JPG接合部をアップにするとこう。支柱は貫通し、軒桁が乗るような支え板を用意し、軒桁は支柱に横方向でくっついている。

20120327_07.JPG真横から見るとこう。


軒桁にレールを使う例って、あまりなかった気がする。でも、そこにレールが使われているからこそ、屋根の下が直線になり、スッキリする。


なお、支柱は塗膜が厚いため、古レールの調査はできなかった。




スーパーテネレ クラッチワイヤー交換

スーパーテネレ クラッチワイヤー交換

スーパーテネレ・テネレ700

昨年、オイル交換した後から、2速への入りが悪い。かねてより、クラッチワイヤーのレバー側の太鼓のカバーが破損していることと、ワイヤーが伸びきっている疑惑があったので交換した。

20120325_000.JPG約3700円。まだ欠品になっていなくてよかった。

20120325_001.JPGハンドガードを外し、アジャスタを回してケーブルを抜く。

20120325_002.JPGこんな具合に、プラ製の太鼓のカバーが割れている。以前見たときは、ワイヤーがほつれていたような気がするのだが…。

20120325_004.JPG新品の太鼓。こんなにきれい。



20120325_003.JPG新品のワイヤーにグリスを通すために、ワイヤーインジェクターを使う。これを使うの、10年ぶりくらいかもしれない。

20120325_005.JPGクラッチ側のアジャスト。けっこう簡単に決まって助かった。やっぱり新品は伸びがないから合わせやすい。


しかし。
2速への入りの悪さは変わらない。ドグが欠けてたりするのだろうか。もうこのままつきあうしかないのか。ギヤ抜けが怖い。。。

 

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