忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

05 2026/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


[PR]

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


ハイウェイテクノフェア2010

ハイウェイテクノフェア2010

土木一般

革洋同(@kakuyodo)さんにお声掛けいただいて、ハイウェイテクノフェア2010に行ってきた。財団法人高速道路調査会が主催する、高速道路事業や技術開発の展示会だ。nexco各社および子会社(メンテ会社や技術開発会社)、高速道路に関わる商売をしている各社が出展している。

20101111-01.JPGまあ、こんな感じで、走行中によく目にするいろいろなものが展示されている。これらも少しずつ改良されているのがよくわかる。改良の対象は、ドライバーに対してというよりは現場作業員の安全性向上や労働力軽減と方向のようだった。まあ、そうだろうね。

20101111-02.JPGこういう行灯を展示している会社が数社あった。各社とも、反射材を工夫していたり、逆光対策を施していたり。

この写真右側に、緑と青のデリニエーターがあるけれど、これは回転子にハケがついていて、セルフクリーニングというわけだ。こういうのも各社出していた。

20101111-15.JPG「みの虫君」という。ブラシがつり下げられているのだが、これで特許申請中なのか…。

こういう、道路工事や道路に付随する商品にはダジャレネーミングや「○○くん」といったネーミングが多い…と先日どなたかが書いておられたが、それをいろいろ目の当たりにした。

印象に残ったもの。

20101111-13.JPGフタトール。ペットボトルゴミのフタをはずす機械。まとめて焼却したほうが安いよ。リサイクルすると割高なのに、さらに機械かったらもう絶望的に金かかるじゃないか。とか言っちゃダメなんだろうな。














20101111-11.JPG鉄道車両でいうカーキャッチャー、「とまるくん」。大型車用は「とまるぞー」。その会社には「音声警告装置 うっかり防止くん」もある。すごいぞ中日本。

あげるとキリがないが、ダジャレ系。
・セパレーターコーン「セパッ止(と)」
・棒に絡まない旗「カラマンデー」
・除草剤散布機「カラスンダ80」
・遠隔操作カメラ「ミルモット」
・防錆剤「ペガサビン」(「ペガ」はnexco中日本が使う言葉)
・つらら除去棒「つららん棒」

ストレート系。
・サイレントエコパネル
・エコピュアクリーン
・ふみもりぺったん(コンクリートの穴埋め剤)


そういったものがいろいろと展示してあるなかで、いちばんの関心事項は安全。その次がIT化だったように見えた。

安全という観点では、逆光防止策と、作業中に起こりうるトラブルを極力回避するものが多かった。上の「とまるくん」は、車線規制時の矢印板の表示板も兼ねていて、漫然と運転してきて車線変更し忘れてるクルマを受け止めて停止させるのが目的だ。旗振りは安全太郎になったが、それだけじゃだめなんだよね。

そしてIT化では、情報の集約。でも、別にそこまで集約しなくてもいいじゃない、と感じるシステムが多かった。

20101111-05.JPG「iPadで最新セキュリティ」。監視カメラをiPadで遠隔操作できるというのだが、別に今使ってるノートPCでいいじゃないか。このシステムを導入すると、iPadの導入経費と、iPadがモデルチェンジしたりOSが大幅にアップデートしたときに、とんでもないことになるよ。Windowsのほうがリスク少ないと思うけどな。

同じように、携帯で写真やら現場の状況をアップするシステムもあった。サイトにアクセスしてそれをやると、一斉に配信するんだって。でも、これも、集中管理室みたいなところに、個別に携帯で写真と状況を報告して、管理室が配信すればいいんじゃないの? ここらへんは「システムで受注し、お守りしていくことに商売的な意義がある」のがあからさますぎて驚いた。

また、「なんでこんなものを開発してるの?」というものもあった。
タッチパネル式のデジタルサイネージとか、蛍光灯ソケットに使えるLEDとか。そんなものは家電会社に任せておけばいいじゃない。あるいは、nexco各社が開発しなくても、総研が開発して各社に分配すればいいのに。「みの虫君」みたいなのは共有財産にすればいいのにね。

そうした、意図不明の開発商品で、目的と結果が逆転してしまったものがあった。
20101111-10.JPGこれは風力発電でLEDを表示させるのだが、このばかでかい発電機を製造するくらいなら、100V引いてくるか、12Vのバッテリー積んで数日に1回交換するほうが、ずっと経済的かつエコ(笑)なんじゃないの? 結局は毎日、ちゃんと稼働しているか確認し、数日に1回は点検しなきゃいけないんだから。あ、私はエコは大嫌いです。省エネは好きだし必要だと思うけれど。



話を戻して、以下は脈絡なく、見てきたものを書く。

これは今風の進化だなと思ったもの。
20101111-09.JPG緊急用電話が、タッチパネルになっている。「タッチパネル」という操作そのものを知らない人、特に年輩者にはツライんじゃないかなあとか、駅のタッチパネル式券売機の前で立ち尽くしている人は、東京でさえたまにいるくらいだし、とかも思うが、そういう人たちがそういう操作を学ぶことでさまざまなメリットを享受でき、かつ提供側にもメリットになるなら、どんどんやってほしい。

20101111-06.JPG作業服も、いまはゴアテックスなのか! 当然と言えば当然か。天気に関係ないものな。

20101111-07.JPG安全靴もゴアテックス!

会場内にあったサンプルに、こんなものがあった。
20101111-04.JPGなんかおかしいよね。まあ、サンプルだから、JYOBANとなっているところから、単純に間違ったのかもしれないとは思うが、ネタとして仕込んでいるのかもしれないという疑いは持っておこう(笑)。なにがそうなのかを書くと「常磐高速」がおかしい。

20101111-12.JPGこれ、掲載するのを忘れてたので追加。かわいい。もっと突っ走って欲しい。

個人的に惹かれたのはこれ。
20101111-16.JPG昭和30~40年代かな、車載動画。これ、売ったらいいんじゃないの? あるいは自社サイトなどで見られるようにしてほしい。


20101111-08.JPG外環の模型があった。高谷ジャンクションの部分だ。なかなかすごい接続形態となるそうだ。

20101111-17.JPGものすごくたくさんのパンフレットをいただいた。箱形擁壁の写真集とか、トンネル内照明のカタログとかも。写真右、「ハイウェイテクノフェア」と書いてあるのはカタログだ。ここにはいろいろなものの価格が書いてある…のはごく一部で、ほとんどは残念ながら「別途見積もり」となっている。設置費用込みで受注するのだろう。

単価があるものを書いてみる。
・からまんでー(旗)…2100円
・つららん棒…3万5700円
・パッと作業中(速度規制等の標識を覆う簡易標識)…4万1790円~5万2290円
・レインボーサインシート(路面に貼るシール状のサイン)…3万6000円/m^2
・ポストフレックス(中央線に経つ朱と白縞模様の棒)…2万1525円など

そして、実はこれが目的だった『宮地技報』。今回、橋梁メーカーでは唯一宮地鉄工所が出展していた。こちらも「道路の本を作ってまして」などと話すと「いま、ジャンクションとか好きな人いますからね。工場萌えとか」と言われた。中の人は、それらを同じカテゴリに見てるんだな。興味深い。そして『宮地技報』を「どうぞどうぞ」と言ってこちらにくださった。ありがたいことだ。

またこういう機会があったら行ってみようと思う。知悉しようとは思わないけれど、だいたい俯瞰できるようにはなりたい。それには、会って話を聞くのがいちばんだ。今日見てきたことが、巡り巡って仕事につながりますように。

PR

『東京水路をゆく』(石坂善久著/東洋経済新報社)

『東京水路をゆく』(石坂善久著/東洋経済新報社)

閘門・水門・水路

PB092061.JPG水路を楽しむ方々のツイートやブログを拝見するにつけ、水路に行ってみたいと思っていた。さわりだけでもと思ってエイヤッと参加したのが8月28日だ(横利根閘門(茨城県←千葉ではない))。それから1ヶ月くらい経った頃だろうか、水路を「楽しむ」という視点で紹介した本が刊行される、という情報があった。聞けば、『水路をゆく・第二運河』の外輪太郎さん(パドルさん)が著者とのこと。イカロス出版の大野さんのツイートなどでよくお名前を目にしていたし、ブログも拝見していたので、発売を楽しみにしていた。そして発売日、書店に行ったらまだ搬入前で未入荷。改めて翌日だか翌々日だかに行って買い求めた。

『東京水路をゆく』。タイトルだけ聞いて、最初は地図もふんだんに使ったムックかと思っていた。書店とは会社の近くの三省堂有楽町店、そういうスタイルで探したが、旅行ガイドブックコーナーに、スピリチュアル(笑)なガイドブックなどとともに平積みになっていた。雑貨本のような、予想外にかわいい装丁だった。版元が意外な会社だった。



読み始めて感じたのは、とてもしっかりした本だということだ。記述は「です・ます」調、ときに「~ありますまい。」といった、丁寧に意見や感想を語りかけてくるような口調が織り交ぜられ、著者自信が水路を案内する形式になっているので、あえて分類すれば紀行文になるのだろうが、実用書としても正確で十分な情報がある。世の中に数多ある紀行文には、この部分(正確性)がダメなものがものすごく多い。

さらにいいのは、内容のバランス。本文は、水路、閘門、水門、橋などを、水路別に描いている。概要があって、個別の話がある。意外にも土木構造物の個別な細かい話は少なく(石坂氏は土木構造物には非常に詳しいのに!)、適度に「ツアーでその場にいった観客目線」というか、水路そのもののリアルな描写が出てくる。それが非常にわかりやすく、想像しやすい内容となっている。このバランスがいい。それを見た読者は、きっとGoogleEarthでそこを眺めたくなるに違いない。私なぞは帰宅後、gis航空写真検索から何度となく古い航空写真を閲覧してしまった。今度、2万5000分の1地形図と首っ引きで東京の水系の構成を把握してやろうと思っている。とはいえ、興味を持ったことに首を突っ込み続けて身動きできない状態になっているので、勉強会みたいなものがあると一番いいんだけれど…。

私が水路に興味を引かれるのは、おそらく道路や鉄道と同じ運命を背負っているからだと思う。水路開鑿には必ず目的がある。水路は時が経てば用済みになる。場合によっては埋められてしまい、かつてはそこに流れがあったことすら忘れられてしまう。こうした展開は、道路や鉄道がたどる経過にそっくりだ。道路や鉄道のルート変遷史のようなものをお好きな方なら、この感覚をわかっていただけると思う。

水路好きの人はもちろん、道路好き、地図好きの人も読むべし!


山手線/地形散歩(1)池袋-巣鴨

山手線/地形散歩(1)池袋-巣鴨

地図・航空写真・分水嶺

山手線で新宿から池袋に向かって走ると、新大久保と高田馬場は高架、目白は堀割、池袋は地平、巣鴨は堀割、となっている。なぜこんなことになっているのかというと、西から東(東京湾側)へと延びる武蔵野台地を南北に突っ切る形で線路が敷かれているからである。

目白付近の台地の上は標高約30m強、神田川沿いの谷は標高約10m。標高差は約20mあることになる。目白付近で話を続ければ、それが「目白台」と「その下」、たとえば目白坂などに現る。交通網で言えば、それが高架や堀割を要求する。東京の山の手側は、こうした地形を巧みに利用して鉄道路線や道路の立体交差が組まれている。

例えば田端付近。山手貨物線(湘南新宿ライン)が山手線の下をくぐる部分。
例えば目白通りと明治通りの交差点。

歩けばすぐに実感できる。地図ではなかなかわからないが、5mメッシュ標高データを使用すればすぐにわかる。こんな感じだ。
a70da130.jpg(基盤地図情報5mメッシュと、改訂新版カシミール3D入門編に同梱の地図データを重ね合わせて作成。カシミール3DはDAN杉本氏によるフリーウエア)

池袋から田端まで、堀割になったり高架になったりしているが、ほぼ標高は24m前後になっている。堀割部分は周囲より5mほど低く、大塚の高架部分は逆に8mほど高い(正確な数値ではない)。つまり、線路がなるべく平坦になるように、地形を欠き取り、地形を盛り上げていることがわかる。


では、池袋から山手線に沿って歩いてみる。内側、外側はその都度適当だが、跨線道路橋はすべて渡った。写真も全部撮ってあるけれど、冗長になるので一部にとどめておく。

まずは池袋~巣鴨間の拡大図を置く。以下このポストに限り「JR線」と書いた場合は山手線・山手貨物線(湘南新宿ラインが通る線路)を合わせたものとする。必要に応じて固有名称と書き分ける。また、両路線とも複線で、上下線が別れることがないため、4組の線路がある写真に「左=山手線」と書いた場合、左側2組が山手線のこととする。

45aa793f.jpg 

【写真1】宮仲橋から池袋方向(左=山手貨物線、右=山手線)
20101012-01.JPG宮仲橋から堀之内橋を見る。その向こう、二段構えの橋は池袋六ツ又陸橋。

左側、山手貨物線のほうが少し高い位置にあり、擁壁はコンクリート。湘南新宿ライン整備のために堀割化されたところで、それまでは地平を走っていた。そのため、擁壁がコンクリートとなっている。

右側、一段低い山手線の擁壁は石垣。谷積みに近いが、目地をモルタルで詰めているようにも見える。


【写真2】大塚駅を池袋方から見る(左=山手線、右=山手貨物線)
20101012-02.JPG大塚駅は、地形が台地上から谷へ落ち込む途中にある。そのため、池袋方から堀割の中を走ってきた山手線は地平に敷設されることなく、築堤につながる。その標高差を利用して、大塚駅池袋方では道路橋「空蝉橋」が線路をまたぎ、大塚駅巣鴨方では逆に線路が道路をまたいでいる。池袋付近では地平を走っていた山手貨物線は、この区間ではレベルを下げ、堀割区間であった。

【写真3】大塚駅南にある立体交差部分。右が「王子電車跨線線路橋」、左が「大塚架道橋」。
20101107-a2.JPG北から見ている。画面右が池袋方、左が巣鴨方。右の桁の手前に都電の停留所のカマボコ型の屋根があるのでよく見えない。

王子電車跨線線路橋:向かって右の都電を跨ぐ部分。
20101107-a1.JPG
いまいち見えづらいと思うが、カマボコ型の屋根は、JR線のプレートガーダーの部分を切り欠いている。そして、プレートガーダー下部は覆ってある。鳩などが入り込まないようにするためだと推測する。

大塚架道橋:向かって左側、道路を跨ぐ部分。全体像は割愛。
20101107-a3.JPG橋台に、このように4段の段差が設けられている。一番上は桁受けだとして、他の2ヶ所は装飾的な意味か。煉瓦積みだが隅石を配してあり、段違いになる部分は帯石となっている。

都電側の橋台は白く塗られている。道路側の煉瓦との連続性はないので、この橋台はコンクリート製なのかもしれない(当てずっぽうです)。

【写真4】大塚79号架道橋:都道436号を跨ぐ。北側から。
20101107-B2.JPG橋台ごと白く塗られたRC桁。

大塚79号架道橋:南側から桁の裏側。
20101107-B.JPG

【写真5】平松架道橋(南から見る)
20101107-C.JPG南から北に架けて上り坂になっている。この付近、JR線は築堤上を通っている。


【写真6】宮下橋から巣鴨駅方面(左=山手線、右=山手貨物線)
20101012-03.JPGこの付近は4線とも堀割となっている。両側の擁壁ともに同じ石垣のように見受けられる。同時に施工されたものか。

(続く)

参考資料:山手線が渡る橋・くぐる橋(ものすごく資料性が高いサイトです。さまざまな確認作業を大幅に省略することができました。感謝します。)



天王洲ふれあい橋~最新のピン結合プラットトラス

天王洲ふれあい橋~最新のピン結合プラットトラス

プラットトラス


より大きな地図で 天王洲ふれあい橋 を表示
首都高羽田線を走っていると、天王洲付近で内陸側にピン結合のプラットトラスが見えて驚いたことはないだろうか。それが、天王洲ふれあい橋。先に紹介した芝浦橋から旧海岸通りを南下し、天王洲運河を渡るときに東側(左側)に見える。

この橋は、近年建造されたピン結合のプラットトラスであるという点で、おそらくそんなものはこれひとつしかない。名称が、なんの謂われもない、かえって無個性なふれあい橋であることだけが非常に残念だ。

20101106-10.JPG水平が出てなくて酔いそうだが、橋門。

20101106-04.JPG中。

休日の午後だったからか、人が途切れることがない。渡った向こうは東京海洋大学(昔の商船大学)、周辺は品川駅近くで住宅街でもある。また、運河に沿って遊歩道があり、開放感あふれたスペースになっている。この写真でいえば左側にオサレなカフェがあり、とてもいいにおいのパンを売っていて、中あるいはテラスでお茶ができる。スノッブな休日の午後を楽しむには非常にいい感じだった。

さて、ピン結合部を見る。
20101106-02.JPG20101106-09.JPG下弦と斜材、垂直材の結合部。各部材は、ゴムを介して接合している。きちんとアイバーの形状をしており、ピンはボルト。

なんということだ、うっかりと裏側を撮らなかったのだが、こうして見る限り、ピン結合プラットトラスのセオリー通り、左右の垂直材が上下で結合されて軸方向が□型となり、それをアイバーがつないている構造になっているようだ。床版は、下横構の上に縦桁を渡し、その上に設置されていると思うが、それは確認していない。迂闊!

20101106-03.JPG上部はこんな。上横構とピンがどういう関係にあるのかはわからなかった。

20101106-07.JPG中央格間、斜材がX字型になる部分。通常、ここは斜材同士が干渉しないように少しずれるのだが、このふれあい橋では完全に重なっている。このクロス部分を拡大すると、こうだ。
20101106-08.JPG片方の斜材は1本の棒で、もう片方の斜材は中央で2分割し、そこをピンでもう片方に接合している。

北側に渡って、東側を撮る。
20101106-06.JPG
また戻って垂直材。
20101106-05.JPGこの垂直材に、このふれあい橋の精神が込められている。レーシングが施してあり、しかもリベットであるかのように見せているのだ。



以下は私の勝手な想像である。

このふれあい橋は、もともとは天王洲アイルから品川駅に行くための近道として設置された人道橋である(天王洲開発協議会による)。通常、こうした人道橋は、開放的な橋にする。橋長69.3m。プレートガーダーでできないスパンではない。あるいは斜張橋が採用されやすいスパンかもしれない。

なにしろ人が歩く道だ。トラス橋は、中を歩く人にとっては檻のように感じることもあるだろう。天蓋も部材で覆われているので、人道橋としてはもっとも敬遠される。それなのにトラス橋が採用されたのは、レトロ感を演出するために違いない。そういう意味で、現代の技術で作る「形鋼をガセットプレートで剛結したトラス橋」ではまったく意味がなく、「レーシングのある、リベットを多用したトラス橋」でなければならないのだ。それを徹底的に作り込むと、ピン結合のプラットトラスとなる(プラットトラスは、ピン結合に向いた形式である)。

たしかに「運河」という空間には、近代的な斜張橋よりも、こうしたレトロなイメージを持つ鋼橋のほうが似合う気がする。また、新築されたビルが林立する天王洲アイルという土地柄にこのようなレトロなイメージを持つ鋼橋があると、浮ついた印象がかなり減る。歴史があった場所を再開発した、というような印象になる。横浜の赤レンガ倉庫や汽車道と同じ手法だ。

実際に歩いてみると、鋼材の圧迫感などはまったく気にならない。横浜の汽車道も、三つの古い鋼橋が残されてアクセントとなっており、そこで写真を撮る人も多い。

このリベット風のボルトについてはこちらのブログに詳細がある。その前のエントリにはトラスの解析もある。この「トルシア形高力ボルト」については、こんな蘊蓄もあった。いままで、橋のボルトに注意したことはなかったが(リベットかボルトのどちらかだと思っていた)、この形式のボルトかどうかも今後、見て行きたいと思う。

最後に、施工した宮地鉄工所のサイトをご覧いただきたい。意外にも、このふれあい橋はポンツーン工法で架けられた。このサイトを見て私が不思議に思ったのは、ポンツーンの艀における橋桁の受け方だ。橋桁というのは両端下部の支承で支えるようにできているのだが、こうしたピントラスが艀に乗る場合は下弦か、下弦を左右に結ぶ下横構が支点となって桁全体を支える。そうしたときに、どこかしら破断が生じたりしないのだろうかということだ。そこらへんも踏まえた上で設計されているはずだが、光景としては不思議な感じがする。


芝浦橋・芝浦併用橋(関連情報)

芝浦橋・芝浦併用橋(関連情報)

橋梁一般

昨日のエントリ芝浦橋・芝浦併用橋は長くなったので割愛したことなど。これらの橋の関連情報について。主として銘板について。


より大きな地図で 芝浦橋 を表示

●芝浦橋(道路橋)の他径間

20101104-17.jpg芝浦橋は1径間ではなく、2径間だ。トラス桁の北側に鈑桁がかかる。上記地図の、ピクのマーカーがその部分だ。衛星写真を拡大すると、道路面の継ぎ目がわかるだろう。

その短い桁の西側の面に、銘板がある。
1970年6月
東京都港区建造
鋼示(1984)一等橋
製作 横河橋梁製作所 千葉工場
材質 ●●●●●、SS41

20101104-18.JPG引いて見ると、銘板の位置がわかる。また、床版の厚さが、トラス桁のほうが薄いことがわかる。理由はまったくわからない。

支承には「横長の楕円形、中に縦三本線」の陽刻があるのだが、メーカーはわからない。いや、社団法人日本支承協会のサイトも見たのだが、わからなかった。毒を食らわば皿まで。支承もコレクションしとかないといけないかもしれない。

20101105-01.JPG前後方向。私の影つき(笑)

西側のビームとその橋脚
20101104-21.JPG「2」と書いてあるのは貨物線の鋼鉄製の箱桁。それが乗るビームも鋼鉄製。その橋脚に銘板らしきものが見える。対岸の橋脚にも見える。

20101104-13.jpg高浜西運河橋りょう
設計 日本国有鉄道東京第一工事局
施工 三井建設株式会社
設計荷重 N-18 KS-18
基礎工 場所打コンクリート杭φ150cm L=9.5m 5本
基礎根入 けた座面から22.3m
着手 昭和44年6月24日
しゅん工 昭和46年8月9日(注:1971年)

そうか、橋脚にも活荷重があるのか。あたりまえといえばあたりまえだが、上に乗る桁の重量(RC製のほうが鋼製よりも重いはず)にも左右されるし、いまある桁の重量を前提に設計されているのだろうか。また、表記が、塗装標記や橋梁制作会社の表記と異なる点も興味深い。この当時から「橋りょう」だったのだな。

いや、それよりもN-18という標記に注目。N荷重だ。新幹線貨物を想定した、車体長13.5mの活荷重だ。ということは、1970年代まで、新幹線貨物は、土木構造物において、一応は想定されていたのだ。状況証拠から、思わぬことを発見してしまったのでフォントを赤くしてしまった。KS-18標記は在来線の活荷重であるから、この橋脚は、新幹線(貨物)と在来線のふたつを想定していることがわかる。

20101105-05.jpg西側のビームを引いて見ると、こう。写っているのは、上記写真の隣りの径間だ。貨物線の桁(左側)は端部が欠き取られていてビームに吊り掛けてあり、新幹線の桁(右側)はビームを嵩上げして橋脚としている。


●東側のビーム
20101105-03.JPGこちらは西側と異なり、貨物線(左側)は単純にビームの上に乗っており、新幹線の桁(右側)はビームと独立した橋脚を持っている。

20101105-02.jpgこれがまた律儀に塗装標記がある。

橋りょう名 高浜第二西運河橋りょう
位置 元汐留-東京貨物(タ)3K847M84
支間 28M500
塗装年月 1991年6月
塗装回数 3回塗り
塗装種別及塗料名 下塗 シアナミド鉛さび止めペイント
中上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料メーカ 日本ペイント株式会社
施工者 建設塗装工業株式会社

1991年の時点では、汐留駅はなくなっていたがこの路線は生きていた。それが標記に現れ「元汐留」となっているのだろうか。

銘板。
20101105-6.jpg日本国有鉄道 1971 KS-18
SS46
宮地鉄工所 東京工場

おお、宮地! なぜここで宮地なんだ。周辺の桁は全部横河橋梁なのに、なぜこのビームだけ異なるんだ。

そして、KS-18。新幹線の桁は、上記の通り、別に設けた橋脚に乗っかっているから考慮する必要がない、というわけだ。

以上、周辺情報。


芝浦橋・芝浦併用橋

芝浦橋・芝浦併用橋

ワーレントラス

20101104-01.JPG

タグを一つしかつけられないのがもどかしい橋。高浜西運河にかかる道路橋の「芝浦橋」、その上にかかるのが東海道新幹線大井回送線の「芝浦併用橋」(手前)と休止状態の貨物線「芝浦併用橋」(奥)だ。

ここで「併用橋?」と思った方はするどい。(鉄道・道路)併用橋とは、鉄道と道路がともに同じ桁を走行する橋である。有名なものでは東京の勝鬨橋(都電)、愛知の犬山橋(名鉄)、岐阜の忠節橋(名鉄、右写真、 GNU Free Documentation License )がある(どれも鉄道は既に走っていない)。この橋は、道路部分と鉄道部分が同じ面に乗っているわけではないのに、「併用橋」と名付けられている。つまり、ひとつの桁を、道路と鉄道が供用しているということが名称からわかるわけで、分類としてはそうなるわけだ。



また、この芝浦橋を見た人は、関西本線第四大和川橋梁(大阪府)を連想するに違いない。こういう橋だ。ここに見えるトラスは「桁受トラス」と呼ばれ、通常は鋼製の箱を渡してビームとするのだが、ここではどうしたわけか、トラスがその代わりをしている。その理由が明記された文献にはいまだあたっていない。
.


さて、芝浦橋はここにある。東京都の海っぺり、運河にかかる橋だ。


より大きな地図で 芝浦橋 を表示

先に整理する。

道路橋の芝浦橋は、1970年5月、東京都港区建造。一等橋。
新幹線の芝浦併用橋は、1970年、日本国有鉄道。NP-18。1973年9月1日開通。
貨物線の芝浦併用橋は、1972年、日本国有鉄道。KSー18。1973年10月1日開通。現在休止中。

三橋とも、横河橋梁製だ。貨物線の桁のみ製造年が異なるが、設計は一体でやっていたと考えるのが自然だろう。

それ以前は、細い橋がかかるだけだったようだ。国土変遷アーカイブより転載。
20101104map.jpg.

どんどんディテールを見て行こう。

20101104-02.JPG冒頭の画像もそうだが、これが南側(新幹線側)。芝浦橋(道路橋)そのものは、斜橋ではなく通常の橋なのだが、その上を斜めに新幹線の桁が横切っている。その桁の脚が、芝浦橋のトラスに乗っかっているという構図だ。向かって右側が、端柱より出っ張っているというのがすごい。

そもそも、この程度の長さの橋なら、一等橋(活荷重の基準の一つ)とはいえ、トラス橋にする必要などないだろう。単純な上路プレートガーダー橋で十分だと思う。それなのに、この橋の側面にトラスがあるのは、トラスがその上を横切る桁の橋脚の役割を果たすからだろう。

真横(西から東側のトラスを見る)から。
20101104-06.JPG20101104-07.JPGトラスは5格間(△が5つ)なので、上左写真の右端と、上右写真の左端は同じ部分。

左側が貨物線の桁、右側が新幹線の橋脚。貨物線は、トラスを橋脚として使用し、新幹線は橋脚を介してトラスに接続している。また、貨物線に架線が張っていないのがわかるだろうか。

反対側(西側)
20101104-03.JPG新幹線の桁が、斜めに横切っているのがわかるだろう。新幹線の桁の橋脚の位置が、東側と異なる。

これも横から(東から西側のトラスを見る)
20101104-04.JPG20101104-05.JPG同様に、5格間なので上左写真の右端の△と上右写真の左端の△は同じものだ。

こちらから見ると、左が新幹線、道が貨物線。トラスへの乗っかかり方は変わらない。

寄ってみる。まずは新幹線の桁を支えるほう。
20101104-08.JPGトラスの上弦と、橋脚が剛結されている。いや、もともと上弦は、橋脚を剛結するためにこのふくらみと出っ張り(帯状にボルトが多数並ぶ部分)を持って製造されているようだ。


貨物線のほう。
20101104-09.JPGこちらはトラスに乗っかっているわけではなく、もはやトラスの上横構のような役割を兼ねているのではないか。こちらも、トラスの上弦に出っ張り(やはり、帯状にぼるとが見える部分)を備えた状態で製造し、そこに桁を剛結したのではないか。なんともすごい構造だ。

橋の上から、公園が見えた(地図参照)。そこに行ってみると、このように西側が見える。
20101104-19.JPG繰り返すが、左が貨物線ん、右が新幹線。こうして見ることで、画像右側、トラス側面に銘板があることが確認できた。

地図に示した公園から、支承を見る。
20101104-18.JPG道路橋だけで考えると、異様にでかい支承だ。だが、上に乗る桁と活荷重を考えれば、この大きさも納得だ。これは北西の支承。南西の支承も同様のピン支承だった。この支承部、トラスに縦長の部品をくっつけて、その接合面を鉛直方向にいったところにピンを設けて支承にしている。

北側。
20101104-22.JPG貨物線の桁が、トラスと一体化しているのがよくわかる。また、この径間だけ桁高さが低くされている。もともと、この芝浦橋は運河にかかる橋梁なので、桁下高さはある程度確保しなくてはならないので道路面を下げることはできない。それがこのような形を生んだのだろう。

これらのすべてに銘板があるので、掲載する。

●芝浦橋(道路橋)
20101104-20.JPG1970年5月
東京都港区建造
鋼示(1964)一等橋
製作 横河橋梁製作所 千葉工場
材質 SMA50S...SS41

●新幹線の桁
20101104-16.jpg日本国有鉄道
1970 NP-18
SS-40
横河橋梁製作所 千葉工場

材質
主桁 上フランジ・SMA41(?)
ウェブ・同上
下フランジ・同上
○○ ・SMA41

●貨物線の桁
20101104-11.jpg日本国有鉄道
1972 KSー18
WVBC 817-3
横河橋梁製作所 千葉工場

続いて塗装標記。
●新幹線の桁

20101104-15.JPG橋りょう名 芝浦併用橋
位置 大井回送線 5K696M
支間 12M471
塗装年月 1999年1月
塗装回数 2回塗
塗装種別及び塗料名 補修塗 亜酸化鉛さび止めペイント
中.上塗り 長油性フタル酸樹脂塗料(中)灰色1号 (上)灰色2号
塗料メーカ 大日本塗料株式会社
施工者 明治塗工株式会社

●貨物線の桁
20101104-10.JPG橋りょう名 芝浦併用橋
位置 元汐留東京貨物ターミナル間 3K758M16
支間 12M70
塗装年月 1990年10月
塗装回数 3回塗
塗装種別及塗料名 下塗 鉛系さび止めペイント
中・上塗 長油性フタル酸樹脂塗料
塗料メーカ 大日本塗料(株)
施工者 (株)中村塗装店

「元汐留」というのがなぜそうなったのか、知りたい。



とりあえずここまで。
この橋の紹介は『横河橋梁技報』創刊号(1972年1月号)に記載があるはずだ。いつか目にしてみたい。


参考サイト:『水路をゆく・第二運河』


インドネシアのCikubang Bridge(続)

インドネシアのCikubang Bridge(続)

プラットトラス

インドネシアのトレリストラス+ランガー(?)+トレッスル橋脚というエントリを9月8日に書いた。先日、それを調べるきっかけとなった米屋浩二さんのお会いする機会を得た。

「現地では、こんなビデオが売ってるんですよ」

20101101.jpg.

この橋梁の画像がgooglemapsに貼り付けられていることから、ファンが少しはいることはわかるが、ビデオまで出ているとは! 

20101101-1.jpgラチストラス+逆ランガーの補強! しかもこの橋には秘密がある!


開けてしまった箱の蓋、このまま閉じておこう…。


なお、Cikubang Bridgeの写真は『日本カメラ』に掲載されているとのこと。拝見してこようっと。


このとき、米屋さんが「買っちゃいました」と言って取り出したものを見て驚いた。バイテンのフィルム。使ったことのある人は知っているが、実物を見たのは初めて。今月7日まで、長野電鉄の信濃川田駅で米屋さんの写真展を開催しているが、そこで実物を見られるはずだ。下記告知ページの画像がそれ。

http://railf.jp/event/2010/10/27/192900.html


澱川橋梁 近鉄京都線

澱川橋梁 近鉄京都線

プラットトラス

大きさも形も歴史的経緯もよく知られた橋である。場所はここ。

大きな地図で見る

歴史的鋼橋集覧」によれば、支間164.6m、1928年川崎造船所兵庫工場製。歴史的経緯はwikipediaに詳しいが、簡単に書くと
・猛急の工事であった
・陸軍の要請により、単径間となった
という曰くがある。それはともかく、1928年に製造されたこの澱川橋梁が、現在でも単純トラス橋としては日本最長であるという点が、橋梁史的に興味深い。

真横から見る。
20101031-06.jpg東に国道24号観月橋がかかっており、そこからだと実に美しく見えるのだが、いかんせん西向きになる。午後に行ったため、逆光だ。すみません。

これだけだといまいち大きさがわかりづらい。引いて見る。
20101031-05.jpg画面右に見える4車線の高架橋、京都外環状線や、左に見える電車(1両20m)と比較してみてほしい。部材1本が電車1両分の長さ…とは言い過ぎだが、肉眼ではそう見えてしまうほどだ。

こうして遠くから真横を見ると、華奢に見えるが、もちろんそんなことはない。南側から見る。
20101031-01.JPG見よ、このごつい橋門を。なんという重量感。使った鋼材は1810tだ。鋼鉄の比重を7.87と仮定すれば、その体積は9.3m×9.3m×164.6mとなり、断面9.3m四方の鋼鉄の塊がこの橋の長さにかかっている計算になる。この比重が正しいかどうかは知らない。

あれ? 端柱に接する斜材が…
20101031-07.JPGいちばん端の/型の部材が、ツルリとしている。これだけ交換されたのか? などとも思ったが、ガセットとの結合はリベットだし、レーシングもリベット留めだ。オリジナルだった。

20101031-09.jpg漢数字とアルファベットの大文字を交えて縦書きすると、まったくアルファベットに見えない。支間が、歴史的鋼橋集覧となぜ異なるのかは不明。

下に潜ってみる。
20101031-04.JPG

角度を変える。
20101031-03.JPGこうなると、もはやトラス橋の縦桁ではなく、支間18mのプレートガーダー橋だ。

そして、この重さを一手に引き受ける支承。
20101031-02.JPG思ったほどでかくない。そして、更新されている。こういうものを更新するとき、1810/4tをどう支えて支承を入れ替えるのだろうか。さがせば作業請負会社のサイトでも出てくるかな。

なんて思ったら、ちゃんと資料があるではないの。『澱川橋梁の設計について-現代トラス橋との比較の試み-』(月岡康一、小西純一、和田林道宣   )。それによれば、昭和52年(1977年)に支承が水平移動しないことが判明し、昭和58(1983年)に更新されている。



では、その『澱川橋梁の設計について-現代トラス橋との比較の試み-』(月岡康一、小西純一、和田林道宣   )を基に少し。

この巨大な桁は、のちに横河橋梁に転ずる関場茂樹が設計した。関場はアメリカン・ブリッジ帰りの橋梁技術者であり、個人的にはこれからもっと人となりをさぐってみようと思っている。

現在でもそうなんだから、当時でも日本最長のトラス桁である。では、当時、世界の単純トラス橋の長さはいかほどだったかというと、1位のメトロポリタン橋(支間219.5m、1917年完成)を筆頭に5位までと7~10位がアメリカの橋。6位にドイツのライン川にかかるDuisburg Ruhrort(デュイスブルク・ルーアオルト)橋(支間186m。リンク先は推定。ガセット結合の分格ワーレンであること、ライン川に架かる橋はこれしかないこと、実際に200m弱らしいことから推定)がランクインするくらい。橋王国・アメリカの面目躍如たるところだが、この澱川橋梁はその当時のランクでいうと世界第11位となる。

1位のメトロポリタン橋は、全長1958mの橋。このうちの南側の1径間が、最長のものだ。

大きな地図で見る

上記の衛星写真でストリートビューを選択すると、この橋の外見を撮影した画像が表示されるはずだ。この橋のディテールは、このサイトが詳しい。見れば、トレッスル橋脚+プレートガーダー部もある。雄大さは日本の比ではない。

元々はCB&Q(シカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道。別名バーリントン鉄道)として開通し、いまはCNR(カナディアン・ナショナル鉄道)が保有している。蛇足だが、後者のリンク先は私が起こしている。



ああ、また海外のサイトを漁って時間を過ごしてしまった。キリがない。

江東ドボクマッピング 新観光講座 ガソリンスタンド編

江東ドボクマッピング 新観光講座 ガソリンスタンド編

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

深川東京モダン館が開催している「江東ドボクマッピング 新観光講座」。先日は「橋編」に行ってきたが、本日、「ガソリンスタンド編」が開催されたので拝聴してきた。全6回とも拝聴したかったのだが、自分の都合もあり、今回が2回目だ。

講師はガソリンスタンド・ノートの松村さん(@g_stand)。なお、今回のイベントに関するツイートはこちらにまとまっている。

20101030-03.JPG「江東ドボクマッピング」ということで、江東区の給油所についてのお話から。

給油所は消防署が管轄しているのだが、訪ねても何の資料も閲覧させてもらえないという。そして、給油所に関する趣味書などあるわけもなく、でも国会図書館に行ったら『東京都ガソリンスタンド現勢』という昭和30年(1955年)に行き当たった。これがamazonで検索できることは傑作だ。買えないけど。

実際に松村さんが目にしているだけでもどんどん姿を消している給油所。話の中に、ぽんぽん都内各地の姿を消した給油所の話が出てくる。きっと、見ていた人たちは、それぞれに記憶の糸をたぐりながら、ああ、あそこは知ってる、という個々の思いを新たにしたことだろう。私はと言えば、そういえば東京駅八重洲口に給油所があって、バイク雑誌の仕事をしていたときはよくそこを使ったなあ。などということを思い出した。

そうしたことをきっかけに、ブランド別といったらいいのか、看板別にいきなり切り込んでいく。JOMO、ENEOS(このふたつはENEOSに統合中)、出光、コスモ、ゼネラル、、ESSO、昭和シェル、SOLATO…。ブランドの架け替えの話。商売を終えてしまう話。そこに見る個人経営者の話。給油所ひとつひとつに、それほどの話があるとは空想だにしなかった。

看板だけではない。給油所の建物の意匠やキャノピー(天蓋)、計量器の土台にも、ブランドごとの特徴があったなどとは、まったく知らなかった。松村氏のサイトを拝見していれば、たしかに「○○(ブランド名)らしい」という記述があるのだが、つい読み流すというか、それを特徴として得心していなかった。こうして口頭で説明されるとものすごく深く納得できる。いままで漫然と見ていたものが、どんどん整理されて、自分の中でタグ付けされていく感じ。これがリアルイベントのおもしろさだ。

松村氏は、これらのブランドごとの特徴を「数を見る」ことで会得しているという。趣味的な教科書があるわけではない。観察眼と、あとは実際の給油所の人の話だという。いわゆるドボクの分野では、その手法によって年代をある程度特定できるが、それと同じことが給油所にもあてはまるという事実。それを見出したということに感動した。自分も精進しなければ。

最後に、美しい給油所を。

20101030-01.JPG美しい。こちらを参照。

20101030-02.JPG下灘駅か!

すばらしいお話だった。カルカルのようなハコでもぜひ!




以下は蛇足だ。

私の給油所にまつわる経験を書く。書きたいので書く。

(1)
最初に給油所を意識したのは、保育園の行き帰りだった。行きは母親に自転車で送ってもらい、帰りはひとりでバスで帰ってきた。その、帰りのバス停の前に、この給油所があった。いまもある。外装は変わったが、当時もキャノピーがあった。そして、そうだ、思い出した、ターンテーブルがあったはずだ。…でも、静電気防止のために床を濡らす必要があるとすれば、記憶違いかな? まあ、あったことにして書く。



大きな地図で見る

アポロマークは、おそらく1976年頃には意識していた。長らくあの横顔を麒麟麦酒の麒麟と同じテイストだと思っていた。保育園児のころは。

この給油所の特徴は、立体駐車場があることだ。上のGoogleEarthにも写っているが、これは垂直循環式の駐車場で、いつも、クルマが乗ったゴンドラが右から左へスイングしていくところが見えていた。観覧車のようだ、と思っていた。保育園児だったが。ターンテーブルも、立体駐車場の付属設備として機能していたのではないかと思う。

ついでにいうと、バスのディーゼルエンジンの排ガスの匂いが好きだった。まだ、ときどき半流線形のバスボディを見ることができた。まだ車掌が乗っていた名残があり、そこによく入り込んで乗っていた。背面部が丸く、背面のグリルがダイエーのマークのような欠円になっていた。そこからファンが見えた。マフラー端部は丸かった。角型ボディのバスは、マフラー端部が楕円形だった。下らないことを記憶しているものである。


(2)
日石のコウモリマークも幼少の記憶にある。
柏崎に親戚がいた関係で、よく信越本線の列車に乗っていた。柏崎駅には日石の精油所(当時、どういう名称だったかは不明だが、とにかくそういう役割の施設)があったため、タンク車がゴロゴロしていた。そこに、カルテックス+コウモリマークがついていた。もちろん、幼少のこととてコウモリを図案化したなどとは知らず、筋骨隆々の骨人間(矛盾した表現だな)だと思っていた。小学生になって、コウモリマークが「日本」と読めることに気づいた。日石と柏崎の関係は深く、発祥の地は西山油田だったと思うが(尼瀬油田かもしれない)、柏崎駅近くに本社を置いていたことがある。


(3)
また、小学生になってからは共同石油のロゴが好きだった。きっかけは鉄道模型だ。KATOがDE10をリリースしたとき、広告写真でタキ43000を引いていた。それからだ。なぜか、長じて東京へ来てバイクに乗っても、近所の共同石油でばかり給油していた。1993年に日鉱共石がジャパンエナジーになり、その後JOMOブランドを使用し始めた。「joy of motors JOMO」というジングルや、新聞の全面広告は記憶にある。その後、1995年以降も時折、共石の看板を掲げた給油所を見ていたが、いつしか見なくなった。


(4)
そして先日、廃道撮影の取材で訪れた米沢で、気になる物件があった。しかし、自分のスタンスとして安易に撮影してアップして適当な感想を載せたり、松村さんに「こんなのがありました」とご連絡するのもおこがましく、写真すら撮らなかったが、我慢できないので書く。ここ。

(注;サービス終了につき地図削除)

怪しげな三角地帯。ここは、バイパスの開通により三角地帯になってしまった場所。もともとは「八谷街道」と書いてあるほうが昔からの道筋だ。いまでは西行きの一方通行になっているが、車線幅は2車線分あり、もちろんかつては交互通行だっただろう。いまは、その余った車線は、給油所関係とおぼしきクルマが堂々と駐車している。

Googleのストビューがないのが本当に残念だが、上記の地図を航空写真に切り替えると、セールスコーナーが円筒形をしているのがわかるだろう。個人経営らしく、サイトなどはないのだが、こんな記述はみつけた。私があえて撮らなかった写真も、小さいが、ある。
八角形の縁起の良い建物で、スタンド内はグルグル回れるよ!また、どこからでも入れるし、どの方向にも出て行けるよ!
くだらんこと考えずに、撮って、そこで給油すればよかった。実は夜と朝とのべ3回通過しており、非常に気になったままだ。なお、この給油所、昭和51年(1976年)の航空写真にもきちんと今と同じ形で載っている。ついでに書くと、その右側、羽黒川を渡る「万世橋」はその後、バイパス的に新しい橋に切り替えられ、その航空写真にある橋は「旧橋」として姿をとどめていたが、先週行ったら解体され、新橋への架け替え工事をしていた。



給油所。まだまだ書ける気がする。それだけ、日常的というか、密接に関わるものだったのだろう。またいつか書こう。

廃道取材(6)山形県道250号を例に

廃道取材(6)山形県道250号を例に

隧道・廃隧道

丸田祥三さんとの廃道取材レポの続きです。まずは前夜の話。

その日は栗子隧道を堪能し、夕方に(のちに『山さ行がねが』で公開された)菅野ダムを訪問したあと、米沢駅前のホテルに向かった。まだそれほど遅い時刻でもなかったので、「ホテルにチェックインして、駅前で夕食にしましょう」と話ながら駅に向かうと、アレアレ?という感じで駅に着いてしまった。駅ビルとかないのね…。

イメージとして、置賜地方の中心地たる駅前なんだから、山形駅前くらいの感じだろうと思っていたが、周辺には米沢牛の店ばかりが何軒かあるくらいで、普通の食事ができる店がなさそうだった。仕方なく、クルマで郊外のロードサイド店の多いところに行こうか、と思ったところ、カレーハウス園というお店からいい匂いがしてきたので入ってみた。アタリだった。

ふたりでジャンボカツカレーを注文。私は大盛り。…大盛りを後悔したが、なんとか食べきった。とてもいい雰囲気のお店で、満足した。食事をとる店がアタリだと、とても気分がいい。

翌日、朝6時半出発で行動開始。主目的は国道113号沿いに点在する旧道や廃道だ。

米沢から朝靄の国道287号を北上し、米坂線の羽前小松駅を横切り(踏切は「小松街道踏切」という名称だった)、県道250号へ。ふと右に目をやると、怪しげな道ががあった。「ちょっと止まりましょう」。


20101029-02.JPG既に廃道に入ってしまっているが、このように現道に直角に接続する道路があった。しかも現道との交差点には柵がある。明らかに、使われなくなった「旧道」である。

この、いま正面を左右に走っているバイパスは開通が新しいのか、電子国土で見てもここは旧道のままだ。カシミール3Dで切り出したものを張っておく。
20101029-01.jpg黄色いのが新設されたバイパスで、青いのが、上の写真の道。おそらく、青い線の南半分と北半部とで開通時期が異なるのだろう。本線にも、それらしき白線が写っていた。

20101029-04.JPG丸田さんがカーブ地点の撮影をされている間、私はひとりで旧道を歩いていた。車が入ってこない2車線の道は広い。坂を登ると、カーブミラーがあった。その向こうにはバイパス。

20101029-05.JPG路面には草。こういうものを見ると、植物の強さをものすごく感じる。そのうちアスファルトを割り、アスファルトを粉々にしてしまう。

20101029-03.JPGさらに坂道を登ると、舗装路はこんなふうに幅が狭くなっていた。現道に切り取られているのだ。それでもなお1車線分の幅はある。

なぜかというと、右に写っている電柱がヒントだ。電線(電話線)は道路に沿って延びていくのが普通だが、道路の経路が変更されても、電線の経路は変更しないことがある。変更することと比べて多いのか少ないのかはわからないが、かなり見かける。その、古い経路に沿って設置された電線の点検の「ため、旧道部分が維持されている場合がある。ここなどはその例だ。

振り返ると、丸田さんが撮影していた。
20101029-06.JPG藪中に標識がないか眺めたが、ここにはなにもないようだった。

この場所で30分ほど撮っていた。このようにして、予定していなかったところにしょっちゅう停まるせいで、撮影はいつも押せ押せだ。作品作りをしている写真家に向かって「すみません、そろそろ…」などと催促する不躾な私。申し訳ございません…。

この日はこの後、宇津峠や片洞門に行った。八ツ口も行くつもりだったが、事前にあまりに藪がひどく、しかもイバラだとトリさんからの情報が入ったので断念した。



[PR]