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米坂線第四荒川橋梁(三代目/アメリカン・ブリッジ)

米坂線第四荒川橋梁(三代目/アメリカン・ブリッジ)

橋梁(アメリカン・ブリッジ)

IMG_0395_R.JPG


米坂線は1926年(大正15年)から1936年(昭和11年)にかけて開通した。この時期には既に橋梁は国産化されている。それなのに、この地に1910年代初頭を最後に輸入されなくなったアメリカン・ブリッジ製の200フィートクーパートラスが架設されている。それは、この地に架けられていた橋桁が水害で被災したためだ。かといって、流失した橋桁が初代かといえばそうではなく、初代の橋桁は1940年に雪崩で流失しているので、このクーパートラスは三代目ということになる。なんだかややこしいが、順を追って書こう。

初代の橋桁(開通時~1940年3月5日)

初代の橋梁がどういった形式だったかはわからないが、水量の豊かな荒川を横切るのだから、現在とスパン割は変わらない200フィートだったのではないかと推測する。1940年3月5日、雪崩が初代橋桁を押し流し、そこにさしかかった列車が荒川に転落するという事故が起きた。橋桁は4~5年の命だった。事故の内容はwikipediaにある。現地には慰霊碑があり、私が訪ねたときでも、まだ添えられて日が経っていない花があった。ご遺族だろうか、保線関係者だろうか。

二代目の橋桁(1940年~1967年8月28~29日頃)

一昨日のエントリにも書いたが、1967年8月28日から翌日にかけての豪雨が「羽越水害」を招いた。羽越水害については小国町のサイトに詳細があるのでそちらを参照していただきたいのだが、このときに二代目の橋桁が流失してしまった。流出したあと、下記の写真のような状態になった。
(小国町のサイト「壊滅した米坂線」より転載)

残された橋脚の位置からして、二代目橋桁は上路トラスで、左手の隧道につながる部分にはプレートガーダーかなにかが架かっていたことがわかる。しかも、現在はトラス橋が第2連だが、この当時は第3連だった可能性もある。あるいは上路ゲルバートラスだったか、などとも考えたが、流失した初代の桁を復旧するという急を要する時に、専用設計のようにゲルバートラスなど架けるとは考えづらいな。ということで上路トラスではないかと想像する。

興味深いのは、隧道坑門の形状だ。これは、後述のスパン割から、隧道坑門ではなく、それをそのまま延長した落石・雪崩防止のヴォールトであろう。そのヴォールト内には地盤があるわけではなく、プレートガーダー橋がある。同じような例は、関西本線第四大和川橋梁(大阪府)の東端部でも見られる。

三代目の橋桁(1968年7月~現在)

さて、橋桁が流失したからといって、さっと別の橋桁を作れるわけではない。他の例でいうと、他の場所に架けようとしていた橋桁を転用したり、橋梁の架け替えで不要となった橋桁を転用したりするものがあった。ここ米坂線には、東海道本線大井川橋梁としてかつて使われていた橋桁を、宮地鉄工所で改造して転用することにした。改造内容は不明であるが、図面番号は「TTR462-2」である。

転用元について、かつて書いたことがある。こちらをご覧いただきたい。
→アメリカン・ブリッジの記憶(大井川橋梁上り線の怪)


要するに、廃止したまま放置してあったトラス橋の転用先が見つかったのである。架設中の写真が残っている。
(小国町のサイト「復旧から復興へ」より転載)

隧道前に新しい橋脚を設置している。流失を免れた橋脚はあるが、既に足場扱いだ。帰宅してからこの写真を見たので、現地では、その存在を調べなかった。

IMG_0404_R.JPG
(塗装標記に誤記。「支間」が「文間」になっているような気がする。)

第四荒川橋梁は、冒頭の写真で奥(隧道側)から1、2…と連を数える。

・第1連 KS12 スパン12.9m
・第2連 KS14 冒頭のクーパートラス
・第3・4連 KS18 スパン22.3m
・第5連 KS18 スパン12.9m
・第6連 KS18 スパン4.19m
・第7連 KS12 スパン6.70m

ということは、第1・7連はオリジナル、第3~6連は、KS18ということは架け替え済み。第2連は上述のとおりだ。

現在の米坂線第四荒川橋梁は、三世代の桁が同居した橋であった。
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海尻橋(栃木県五十里湖)

海尻橋(栃木県五十里湖)

ランガートラス橋


廃道取材(5)東北に掲載した橋。単なる偶然ではあるのだが、いろいろシンクロニシティを感じたので海尻橋について書く。

海尻橋は、五十里湖にかかる。五十里湖は、鬼怒川の支流である男鹿川(おじかがわ)に作られたダム湖だ。かつて、西側にキャンプ場があり、そこにゲリラ的に泊まったことが何度かある。いまは閉鎖されているようだ。


20101026-11.JPG西側(上流側)。右に見えるのは国道121号で、クルマで走っていてにこの海尻橋が目に飛び込んできたとき、思わず声を上げた。

ランガートラス。タイドアーチの一種で、タイをトラスに組んである。一般的に、タイドアーチの場合、タイには桁橋(いわゆる普通の橋)と同じ役割が与えられるが、だからこそ補剛桁がトラスなのか。んなわけないか。

ランガートラスはあまり例が多くないのだが、偶然にも今月の『日本の廃道』で「山家橋(やまやばし)」の現在線が、ランガートラスだと知った。

なお、似たような音の形式として「トラスドランガー」がある。そちらは、アーチとタイをトラス状に結んだ形式であり、タイをトラスに組んだものではない。

20101026-16.JPG下流側(南側)。長大すぎて木に隠れてしまう。

橋長117.4m、幅員6m。とにかく大きい。

20101026-15.JPG横構がアーチのようになっているのはもちろん「アーチ」ではなく、吊材と接続する部分のハンチが丸味を帯びているだけだろう。

20101026-13.JPG先にも上げたが、袂には公式に「こっちが旧道」という案内標識がある。

そして銘板。
20101026-14.JPG
昭和30年(1955)
建設省建造
内示(昭和14年)一等橋
松尾橋梁株式会社
東京工場製作

と書かれていた。


この橋について、もうひとつシンクロニシティを感じたことがあるのだが、忘れてしまった('A`)


これからはこのランガートラスも見に行くようにしよう…。

米坂線の橋梁の活荷重はKS12だった(玉川橋梁/杉橋梁)

米坂線の橋梁の活荷重はKS12だった(玉川橋梁/杉橋梁)

鈑桁(プレートガーダー)

米坂線の玉川橋梁と杉橋梁に残る銘板について記す。
玉川橋梁はここ。


開通したのは1936年8月31日。この小国~越後金丸間の開通を以て、米坂線は全通した。

この部分にかかる橋は、4連のプレートガーダー。
20101025-04.JPG左が坂町方、右が米沢方。正式名称は知らないが、起点側=米沢側から、第1連、第2連…とすると、第1連は短く、第2連は一番長く、第3連は短く、第4連はすごく短い。

20101025-21.JPGこれが第2連・第3連だ。

これらのうち、第2~第4連の銘板が見えた。まず、第2連。
20101025-07.jpg日本国有鉄道
1967(711530)
KS-16 DG631-1
DG 48.7T 51.7m
**(52)31 3.3*116*
トピー工業株式会社

一番長い桁は、支間51.7mでトピー工業製だった。

次いで第3連。塗装標記から、支間19.2m。
20101025-06.jpg鉄道省
活荷重KS12 *で*219
川崎車輌株式会社製作
昭和十年 (*** 1163)
-------
**
L 日本鋼管株式会社
****株式會社
******
********

第4連。塗装標記から、支間9.8m。
20101025-05.jpg鉄道省
活荷重KS12 ***209
東京石川島造船所製作
昭和*年(***1534)
-------
L.八幡製作所
L.****会社
* ********
鉄 浅野小倉製鋼所

土木学会誌22巻9月号(1936年)の時報に「全通近き今坂線」(今坂線=今の米坂線)という記事がある。その中に、「第2荒川橋梁 101.3m」とある。これが、この玉川橋梁だと思う。追記:第2は、越後金丸のすぐ北に架かるものだった)米坂線の「第○荒川橋梁」という名称は、上り方・下流側である坂町側から「第1」「第2」と付番されている。また、同書には「丙線」と書いてある。丙線とは、軸重13tの規格である。それなのに、活荷重はKS12だ。

トピー工業製の第2連だけが、KS-16であり、また桁製作が1967年となっている。これは、1967年8月28日から翌日にかけての「羽越水害」で、この桁だけが傷んで交換せざるを得なくなったということだろう。羽越水害については小国町のサイトに詳しい。

なお、第1連の銘板や塗装標記は確認していないが、上記「101.3m」から類推するに、第1連の支間は19.2m(第3連と同じ)ではないかと思う。



次に、杉橋梁。この区間(手ノ子~羽前沼沢)の開通は、1933(昭和8)年11月10日。場所はここ。


20101025-19.JPG左端が米坂線の杉橋梁。真ん中はR113号の旧道。右は現道。

こんな感じで銘板がある。
20101025-20.JPG20101025-13.jpg
鉄道省
活荷重KS15*(で出519)
株式会社●●
松製作●●
昭和八年***1379
-------
**
L.八幡製鉄所
L.日本鋼管株式会社
●:●●●●●●
●:●●●●●●




鉄道用橋梁は、一定の範囲でテンプレート的に設計済みのものを各地に据え付けていく。ここ米坂線でもそれは例外ではなかった。玉川橋梁は活荷重KS12、杉橋梁はKS15。開通時期が異なるため、杉橋梁が架設された時期(米坂東線建設時)はKS15だったのが、全通区間(伊佐領~越後金丸間)はKS12で敷設されたのか…などとも考えてみたが、その差は3年しかない。そのため、杉橋梁がKS15である理由は謎である。

一方、玉川橋梁の第2連の活荷重がKS16であることは、単に、桁が1967年に作られたからに過ぎない。当時はKS16とKS18でしか桁を作らなかったはずだ。

なお、こうした活荷重は、クーパー荷重の解決」に書いたとおり、1D+4軸の機関車が重連で走ることを想定している。そのため、桁そのものが負担できる荷重としては、総重量から考えると、軸重が多少上回る機関車でも入線は可能だ。実際、そうした経験値で特例があった例はいくつか聞いている。

いつか、米坂線の全橋梁を調べてみたい。



廃道取材(5)東北

廃道取材(5)東北

廃道

週末を利用して、引き続き、丸田祥三さんの廃道撮影にくっついて来ている。道案内役兼運転手。今回は、先日回りきれなかった栃木~福島から、山形に入り、明日も山形だ。決め撃ちで撮影するもののほか、車中から旧道や廃道を見つけるとクルマを停めて撮影したものもかなりの数にのぼる。時間の制限もあるため、すべてを撮影できないのが残念だ。なにしろ、17時すぎにはほぼ真っ暗になるのだ。

20101023-05.JPG大峠道路で見つけた旧道。もしかしたら、工事用道路かもしれないが、舗装された上に藪が繁茂していた。路肩にはガードロープの支柱。そして、入り口はガードレールが塞いでいる。


20101023-01.JPG栃木県の竹ノ上橋。吊橋は、廃止になるとケーブルだけを撤去し、主塔は存置されることが多い。ここは、ケーブルと、腐った床が残っている。もちろん、渡ることなど不可能だ。どんな橋かは、『廃道本』巻末グラビア参照。

20101023-03.JPGこれも吊橋の主塔。この吊橋は、なぜここに架かっているのかがわからない。しかも小さい。人道橋かもしれない。

20101023-02.JPG五十里湖にかかる海尻橋で見つけた、公式の「旧道」。

この橋は、実は珍しい形式で、走行中、思わず声を上げてしまった。ランガートラスという形式で、タイドアーチの一種。アーチリブ(いわゆるアーチの部分)の両端を結ぶタイがトラス形式になっている。しかも、トラス部分は箱状に組まれており、路床はその上にある。これを中路アーチか、と書いてあるサイトもあるが、路床はアーチ下端と同じ高さであるため、下路だと考える。

ばかでかい橋で、スパンは110mを超える。


丸田さん撮影中。なぜか逆光の場面ばかり。後ろ姿が多いのは、私が前から丸田さんを撮ってしまったら、丸田さんが撮影できないからだ。当たり前か。とくに丸田さんは超広角を多用するので、真横にいることすら不可な場合も多い(はずだ)。
20101023-06.JPG20101023-07.JPG2枚とも、福島・山形県境にある栗子隧道(国道13号旧道)の山形側ルート。栗子隧道は落盤で閉塞しているので、福島側から、または米沢側からのピストンとなる。個人的には福島側は行ったことがあるので、今回は隧道坑門がふたつ並んでいる山形側に行った。丸田さんのすぐ左に、明治時代の坑口。画面左に明確に見えるのが昭和に改修で生まれた坑口だ。

米沢側は採石場内を通過しなければならないが、事務所に挨拶すればおk。「クマが出るからね」と言われ、用心しながら歩き始めた。採石場から少しクルマであがると簡単なゲートがある。危険なので徒歩で行け、と保存会の張り紙がしてある。ここから栗子隧道まで約4km。秋らしい、真っ青な青空のもと、紅葉真っ盛りの栗子山を左手に見ながら歩いた。丸田さんも、心身ともにリフレッシュされたようだ。栗子隧道の前では風が冷たく、吐く息がときたま白くなった。

なお、作務衣で撮影されている丸田さん。上の画像ではわからないが、足下はモンベルの登山靴で固めている。また、インナーは発汗製の高いもの、アウターは別に持参している。私はいつもの登山スタイル。違うのは、背負うものがカメラバッグで、三脚を手に持っていることだ。片道1時間強、まあ、ガチガチに固めるまでもない。

今晩は米沢泊。明日も米沢周辺を取材する。


十勝三股の地形

十勝三股の地形

地図・航空写真・分水嶺

仕事で、ノースライナーみくに号やらなにやら調べていて、結局私が取材に行くことはできなくなたのだが、そんなことをツイートしていたら何人かの方が反応してくださったり、ブログにアップしていただいたりしたので、ここでは十勝三股の地形について述べたい。

mitsumata6.jpg(DAN杉本氏のカシミール3Dで作成。高さは2倍に強調)

十勝三股は、北海道の帯広市から北北西に約67kmいったところにある、扇状に広がった地域である。その南に周囲は石狩山地に囲まれ、それらの南面から流れ出た水が十勝三股を潤し、音更川となって糠平湖を形成する。音更川は十勝川の支流である。

音更川を遡る形で説明すると、十勝「三股」というとおり、音更川はこの扇状地に入ると三俣地区で三つに別れる。本流は西へ向かい、ニペソツ山の北側の峰まで遡る。北へ向かうのは中の川。東へ向かうのは十四の沢。これらをして「三股」といったのかどうかはわからないが、おそらくそうだろうと思う。

この三股の周囲はぐるりと山に囲まれている。そして、峰に向かってどの方向へも緩い傾斜をもって向かっている。その不思議な地形は、平面の地形図ではなかなか実感できない。このような鳥瞰図をもってして初めて理解できる。


よくぞこんなところまで鉄道を敷いたものだと思う。もともと、北海道の鉄道は開拓の最前線という側面があるので、現代の観点で簡単に判断してはならないのだが、それにしても、と思う。糠平まであったことでさえ驚きなのに、さらに十勝三股まで。もうすぐ三国峠、その向こうは層雲峡、そして上川だ。


十勝三股の扇状地を拡大して真俯瞰するとこんな感じだ。
mitsumata11.jpg(DAN杉本氏のカシミール3Dで作成)

これだけ広大な土地に生活していた人たちの心はいかばかりか。学校や神社まであったらしい。



十勝三股の北西に、石狩岳がある。20年ほど前、この山に登ろうと思っていろいろと情報を集めていたことがある。「シュナイダー尾根」というコースの名称に惹かれたのだ。なぜこんな奥地にドイツ名(だと思う)が!? しかし、アプローチがどうにも難儀な気がして、断念した。そして他の山に向かった。トムラウシ(テント泊2泊3日)、利尻岳、大雪山(こちらはお手軽に)に行った。いまならレンタカーを借りて…なんて思うが、当時はそんなことは思わなかった。石狩岳は幻の山だった。このエリアは、十勝三股から徒歩で三国峠に向かい、途中で砂利道になったので、そこからヒッチハイクで上川に抜けた。

ところが2年前、廃道の本を作っているときに、nagajis氏から「十石峠を自転車をかついで越えた」と聞いた。まさかまさか。後日、写真を見せてもらった。本当に、十石峠に自転車が写っている。その写真は『廃道ナイト』でも使われたような気がするが、おそらくそのすごさに気づいた人はいないか、いてもごく少数だと思う。まさかまさかの峠越えである。


十勝三股は、もう8年ほど行ってない。いま、猛烈に行きたくなっている。いまこうして地形図を見ていて、置戸に抜ける勝北峠を走ってみたくなった。なぜ、自由に行けた時代に行かなかったのだろう? 知らなかったのかもしれない。


<参考>
賑やかなりし十勝三股駅界隈@golgodenkaさん)
・ツイート(@dodoshiryoさん)
十勝三股あの頃。(編集長敬白)

<関連項目>
糠平、昭和24年の20万図と昭和30年の5万図

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-2)山形鉄道最上川橋梁

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-2)山形鉄道最上川橋梁

橋梁(パテントシャフト&アクスルトゥリー)

英国系100フィートポニーワーレントラスの横桁考(番外1-1)山形鉄道最上川橋梁というポストの続きを書いていて、うっかりブラウザを閉じちゃって書いた文章が無に帰したことがあった(こちら参照、するほどでもない)。そのことをすっかり忘れ、別件でこの山形鉄道のダブルワーレントラスについて触れようとしたら、記事そのものを実はまだ書いてないことに気づいた。まあ、あと20橋くらいネタたまってるんだけれど。

さて、その文章を消してしまったときに何を書こうとしたのかはまったく憶えていないので、ここではディテールを紹介する程度にする。この橋の経緯等、詳細説明は、上記「番外1-1」のリンク先をご覧いただきたい。

20101018-11.JPGさて、この最上川橋梁は、非常にいい立地にある橋である。県道の荒砥橋から、このように見える。背景は、出羽山地の一部、葉山などである。写真に見える山の向こう側方向に稜線が延び、その稜線は朝日連峰に連なっている。

寄ってみるとこうだ。
20101018-01.JPGこの、3連のダブルワーレントラスの存在感が大きいが、この最上川橋梁は対岸に向けて溢流部に12連のプレートガーダーがかかっている。そして、こちら側、つまり北側の下弦に、連番号がペイントしてある。ここに見えているダブルワーレンは、右から順に13、14、15と書いてある。

20101018-03.JPG上流側から。戦後すぐの、といっても62年前の航空写真を見る限り、本流部と溢流部の割合はほとんど変化がないようだ。最上川は、当時すでに手が入っていたのか、それともいまだに手が入っていないのか。きっと前者だとは思う。

真横から。
20101018-07.JPG美しい、9パネルのダブルワーレン。私はこれをトリミングにしてスクリーンセーバーにしている。

20101018-08.JPG20101018-09.JPG上弦と下弦のピンはこんな感じだ。


ここまで写真をご覧になった方は、この橋はきれいだと感じることだろう。昔のワムハチの色、すなわちとび色2号に似た色合いの塗料が塗られたばかりのようだった。このときの撮影行では、塗り替えしたばかりの橋に出会うことが多々あった。ラッキー。

肝心の横桁。
20101018-06.JPG
このように、直線的な横桁が格間に2本ずつ渡され、その横桁を繋ぐように縦桁が2本、設置されている。岐阜県の初代東海道本線揖斐川橋梁もパテントシャフト製で、このような横桁を持っているので、これがパテント・シャフトの流儀なのかもしれない。

また、この写真では橋台付近をご覧いただきたい。ダブルワーレンの端柱部、つまり∠となる部分の先端、横桁のようなものがリベット留めされている。そして、その横桁のようなものと橋台の間に、レールが4本、まるで端を支えるかのように配置されている。なぜなのかは不明。

20101018-04.JPG支承。ピン支承をローラーが受けている。

20101018-05.JPG横桁の断面。どういう過程で横桁が作られていくのかを知りたくなってきた。


20101018-02.JPG正面。

20101018-10.JPG右岸には、このような説明板があったが、もうこれでは意味を成さないだろう…。


以上、一切、新発見とかナシ。繰り返すが、このポスト上部の「番外編1-1」をご覧いただきたい。


危険!落ちたら死ぬ!タオル

危険!落ちたら死ぬ!タオル

廃道

廃道ナイトで先行発売し、大好評だったタオルが通販開始です。廃道探索にちょうどいい大きさ。トリさんはツタンカーメン化するのにすぐ使っていました。制作したのはバドンさん。お求めはコチラから。

20101018.jpg


廃道ナイト3!!! レポート

廃道ナイト3!!! レポート

廃道

20101017-03.JPG10月16日(土曜)、東京カルチャーカルチャーで『廃道ナイト3』が開催された。そこに売り子としてかませていただいた。『廃道本』をお買い上げいただいた皆様、既にお持ちの皆様に感謝しながら、けっこう「コアな人にしかわからない」ネタもそれなりにあったので、そのへんを補足しつつレポートする。

開場は17時30分だが、16時に会場入り。販売品などをセッティングしていると、ヨッキれん・ミリンダ細田・トリ各氏がご到着。すぐに準備を開始。し、同時に「特別メニュー」の名称も検討。

オレンジ色のカクテル、「三島の黄昏」は比較的スムーズに決まったが、対応する緑をどうするか。「○○隧道の苔」「対応しないなー」「三島に対応して藤村紫朗か」「マイナーすぐる」…。細田氏「グリーン(自粛)」ヨッキ氏「却下!」…。悩んだ末、「三島の青春」となった。副題に「和歌夫人」。これくらいのわけのわからなさがちょうどいい。

会場限定メニューはこんなの。「三島の黄昏」は撮り損ねた。。。
20101017-05.JPG 20101017-04.JPG


20101017-02.JPG物販コーナー。私が『廃道本』を、マニアパレル:バドンさん(@BAD_ON)が、廃道ナイト3を機会に制作した「危険 落ちたら死ぬ!!」タオルとTシャツを販売した。

Tシャツは完売、タオルは50本近く売れた。すごい。買い逃した方は、上記サイトをチェック。通販、あるいはジュンク堂新宿店などで販売されるかもしれない。


モチーフはこちら。有名な看板だ。バドンさんは数々の土木をモチーフにしたTシャツや手ぬぐいを作っておられ、私もいくつか持っている。

私は『廃道本』のほかに、現在、丸田祥三さん(@malta_shozo、ブログはこちら)と制作中の写真集の告知をした。ご来場いただいた方々にはチラシを配布させていただいた。丸田さんについては、このブログの他のエントリをご覧ください。

リハは着々と進行。出演する3名の着座位置は、私から提案してカルカルの横山店長とヨッキさんで、トリさんと細田さんを囲む形になった。そのほうが、両側に進行役がいたほうが、話を振りやすいと思ったからだ。リハ中、トリさんの廃道好きの説明をいろいろ展開しようとしていたが、結局お蔵入りしたようだ。



今回、チケットは早々にソールドアウト。そのため、入場は整理番号順になる。開場時刻の17時30分にはかなりの方がお見えになっていた。初めての方もけっこういらっしゃったようで、全席自由にとまどっていた方もおられた。

今回は「女性は500円引き」とした。その試みにはいろいろなもくろみがあったのだが、男性に連れてこられた女性もいらした一方、お一人でこられた女性も。

約1時間後の18時30分、スタート! 以下、ヨッキさん・トリさんの顔が隠れてしまっているカットが多いが、私が座っていた席の都合なので御容赦いただきたい。

20101017-06.JPG第一部は正装。トリさんは着物、細田さんは軍服(?。違ってたらすみません)。細田さんの服、13まんえん…。右腕の階級章は「中尉」とのこと。調べたら「飛行服用袖階級章」らしい。氏はヨッキ氏と夜な夜な長電話をしているらしいが、その内容が知りたい。

乾杯!

まずは自己紹介。この手のイベントは、出演者を知っているかどうかで楽しみ方も随分違うので、かなり重要。ヨッキさんの自己紹介動画(7分!)が音楽と非常にマッチしていて爆笑。そして、ついに廃道が海外で紹介されたという報告。

20101017-07.JPGこの記事はjapantimesのwebサイトにもあるので、じっくりご覧いただきたいのだが、記事中では廃道を「abandoned road」と表現している。「obsolete road」はORJの造語なので、当然と言えば当然。なお、廃線は、営業中止、廃線跡の放置状態、ともにwikipediaでは「abandoned rail」と表現される。


続いて「おぶろぐ」で募集した「私の道路萌えポイント」。全プレゼンを掲載するが、ネタ数は一部カットさせていただく。

(1)ナトリウムランプ萌え(すどきち氏)
20101017-08.JPG共感される方は多いだろう。隧道内、夜間照明ともにナトリウムランプ。最近は隧道内は白色の光も多く、夜間走行していると隧道内のほうが明るいということも多くなった。

すどきち氏は、ナトリウムランプが落ちてきて割れたりしているのに遭遇するとハァハァするらしい。

(2)道の真ん中の木(学生服のヤマダ氏)
20101017-09.JPG学生服のヤマダ氏は、四国在住の方で、いままあでヨッキさんやORJにたびたびものすごい情報をもたらしている方だ。

20101017-10.JPG写真が出ると、開場は「ああーー……」と感嘆が漏れる。

(3)50高(nogana氏
20101017-11.JPG観客としていらしていたnogana氏自身によるプレゼン(下写真右端)。

廃止された道路標示だ。高速車/中速車/低速車という区別あった時代のもの。こんなの。

20101017-12.JPG


簡単に補足する。

現在、速度制限のない道路での自動車の最高速度は60km/h(原付等30km/h)。1992年10月末までは、大型貨物・大型特殊・軽二輪などは50km/hとされており、それを「中速車」と呼んでいた。「50高」とは、「高速車」つまり乗用車、自動二輪なども50km制限ですよ、という表示である。「40高中」となれば、高速車も中速車も40km/h制限であるということ。その表示がいまだに残っているところや、表示する必要がないのに新規に描かれたりしている画像が展開された。

(4)都市部の未成道の風景(kubodi氏
20101017-14.JPGkubodi氏も自らプレゼン。

横山さん(ヨッキさんだったかも)が「都市計画道路が好きな人!」と会場に問うと「ハイ!」「ハイ!」「ハイ!」と、非常に多くの賛同者が現れた萌えポイント。数十年という単位で進行する都市計画道路。とりあえず用地買収だけしてあったり、一部で工事が途切れていたりする部分が好きという。みな共感。

上の画像は横浜市の道路の終端部に放置されていたリヤカー。荷台を竹が貫通しており、竹を切らないとリヤカーは動かせない。リヤカーがなくなるときは、ここが道路になるとき。「廃」と「未成」が同居しているような気がした。

ここで休憩。

再開。ここから第二部、トリ氏と細田氏は「探索時の正装」に着替えているのだが、コーナーが続いているためその説明がなかったので気がつかなかった人もいたかも…。細田氏は「いつものツナギ」で電車に乗っていらしている。

その細田氏のツナギにYUKI TORIIのタグがついていたのをある女性が発見。「でも学生のときに作業服屋で買ったんですよ」と細田氏。奥方がシャレで縫い付けた? でも廃道探索を嫌悪されてるようだしなあ…。YUKi TORII、私は男なのでよくわからず、検索したら「パリコレに毎年出てる」とか書いてあったようなブランドらしい。

(5)橋桁の床版(うさ★ネコサンド氏
20101017-15.JPGとくに中京圏の廃道・廃線などに関する綿密なサイトの管理者さん。このあたりの隧道や峠で検索するとまずトップに来る。ミリンダ細田さんが「私、毎日見てますよ!」というサイトだ。

20101017-16.JPGたとえばこれ。吊橋。足を載せる板が一人分しかない。これはよくあるが、よく見ると、脇に1枚、板が沿えてある部分がある。これがなにかというと「行きちがい用の待避所」。すごい。みすごしそうだ。

20101017-17.JPGそして描き下ろしのイラスト。横山さん「なんでこんなにクオリティーが高いんですか」。たしか本職さんのはず。

(6)旧型道路標識(マフラー巻き氏
20101017-19.JPGこちらも四国の大御所、マフラー巻きさん。いわゆる「白看」好きは多いけれど、それはそこそこ現存しているから。ここではその前の時代、さらにその前の時代の標識についてひとしきり発表があったあと、この写真が出てきたのだ。

大正時代に、日本で始めて制定された標識。運輸省の前身、内務省の制定によるものだ。その事実が、道路大鑑(だったかな)に基づいて語られると、会場内はどよめいた。

なおこの画像、私はマフラー巻きさんのサイトかどこかで見た記憶はあったのだが、どこだったか思い出せない。

追記:いしぐろさんのサイトでした。元情報はマフラー巻きさん。

(7)農業用水路橋(ミリンダ細田氏)
20101017-20.JPGそして出演者のポイント。細田氏は、仕事の合間に農業用水路橋をすべて撮影し、それをすべてヨッキ氏にメールで送りつけているという。ときには1日30通くらいメールが来るらしい。

20101017-21.JPG実際、水路橋を趣味対象にしている人はごく少ないだろう。コンクリートのU字溝を組み合わせた簡易なものから、他の鉄桁を転用したものまである。

横山さん「どこに魅力を感じますか?」
細田さん「え? 魅力ですか? どこに魅力って…どこでしょうね???」(会場爆笑)
細田さん「最初は嫌いだったんですよ。でも、たとえば中学1、2年で嫌いだった女子を、3年になったら突然好きになったりするじゃないですか。それですよ」

どうやら最初は森林鉄道の軌道跡と勘違いして巡っていたらしい。やがてそれが誤りだと気づいたのだが、そのときには既に毒されていたということらしい。嫌いだと思っていたものを意識し始めるとそれが好きになる。深い。

いくつかの農業用水路橋の例が掲示され、解説されていく。ボーストリングトラスのものもあった。これについては「古い形式」と流されてしまったので、補足したい。写真を撮り損ねたので他の橋の写真で説明しよう。題材は福島県の松齢橋だ。
20101017-98.jpgこれは道路橋の例だ。ボーストリングトラスとは、一見、タイドアーチに見えるかもしれないが、部材が負担する力を考えるとトラス橋の一種である。簡単に言うと、通常のタイドアーチは分度器の形をしていて、アーチは軸方向に圧縮力、タイ(下部の直線)は引張力を負担し、それらを結ぶ部材は単に路床を吊っているだけだったりするが、このボーストリングトラスは、トラス部分にも圧縮力・引張力がかかる。

ボーストリングとは、側面から見た形状を、ボウ(弓)とストリング(弦)に見立てての名称だ。この形式は、開口面積を確保するために橋門構(画像に赤い点線で示したような部材だとお考えいただいて大きくは違わない)を設置できないため、この部分の強度が低くなってしまうという欠点がある。そのため、明治以降、九州や福島県で局地的に使用された以外はほとんど採用例はないのだが、水路橋や水管橋のように、開口部が狭くてもいい場合には、ボーストリングトラスもそれほど不利でもないのかもしれない。このへんはあくまで素人考えなので、専門家がいらっしゃったらご指摘いただきたい。なお、新潟県にこの橋のさらに特殊な使い方をした廃道がある(国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷))。

そして、大物がきました。
20101017-22.JPGキングポストトラス!

同時に「六郷川にクイーンポストトラスが…」という解説もあったが、おそらくほとんどの方は意味がわからなかったに違いない。まあ、橋の構造を解説するイベントじゃないしな。ここで補足したい。

このキングポストトラスは、もっとも原始的なトラス橋だ。見ての通り、ひとつの三角形でできているので、短い橋でしか使いようがない。簡単に言うと、/\部分を横に2分する|が__部分を保持する構造だ。/\には圧縮力が、__には引張力がかかる。このプレゼン時にあった「日本で鉄道が開業したときには同類のクイーンポストトラスが…」という説明については、画像をご覧いただいたほうが早い。こちらのサイトが鮮明だ。トラスが/Π\型になる。

さらに補足すると、1972年に新橋から横浜まで鉄道が開通したとき、橋はすべて木製だった。多摩川を渡る橋ですらそうだったのである。その橋が、クイーンポストトラスだったのは上記リンク先のとおり、事実。『本邦鉄道橋ノ沿革ニ就テ』(久保田敬一)の49ページに図面がある。
20101017-99.JPG斜橋(川を斜めに横切る)であるために、クイーンポストトラスに見えないかもしれない。鉄道の発展に伴い、早くも1875年には鉄製のワーレントラスに架け替えが決定され、1877年には2代目の橋が架けられた。わずか5年の命だった。2代目の錬鉄製の橋梁は明治村に保存されている(こちらを参照)。ハァハァ。3代目は樺島正義が作ったプレートとトラスの複合桁「牛の眠るような橋」、そして4代目がいまの桁だったと記憶する。ハァハァ。

ちなみにキングポストトラス、宮崎県の西米良村には、かりこぼうず大橋というスパン50mのキングポストトラスが2003年に架けられている。こちらに図面がある。こちらも参照。また兵庫県の六甲山にも、構造的には違うのかもしれないのだが、似たものがある。こちら。ハァハァ。


第三部。

実はこの時点で終了予定の21時だった、メインディッシュたる後述レポを外すわけにはいかない。急ぎ足で、でもそれゆえに高いテンションを保ったままスタート。栗生峠にまつわる話。画像では「数坂峠」になっているものもあるけれど、どちらも関わりがある話だ。
20101017-24.JPG20101017-25.JPG20101017-26.JPG20101017-27.JPGライブならではの後述レポは、ここにすべてを書くようなものではないので割愛させていただく。いずれORJなどで発表があろうが、畳みかけるようなトークに、会場の皆さんがぐいぐいと引き込まれていくのがわかる。固唾をのんで次の展開を見守る。決定的瞬間の前に、一度立ち止まってさらに説明し、じらすなど、これは山行がやORJでもあることだが、本当にうまい。そして最後、小林勘三郎翁のくだり、私は涙が出そうになった。「道への思い」がいかに強烈なものであったか……。同じように思った人は他にもおられるのではないだろうか。



終了後、サイン会。
20101017-28.JPGタオルにサインを、という方がおられて、その後はタオルへのサインが続いた。

20101017-29.JPG.

21時50分ころから二次会。本当は千葉のトークショーでやるはずだったレポをここで紹介した。
20101017-30.JPG

そして細田さん持参の「イソビタン」争奪じゃんけん大会を以て幕引きと鳴った。
20101017-31.JPG

ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。もっといろいろな展開もあるかもしれません。そうなることを願いつつ、次回に期待しましょう!


メレル・カメレオンの実用性の低さ

メレル・カメレオンの実用性の低さ

独言・日記

20101017m-02.JPG(写真は洗浄後)

メレルというメーカーがある。十数年前、モックで一世を風靡したメーカーで、ビビッドな色のモデルも魅力的だった。モックは非常に履き心地がよく、私は色違いで4足持っていたが、いつのまにかコピー品が氾濫し、おっさんおばさんまではき始めたため、はくのをやめた。

数年前に「カメレオン」というモデルが出た。形もすてきでカラーバリエーションは当時5色だったと思う。ゴアテックスを使用したアウトドア用の靴ということで、ブーツを代表とするごつい靴の流行もあり、かなり売れていた。色や形などいいと思いながらもいろいろ思うところがあって買わずにいたものを、結局買ってしまった。

非常に履き心地がいい。都心部の舗装路を何時間歩いても大丈夫。それまで10年間くらい好んではいていたパトリックは靴底の薄さもあって、そういうのが苦手な靴だった。だが、使うにつれて、これはアウトドア用の靴としておかしいんじゃないの、と思うことが目につくようになった。

まず、濡れてる路面で滑る。

そして、汚れが落ちづらい。

汚れを落とすと、アッパーがボロボロになる。

靴紐がすぐほどける。


どこがアウトドア用なんだろう? 野フェスで履いてる人がたくさんいるというが、みんなどうしてるんだろう?



汚れについて実例を挙げる。

ひっつきむしがついた。それをひっぱがしたら、こうなった。
20101017m-04.JPG(わかりやすいように暗めに撮影。実際にはもっと明るい黄色。次の写真も同じ)

かなりありえない。ご自慢の撥水ポリエステルメッシュとやらは、ひっつきむしより弱いのか。


そして、泥を洗浄する。こうなった。
20101017m-06.JPG歯ブラシでゴシゴシこすったら、これだ。もともと編み込みのようになっているので、汚れが詰まりやすいのだが、それがほつれてくる。この写真に挙げた以外にも、細かなほつれはたくさんある。


私は、汚れが落ちる/落ちないと、アッパーが傷む/傷まないは別物だと考える。洋服で考えるとわかりやすいが、シミをつけたら落ちないこともあるし、洗濯を繰り返せばヤレたり色落ちもする。しかし、洗濯したら糸がほつれてくるようなことは、よもやありえないだろう。

アウトドアユースなのだから、泥、草の汁、もろもろの頑固な汚れがつくはずだ。そうした場合は当然、汚れを落とす。その結果、ほつれるのは許せない。

もうメレル製品は買わない。

No Image

THE NICEの『FIVE BRIDGES』ジャケット

ブレーストリブアーチ

ELPのキーボーディストとして有名なキース・エマーソンが、ELP結成前に率いていたバンドがTHE NICE。そのアルバム、その名も「FIVE BRIDGES」のジャケットがコレだ。

ブレーストリブアーチを魚眼レンズで撮影し、その写真の下半分を組み合わせて構成したものだ。この橋の正体がふと気になったのだが、答えはwikipediaの英語版に書いてあった。なんでも検索できる時代は素晴らしい。

この橋は、イギリスのタイン川にかかるタイン橋(Tyne Bridge)。wikipedia日本語版には「タイン川」も「タイン橋」も項目はないのだが、Yahoo!辞書で「tyne」を引くと、タイン橋の解説がある。辞書、すばらしい。

上の写真では長大な径間を擁する橋に見える。実際、橋長は389m、最大スパンは161.8m、桁下高さ26m。1928年の建造時は世界最長のアーチ橋だった。しかし、現在の様子はどうだろう。

File:Tyne Bridge.jpg
(この画像の取り扱いは Creative CommonsAttribution-Share Alike 3.0 Unported ライセンスによる)

大きさは変わらないのに、周囲に高層建造物が林立しているために、小さく見える。奥のドームや高層ビルのせいもあろう。なにより、桁下を通過する客船の大きさが、タイン橋を小さく見せている。


時は移り、現在、世界最大のアーチ橋は、2009年開通の中国の朝天門長江大橋である。橋長はタイン橋の約4.5倍の1741m、最大スパンは約3.4倍の552m。と聞くと、「さすが現代の橋梁技術!」などと思うだろう。しかし、このタイン橋が開通したわずか3年後、1931年には、アメリカのベイヨーン橋(Bayonne Bridge)が、橋長1762m、最大スパン511mで開通している。この、スパン511mと552mの差、41mがどれだけの重みを持つか、私にはわからないが、受ける印象としては「ほぼその時点で現在と一緒じゃないか」となると思う。架設開始は、タイン橋の開通と同じ1928年である(月日まで調べていない)。

なお、このタイン橋の所在地はここである。
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