「お母さん」の写真が確かに多数を占める1940~1960年代に比べ、1990年代以降は若者の文化の上っ面しか展示していない。展示されている写真を見ると、20代前半の女性は、1950年頃には「貧しいお母さん」だったのに、それが2000年代になると「まだまだ子どもで社会性もない少女」になってしまった、というような流れなのに、能書きはそうなっていないのだ。敗戦後の困窮の中で日本の家族を支えたのは、まさにお母さんたちの「生きる 力」でした。さらに女性たちは、世界中が驚くほど目覚ましい日本の復興と発展に、大きく貢献しました。またその力は、高度成長とその担い手を支え、近年は 世界を舞台に多くの日本人女性が様々な分野で素晴らしい活躍をしています。
そんな写真はひとつもない。ただ、軽薄、幼稚化した10代少女の写真が続くのみである。この、最後の展示が、2000年代のお母さんの姿や、それを見守っている前世代のお母さんだったらよかったのに、と思う。高齢化社会、広がる経済格差・・・。日本はどこへ行くのか。一つだけ確かに言えることがある。難局を切り開くだけの力を、女性は持っている。
こんなに冗長になってしまう。地の文章で、普通に書けばいいのに。以前に少しだけ触れた、『近代日本の橋梁デザイン思想』ならば、この下線部のようなことにすら出典がつく。逆に、出典がないものは、まったく記述されない。「(戦後の橋守再開において)六年間も、まともなペンキが手に入らなかったんだ。日本では新潟と秋田で少しは出るが、石油はほとんど輸入にたよってきたんだ。それが戦争中は入らなくなった。だから、ろくに繕いケレンをやってなかったからなあ」(下線部筆者)
あまりに主観。なぜコンクリート桁橋では魅力がないのだ? その理由が書かれていない。もし煉瓦+ガス灯だったら一も二もなく賛成してしまう人なのではないか。コンクリートは嫌われ者の代名詞的に使われる。明治期の橋梁設計者は「ヨーロッパは石のアーチ橋がたくさんあるから、日本の街の橋はアーチ橋たるべき」みたいに考えた人が多かったのだが、それを彷彿させる。「筆者はこの検討会の委員であったが、コンクリート桁橋では景観的に魅力がなく、歴史性の継承もできないと強く反対し(た)」
ものごとには妥協点がある。遅延・運休ゼロにはできないことは自明なのだから、最小限に抑えられるこの案で妥協しなければ、どこで妥協するつもりなのだろう。そして、そうしたことを費用で換算することのばからしさ。「費用対効果」という単語には必ず客観的な判断基準を添えなければならない。「費用」を測るのは数字の多寡だが、「効果」を測るのは結局主観だからな。仕事でも費用対効果費用対効果というバカがいるが、無視している。そういう奴は必ずセンスがない。センスは、もっとも「費用対効果」として測れないものだ。「橋を架け替えても風による遅延・運休はゼロにはならない。(略)二割程度までにしか減らせない。そのために余部鉄橋を架け替えるという。貴重な文化財を犠牲にし、約三十億円の費用を投入するだけの効果がこの事業に本当にあるのだろうか」
それまで13年間にわたって検討されてきたことを、まったく聞いていないという愚かさよ。「先端技術を用いれば現橋を生かしてもっと安価に風対策をすることも可能と思う」
8月11日(火曜)夜、新宿のネイキッドロフトで開催されたトークイベント「盗作かもしれない」に行ってきた。枡野浩一さんが司会で、丸田祥三さんと切通理作さんが話すというスタイルで行われた。
ロフトのコピーを転載すると、「廃墟写真の先駆者・丸田祥三が告白する、 “盗作かもしれない” 写真家・小林伸一郎との裁判のすべて!」とサブタイトルが付されていた。ある程度この問題に関心を持っていた人たちは、会場に足を運んだ人も、USTREAMで中継を見ようと思っていた人も、みなそうした話、もしかしたら暴露話や裏話、丸田さんの思いの丈を聴きに行き、それが話す丸田さんのカタルシスになれば……というように思っていたのではないだろうか。
テーマにある「盗作」とは、簡単に説明できないので、このまとめサイトをざっとご覧いただきたい。内容をどう考えるかは、読者諸氏にお任せする。
・小林伸一郎盗作廃墟写真疑惑/アサヒカメラ記事捏造事件
私はこの件に関しては把握しているつもりだった。ところが、そんなのでわかっていたつもりになっていたのが恥ずかしくなるような結末だった。盗作が許せないとか、そんなことではなかった。作家性とはなにか、人とはなにか、という話であった。
トークライブのアーカイブ
・USTREAM(前編)
・USTREAM(後編)
UST中継を見ていた人のツイート
・http://twitter.com/#search?q=%23masunoshoten
小林氏やその弁護士の行為がいかなるものかはUSTを見れば分かるので割愛する。一部、立場が変わればそれもしょうがないでしょう、と思うようなこともあるし、印刷物の限界からそれはしょうがないんですよ、と思うこともないではないが、そうした個々は本質ではない。
丸田さんが苦悩し、立ち上がったのは、自分の作品が亡きものにされようとすることへの抵抗だった。どこへいっても小林氏が先回りして「先駆者」と名乗っており、本当の先駆者である丸田さんが名乗り出ることが不可能となった。もちろん、丸田さんにとって「先駆者」であることに意味を求めているのではない。小林氏への評価が「廃墟の神にして先駆者」として固められている場合、丸田さんがそれより圧倒的に素晴らしい作品を持っていたとしても、もはや二番煎じになってしまっており、発表の機会すら奪われてしまっている。そうしたことに起因するさまざまなことへの抵抗だったのだ。
版元を通じて抗議をした丸田さんは、小林氏の代理人である弁護士からの「1ヶ月で連絡する」という回答ののち、1年待っても連絡などない間に写真業界からディスられ、写真家の名簿的なものから、名前も作品も削除されてしまう。かつて開いた写真展を、裁判の過程で、小林氏に「図録もないようなものは写真展ではない」と、存在しなかったことにされてしまう。
その写真展は、たしかに存在した。若き切通さんが受付をし、町山智浩さんがそこから丸田さんを見出した。そして丸田さんは世に出た。それが、変な立ち回りをされるおかげで、こうした人間関係と、関係者の思い出すべてが亡きものとされてしまう。これが許せない。盗作されたから感情的にむかつく、というようなことでは絶対にない。
丸田さんは言う。「作品を知って欲しい」。「名作は無記名である」という、誰かの言葉を引用し、丸田祥三という名前など憶えてもらわなくてもいいと言い切る。かつて、写真集の色味が、自分が納得いかないように調整された(*)とき、「名前など見えなくなってもいいから、作品のこの部分の色を出してほしい」と訴えたような人だ。この場面で、会場の人も、UST視聴の人も、ああ、そういうことだったのか、と思われたに違いない。
(*)あくまでわかりやすい例で言えば、モノクロ写真で、真っ黒な日陰部分と光源で色が飛んでしまっているものがあるとする。その場合、製版処理(写真をどのように印刷するかを決める工程。「印刷」というのは、「印刷」の限界を最大限に利用するために、原版に対してさまざまな調整が行われる)としては白地が飛ばないように、黒地がつぶれないように、コントラストを下げるなど、さまざまな調整をする。しかし、撮影者は意図して黒と白とのコントラストを出し、白飛び部分はわかってて白飛びさせているため、そのような修正をされることに不満を持つ場合がある。撮影者と印刷担当者の意見は対立することがあるため、そこを取り持つのは仲介者である編集担当者ということになろう。編集者が撮影者の意図をくみ取ることができ、写真のことや製版の処理、いまではデジタル処理のことがわからないと、この問題をまったく理解できず、仲介などできない。
丸田さんの作品を形容するのは「圧倒される」「圧巻」といった、「圧」という言葉だ。普通の写真集と異なり、ほとんどが広角で撮った作品ばかり。自分でも写真を撮るし、かつてはグラビア的なページ展開などもかなり担当していた私の印象では、題材にもよるが、基本的に望遠で撮ったもの を中心にすると組みやすく、さらに望遠を広角的に使ったものがあるとおさまりがいい。反対に、広角の写真ばかりでページを組むと、通常は散漫にしかならなかったり、まとまりがなくなったりする。ところが、丸田さんの写真集において、そんなことはまったくない。望遠で撮ったものが「圧」を持って迫り来る作品は多くあるが、広角で撮ったものがそうなるというのは、よほどのことだ。私はその作品を「見る」のではなく「鑑賞」する。作品の隅々まで読み取りたくなる。
ライブは休憩をとらずに2時間半ぶっ続けとなった。あっというまに22時だ。会場では写真集『棄景V』『棄景origine』が売られており、丸田さんは何人もの方にサインを記していた。帰宅してからUSTのツイートを見ると「写真集買うよ」というものがものすごく多く、amazonをチェックしてみたら、定価6892円もの『棄景origine』635位、3990円の『棄景V』が1303位となっていた。これはすごいことだ。
ライブ終了後、会場は普通の居酒屋となり、丸田さんはじめ何人かの方とお話をした。終電まで、イコール残った客の最終グループとなるまでいて、いろいろな話をうかがった。冒頭でカタルシス云々、でもそうじゃなかった云々、などとは書いたが、丸田さんもいろいろとお話をされたからだろう、すっきりされたようにお見受けした。
とある。珍しいのだそうだ。現存する吊橋としては非常に珍しい鋼吊橋