忍者ブログ

プロモーション

カレンダー

05 2026/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

カテゴリー

twitter

twitter2

プロフィール

HN:
磯部祥行
性別:
男性
自己紹介:
メールはy_磯部/blue.ぷらら.or.jpにお願いします。日本語部分等は適宜置き換えてくださいませ。

バーコード

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

since 2010.7.30

アクセス解析

フリーエリア

プロモーション

プロモーション


[PR]

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


吉野川橋(廃橋/高知県)

吉野川橋(廃橋/高知県)

プラットトラス

「四国三郎」こと吉野川にかかる、もとは国道32号だった橋である。現在は町道穴内尾生線となっているらしいが(歴史的鋼橋集覧による)、車両通行はもとより不可能な状態にされているうえ、立ち入り禁止の処置がなされている。下流に現在の国道32号の吉野川橋がかかり、さらに下流から写真を撮ると、このように見える。
IMG_6306_R.JPG緑色のワーレントラスが国道32号の車道部分、その手前のピンク色の桁は歩道である。その下に、ちょろりと見えている茶色いものが、今回ご紹介する(旧)吉野川橋である。

(新)吉野川橋から見るとこうなる。

IMG_6252_R.JPG向かって左から、10格間のポニーボーストリングトラス(径間36.5m)、11格間のプラットトラス(50.2m)、そして右端は樹木に隠れて見えないが、5格間の短いポニーボーストリングトラス(15m)がかかっている(数値はすべて歴史的鋼橋集覧による)。

Yahoo!地図やGoogleマップでは描画されていないが、その場所にこの橋がある。


国土地理院の地形図には描かれている。
yoshino_map.jpg(DAN杉本氏作製のカシミール3Dを使用しました)


この橋は、残念ながら通行できない。北側から見た姿はこうだ。

IMG_6235_R.JPG
1985年に現在の形、すなわち中央部に幅の狭い金網を敷いて人道橋としたのだが、現状はこの有様だ。右側の木の枝振りは数年程度でもこれくらいにはなると思うので、通行止め処置からそれほど年月は経っていないのかもしれない。

『歴史的鋼橋集覧』並に大切な情報を掲載しているサイト、『橋の散歩径』の記事を拝見する限り、1999年の時点では通行止めになっていない。今回、この吉野川橋を見に行ったのは、『橋の散歩道』で衝撃的な写真を見たからだ。詳細は後述する。

もう一歩近づき、白い柵ごしに眺める。
IMG_6236.jpg植物園の通路のようだ。

左右に見えているボーストリングトラス、これが実に小さい。15mあるのだが、5パネルゆえか、もっと短く見える。銘板などはない。

IMG_6238.jpg本当に植物園のようだ。


南側に移る。

南側はこうだ。
IMG_6263_R.JPG北側より厳重な感じで通行止めとなっている。柵ではない、コンクリートの壁が立ちふさがっている。

壁際に立つと、このように見える。
IMG_6291_R.JPG
ボーストリングトラスの存在感が、北側とまったく違う。

扁額。橋梁には珍しいと思う。1911年開通の橋らしく、右書きである。
IMG_6274_R.JPG


そして、見たかった部分が見えた。ピントラスのピンが曲がった部分である。『橋の散歩道』で見て以来、ここにはぜひ来てみたかった。もちろん、まだ通れるものだと思って来たのだが、通行止めとなっているのはそれはそれで仕方ない。
IMG_6268_R.JPG

35mm判280mmでこの見え方なので、トリミングする。

IMG_6268-2.jpgこの写真は上流側。下流側も曲がっているようだが、よくわからなかった。

なお、上から2枚目の写真を再度ご覧いただくと、プラットトラスの左端のアイバーと横桁が不自然な曲線を描いているのがわかる。





IMG_6245_R.JPG

これはボーストリングトラス(10パネル)のアイバー。ピントラスというのは、上弦から垂らした垂直材と横桁を結合し、それをアイバーで繋いで下弦を構成するものだが、この吉野川橋はピン部分が横桁とともに丸見えなので、その構造を実感できる。

また、この3つの桁のアイバーは一部にレーシングが施されており、左右が一体化している。このようなアイバーは、私は初めて見るものだ。上の、曲がったアイバーの写真でも一体化している。

この吉野川橋は、開通から43年後の1954年に地滑りにより左岸側の橋台が移動し、桁が破損した。それにより廃橋となったのだが、上述の通り、それから31年後に人道橋として再生している。

プラットトラス部分の、ぐんにゃりと曲がったアイバーはその地滑り・破損の名残だと思うが、右岸側橋脚が煉瓦積み、左岸側がコンクリート製と異なっているのもその名残だろう。ただし、橋台は両側とも煉瓦積みなので、もしかすると『歴史的鋼橋集覧』にある「左岸の橋台が移動」というのは「左岸の橋脚が移動」の誤りなのかも、などとも思うが、『歴史的鋼橋集覧』が典拠とした資料にあたらないとなんともいえない。


冒頭の写真、緑色の(新)吉野川橋は、上述の地滑り・廃橋の影響で1958年に建造されたものである。銘板を見ると、こう書いてある。
IMG_6249.jpg1958年3月
高知県建造
建示(1956)一等橋
製作富士車輌株式会社
材質 SS41

とある。富士車輌! 富士重工ではない。この富士車輌が鉄橋の製作を始めたのは1954年、この橋が破損した年。現在の事業案内では、鋼橋などの製作は書いていない。wikipediaによれば、2000年代に入ってからの民事再生の途次、鋼橋製作から撤退したという。いろいろな意味で、この新・旧吉野川橋はいろいろなことに巻き込まれるようである。

PR

吾嬬橋(群馬県)のアイバー考(1)

吾嬬橋(群馬県)のアイバー考(1)

プラットトラス



IMG_5852.jpg

群馬県の中之条町の、以前六合村だった部分にこの吾嬬橋はある。長さは69m、14パネルの分格プラットトラスで、いわゆるペンシルベニアトラスである。いろいろ書きたいことはあるが、今回はピントラスたるアイバーの位置関係について書く。

この下弦のアイバーこそが美しさだと思っているのだが、「移設したときにはアイバーもバラバラにしてはこんだんだろうな」などと思いながらこの写真(左手が西)を見ていて、アイバーのつなぎ方で気がついたことがある。14パネル中、アイバーが使われているのは10パネル。偶数だ。画像の左端から眺めていて、なにも考えずに、この橋のアイバーは交互にこのように組まれていると思っていた。

agatsuma.PNG


ところが、写真(左が「西」である)を見ると、こうなっている。

agatsuma1.PNG

どうしてこうなった。いや、両端部を「内側」にするだめだというのはわかる。

アイバーの斜めがけはいままでも見たことがあるので別に珍しくもないとは思うのだが、どうも「?」とした北側ではまた組み方が異なるように見える。残念ながら、そちら側の写真は新道から見下ろして撮っており、アイバーがどうなっているのかまでは確認できない。

これに気がついてしまったら、もう一度現地へ行き、両側の、さらに外側と内側のアイバー、のべ40本の位置関係を調べてみなければ気が済まない。欲を言えば、移設前の利根橋とも比べてみたい。移設前と後でアイバーの組み方や、内/外が入れ違っていたら、興味深いことではないか。

以上、いつかわからぬ未来に続く。
なぜか旅の空、愛知県下でこんな時刻に更新。


田中豊の美的感覚/タイドアーチかトラスか

田中豊の美的感覚/タイドアーチかトラスか

ワーレントラス

800px-Eitaibashi2.JPG(wikipediaのパブリック・ドメイン画像より拝借)

東京の永代橋は、いわゆる「復興橋梁」であり「隅田川六橋」とも称される。「復興橋梁」とは、関東大震災後、内閣直属の帝都復興院(のちに格下げされて内務省復興局)が東京と横浜の破損した橋梁を、都市計画・道路計画的な意味合いをもって115橋(だったと記憶)架設した橋梁群の総称である。その復興橋梁のシンボル的なものが隅田川六橋であった。さらに、その六橋の中でも永代橋と清洲橋はさらに特別視されていた。なにしろ、総予算の17%をこの2橋に投入したのだ。2橋で585万959円。この金額をわかりやすく比較できる数字がちょっとみつからない。統括していたのは太田圓三土木局長で、実務はその下の田中豊橋梁課長が統率していた。太田が自害した後も、田中は橋梁課長の任を続けた。

その田中豊が、永代橋の完成に寄せて書いた文章『記念すべき世界的の一橋梁 新永代橋の型式選定に就いて』(工事画報第3巻第3号)で、永代橋をタイドアーチ(繋拱=けいきょう、と読むのだと思う。繋=タイド、拱=アーチ。)にした理由について、下路式ではなく上路式にせざるをえない事情を説明したのちにこんなことを書いている(下線筆者。すべて現在の漢字と仮名遣い、口語を使用し、適宜読みやすく修正)。
本地点に適する形式はトラスと繋拱といずれかなり、まずこの二種の型式が橋上を通行する人に与える感じについて比較するにトラスはその不規則なる斜材のために非常に不愉快なる感じを与えるに反し、繋拱の吊材は単に張力に抗するのみにてその断面比較的少なるため眼界をさえぎること少なくかつ一定間隔を置きて多数の吊材が垂直に並列する様は一種端麗の感を与えるべし。
私はトラスの斜材こそが美しさだと思っているし、プラットトラスの斜材(引張力がかかる部分で、垂直材より細い)こそ端麗だと思っているのだが、それを思い切り否定されている。しかも、あまりにも根拠のない理由。冒頭の写真のようなごっついリブのついたタイドアーチ橋を、贔屓の引き倒しのようにほめているように見える。このむちゃくちゃな論旨はこのように書き換えても成立しそうだ。赤い文字部分が、書き換えたものだ。
本地点に適する形式はトラスと繋拱といずれかなり、まずこの二種の型式が橋上を通行する人に与える感じについて比較するに繋拱はその長大なる吊材のために非常に不愉快なる感じを与えるに反し、トラスの斜材は単に張力に抗するのみにてその断面比較的少なるため眼界をさえぎること少なくかつ一定間隔を置きて多数の斜材垂直に並列する様は一種端麗の感を与えるべし。(注:トラスは後述のものと異なり、プラットトラスを想定している)
かなりひどい断定だということが、これでわかろう。



さて、ここで引っかかるのは「不規則なる斜材」である。なにが不規則なのか。ある程度は同じ向きに斜材が並ぶが斜材の太さが中央に向かうにつれて徐々に太くなるピン結合のプラットトラスの斜材を不規則だと言っているのか、それともワーレントラスのように互い違いに斜材が来ることを不規則だと言っているのか。私は、時代的に後者、つまりワーレントラスを敵視しているのではないかと思っている。

同様に、ワーレントラスの斜材が交互の向きになることを、これが書かれたのより9年後の昭和11年に、田中の上司・太田圓蔵のかつての上司・樺島正義がいやだと書いている(引用凡例同前)。
トラスタイプとしての当たり前のワーレントラスというものは僕は気にいらぬね(中略)自分としてはプラットの方を推賞しますね。(「第三回『橋の會』座談会 『工學』vol.24no.11所収」を引用した『近代日本の橋梁デザイン思想』中井祐、東京大学出版会)
ワーレンにはなぜかあまり惹かれないが、いまから90年近く前にも惹かれなかった人たちがいた。引用書では、ふたりのその感覚の違いを似て非なるものとして根拠を提示して解説してゆく。その論旨は本書をご覧いただきたい。



国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷)

国道17号旧道 境橋(新潟県二居渓谷)

ボーストリングトラス

「境橋」については、『山さ行がねが』『日本の廃道』で詳細に発表されているので、というよりも私はそれを見て現地に行ったのであるから、それ以上の発見はない。だから、単なる行ってきました的な写真掲載はしていなかったが、ドイツとロシアの上路ボーストリングトラスを見つけたのだから、ついでに紹介したい。

場所はここ。クルマですぐそばに行ける。地図では道があるようになっているが、写真のとおり、クルマは通れない状態になっている。


まずはその麗しい横姿。
IMG_9136_R.JPG山側で引けるのはこれくらい。17mmレンズでこれなので、通常のコンデジではここまで写し込むことはできないと思う。

撮影したのは午後3時過ぎ、位置的に、完全に逆光になる。なかなかつらい。

画面下部、中央やや右には、さらに前の世代の橋脚がある。ここにどのように道がついていたのかは、現地で見てもわからなかった。

IMG_9122_R.JPG角度を変えてみるとこのとおり。上路の曲弦ワーレンではなく、ボーストリングである。そして、下路式ゆえに、左右の桁をつなぐ部材が入念に張り巡らされている。この上路ボーストリングトラスを鑑賞するには、ここが重要だ。

鉄道の黎明期、ドイツに範をとった九州では、ドイツで普及していたボーストリングトラスが多数導入された。4種62連だったようだ(わが国におけるドイツ製鉄道橋梁 -歴史と現状- 小西純一・西野保行・淵上龍雄)。そのすべては下路である。ポニータイプもあった。このボーストリングトラスが早期に姿を消した理由はふたつあり、ひとつは設計荷重が小さかったためにその後の列車重量増大の妨げとなったこと、もうひとつは下路式では橋門構を設置することができないので、つまり橋の両端部で左右を結合することができないので剛性不足に陥る(根拠失念)というものだ。その点、後者の理由に対しては、上路式ならば対傾構を自由に設置することができる。これは、通常のトラス橋でも上路式が好まれる理由のひとつでもある。

裏面をのぞき込む。
IMG_9104_R.JPG


上面はこのような状態。
IMG_9117_R.JPG


角度を変えてみる。説明など不要だろう。
IMG_9109_R.JPG

橋台付近には銘板がある。
IMG_9150_R.JPG

IMG_9150-1.jpg
昭和27年(1952)
新潟県建造
内示(昭和14年)一等橋
製作 株式会社横河橋梁製作所

この意味するところ、この場所に上路ボーストリングトラスが架けられた理由などはORJなどでヨッキれん氏とnagajis氏が考察済みなのでそちらを参照されたい。



<関連記事>

No Image

三弦橋と上路ボーストリングトラスのメモ

三弦橋

ドイツに三弦橋がある、とLEVEL_7Gさんからご教示いただき、地名を頼りにGoogleマップで探したら、わりと簡単に見つかった。(以下、すべて画像や、そのままでは私には理解できないドイツ語サイトからの推測である。誤りがあったらご教示PLZ。以下、なんの説明もありません。堪能してください)

場所はここ。

大きな地図で見る

この地図にストリートビューのマークをドラッグすると、そこに登録された画像を見ることができる。

もうひとつ見つけた。画像はこちら
場所はここ。

大きな地図で見る




ふと、「Eisenbahnbrücke」(鉄道橋)で検索したら、
上路ボーストリングトラスの画像が出てきた!

(1)
画像はこちら
場所は不明。

(2)
画像はこちら
場所はここ。

大きな地図で見る

(3)
これはロシアのもの。
画像はこちら(英語翻訳版)
場所は、オゼリスクの北東で、かつ撤去済みというのだが、この辺か。

大きな地図で見る


やばいやばい。深入りしないようにしよう。まずは国内のトラス桁と鈑桁だ。






あてもなく日帰り旅

あてもなく日帰り旅

独言・日記

昨晩出発で、先週行き損ねた新潟県の山に行こうと思っていたが、ここ数日風邪っぽいので自粛。今日は9時半まで寝てた。相変わらずだるいが、そのまま家に引きこもってるともっと重くなりそうなので18きっぷ持って外出。先週、サブカメラを粉砕したために、今回はあえてカメラを持たずに出た。以下の写真はすべて携帯である。携帯ってすごい。jpeg化しなかったら、もっと画質がいいのだろうか。

涼しいところへ向かおうと思い、とりあえず常磐線で北上する。道中、ひたちなか海浜鉄道や磐越東線の時刻を調べ、ひたちなかに行くことにした。目的地は那珂湊駅。

あいにく、今日はDMH17シリーズ搭載の車両は走っておらず、キハ3710形とミキ300形が使われていた。
DVC00239_R.JPG


駅の裏手には、ステンレス製のケハ601の車体が鎮座している。これを見て、カメラを持ってくればよかったと少しだけ後悔したけど、まあいいや。
DVC00235_R.JPG
この、駅裏手は日陰となっていて、風も通る。今日は思いの外過ごしやすい。

那珂湊駅のホーム上屋。天井が高い。
DVC00242_R.JPG

ここから鹿島臨海鉄道大洗鹿島線のどこかの駅までバスかなにかで出ようかと思ったが、あいにく地図を持ってこなかった。いま見てみれば常澄駅まではおそらく徒歩1.5kmほどなので、歩くか、バスを利用してもよかったかもしれない。知らなかったので、そのまま勝田に戻り、水戸へ行った。


大洗鹿島線の醍醐味は、高規格の路線を気動車がかっとばすところである。世が世なら、北越急行もこのようになっていたのかもしれないが、あちらは首都圏対北陸のバイパスとして電化され、寿命限定ながら大幹線となっている。

水戸駅のホームで列車を待っていると、2両編成の気動車が、前後の車両で大幅に違う揺れ方をしながら入ってきた。これは、実際に乗ってもそう感じたのだが、構造物の規格が高くても、線路の保守の公差が大きいのだろう、車両が尻を振るように走る。地方私鉄に乗るとよく体験する乗り心地だ。車両のせいではない。

通学客を含むけっこうな数の客を乗せ、水戸駅を発車。この路線のハイライトは、常澄-大洗間の左カーブなのだが、立ち客もそれなりにいて、前面展望は望めなかった。無念。



しかも、大洗から、助士席(ロープで立ち入れなくしてある)にイス持ち込みで添乗の方(?)が乗ってきたので、最後尾に移動。新鉾田ー北浦湖畔間で、なんとかこんな写真を。
DVC00247_R.JPGこの高架橋、下から見上げてみたい。全橋脚のプロフィールを見て見たい。



鹿島神宮から乗った佐原行きの電車。ふとしたことがきっかけで、おなじボックスに座ったおば(あ)ちゃんと会話が始まった。(あ)とするのは、お孫さんがいるからである。ふとしたこと、というのは、鹿島神宮折り返しの列車が到着したときに、車内で眠りこけていた部活帰りの高校生を私が起こした、というだけのこと。高校生は「酔っぱらいかよ!」と思うくらいに深く眠っていて、ゆすっても叩いても目を覚まさず、かなりしてからようやく、起こされたことも意識できないままに立ち上がり、電車を降りていった。もしそのまま折り返したら、1時間に1本しか電車がないので大変な目に遭うと思ったので、起こした次第。そのやりとりを彼女が見ていて、そこから会話が始まった。

彼女は、大人の休日倶楽部パスで、ひとりで大津港の鵜ノ子岬に行ってこられたという。大津港は行ったことはあるが、鵜ノ子岬というものは知らなかった。

いろいろと波長の合う方だったので、結局、その方とずっとお話ししながら、東京駅まで帰ってきた。偶然にも、ちい散歩やゲゲゲの女房の話が出たので、そこらへんの話もした。


出かけてきて、少しはだるさは消えたが、まだ残っている。明日には治ることを祈りつつ。


No Image

月刊土木技術

アーカイブ/資料/自分用メモ

宝箱。ちとめんどくさいけど。

http://www.doboku-g.com/DownloadTop.aspx


重大インシデントとEOS Kiss Digital N の終焉

重大インシデントとEOS Kiss Digital N の終焉

独言・日記

5時間前に自宅を出て、今頃はもう新潟県でテント張って寝ているはずだったが、なぜかいまPCのある自宅にいる。上越国境の山に登るためにスーパーテネレで出たのに、あろうことか、積んでいた荷物を関越で落としてしまったのだ。

「落とした」「大変だったね」で済ませられるものではなく、落下物で後続車が事故を起こすことが一番怖い。幸い、nexco東日本まであがってきている事故はなかった。それを聞いて一安心したのだが、わかるまでの約1時間、非常に不安だった。

落としたのは、買ったばかりで初めて持ち出したカリマーのデイパックと、これまた5年くらい前に雪中撮影用に買った菅笠。気がついたのは15kmポストを過ぎたところ。nexco東日本のパトロールカーの方には、菅笠を11.6kmポスト付近で発見し、デイパックは見つからなかった言われた。事前に、貴重品が入っていないか確認されたので、入ってないと答えたため、まあいいか、となったのかもしれない。それは仕方のないことだ。落とした位置はほぼ特定できたので、デイパックは自分で回収できないかと思い、再度関越を走った。

デイパック内に貴重品はないとはいえ、高価なものは入っていた。全部同等のものを買い直せば15万円くらいになる。
・EOS Kiss Digital N(買ったときは高価)
・雨具(3万超)
・キャメルバック
・歴史的鋼橋の位置をすべてメモしたツーリングマップル
・眼鏡、洗面用具
・loweのフリース(買値は安かった)
・靴下
・頭用タオル
・明日用の食料(パン2つ、ウイダー風ゼリードリンク4つ)
・新品のカリマーのデイパック。

もし、単純に落として転がっているだけなら無事。もし、クルマに踏まれたりはじかれたりしたらアウト。ダメもとで、他のクルマに気をつけながら、追い越し車線に目を凝らした。すると、12.5kmポスト付近の、追い越し車線よりさらに外側(ガードレール付近)に、パックリ口を開けたデイパックと、カメラ、スーパーの袋などがあった。詳細は省くが、目に見えるものだけ回収した。回収中に、べとべとしているな、と思った。これは、ウイダー風ゼリーが破裂したためだ。回収していると、先に菅笠を届けてくださったのと同じnexcoのパトロールカーが停止した。


さて、回収したものである。デイパック。
IMG_5889_R.JPGこれが、新品おろしたてのデイパックだ。中身はゆるく入れておいたので、時速100kmで走行中に落としたとはいえ、ここまでボロボロになることはない。また、引きずられた訳でもなさそうだ。やはり、後続車に踏まれたか、弾かれたかして破裂したんだろう。

一部、縫合部が破れている。ファスナーはすべてもげていて、上気室も下気室も開放されていて、さらには上下の仕切りはファスナーこそ大丈夫だったが、背面側の縫合部は破けていて、1室になってしまっていた。中も外もウイダー風でべたべただった。無事だったのは正面のポケットだったが、その中にはなにも収めていなかった。


とはいえ、本当に、他車が事故に遭わなくてよかった。









問題のカメラ。グロ画像かもしれない。
IMG_5895_R.JPGこの状態で転がっていた。これもべとべと。水滴のように見えるのが、ウイダー風ゼリーの滴である。

近くに、不思議と無傷かつべとべとになっていない電池が転がっていた。

IMG_5909_R.JPG上面。


IMG_5902_R.JPG背面。CFカードの蓋はあけて撮った。


IMG_5898_R.JPG右側面、CFカード収納部分がゆがんでいる。蓋を開けるとCFカード(8Gを入れていた)は無傷のようだったが、このように歪んで入っている。
IMG_5901_R.JPG
そのため、押し出しボタンを押してもまったく反応しない。やむなく、背面を解体して取り出した。


そしてレンズ。付近にはレンズの破片が転がっていた。右側はカメラ側のマウント。
IMG_5904_R.JPG


前玉こそ残っているものの、中の8群分のレンズは行方不明。そして、前玉はべとべと。

ということは、デイパック内でウイダー風破裂→中身が外へぶちまけられる

という順序だったのだろう。


幸い、カッパは無事のようだった。入れている袋は破けたが、カッパが大丈夫でちょっと嬉しい……。
IMG_5913_R.JPG


そのほか、キャメルバックとツーリングマップルは回収した。前者は洗えば使えるが、咥える部分のパーツが紛失していた。後者は、拾ったはいいが、べとべとなので買い換えなければならない。


そんなことで2時間近くこれに費やされたこともあり、明日はなにもできない日になった。これらは菅笠を入れていたビニール袋に入れて持ち帰ったが、蟻がおそらく数十匹くっついていた。

あいにく、眼鏡等の入ったポーチは見つからなかった。見つける気力もなかった。


落としてしまった荷物は十分なパッキングをしたつもりであったが、「もしゴムがはずれてもいいように」という積み方をしようと思う。カメラバッグを積むときはそうしている。

昨日の「乗りつぶしナイト」ですごくいい気分でいたのに、いろいろ残念な気分になった。これは、明らかに「他車を事故に巻き込まなかっただろうか」という不安に起因する。とにかく、事故にならなくてよかった。

No Image

『乗りつぶしナイト』ありがとうございました

独言・日記

昨晩の『鉄道乗りつぶしナイト』ご来場の皆さん、ustで中継をご覧になった皆さん、ありがとうございました。リハ時にかなり不安だった「つなぎ」など、そこそこうまくいったのではないかと思いました。「締め」も予定外の方向でしっかり締まってよかったと思います。

「当日券」でいらっしゃったお客様も多く、ほぼ満席になったことは大変嬉しいことでした。「連れてこられた」的な、「鉄道に乗りに行く」という楽しみ方をあまりしたことのない方にも楽しんでいただけたとも思います。

出演の栗原景さん、田中比呂之さん、カルカルのスタッフの方々に感謝いたします。
集客手段(宣伝など)があれば、また何かの企画をやってみたいです。


自分は写真1枚すら撮っていないので、レポはこちらをぜひご覧ください。

栗原景さんのブログ、ぜひご覧ください。→こちら
オオゼキタクさんのブログ、ぜひご覧ください。→こちら


東京カルチャーカルチャーのUSTREAMのアーカイブはこちら


No Image

「乗りつぶしナイト」10名様ご招待!

独言・日記

7月17日(土曜)にお台場の東京カルチャーカルチャーで開催する「乗りつぶしナイト」に、
抽選で10名様を無料でご招待します!
すでにチケットを買ってくださった皆さん、今さらですみません…。

乗りつぶしナイト詳細は
こちら

【応募方法】
7/15(木)中までに下記のメールアドレスに、「乗りつぶしナイト観覧希望」というタイトルで、お名前(ふりがなもください)と参加希望人数(2名まで 可能)を送ってください。抽選で10名様に7/16(金)午前中までに当選メールをお送りします。
ご応募お待ちしております。

【応募先メールアドレス】
yokoyama.shinsuke@nifty.co.jp

【お問い合わせ先】
東京カルチャーカルチャー



[PR]