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R292足倉橋旧道(群馬県六合村)

R292足倉橋旧道(群馬県六合村)

廃道




20100710-1.jpgYahoo!地図もGoogleMapも地図は小さな縮尺のものがなく、上記Yahoo!の航空写真は肝心なところがおかしな表現になっているが、確かに この場所である。この、ポインタが置かれた部分のすぐ左(西)に、旧道がわずかに残っている。以下、説明しづらいため地図を添える。

北上で、南に行くと「道の駅六合」を経て230フィートピントラス、吾嬬橋へ。北に行くと、まもなく右に野反湖へ向かうR405が分岐する。


この部分は、崖に沿った旧道を、その谷側に大きな橋を架けることで線形を改良したものだ。私が南から北に向かって走っているときに、左側にこのぶった切られた道が見えたのだ。しかし、ここでは北から南の順で書く。









さて、写真1。
IMG_5858_R.JPGこの肌色の欄干が新道。「足倉橋」とある。その向こう、といっても画面左上に少し見ていてる赤系統のガーダーのようなものが旧道の桟橋部分で、欄干のペットボトルの右側が、旧道の路盤がぶった切られた部分だ。欄干の黄色い液体の入ったペットボトルは、もしかしてだれかのおしっこだといやなので、さわらずに撮影。

写真2。路盤に上がってみる。
IMG_5876_R.JPG倒木があるのかと思うくらいの繁茂だ。舗装面こそ残っているが、路肩はない。現役のときにはガードレールなりがないわけがないので、撤去されたと考えていいのだろうか。

写真の路肩にあるような、乱暴にセメントをカマボコ型に持ったような謎の盛り上がりが、道路面にもあった。走行の妨げになるので、現役時にはなかったものだろう。

写真3
IMG_5862_R.JPGこんな感じで桟橋が残っている。旧道は崖に貼り付くかたちで敷かれたが、それでもなお幅が確保できないこの場所では、谷側に桟橋をかけたのだろう。


写真4。南側から。
IMG_5864_R.JPG南側の、ぶった切られた断面。なんというか、痛ましい。無理矢理破壊して、露出した傷口をセメントで塗ったくった、と表現すればしっくりくる。なんなん、こののっぺり感は。橋台もろとも塗り固めてあるうえに、橋台と塗ったセメントが同化するかどうかはまったく考えられていない。

そして写真5。また路面から。
IMG_5868_R.JPGこの写真で見ると、いちばんわかりやすい。ちゃんと道路の端の白線が残っており、おそらくこの外側に柵なりがあったのだろう穴があいている。

それにしても、狭い。本当に1車線分しかない。そして、歩行者用の路肩もない。これでは抜本的に2車線に改良されてしまうわけだ。

ついでに、上の写真の画面中央部あたりにあった、足倉橋の竣功年月。
IMG_5865_R.JPG平成5年(1993年)2月完成。2月のこの地は雪で埋もれてるんじゃないの? ということはさておき、わずか17年である。17年で、ここまで藪化しますか。

写真5をもう一度ご覧いただきたいが、道路だった舗装面の半分ほどは土砂と藪に覆われ、残された谷側の舗装面の上も、剥離した岩が無数に散らばっている。それをまったく掃除してないため、その岩が雨に打たれてすぐ下の舗装面を茶色くしている。おそらく藪の繁茂も、そうした崩落で舗装面に土が積もったことが大きく影響を与えているに違いない。廃道は、そうした土や、舗装路に入った亀裂をベースに、奴らが急成長する。

そういうことに感心していてもしょうがない。別の見方をすれば、ここは落石の危険性が非常に高いところだということだ。ならば、ますます新道の開設は必須だろう。


今日は11時30分に自宅を出て、ぶらりと430kmほど走ってきた。いかにも夏らしい、地面からの照り返しの熱を久しぶりに味わい、標高を上げるにつれ涼味が増していく気分を味わい、草いきれを味わった。いろいろと懐かしい思いがした。11時30分出だったからちょっと迷ったけれど、行ってよかった。

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『週末夜汽車紀行』(西村健太郎/アルファポリス)

『週末夜汽車紀行』(西村健太郎/アルファポリス)

鉄道の本

20100709.jpgジャンルに分けるとしたら、紀行文とか旅行記になる。私は、実はこのジャンルのものは読まない。他人の旅行記など読んで、おもしろいと思った験しがないからだ。もちろん宮脇俊三氏などは別格である。特にまだ氏が50代の頃の作品はすばらしい。

仕事柄、特に海外の旅行記を出版したい、というお話をよくいただく。基本的にそういうものは売れない、という厳然たる事実があるのだが、私はその人に尋ねる。「ほかの人が書いた旅行記を読んだことがありますか?」 間違いなく「ありません」という答えが返ってくる。つまりは、そういうことだ。

そんな意識を持っている私の手元に、一冊の本が送られてきた。いまから約1年前のことである。驚いた、以前の取材で意気投合した西村健太郎氏ではないか。当時の職場を離れ、本を執筆されていたとは。それが、右側の緑の表紙の『週末鉄道紀行』だった。

もともと、氏のサイトを拝見していて、こうした紀行文が掲載されているのは知っていた。そして、これはそのまま本に掲載できるのではないか、との思いも持っていた。もっとも、私はそんな媒体も持っていないし、鉄道の紀行文についてはクオリティの高さと「売れる/売れない」は関係ないとも思っている。だって、自分が乗りに行ったり、自分が興味がある路線のことを調べるほうが楽しいもの。

で、読んでみて、引き込まれた。先に書いたように、普段、紀行文は目にしても、まったく引き込まれないのだが、この本は違った。宮脇氏と同じ視点があった。自分を客観的に、かなり引いて見ている。生活感の出し方も近いと思う。ものすごく自分を抑えていて、でも本当はものすごく惚れ込んでいるのがよくわかる。そして、それが「あ、真似だ」などと感じることなく、スッと読める。秀逸なのは、30年前の時刻表を「読む」シーン。誰もが同じ経験を持っているはずだ。

これも先に書いたように、紀行文は売れない。それが、この本はすぐに重版がかかり、3刷もかかった。こういう言い方はなんだが、西村氏は過去に著作があったわけではなく、鉄道ファンに著名な人というわけではない。それでも3刷ということは、本書が鉄道紀行文のなかでは突出した仕上がりであり、それが一見さんにも伝わったということだ。


ある時、「日本の道」の松波さんとお話をしていたときに、アルファポリスの話になった。社長と同級生だという。驚いた、この『週末鉄道紀行』の会社ではないか。縁とは不思議なものだ。


そして、先月、書店に行って驚いた。青い表紙の『週末夜汽車紀行』が平積みになっていたのだ。もちろん『週末鉄道紀行』も隣に平積みになっていた。それが、左の本である。まだ2割くらいしか読んでいないが、前回より1年たち、少しだけ中年に近づいた(失礼)著者の姿を感じている。楽しみに、ゆっくりと読んでいこうと思う。


『鉄道乗りつぶしナイト!!!』開催します!

『鉄道乗りつぶしナイト!!!』開催します!

独言・日記

noritubusi2.jpgお台場の東京カルチャーカルチャーにて、7月17日夜、『鉄道のりつぶしナイト!!!』が開催されます。タイトルは「開催します」って書いたけど、されます。

これは、私は企画・編集し、大好評を博した『鉄道の旅手帖』のリニューアル版、『カラー版 鉄道の旅手帖』の刊行と、新潮社の大ベストセラー『日本鉄道旅行地図帳』の新シリーズ『日本鉄道旅行歴史地図帳』の刊行を記念して開催されるもので、編集担当である新潮社・田中氏、『カラー版鉄道の旅手帖』の西日本編の大部分の執筆を依頼した栗原景氏と「乗りつぶし」についていろいろ話題を提供します。

詳細はこちら


もともと、完乗(JRのみ、民鉄も全部、含む。いやそもそも「完乗」の定義って人によって違うよね、そういう話から始まります)した話はたくさんおうかがいしていて、さらに今回、何人かの方にお話をうかがったら変な話が出るわ出るわ。みんなほんとにすごい。

「乗りつぶし」という単語から、義務感を感じ取る方もおられると思うし、そういう反応も確かにある。でも、イベントタイトルがそうなだけで、「乗る楽しさ」とか、「全線と比較すること」で見えてくる楽しさもきっとある。そういう話題を提供していきたいと、私は思っています。



7月の3連休の初日の夜、ということで、自由気ままな鉄道趣味人たちは全国に散っているのかもしれないが、絶対に楽しい、かつ「へぇ~」となる夜になるので、ぜひお越しいただきたい。いわゆる「テツ」じゃなくても、「乗り鉄」じゃなくても楽しめるよう、いろいろ仕掛けるつもりです。

ちなみにタイトル画像は樽見鉄道のどこかだったと記憶。


泉大橋(国道24号/京都府/木津川)

泉大橋(国道24号/京都府/木津川)

カンチレバートラス(ゲルバートラス)



IMG_3865_R.JPG

関西本線木津駅のすぐ北、木津川を国道24号が渡る泉大橋は、カンチレバートラスである。1950年(昭和25年)製の桁がかかるが、なぜか歴史的鋼橋集覧にはない。

カンチレバートラスらしいリズミカルな9連の橋だが、右岸(北側)上流側(東側)から撮影している写真では、奥の画面左の南側2連が樹木に隠れて見えない。

この泉大橋はかっこいい。力強く見える。その理由は、夥しいリベットと、カンチレバーらしい吊り掛け部の構造にあるだろう。こうだ。
IMG_3878_R.JPG実にメカメカしい色というか、カンチレバートラスはこうしたアルミ色じゃなきゃだめだと思わせる色。それを引き立てる部材。レーシングの存在感とリベットの存在感。これらが組み合わさって無類の力強さを発揮する。この橋に1時間以上もいてしまった。

カンチレバーたる所以の吊り桁は、下記の黄色く記した部分である。なにもしていない部分は固定桁である。赤くした部分は、固定桁から吊り桁を摑んでいる部材であり、固定桁側に固定されている(後述)。
IMG_3865_R1.jpg両端部を含めた、第1、3、5、7、9連の部分。

まずは吊り掛け部を見る。
IMG_3869.JPGよく見て欲しい。吊り掛け部に、ちゃんとピン支承がある。河川敷から見上げるとこうだ。
IMG_3841_R.JPGついでに床版の裏側も見て欲しい。当たり前だが、ちゃんとここで分離している。そして、落橋防止の部材が取り付けられている。この工事の入札公告はこれだ


この泉大橋は、下流側(西側)に歩道橋が付加されているので、実は間近で見ることができる。こんな感じに。

IMG_3849_R.JPGどうだろう、この重量感。左側が吊り桁、右側が固定桁である。

歩道橋からはこのようにも見える。
IMG_3853_R.JPG






歩道橋にいても、大型車が走ると、ものすごく揺れる。わさわさと。そして、どこからかカラカラという金属音がする。どこからかというと、上部の吊り掛け部分からだった。

IMG_3846_R.JPGIMG_3846-1.jpgIMG_3856_R.JPG1枚目と2枚目は道路側から、3枚目の写真は外側から。冒頭から3枚目の写真の赤い部分のように、固定桁から吊り桁に向かって腕が延びている。吊り桁側は、このようにピン4本でその腕と接続されている。ピンなので、道路側には抜けてしまわないようにコッタを通しているだけ。固定していないので、桁が揺れるときにはピンが振動で回転し、あわせてコッタがカラカラと音を立てる。この様子では、摩耗も相当早く進むのではないかと思うが、金属の部材のしなやかさを考えると、吊り桁下部はピン支承で固定して、上部はズレないように押さえているだけ、に見えなくもない。




ちなみに、固定桁がどのように橋脚に載っかっているかというと、こうだ。固定桁の上流側(東側)のピン支承は橋脚に固定され、下流側(西側)の支承はピン支承の下にローラー支承があように見える(まさか平板ではあるまい)。
IMG_3868.JPG


橋台側はこう。
IMG_3861_R.JPG


右岸(北側)の橋門はこうだ。
IMG_3823_R.JPG
ここは大幹線・国道24号だけあって、なかなかクルマが途切れない。けっこう待った。なにしろ、1日2万4000台が通行する渋滞ポイントで、上流側にバイパスを作り、橋を架ける計画がある。(参考:京都府公共事業事前評価調書

橋門左側に銘板がある。
IMG_3817_R.JPG
昭和25年(1950)
建設省建造
内示(昭和25年)一等橋
製作 日本橋梁株式会社
××××株式会社

その下には塗装標記。
IMG_3819_R.JPG

親柱は、なぜか寝ている。

「木津川」

IMG_3814_R.JPG

IMG_3827_R.JPG泉大橋」


橋台に接する吊り桁の端梁にあった塗装標記。
IMG_3862_R.JPG


この泉大橋について、土 木学会関西支部に解説がある。それを見ると、この泉大橋は全長383.6メートル、開設は昭和26年だ。

先に親柱が寝ていると書いたが、このサイトに興味深い記述がある。
泉橋は大正6年の洪水で流されたのち新形式の橋に架け換えられた。当時の写真から判断すると、上部工には木鉄混用のポニー型のボーストリングトラスが用いられていたようである。

木鉄混用? ポニーボーストリングトラス? どこかに古写真とか転がってない? 木鉄混用、というのがとても気にかかる。そして、親柱だ。
IMG_3813.jpg画面右下端を見て欲しい。なにか、門柱のように見えないだろうか。右端で画面から書けているのが、親柱が寝ている台座である。

グーグルのストリートビューを見てみよう。

大きな地図で見る

この門柱の正体はなんなのだろう? どなたか引き継いで調べてくださらぬか。


No Image

『近代日本の橋梁デザイン思想』(中井祐/東京大学出版会)

橋梁一般

いままでこの本の存在は知っていたが、眺めたことはなかった。近所の図書館に、区内で唯一在庫しているのだが、手に取ったこともなかったようだ。たぶんそれは書名だけで判断していたのだろう。

税込み9030円、約650ページという大著。この本を手にしたのは、アメリカン・ブリッジに在籍していたことがある増田淳を検索したら、この本が引っかかったのだ。それで手にしてみて驚いた。サブタイトルにある「三人のエンジニアの生涯と仕事」の三人とは、樺島正義、太田圓三、田中豊なのだ。この三人の名前は、目次まで出てこない。なんという検索性の悪さ! この三人の名前は書名に入れるべき。いま、本のタイトルが長くなっているうえにサブタイトルもやたら固有名詞が入っているが、それは検索でヒットさせるため。amazonなどは、書名・サブタイトルの他にキーワードを登録することができるのだが、そうでない場合、たとえば書店店頭の在庫検索でもヒットさせたい。そういうときに、長ったらしいサブタイトルが威力を発揮する。

この本は、本当に素晴らしい。何が素晴らしいかって、その姿勢だ。著名な論文、そうでない論文、私家版の日記などあらゆるものを参考資料とし、ひとつの観点でひとつのことを語っているそれぞれの文献を俯瞰し、不足している点を挙げ、考察する。

本書が、ひとつの章の中のひとつの節の中で定義・俯瞰する簡単な歴史だけで、そこらの通史並の量がある。そして、その通史の中身個々に、各節で迫 る。膨大な量である。



著者は、人物を採り上げて橋梁史を述べる理由をこう書く。
ある一人の技術者に着目してその思想の萌芽、試行錯誤、成熟の過程を追跡する試みは、橋梁分野では皆無である。言うまでもなく、技術の歴史とは単に個々の工学上・技術上の歴史的事実の積み重ねではない。技術史上の各事実の背景には、必ず主要な役割を担った技術者が存在し、したがってその技術者の思想や創造性が介在する。つまり、技術者という人間の存在は、本来技術史の根幹を成すものであり、技術の歴史とは即ち技術者の歴史であると言ってもよい。例えば、太田圓三と田中豊という技術者の介在がなければ、現在の永代橋や清洲橋は実現しえなかったはずであり、もし樺島正義が設計者であったならば、まったく異なった橋が実現したであろう。逆に考えれば、なぜ永代橋や清洲橋が実現したのかを知るためには、まず太田・田中という技術者を、彼らの創造の根拠を知らなければならない。
人々が、プロジェクトX的な話に惹かれる理由もこれだろう。視聴者は自らここまで明確に定義した言葉を持たなくとも、「その人がいたから、それができた」的な話であることはうすうす気がついているだろう。

なぜ、道路橋は意匠を凝らし、鉄道橋は標準設計になったのか。
なぜ、鉄道橋は、イギリス式からアメリカ式になったのか。
なぜ、鉄道橋では採用されなかった時代がかった古い形式の橋が、道路橋では使われたのか。

これらが明快に説明されてゆく。

ひとつだけ、いま気づいている欠点を挙げるとすれば、「クーパーE33荷重」などという言葉が、何の注釈もなく出てくることだ。何か意見や判断を書くときには事細かに注釈が入るのだが、これには入らない。読者を専門家に限っているのかもしれない。すくなくとも、小野田氏『鉄道構造物探見』、そして一連の『土木史研究』が頭に入っていないと、おそろしくつっかえると思う。

本質ではない点でふたつ。これだけの大著なのに、スピンがないのはどうだろう。3本くらいあってもいい。また、樺島や増田が在籍したアメリカン・ブリッジを「アムブリッジ橋梁会社」と書くのは勘弁してほしい。たしかに、アメリカン・ブリッジをアムブリッジとも呼称するし、その所在地も企業城下町らしく「ペンシルベニア州アムブリッジ」であるが、企業名としては、1870年の創業以来「アメリカン・ブリッジ」であり、略称は「am」ではなく「AB(C)」である。そもそも「~ブリッジ橋梁~」って重複してるじゃないか!



あああ、引きこもってこの本と首っ引きで、PCにメモったり検索したりしながら1週間くらいすごしたい。

『鉄道の世界史』(悠書館)におけるアメリカの鉄道史

『鉄道の世界史』(悠書館)におけるアメリカの鉄道史

鉄道の歴史・人物史

20100626.gif『鉄道の世界史』(小池滋/青木栄一/和久田康雄編、悠書館)について。書影は悠書館サイトより引用。本書と同体裁というか悠書館曰く「三部作」のひとつは、先に紹介した『日本の鉄道をつくった人たち』だ。

本書は752ページという大著。世界の鉄道をあまねく紹介するが、それゆえにあくまで概要にとどまる『世界の鉄道』(ぎょうせい)ではとても把握しきれない、各国の、もっと深い「鉄道がその国の歴史に果たした役割」を22地域・国に分けて開設する本。とはいえ、まだアメリカ合衆国、しか見ていない。執筆は西藤真一氏。

30ページしか割り当てられていないため、歴史としては180年、そして世界一の路線延長を誇るアメリカの鉄道がアメリカ国内史/世界史に与えた影響を網羅するのは土台無理な話だ。しかし、しかし。記述の大部分が、現在につながる部分に割かれていること、とりわけ旅客輸送にも記述を費やしていることに、個人的には残念な思いがした。州際通商委員会の設立から話が起こされている点は大変評価できるが、なぜそうなってしまったのかの記述がもっとほしい。

すべての根っ子はこれなのだ。

アメリカの鉄道は、すべて民間により、やりたい放題に建設された。

ここからさまざまな物語が派生するのだ。私が「これも盛り込んで欲しかった」という点を羅列する。絶対に外せない観点は経済、とりわけ株式市場との関わりである。

・1830年頃に、イギリスがアメリカを見ていた目。アメリカというのは、ヨーロッパ人にとっては海のものとも山のものともつかない存在だった。そんな国が、イギリスはじめヨーロッパで資金調達をし、やがて世界の金融の中心がシティ(ロンドン)からニューヨークに移った。

・19世紀中盤、アメリカは自国の東海岸と西海岸を結ぶ陸上ルートを持たず、移動するには船で現在のパナマ付近まで行き、地峡を陸路で越え、また船に乗っていた。

・ホームステッド法により西部開拓につながった。資金調達にしろ沿線住民獲得にしろ、詐欺みたいなことも多々あった。

・1800年代後半、株式の主要銘柄の大半は鉄道株だった。しかも1900年代前半までに何度も倒産・再建を繰り返している。

#奇しくもソフトバンク孫正義氏の「新30年ビジョン」で、こんな映像が流れた。画像転載元:kokumai.jp
20100626-1.jpg全世界の株式の時価総額ベスト10(といいつつ9位までしか表示されていない)すべてがアメリカの鉄道に関係している。上位4社がアメリカの鉄道会社。

1位のNWは正確にはシカゴ・アンド・ノースウェスタン鉄道で、1995年に表では3位のUPと合併。
2位のPRRはアメリカの鉄道の牽引車を自認していた鉄道で、のちNYCと合併してペン・セントラル、のち解体されてコンレールに、コンレールも解体されてノーフォーク・サザン鉄道とCSXトランスポーテーションに。
3位のUPはいまもある、アメリカにおける最大の鉄道会社。
4位のサザン・パシフィック鉄道は、1996年までにUPに買収されている。
5位のUSスチールは、8位のモルガンが「これからは鉄の時代だ」として鉄鋼会社28社を統合して作った会社。鉄の供給先は、鉄道と船舶、軍事である。
6位の
スタンダードオイルと7位のテネシー石炭は、ともに自社製品を運ぶために鉄道を持っていた。
8位のモルガンは上述のとおり鉄道の資金調達、統合と経営で財産をなした人物。いやちょっとマテ、この時期のJ.P.モルガン&Co.は従業員30人くらいの会員制金貸し業みたいなもんで、株式公開などしていなかったと思うが…どうなんだろう? 資産総額も、JPM没時にカーネギーが「これしか遺産がないのか!」みたいなことを言ったくらい、その手の人種の中では清貧(とはいえ信じられないくらい莫大)だったらしいので、それと取り違えたということもないだろうし…。
9位のシティ・バンクも似たようなもの。1900年の前後50年間くらいの間、銀行(の証券部門)と鉄道は絶対に切れない仲だった。



・日本で現代話題となる、株主を大切にする姿勢は1800年代後半のアメリカではすでに常識。配当するために設備投資をせず、事故が多発するというありさま。

・鉄道の敵対的買収はよくあった。それがもとで恐慌を何度も招いた。

・鉄道株で億万長者になった人物が多数いた。そのうちの一部は「ラバー・バロン」即ち「泥棒貴族」と呼ばれた。鉄道で金持ちになった人として有名なのは、エドワード・ヘンリー・ハリマン、ジョン・ピアポント・モルガン、バンスワリジャン(スヴェリンゲン)兄弟、その他たくさん。

・地域の交通を独占し、交通弱者からカネを取り、大口顧客には割引をした。それがやがて州際通商法による規制に結びついた。

・民間同士の競争は放置されていたので、いやがらせ目的で既存の鉄道の近くに並行して建設する鉄道もあった。建設したら、相手に買い取らせるのである。

・土木や製鉄など、産業の発展を招いた。

・南北戦争での使われ方。



もっともっとあるが、前述したように30ページでこれらを語れる訳もない。仕方がないのだが、関心を持ったら調べるきっかけとなるフックはちりばめておいてほしかった。






千葉都市モノレールの連続鋼桁

千葉都市モノレールの連続鋼桁

橋梁一般

どう分類すればいいのかわからない、モノレールの桁について書く。

6月19日(土)に千葉の三省堂カルチャーステーション千葉において『廃道の魅力を語る』に行った際行きがけの駄賃に千葉都市モノレールに乗ってきた。前週に開催された高架橋脚ファンクラブの千葉都市モノレールに乗るというイベントが非常におもしろそうだった(私は行けなかった)ので、気になっていた。モノレッT買ったし。で、1日フリーきっぷを買って、普通に動物公園前で目を見張ったりしてきた。

あまりに天気がいいので、千城台から歩いたとき、ふと、この鋼桁兼軌道(以下鋼桁)は連続なのかそうでないのか、とかが気になった。曲線もあるし、金属製であるのだからどこかで寒暖による伸縮を吸収しなければならないので、どうなっているのかと思ったのだ。結果から言えば、3径間連続を原則としているように見えた。桁の分割部はこう。
IMG_1776_R.JPGIMG_1780_R.JPG桁は両脇から抱きかかえられるようにして保持され、重力方向に支承がある。写真ではゴムであることしかわからない。その下にローラーがあるのかもしれない。

モノレールは、走行中でも「線路の継ぎ目」に相当する振動はない。桁と桁の間に隙間ができる場合は、両側の桁から三角形の板を突き合わせており、ここを車輪が通過する。
IMG_1776-2.jpg


そして、連続桁部分の中間支承はこうだ。
IMG_1789_R.JPGIMG_1785_R.JPG支承がひとつしか載らないので、その部分の鋼桁方向の長さが短い。それ以外に顕著な差異はなさそうだ。

駅のホームでは、この支承を間近で見ることができる。

IMG_1750_R.JPG
また、鋼桁は一枚板ではなく、複数の鋼板をつないである。橋脚間に、1:2:1の割合で、「:」の部分に添接板(鋼板をつなぐ板)が見えるので、支間の半分の長さのものを、添接板部分が橋脚部分にあたらないように配置している。
20100620.jpg


その添接板部分も間近に。
IMG_1724.jpg
ボルトの多さに目がくらむ。拡大していくと、ずいぶん前に流行った蓮画像にも見えてくる。このボルト類も、大型の油圧トルクレンチで締めていくんだろうな。

これらの写真を見ると、鋼桁の上に手すりがあるのにお気づきだろうか。点検の人が歩くのか。でも、複線のうち片方にしかない。


IMG_1737_R.JPGこの写真を見て気づいたのだが、鋼桁には通常サイズのほかに、逆魚腹型のものがある。支間に添接板が三つあるので、スパンが長いのだろうか。魚腹型の意味(剛性を高める)を考えればそうなる。曲線部分用なのかもしれないが、通常の桁をひん曲げただけのような曲線部分用桁もあるのであまり証拠にはならない。

鋼桁および橋脚には、うるさいくらい銘板と塗装標記がついている。
IMG_1729.JPG



なお、橋脚の通し番号は、駅間ごとに振り直されている。


千葉都市モノレール
中央港・長洲線
1996年9月
千葉県
仕様鋼材 SM400A
製作 株式会社宮地鉄工所

活荷重なんか書いてくれてたら、ひとつ目から鱗が落ちるのに。


あとはさらっと。
IMG_1714_R.JPGIMG_1717_R.JPG



車止め。

IMG_1764_R.JPGIMG_1740_R.JPG分岐器。


というあたりで。

鋼桁については、その頃の専門誌見ればきっと書いてあるな。ちょっと深入りしてみたい。自分への課題としよう。


あ、最後に私的な視点での見所を改めて。

栄橋横断橋…アーチ橋が桁を保持する。


・JRを横断する部分。



・プレートガーダー橋に分類していいのか、京葉道路横断部分。


これらはグーグルのストリートビューで見ても楽しいです。


『廃道歩きの魅力を語る』@三省堂カルチャーステーション千葉

『廃道歩きの魅力を語る』@三省堂カルチャーステーション千葉

廃道

2日連続でよっきれん氏のトークを聞きにいった。今日のは無料。会場はヨドバシの上にある三省堂なのだが、古ーい駅前ビルみたいな長細くて天井の低い建物の1~3階にヨドバシが入っているのに家電量販店らしい外見どころか店名表示もほとんどない妙な雰囲気。その4階が三省堂カルチャーステーション千葉。エスカレーターを昇ると、その横に案内があった。

IMG_1793_R.JPG奥が眼鏡屋だったりして、千葉駅前ではなく地方都市の駅前雑居ビルといった雰囲気。天井低いし。

会場は20畳くらいのスペースで、たぶん椅子は30もなかったんじゃないかな。14時スタートのところ13時40分くらいに入ったら半分くらい埋まっていて、最前列に昨日も大阪でもお会いしたYさんがいらしたので隣に座らせていただく。うう、よっき氏の真正面、それも氏と喫茶店で打ち合わせしているかのような距離感。2つ下の写真が、その距離感を表している。私がこんなところに座ってしまうと圧迫感を感じるかもなー、とも思ったけれど気にしないことにしてそのままいると、14時に。すでに立ち見も10人以上になっていたと思う。

すぐ横には廃道写真のパネルが展示してあった。
IMG_1795_R.JPG

さっそくトーク開始。1時間しかないからな。
IMG_1800_R.JPG
トークは昨日とはまったく別物で、流用もない。丁寧に「見せるための」パワポファイルが作られている。このあたりはほんとうにすごい。そして、トークもまったくよどみなく、パワポなどなくても2時間3時間いけるほどに話が展開される。これは、氏の体全体に道の知識と道への愛が詰まっているからこそだと思う。そしてそれは、何度も何度も「自分にとって道とは何ぞや」という思索を繰り返した結果に違いない。あ、上の写真、後ろから撮られてる……(笑

IMG_1804_R.JPG上は、道路趣味を、鉄道/航空/船舶趣味者らと比較した例。

そして、廃道属性を図にしてみる。
IMG_1805_R.JPG

……ん?

IMG_1807_R.JPGおおお! オブドーラー!(参考:Pinky:st.廃道写真館

#Pinky:stは、模型製作者にはなじみ深いのクレオス製フィギュア。


そして、話は本題に戻り、「廃道の魅力」を総括する。

IMG_1810_R.JPGIMG_1811_R.JPGIMG_1812_R.JPGIMG_1814_R.JPG




画像ですべてがわかるだろう。このころになると、会場はオープンスペースなので、これ目当てじゃない人も立ち止まって聞いている。そして、これ目当ての立ち見の人も増えている! 立ち見だけで20人以上いたと思う。




終了後、本の販売&サイン会。会場はしばらく雑談に使っていていいと言われたので、うだうだ(?)していた。IMG_1817_R.JPG


していたが、撤収が始まったのとよっきれんさんが出てしまうというので我々も撤収。noganaさんあづさ2号さんまききさん、そのお友達さん、Yさん、kubodiさんと7人でお茶でも…ということに。

このときまで、中学生(?)の「廃道ボーイ」もいたが、用事があるとのことでここでお別れ。

野郎7人で外に出るも、駅前なので飲み屋とファストフードしかない。マック、珈琲館、プロントは人数の都合で入れず、ぶらぶら歩いていたらスタバがあったのでそこに収まる。小一時間のつもりが、あっというまに18時、19時、そして19時半。3時間半ほども経過してしまった。ドリンク1杯で。

さすがにそんな時間になったので撤収。三々五々、帰路に就きいた。

こうしてイベントが重なると、毎回会場で顔を合わせる方々も増え、自然に話をするようにもなる。酷道などに比べて廃道は規模が小さいからか、それともよっきれん氏が基本的にソロで行動するので、つるまない、という印象があったが、ここにきてリアルでのコミュニティが生まれつつあると思う。決して内輪で固まらない方向で、こうした関係が発展していけば、私としても友人が増えて嬉しいし、こうしたものに関心を持つ人も増えてくれるのではないかと思っている。

道に関する趣味というのは、マスの小ささが幸いして、いまのところ、わりとみな同じ方向を向いている気がする。そして、未開拓な分野があまりに多いため、それぞれがそれぞれの好みで探求している段階だと思う。鉄道で例えれば、まだ各地方の鉄道史、各鉄道の車両、文化をひとつずつ解明している段階で、それらすべてを踏まえた日本全体の鉄道史が書けない状態。全容解明=趣味として一般化するには、もしかしたら、まだ誰も気づいていない観点の研究が必要なのかもしれない。でも、いつか。我々が作る本、あるいは活動が、いろいろなことのきっかけになればいいと思っている。

最後に、こうした機会を設けてくださった、大阪/昨日/本日の企画をされたイカロス出版の大野さんに感謝申し上げます。

廃道ナイトアネックスin新宿JUNKU

廃道ナイトアネックスin新宿JUNKU

廃道

ジュンク堂新宿店で開催された『廃道ナイトアネックスin新宿junku』に行ってきた。大阪での『廃道ナイト』に続き、イカロス出版『廃道をゆく2』刊行記念イベントとしての開催だ。

ジュンク堂新宿店は8階にカフェがあり、そこをイベントスペースとすることができる。こぢんまりとした会場で、定員40人もまあそんなところだという感じ。過去、ここで見たトークは、出演者のトークのみだったのだが、今回はいつものようにプロジェクターで写真を写しつつ話していくという形態だ。

会場では先日の「『東京近郊ゆる登山』オフ」で別チームを率いていらしたモリカツさんと合流。モリカツさんは夢想吊橋を渡っている人だ。


今回はゲストにT0R1さん! 第一部は、そのT0R1さんとのレポがある氷川道の再探索レポ。第二部はT0R1さんが実際に探索に行った場面場面について解説&感想を求めるものだった。本当は第三部まで用意してあったらしいが、あっというまの1時間半で時間切れとなった。どの場面でもミリンダ細田氏がいつもの感じで写っていて、どうしてもそこがオチになってしまうのでとてもなごんだ。山行がを読み込んでない人には内輪受けに見えたかも…と思わなくもないが、そんな懸念など無駄に思えるほど、構成としてオチがついてしまうので、たぶんみんな楽しめていたと思う。そもそも「読み込んでない人」がいたかどうかわからないし。


会場では、もちろんイカロス出版の各書の販売。その中に、わが『廃道本』も並べられていてやでうでしやでした。もう2年も前になるんだな、企画進行始めたの。
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明日は千葉に行きます。

『お雇い外国人 交通』(山田直匡/鹿島出版会)と鉄道行政

『お雇い外国人 交通』(山田直匡/鹿島出版会)と鉄道行政

鉄道の歴史・人物史

IMG_1688_R.JPG右が「交通」である。古書を購入しようとしたら3000円程度のプレミアがついたものしかみつけられなかったので、地元の図書館で検索したら閉架の奥にあったので取り寄せてもらった。末尾に貸し出しカードを入れる欄があるが、一度も借りられた形跡がないのがまた悲しい。この本は幸い蔵書として扱われていたが、もし貸し出し履歴の多寡で蔵書の廃棄が決まるということがあれば、こんなに資料性の高い本とて廃棄される可能性は高い。なんということだ。

本書を知ったのは、先に書いた『日本の鉄道をつくった人たち』に、参考文献として載っていたからだ。それも、誤情報の情報源として。誤情報とは、エドモンド・モレルの出生年と配偶者についての記述だったが、本書の本筋からいうと無関係に近い記述ではある。出生年を1841年としているが、正しくは1840年。配偶者を「日本人」とし、モレルと同じく結核により後を追うように死去、としているが、本当の妻はイギリス人であり、死亡はモレルの死後12時間後で、理由は不明だが精神的なものか、と『日本の~』では書いてる(と記憶)。


本書の記述は、事業や政府の立場からみたお雇い外国人個人を縦糸に、個人からみた事業を横糸にして織り上げている。願わくば両者を統合した立体的な記述がほしいところだが、それは読み手の脳内で構築すべきことなのだろう。しかし、非常に困難が伴う。なぜなら、読み手(つまり私)に、明治初期の行政や官庁の理解がまったく足りないからだ。

また、お雇い外国人に与えられた職名がいくつあって、それらが日本の行政とどういう関係になっていたのかとか、「建築師長」と「建築師」の関係はどうなのだ、とか、まったく新しい知識が少しだけ放り込まれている大湖にこぎ出すような不安を覚える。先に挙げた『工部省沿革』等で見るといっても限界は低そうだしな。

そしてなおかつ、1906年(明治39年)の鉄道国有化までの、官設/北海道/九州それぞれの事情を把握していなければならない。そうしてこそ、この本の記述が理解できる。

残念ながら、私の脳内には、かろうじて鉄道建設事情が収まっているだけなので、縦糸、横糸それぞれをたどることくらいしかできない。

とはいえ、これは私が責めを負うべきものではないとも思う。義務教育どころか受験勉強としての日本史では、こうしたことは求められなかったし、鉄道ファンでも、国鉄の前が鉄道省で、その前が鉄道院で、くらいが関の山だと思う。まして、鉄道行政の長の役職名がなんなのか、などわかるはずもない。たとえば鉄道行政官庁などこんなである。

工部省
明治3年閏10月20日に開設されたのが工部省で、トップは卿。ただし不在。ナンバー2は大輔で後藤象二郎、これが実質のトップ。明治4年8月14日(太陰暦)に鉄道部門の部署「鉄道寮」が設置され、そのトップは「頭」で井上勝。工部省組織化で、鉄道寮は鉄道局になり、工部省廃止と同時に内閣直属になった。

  大輔 鉄道部門
工部省 後藤象二郎
m4.6.28-9.20
鉄道院
m14.8.12-
    伊藤博文
m4.9.20-m6.10.25(?)
 
  伊藤博文
m6.10.25-m11.5.15
山尾庸三
M5(?).10.27-m13.2.28
 
  井上馨
m11.7.29-m12.9.10
  鉄道局
m10.1.11
  山田顕義
m12.9.10-m13.2.28
   
  山尾庸三
m13.2.28-m14.10.21
吉井友実
m13.6.17-m15.1.10
 
/廃止 佐々木高行
m14.10.21-m18.12.22
井上勝
m15.7.8-m18.12.22
/内閣直属
(なぜか表内が白文字になるので、便宜的に色を変えただけです)

以後、

内閣鉄道局

内務省鉄道庁

逓信省鉄道庁

逓信省鉄道局→鉄道作業局分離
↓          ↓
内閣鉄道院←←←

鉄道省

こんな感じである。凡庸な脳味噌には体系化できるわけがない。



それでも、本書の著者は高校の教師で、初版時33歳である。すごい、としか言いようがない。そして、初版が昭和43年で、二刷が昭和54年というのもすごいと思う。


(続く かも)


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