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橋 on 橋(名称不明・私道)

橋梁一般

 
長谷川企業機構グループの山萬というリース会社のヤードにつながる橋。愛知県道13号を走っていると目に飛び込んできたのが、コンクリートアーチの上にガーダーが架かる「橋 on 橋」のこれだ。

この角度だと、アーチから床版に伸びる鉛直材が歪んでいるように見えるがさにあらず。軸方向で見るとT字型をしているので、ここから見ると影で歪んで見えるだけだ。

 
このように。架け替えられたのはなぜだろう。より大きな荷重を負担できるようにしたのか。

この長谷川企業機構というグループのサイトを見ていたら、興味深い写真がいくつかあった。

こちらはアイチ建運。N700系を台船に積んでいるのがアイチ建運のオルタークレーンだ。2台を使用している。


こちらは駒運輸機工。南極観測隊の雪上車の運搬だ。これだけの機材を揃えたこれだけの規模の企業グループ。中核の長谷川建設は橋梁架設や高架橋架設も多々実績があるので、この橋の架設も自前だっただろうな。


















●関連項目
・橋 on 橋(中平橋)
橋 on 橋 亀田跨線橋


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熊野大橋

ポニーワーレントラス

 
熊野大橋の旧橋。現在は並行して新熊野大橋が架かっている。旧橋は、左岸・北(紀宝町)から右岸・南(新宮市)への一方通行。

 
支間41.4mのポニーワーレン6連と、支間53.6mのワーレン3連。歴史的鋼橋集覧の側面図を見ると、右岸が浅く、左岸が深い。右岸側が支間の短いポニーワーレン、左岸側が長いワーレン。

 
時間の都合もあり、右岸だけ撮った。


 
曲弦のポニートラスというのも珍しい。すぐ横には歩道橋が併設されているのに、車道を狭くして路側帯が設けられている。車線を狭くするための「理由」だろうか。

 
 
親柱、左は「熊野大橋」。右は「昭和五十六年補修 昭和九年完成」。補修の銘板が親柱のメインになっているのも珍しい。

 











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船越運河(由良半島)空撮動画 

土木一般

由良半島のどん詰まり:本網代・西泊・魚神山
由良半島のどん詰まり:後・後トンネル・須下・曲烏
の続き。


由良半島の中央部に「船越」という地名がある。船越というのは、船が越えた場所につけられる。由良半島は海上に細長く突き出しており、動力船のない時代、沿岸を航行する船にとっては大きな迂回を強いられた。少しでも海路を短くするために、標高10m程度と思われる地峡部分で船を山越えさせた。直線距離で200mほどだ。

 
その区間に運河が開通したのは昭和41年(1966年)。どれくらいの通行量があるのかはわからないが、由良半島は沿岸が真珠等の養殖場となっており、船舶の通行には大きな利便性があるのだろう。写真は北側から南を見た空撮。

 
こちらは南側から北側を見た空撮。歩けば5分とかからない距離も、船にとっては憎き陸地だったろう。

ここの空撮動画を下記にアップした。


この北にある細木運河と奥南運河も訪ねたい。








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由良半島のどん詰まり:後・後トンネル・須下・曲烏

集落・路地

由良半島のどん詰まり:本網代・西泊・魚神山のつづき。


由良半島には「道路のどん詰まり」が大きく3点ある。本網代は前記事のとおりで、ここは後(うしろ)。

 
 
 
後集落に行くには、後隧道(後トンネル)を通る。コンクリートの巻き立てだが、一部は鋼板で補修されている。

 
車道の終端部。集落としては、わずかな戸数しかないようだが、クルマが何台も停まっている。釣り人だろうか。SVを見ると、写真左には「矢羽根型」の木製扉を持った小屋があったようだが、現地では気づかなかった。


 

こちらは須下(すげ)の終端部。小さな桟橋がある。そこにはモノレールホイストがあり、そこに電線が伸びている。こういうの、好き。


須下の湾では真珠養殖が行われている。私には真珠養殖と魚介類の設備の差がわからないが、網や浮きはある。

 
養殖筏の上で作業をする方々。そこに小さな船がやってきて、なにやら作業していた。

 
コスモ石油の給油所。ブランドが塗りつぶされているので閉鎖されたものだ。これもSVで見ると、別の面の防火壁の塗装が剥げ、丸善石油のペイントが見えている。現地は気が付かなかった。

そこから由良半島の北部を、船越運河(別項にします)を越えて付け根に戻る
 
ここは曲烏(まがらす)。船がいる場所は人がいて、生活がある。生業を海に持つ人たちは、山に持つ人たちよりも持続的、あるいは持続しやすいのかもしれない。人口密集地から相当に離れたこうした地にこうした規模の集落があることは「海の恵み」に他ならないといっていいだろう。

【関連項目】
船越運河(由良半島)空撮動画 


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南海フェリー フェリーあい

船・舟

 
2021年末のツーリング、東京から和歌山まで行き、その日のうちにフェリーで徳島に渡るつもりだったが、思わぬ降雪のため途中の四日市でホテルに避難したので、2日がかりで和歌山港に着いた。南海フェリーには2010年に乗ったがそのときは写真を撮っていない。


乗船待ち。夕陽が落ちてくる。

 
 
バイクが先に乗船する。進行方向に対して斜めに固定する。

 
西日に向かって海上を走る。

 
徳島港。下船後、近くに留まれないので少し離れて見ていたら、船を積んだトレーラーが下りてきた。

* * *

 
帰路も利用した。徳島港はこのようにドライブスルー型で乗船券を購入、そのまま待機場に入る。

 
12月30日の夜。港の冷たい空気は、旅の記憶を振り返るとまたそこに佇みたいと思うけれど、現実にそこで待機している間は、ひたすらかじかんでいた。



 
徳島港の出港を眺めていたが、係留索を外す人がいない。…と思ったら、ポンッという音とともに索が弾かれた。



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由良半島のどん詰まり:本網代・西泊・魚神山

集落・路地


四国の西部に突き出す細長い半島…といっても、佐田岬半島ではない。そのずっと南にある、ずっと細い由良半島。そのどん詰まりまで行ってきた。

 

 
本網代(ほんあじろ)。

 
バイクが停まっているのは港の敷地内。バス停の位置が道路の終端。ここまでバスが来ている、というのも驚く。

 
 
運行しているのはあいなんバス。1日4便、柏まで。由良半島の付け根から南にいったところだ。

 
そこから少し戻った西泊の漁港。1区画ごとにモノレールホイストが海上に突き出す。

 
網が畳まれ、浮きが固められ。

 
そこに干してあったイカ。

 
さらに少しだけ付け根のほうに戻った魚神山(ながみやま)。ある種の舟屋か。西泊のように水揚げをする設備ではなさそうだが、海上に突き出したレールはホイスト用だろう。「妻入り集落」ならく「妻入り漁港」とでもいうべき景観。

【関連項目】
由良半島のどん詰まり:後・後トンネル・須下・曲烏
船越運河(由良半島)空撮動画


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重信橋

ワーレントラス

 
松山市南部、砥部町との界となる重信川に架かる橋。3連1組、かつ橋脚上に突き出す三角形からカンチレバートラスかと思いきや、3連の真ん中の桁を見ても吊り桁ではない。


IMG_3865_R1.jpg



















吊り桁というのは、この写真でいう黄色い部分。これは京都の泉大橋(国道24号/木津川)。碇着桁から張り出した(カンチレバー)部分に「吊り掛けられている」のがカンチレバートラスだが、重信橋はそういう構造には見えない。

 
真横からは撮れなかったが、普通のカンチレバートラスでは、ここが吊り桁になるはず。しかし、分離できるようには見えない。


桁裏を見ても、やはり分離できるようには見えない。ということは、これは見た目としてはカンチレバートラスだが、実際は連続ワーレントラスだと思われる。

 
右岸(北側)の親柱。左の親柱が隠されている。親柱をないがしろにするな…! 右は「重信橋」。

 
側面には「昭和二十五年七月竣功」。

 
銘板がある。

昭和二十四年
愛媛県建造
内示(昭和十四年)
松尾橋梁株式会社
東京工場製作

 
上流側には歩道が別途設けられている。

さてこの重信橋。「日本の長大トラス橋」(藤井郁夫)によれば、「下路連続トラス3連の下路連続トラス橋」であり、新田原飛行場の旧日本軍の格納庫の解体材を前提に設計されたらしい。橋梁のデータベースの元を作成していた藤井郁夫氏が「カンチレバー」と書いていないということは、この橋がカンチレバーではない、ということの証拠となろう。

この重信橋が架けられたのは、多径間のトラス橋が、カンチレバーから連続トラスに変わる節目の時期だった。「カンチレバーの見た目で連続トラス」であるいうのは、もしかしたらそれをふまえているのかもしれない。妄想ですが。




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古い出光の給油所と日石三菱跡

出光

 
吊橋を改造したローゼ 三好橋のすぐ近くに、この建物がある。といって、いまは給油所の形跡というかクルマが入れるような広くなった場所は近隣には見当たらない。古い航空写真を見ると、道の向かい側などには空いている土地があるようだ。

 
なんとかっこいい建物だろうか。屋根部分の意匠はどういう意味が込められているのだろう。

 
すぐ近くに給油所の防火壁があるが、出光のではなさそうだ。薄い青緑色が見えている。

 
壁にはうっすらと「日石三菱」。

もしかして出光から日石三菱へとブランド替えをしたのか、と妄想するが、それならば建物の表記も変わっているはずだ。なのでそんなことはないだろう。

幅の狭い三好橋に代わり、下流側に大きな池田大橋が架かったのは比較的早く、1976年。以降、ここは旧道となっていたと思われる。この三縄集落より「向こう」は山越えとなり、通過するクルマは多くはないはずだ。それでも「日石三菱」の時代まで給油所があったのだ。









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四通橋

プラットトラス

 
愛媛県のマイントピア別子内にある、足谷川(国領川上流の名称)にかかる近接した三つの橋梁のうちの一つ。残念ながら渡れない。

 
ここを振り返ると「第四通洞」が口を開けている。そこにつながるから「四通橋」。


 
これが第四通洞の入口。トロッコの軌道が残る。

 
橋梁手前にはクロッシング。線路幅は不明。あとで検索すればいいや、と思ったら、検索してもヒットしない。大町パルクさんこちらのサイトをご教示いただき、508mmと判明。よく「762mm」と書かれているが、それは下部軌道(現役のトロッコ列車)のほう。

 
歴史的鋼橋集覧によれば、開通は1919年。プラットトラス。桁の製造元は不詳のようだ。部材の細さからピントラスかと思ったが、剛結されている。縦桁もシングルレーシングなので、活荷重が軽いためにそのような規格になっているのかもしれない。床版は、トラスの下弦材同士に横桁を渡し、その上に縦桁を通して、その上に敷いているようだ。

 
別子銅山橋梁三兄弟。












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バイク林道ツーリングマップ(佐藤信哉・窪田京一/凱風社)


先日、凱風社の『バイク林道ツーリングマップ』3冊を譲り受けた。バイク好きでベイスターズファンだった方が、若くして亡くなった。その形見分けとしていただいたものだ。80年代の林道事情は、まとまった資料が乏しい。オフロードバイク雑誌かクロカン四駆誌の連載記事などを丹念にあたるしかない。

…と書いたが、オフロードバイクと対極にありそうな『ミスターバイク』に、佐藤信哉さんが「ファイヤーロードクラブ」という連載をしていた。90年代半ばは、2台のDT200Rでシンヤさんが走りに行き、シンヤさん手書きの地図とともに掲載していた。シンヤさんの軽妙な文章は、「路面の説明」でも「マシンのスペック」でもなく、とても楽しそうな旅の記述だった。この凱風社の本は、その連載の前身だったと思う。


 
この本がどれだけ優れ、どれだけの資料性があるかというのは、これをご覧いただければわかると思う。

 
GPSなどない当時、『二輪車ツーリングマップ』(マップル、でもいいが)の縮尺では、とても林道の入口はわからない。ところがこのマップの細かさといったら、Googleのストリートビューレベルの細かさだ。そして、舗装と未舗装が描き分けられている。

これらを誌面そのまま掲載するのは著作権的にアウトだとは思うが、掲載しなければ本書のすごさは絶対に伝わらないので著者のお二方にはどうかご容赦いただきたい。


この地図を描いているのは、酒の漫画で超有名なラズウェル細木さんだ。本書は「窪田京一・画」となっているが、これはラズウェルさんの本名。私も最初は気づかなかったが、唐突に『信州編パート1』にラズウェル細木さんの漫画が掲載されていて、「あれ?」と思ったのだ。右上、二筒がスポークホイール+ブロックタイヤ…(笑)

私は仕事でラズウェル細木さんのコミックエッセイの文庫化を担当したのだけれど、外部編集者(OB)にすべてをお願いしていたので、直接の面識はない。

 
 
私が今回入手したのは
(1)丹沢編 改訂版 1986年7月15日 改訂版第1刷発行
(4)奥多摩編 1986年4月30日 初版第1刷発行
(5)信州編パートⅠ 1987年6月15日 初版第1刷発行
だ。掲載している林道群は、上記を見て欲しい。「信州編」は、甲府北部など山梨県も多く含む。
ただ、ここに掲載している大多数の林道は、現在では舗装されたか、通行止めとなっており、往時のままなのは、川上牧丘林道ほか数えるくらいしかなさそうだ。とはいえ、これを眺めていると、舗装路でいいから走りに行ってみたくなる。

未入手のものは、
(2)富士山編パートⅠ
(3)富士山編パートⅡ
だ。これら「BIKEの本」シリーズは、自社広告によれば「ビニールカバー付」とある。私の手元に来た3冊はそれがないので、元の所有者が取り外したのだろう。ビニールカバーは、10年もすれば収縮して割れてしまう。そういうものだ。


* * *

 
同時に、この1冊も譲り受けた。『ザ・ベーシック・モトクロス』(石井正美著/山海堂)。1990年初版発行。レジェンド・石井さんによる、モトクロスの入門書。石井さんには『月刊ガルル』時代に大変お世話になった。当時、多くのテクニック本を手掛けている。


この本に、この未使用ステッカーが挟まっていた。このステッカーこそ、元所有者の青春なのだろう。本4冊も大切だが、このステッカーこそ、このままそっと私の手元で大切にしていきたい。

17th 学二連 FESTIVAL ENDURO
3, May, 1987, in S.P Saitama

S.Pさいたまというのはオフロードコースだろうかのちのオケガワ、HARP。「学二連」は学生二輪倶楽部連盟、関東・中部・関西などでそれぞれまとまって活動していたようだ。




















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