ようやく種子島にバイクで渡ることができた。「鹿児島の先」だと、自走で来るにはなかなか遠い。ここは鹿児島港南埠頭。8時40分出航だが、バイクは一番に乗り込むため、7時過ぎにはのりばに来るよう指示があった。前夜はホテル泊。 ターミナルはなく、乗船手続きはプレハブ。乗船するクルマ置き場は「1番レーン」「2番レーン」のように「言われなくてもわかる」ような駐車方法になっておらず、指示にしたがって並ぶ。貨物主体で、フォークがひっきりなしに行き交う。かなり狭い印象だが、すごく活気があり、港らしい。 バイクはコンテナの陰に…。といってもこのコンテナも積み込むのだが。 ハンドルに、名前を書いた荷札。 セイカアイスクリームとコスモラインのコンテナ。 バイクはこんな感じ。きちんと固縛される。 これは下船時に撮影。クルマもかなり目一杯に積み込んでいる感じ。もう少し大型のフェリーでもいいのでは? 「こんなところにクルマを停めるのか!」と感じるスペース。とにかく、物資でいっぱいだ。 出航。航路の半分近くは鹿児島湾だ。 順番が前後するが、プリンセスわかさの後ろには、フェリーみしまが控えている。こちらは9時30分出航。 フェリー屋久島2。こちらは8時30分出航。プリンセスわかさの出航はその10分後。フェリー屋久島2を追いかけるようにして鹿児島湾を南下する。 フェリーあまみ。次回の九州行きでは20年以上ぶりに奄美に行きたい。 * * *
冒頭に「遠い」と書いたが、種子島にいるときに自宅でトラブルが発生、急遽(といっても種子島を離れる日は予定通り)帰ることになった。ここから鹿児島へ行き、1泊して翌日四国へ、東予からフェリーで大阪へ…というルート。2泊かかる。 西之表港。 鹿児島港よりは広々としている。 プリンセスわかさ。乗客はタラップで乗船。 帰りも同じ場所に固縛。 (2022.7) PR 2022年9月、霧雨の七ヶ岳林道を往復。ここは、知る人は知ってる分岐。左は、下りとはいえもはや一人じゃ入りませんよ…。で、このとき、チェーンが弛んでるって言われて、そういやそうだと思って帰宅後張り直したんだけれど、よく考えたら新車から1回も替えていない気がする。ほとんど乗らないと、こういうところがどんどん鈍感になる。自分としてはまだ数年しか乗っていない気がするけれど、実際には23年目の機械なのだ。 オドメーターは8000kmも満たないが、メーター外してのコース走行やレース走行がそれなりにあるし、公道でもほぼ「現地までトランポ、林道メインで走る」という使い方のため、ダート比率は3~4割くらいと、一般的な林道ツーリング用途よりはるかにダート走行が多い。 スプロケを替えたのは2001~2002年くらいだと記憶。普通はリヤスプロケを大きくするのだけれど、そのときにチェーンを交換しなくていいように、フロントを小さくしたのは記憶にある。ノーマルは15-46で112リンクのところ、13-46にしたのだ。これが実にちょうどいい。コンディションのいいダートでは3~4速がすごく楽しい。ただし、5速で回しても100km/h出るかどうか。 ・15-46 ギヤ比3.07(RMX250S) ・13-50 ギヤ比3.85(RMX250R) ・13-46 ギヤ比3.54(磯部仕様) チェーンはリヤスプロケのところを引っ張っても左右に揺さぶっても、伸びている感じはあまりしないが、タイヤを見るとチェーンに当たった跡がある。左右のブレはあるのかな。フロントスプロケを見るとかなり削れていたし、なにより23年目なので、一式交換することにした。 そう思って検索しても、全然選べない。いや、もっと高年式のマシンとの共通部品はいろいろあるので、よく探せばあるのだろうけれど、サンスターはフロントは12T~15Tがあるのに、なぜかリヤは純正歯数の46Tがなく、42Tしかない。ほか、通販サイトも片方しかなかったり、希望のサイズがなかったり。古い車種だとこうなってしまうのね。 また、チェーンも、長年DIDかRKエキセルしか買ったことがなかったが、今回は価格と、112LにカットしてあるということでEKチェーンを初めて購入。 まずはリヤから。スプロケを固定するボルトは固着していて外しづらいだろうと思いきや! 六個とも緩んでいた…。脱落しなかったのは、セルフロックナットだったからか。 新しいスプロケは、ボルト穴がテーパー状になっていた。困る。仕方ないので裏返して装着。古いスプロケは、サンスターの排泥制がいいもの。 次いでフロントのドライブスプロケ。こちらは30mmのでかいナット。ブレーキ踏みながらインパクトレンチで…と思ったら、ゆるゆるじゃん!!! 緩み止めのために座金のツメを折っていなかったらはずれてしまっていたということか。こんなところ、普段のメンテナンスでチェックしたことがなかった。 エンジンスプロケットナットの締め付けトルクは9.0N・m。そのまま締め込むとピストンが動いてしまうので、車体にまたがってリヤブレーキを強く踏みながらトルクレンチを左手で押す。けっこう無理な体勢だが、無事にカチリと音がする。座金を起こして完了。 そしてチェーン。古いチェーンをDIDのカシメ工具「かし丸」でカット。割とスルスルとピンは抜ける。 わざわざ古いチェーンと結んで通さなくてもいいのだけれど、儀式なので…。 初めて使う、EKチェーンのスクリュー式ジョイント。いままで、カシメかクリップしか使ったことがなかったが、簡単だった。ただ、ピンを折り取る時に、チェーンが強い方向ではない角度に力がかかるのが気になった。 外装よりもチェーンを見ろって東本先生の初期作品にも書いてあった。 フロント。写真でいえば左回転で、「入」の形に摩耗する。これはけっこう摩耗している。 リヤ。こちらは、それほどでもない。歯が尖っているかといわれれば、まだ大丈夫そう。 一式。いままでありがとうございました。 おまけ。アクスルシャフト等にグリスを塗ろうと撮りだしたら、フタがこんなふうになっていました。なんで。 国鉄の分割民営化から35年。いまとなっては「国鉄」という、昭和50年代に職員40万を擁した巨大な官庁・官営企業は、実態が掴みづらい。1970~1980年代の社会状況、政治・経済の状況も見えづらい。なので、当時を知らない若年層と、SLブームで写真だけは撮っていた、社会人的にも「ものすごくいい時代」を生きてきたゆえに知識も感覚もまったくアップデートしていない老害鉄道趣味者たちが「国鉄時代はよかった」といっていて、一方で、現代の経済のまっただ中にいる40~50代は「バカ言ってんじゃないよ」という感じの対立構造がある。 国鉄改革時を語るJR経営者の本はあったが、「官庁組織としての国鉄」を俯瞰して簡潔に述べる本はいままでなかった。本書は、その点でとても有意義なものだ。また、端から成功が約束されていた本州3社ではない、上場など考えられなかった「三島会社」の一つ、JR九州社長だった著者が、いかに官僚的考えから民間企業的考えに切り替えてJR九州を動かしてきたかがわかる本だ。 * * *
中公新書はまったく売る気がないのか、とても重要な目次が公式サイトにもamazonにも載っていないので、ここに掲げる(目次は著作物ではない)。●印は、国鉄史と関係ない、ちょっと「とってつけた感」がある項目で、読まなくても本書の大意に影響はない。◎印は著者の強い主張だ。これを書きたかったから、延々と「国鉄史」を書くことを引き受けたかったのではないかと思うほど、しつこく、強い。(そして、そのせいで、雑多な本という印象が生じてしまっている) 第1章 戦後の混乱と鉄道マンの根性 1 「汽笛」-焦土の産声 2 すぐに「復興運輸本部」 3 マッカーサーの指令 4 インフレ対策と赤字経営の硲 第2章 暗中模索の公社スタート 1 「日本国有鉄道」誕生 2 公共企業体の内容 3 人員整理と奇怪な三事件 4 懺悔の特急「へいわ」4ヵ月で「つばめ」へ 5 悲劇・桜木町事故と洞爺丸事故 第3章 栄光としのびよる経営矛盾 1 東海道全線電化-電車特急「こだま」 2 第1次5ヵ年計画-輸送力対策と資金不足 3 「さんろくとお」全国特急網-第2次5ヵ年計画 4 新幹線の開業-石田礼助総裁の警鐘 5 通勤五方面作戦 第4章 鉄道技術屋魂● 1 ゼロからディーゼル大国に● 2 「はつかり」事故騒ぎと現場重視● 3 Sl全廃への道-ディーゼル機関車大国に● 4 繰り返す「妙な」技術開発 第5章 鉄道現場と労働組合 1 「国鉄家族主義」と組織大事の日本文化 2 労労対立と合従連衡 3 現場競技制と職場荒廃 4 なぜ失敗するのか「マル生」 第6章 鉄道貨物の栄枯盛衰 1 重厚長大から軽薄短小へ 2 営業体制と通運問題 3 スト権ストで貨物輸送自滅・国鉄孤立 第7章 国鉄衰退の20年 1 第3次長期計画-落日の花「よんさんとお」 2 格好つける国鉄財政議論 3 『日本列島改造論』と続く新幹線建設 4 御召列車● 第8章 国鉄崩壊と再起 1 巨大官僚組織-「国鉄の常識は世間の非常識」 2 朝令暮改の再建計画 3 土俵は国鉄外へ-第2臨調と再建監理委 4 答えは「分割民営化」、その光と影 終章 JRの誕生と未来 1 JR九州の経営改革 2 完全民営化の達成 3 国鉄改革の光と影の未来◎ 4 新幹線物流の可能性◎ 5 国民と国家のための鉄道へ-コロナ・パンデミック以降に向けて◎ * * *
本書で繰り返し述べられているのは、 ・官庁組織の特徴。中央本社と地方支社(のようなもの)があり、それぞれ同じ組織を並列で持っていて、支社の部署A部、B部、C部は本社の部署A課B課C課と対応しており、A部B部C部のつながりは希薄 ・支社のトップは中央が握っていて短期間で入れ替わり、地方の組織は縦割りで本社とつながっていて決定権がないので、地方独自の施策をとても打ちづらい ・国鉄発足時、GHQの指導で、日本型の官僚組織ではなく、アメリカ型の実務優先組織(地方が主導権を握る)にしようとしたが、結局は両者を重ねた、複雑で肥大した組織になった。それが鉄道管理局という支社的組織 ・職員個人個人はまじめである ・公共企業体ゆえに、理事側も職員も当事者意識がない(これは昔から言われていること) ・世の中、誰でも鉄道に対する感想を持っているが、鉄道、とりわけ貨物の本質はわかりにくい ということだ。それぞれ、経緯と、組織内の実態・雰囲気を述べた上で、国鉄衰退のプロセスを「上下分離のない国鉄の構造的な特異性に議論が及ばず、日本的な官僚機構と現場労働者の狭間で、国家経済視点と競争経済視点の徹底的な議論や、政策整理をおこなわずに戦後の公共企業体の経営状態を皮相的にトレースしていたこと、そしてその対応策を国鉄改革まで引きずってきたことが(原因)」と言っている。 また、分割民営化へのプロセスの問題点と、これからの鉄道のありかたとしては、 ・国鉄の分割民営化で、三島会社と貨物会社、とりわけ貨物会社は(そおらく安楽死論なども踏まえて)議論されずに発足し、それが今日の各種問題を浮き彫りにしている ・東海道・山陽新幹線以外の新幹線は、物流にも使うべきである ということが終盤で強く主張されている。 * * *
個人的に関心があったことは二つ。石井氏はディーゼル車の設計に長年携わったのだが、かつてはDMH17シリーズについて批判的な見解を述べたこともあると思うものの(うろおぼえ)、近年は「ゆえに全国に気動車を素早く行き渡らせることができた」と自画自賛している。第4章がそれに当たるが、そのスタンスはあまり変わらない。「一流」のDD54を引き合いに出して、「地道な国産設計・国産製作を本流としたことはまさに正解だった」と書いている。 もう一つは、総裁評だ。国鉄が大きく転落していく時期の総裁は磯崎叡であり、磯崎は「マル生」をやめさせ、不当労働行為があったと「謝罪」し、労働の能率制を向上させようとしていた人たちのハシゴを外し、左遷した。任期は1969.5.27~1973.9.21。本書で石井氏が財政面で分けた、赤字が徐々に増えていく「第Ⅰ期」から償却前赤字に転落して借金地獄に入った「第Ⅱ期」を股にかけた時期だ。はっきりとは書いてはいないが、好意的な記述はない。 仁杉巌については、土木技術者としての仕事のスケールの大きさを評価している。杉浦喬也に替わったときに常務理事だった石井氏は「『分割民営化』賛成という厳しい道に転じた」と書いている。「転じた」とあるあたりに、石井氏の、当時の動きが見て取れる * * *
本書で知ったことが二つ。一つは、昭和57年の東北・上越新幹線の大宮暫定開業が、当時総裁室調査役だった石井氏の提案だったこと。もう一つは、首都圏本部長としてJR東日本の経営計画策定にあたらんとしていたころ、九州総局長が辞任してしまったがゆえに昭和61年に九州総局長となり、そのままJR九州社長、という経緯だったこと。前任者が辞めなかったら石井氏はJR東日本の要職に就いていたのかもしれない。そしたらJR九州はまったく異なる形になっただろう。 本書は、とにかく「終章」、これからのJRがあるべき姿こそが石井氏ご本人が書きたかったことであろう。これからJR貨物や北海道で経営の指揮を執りたい気持ちがあるような書きぶり。しかし、90歳。90歳にしてこの本を書き上げるそのバイタリティは恐ろしいとも思う。 ちょっと雑多な感想になってしまった。本書の構成をどうこう言えない。 【関連項目】 『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店) 『巨大組織腐敗の法則 国鉄に何を学ぶか』(屋山太郎著/文藝春秋) 『敗者の国鉄改革』(秋山謙祐/情報センター出版局) |
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