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足谷川橋梁

ボーストリングトラス

 
愛媛県のマイントピア別子内にある、足谷川(国領川上流の名称)にかかる近接した三つの橋梁のうちの一つ。これは構内の乗用トロッコ列車が通る橋なので、徒歩では渡れない。

 
トロッコ列車との大きさ比較はこんな感じ。

 
ハーコート製のボーストリングトラスが、60度の角度でかかっている。その先には別の箱桁が…と思いきや、その箱桁はボーストリングトラス内にも途切れず続いている。ボーストリングトラスの縦桁を兼用しているわけではなく、ここは、実はこの箱桁が本体。ボーストリングトラスは「形としての保存」であって、構造を担っていない。

 
それでもこうしてハーコートのピン結合ボーストリングトラスを目の当たりにできるのは大変嬉しい。

 
ボーストリングトラスの上弦同士を横に結ぶ部材、手前のは右が下がり、その奥は水平、その奥は左が下がっている。これは、斜橋なので左右の桁を上から見ると、写真右が奥にズレており、そのために部材を取りつける高さが異なってしまっているためだ。

 
別子銅山橋梁三兄弟。










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『日本の廃駅&保存駅136 感動編』(笹田昌宏/イカロス出版)

鉄道の本


笹田昌宏さんの新刊『日本の廃駅&保存駅136 感動編』(イカロス出版)。笹田さんとは『廃駅ミュージアム』をご一緒して以来の関係だが、そのときは車両保存方面での八面六臂のご活躍しか知らなかったのだが、お話をうかがって、実は相当に廃線跡や廃駅を訪ねあるいていると知り、同書の刊行に繋がった。

本書は、そこからさらに突き詰め、
第1章 風化してゆく姿が感動的な廃駅&保存駅
第2章 産業遺産の存在が感動的な廃駅&保存駅
第3章 駅舎やホームの姿が感動的な廃駅&保存駅
第4章 賑わいが戻った姿が感動的な廃駅&保存駅
に振り分け、オールカラー176ページで展開している。

 
具体的な掲載駅は上記を参照していただくとして、この章立ては、膨大な廃駅を見てきた笹田さんならではのものだ。

「廃駅」のイメージは、人によってまったく異なるだろうし、時代によっても変化している。かつては取り壊されるか放置されるかで、2000年代になっても基本はそれ。しかし、2010年ころからだろうか、鉄道路線が廃止になると地元も観光資源として活用するようになってきた。それは、旅のスタイルが、いわゆる「観光地巡り」からピンポイント型に変わってきたこととも大きく関係するだろう。


もちろん、そうなる前から有志が保存を続けてきた廃駅(廃止路線)もある。上の七戸駅などは、まさにそうだ。こうした先人の経験があってこそ、いま、観光資源として活用しようという意見がそれなりに力を持つようになったとも思う。先人たちには敬意しかない。


私はやはり、初めて越後交通の廃駅を目にした中学1年生のころから、自然に還っていくような姿に心を惹かれる。掲載されている駅には、そもそも廃止駅が多く、そのままになっている北海道の廃駅が多いのだけれど、そこは章立ての妙。全国の廃駅を北から並べるような構成とすると、北海道に偏ってしまったり、印象が似てしまうことを防いでいる。

私を含めて、廃線の本などほとんどなかった頃からの廃駅・廃線ファンは、つい「すぐ『レールバイクで活用』とか言ってさ…」と感じてしまうのではないかと思うが、そうはいっても、「廃線跡」という言葉が鉄道マニアでもない人にも認知され、旅の目的地になる現在、レールバイクでの賑わいもまた、普通の(?)人たちが旅の目的地にする。そして、それが鉄道が廃止になったような地域に貢献する。そこは認識しておきたい。

* * *

本書のことで笹田さんからご連絡があったまさにその日、根室本線の富良野~新得間の廃止のニュースが流れた。私は昨夏に訪ねていたが、その話をすると、笹田さんもつい数日前に訪ねていたという。落合駅などが、そのまま廃駅になってしまう。7駅はどうなるのか。布部駅は、富良野盆地にあるのと『北の国から』の絡みで残るだろう。幾寅駅も『鉄道員』関連で残るか。2020年代の廃線・廃駅が辿る姿を追っていきたい。

●関連項目
『車掌車』(笹田昌宏著)
『走れ、トロッコ!輝け!錆レール』(笹田昌宏著)

閉鎖されて5年の根室本線落合駅
根室本線休止区間の踏切(幾寅西1号踏切)








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丸善灯油の一角

大協石油・丸善石油・キグナス・ガソリンスタンド全般

 
その地方の、とてつもない富を集めた商家の近く。住宅街でもない、商店街でもない、少し広い通りにある、家電メーカーも取扱う商店。その一角に、丸善灯油の壁がきれいに残っている。

すでに計量器はない。防火壁は取り壊したほうがスペースを有効に活用できると思うが、残してあるのだろう。

看板に掲げられた電話番号は2桁。これは、「市外局番7桁+加入者番号2桁」の名残と思われる。




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立ち並ぶ無人販売小屋

建築?

 
 
紀伊半島の南端も南端。国道脇の漁港に視線をやったら、その前に、たくさんの無人販売の小屋が並んでいた。


 
 
「営業中」のものも「休業中」のものもある。売られているものは、ほぼ生花だ。「1本100円」とある。この町で、そんなに花の需要があるものだろうか。いや、これだけ売る「店」があるのだから、この町で、これだけの花を作って売る人がいるものだろうか。

 
この無人販売所群は、みな少しずつ違った形をしている。こういうものは、ゼロから考えて作るのは少しハードルが高いかもしれないが、一つお手本があれば、それを目指して作ることができる。きっと、ここに最初に作ってガードレールに括り付けた人がいて、それをみんなが真似し始めて、……。





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のと鉄道 蛸島駅跡

廃線跡

 
のと鉄道能登線の終端だった蛸島駅。こうして切り取ると、終端駅ぽさはない。1面1線だからか。三セク転換後から無人駅だったからか。

 
裏手。駅名標が転がされている。

 
ホームも現役当時のまま、時間が経っている感じだ。こちらは終端方向。

 
穴水側。この方向は、道路整備で線路が途切れいて、その先にMT102が留置されている。

 
10年以上、この場にあるようだ。






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のと鉄道 松波駅跡

廃線跡

 
のと鉄道の松波駅跡。駅舎は「松波城址情報館」という展示に使われていたようだ。

 
駅の裏手へ。島式ホームと上屋、待合室が残る。

 
9月下旬だった。夏がまだ残っていた。上屋下の広告行灯は白地となっていた。

 
ホームの上から振り返ればこんな。

のと鉄道は多くの駅が残っている。



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吊橋を改造したローゼ 三好橋

鋼製上路アーチ

 
吉野川を渡る三好橋。元は国道32号の橋として開通したものだ。昭和初期の建設時、国内最長の吊橋だったようだ。ケーブルが老朽化したが、補剛桁は大丈夫だったので、それを使用して桁下にアーチを構築、そのままにローゼ橋に改造された。

 
右岸側。親柱は、左は「みよしばし」、右は「吉野川」。左の親柱手前に記念碑がある。

 
記念碑。左はケーブル。

 
 
ケーブルは「東京製綱株式会社小倉工場 福岡県小倉市 大正十五年製造」の銘板とともに保存されている。

 
手前には2連の鈑桁。下は土讃線、その桁の向こうに見えているのが、吊橋時のアンカレッジだと思われる。主塔が、どの橋脚のところにどう建っていたのかは不明。

 
左岸。左の親柱は「三好橋」。

 
右の親柱は「徳島え七九粁」。

 
右岸の鈑桁下にある公衆トイレ。桜を見に来る人のため?























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大宇宙無限力神

音楽

 
ナニワエキスプレスのアルバムに『大宇宙無限力神』というものがある。とにかく低音!低音!というもので、壮大な曲だ。youtubeに当時の演奏の映像がある。

その源が、九度山別天地という別荘地内にある。存在を知ってから30年以上が経ったが、やっと訪問ができた。嬉しい。思っていたよりも狭い敷地に、思っていたよりもきれいで大切にされた状態で鎮座している。



ここに至る道は細く、またかなりの斜度がある。大きなクルマかつ初心者の方には困難かもしれない。また、すぐ近くの道路はこんな状態だった。

 
ここまで苔が生えた道路は見たことがない。舗装路である。









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伊勢湾フェリー 知多丸

船・舟

 
2021年11月、紀伊半島に行く際に伊勢湾フェリーで渡った。早朝に東京を発ち、豊川でまでは高速、豊川放水路橋梁を見てから渥美半島を延々走っていくので時間が読みづらい。

伊良湖発は9時30分、10時50分、その次は13時40分だ。10時50分発に乗りたいが、もし乗り遅れると13時40分着。鳥羽に着いたあとの行動時間がすごく短くなる。そんなリスクもあるので宿も取れない(せっかくなので明るいうちしか走りたくない)。そこで東京を4時に出たところ、順調も順調で、9時30分発に間に合ってしまった。

 
車両甲板は、バイク用のスペースがあった。ここでは、床からシートをまたいで逆側の床にタイダウンで留めるタイプ。船内は、祝日ということもあってけっこうな混みようだった。



乗船券。裏面には赤福の広告が2色で印刷してある。


伊勢湾フェリーには、1995年に鳥羽から乗って以来だ。

これは当時の乗船券。左は切り取り線。右端に「師崎のりば」とあるように、知多半島~鳥羽という航路もあった。そちらはその後、常滑港に切り換えられたが、短期間で休航となった。


裏面の赤福の広告は赤1色刷。

 
ぼくはTT250R。GWなので混んでおり、たしか1本待って乗った気がする。並んでいるバイクを見ると、いかにも1995。ZZ-R、TZR、TRX850、左はエリミだろうか。ここが指定された待機所なのだが、歩道上だ。現在ならコンプライアンス的にこういうことはしないだろうな。

こうして、「かつて乗ったことがある/走ったことがあるけれど、GPSログがないところ」の再訪は続く。





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すさみ串本道路 高富トンネル 工事用スロープ

土木一般

 
国道42号は串本の市街地を回るので道路が混雑する。そこで裏道を通ったら、こんな土木工事に出くわした。

 
出雲大社の復元図のようだ…とTwitterに書いたら9000fav以上になった。

 
高い位置に高富トンネルを穿っている。このスロープはその工事の足場。橋脚は高富川橋。

 
橋脚は3本ができていて、4本目を作っているところだった。足場に囲まれた状態を見ると、9階建てのビルのようだ。











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