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国鉄の分割民営化から35年。いまとなっては「国鉄」という、昭和50年代に職員40万を擁した巨大な官庁・官営企業は、実態が掴みづらい。1970~1980年代の社会状況、政治・経済の状況も見えづらい。なので、当時を知らない若年層と、SLブームで写真だけは撮っていた、社会人的にも「ものすごくいい時代」を生きてきたゆえに知識も感覚もまったくアップデートしていない老害鉄道趣味者たちが「国鉄時代はよかった」といっていて、一方で、現代の経済のまっただ中にいる40~50代は「バカ言ってんじゃないよ」という感じの対立構造がある。

国鉄改革時を語るJR経営者の本はあったが、「官庁組織としての国鉄」を俯瞰して簡潔に述べる本はいままでなかった。本書は、その点でとても有意義なものだ。また、端から成功が約束されていた本州3社ではない、上場など考えられなかった「三島会社」の一つ、JR九州社長だった著者が、いかに官僚的考えから民間企業的考えに切り替えてJR九州を動かしてきたかがわかる本だ。

* * *

中公新書はまったく売る気がないのか、とても重要な目次が公式サイトにもamazonにも載っていないので、ここに掲げる(目次は著作物ではない)。●印は、国鉄史と関係ない、ちょっと「とってつけた感」がある項目で、読まなくても本書の大意に影響はない。◎印は著者の強い主張だ。これを書きたかったから、延々と「国鉄史」を書くことを引き受けたかったのではないかと思うほど、しつこく、強い。(そして、そのせいで、雑多な本という印象が生じてしまっている)

第1章 戦後の混乱と鉄道マンの根性
1 「汽笛」-焦土の産声
2 すぐに「復興運輸本部」
3 マッカーサーの指令
4 インフレ対策と赤字経営の硲

第2章 暗中模索の公社スタート
1 「日本国有鉄道」誕生
2 公共企業体の内容
3 人員整理と奇怪な三事件
4 懺悔の特急「へいわ」4ヵ月で「つばめ」へ
5 悲劇・桜木町事故と洞爺丸事故

第3章 栄光としのびよる経営矛盾
1 東海道全線電化-電車特急「こだま」
2 第1次5ヵ年計画-輸送力対策と資金不足
3 「さんろくとお」全国特急網-第2次5ヵ年計画
4 新幹線の開業-石田礼助総裁の警鐘
5 通勤五方面作戦

第4章 鉄道技術屋魂●
1 ゼロからディーゼル大国に●
2 「はつかり」事故騒ぎと現場重視●
3 Sl全廃への道-ディーゼル機関車大国に●
4 繰り返す「妙な」技術開発

第5章 鉄道現場と労働組合
1 「国鉄家族主義」と組織大事の日本文化
2 労労対立と合従連衡
3 現場競技制と職場荒廃
4 なぜ失敗するのか「マル生」

第6章 鉄道貨物の栄枯盛衰
1 重厚長大から軽薄短小へ
2 営業体制と通運問題
3 スト権ストで貨物輸送自滅・国鉄孤立

第7章 国鉄衰退の20年
1 第3次長期計画-落日の花「よんさんとお」
2 格好つける国鉄財政議論
3 『日本列島改造論』と続く新幹線建設
4 御召列車●

第8章 国鉄崩壊と再起
1 巨大官僚組織-「国鉄の常識は世間の非常識」
2 朝令暮改の再建計画
3 土俵は国鉄外へ-第2臨調と再建監理委
4 答えは「分割民営化」、その光と影

終章 JRの誕生と未来
1 JR九州の経営改革
2 完全民営化の達成
3 国鉄改革の光と影の未来◎
4 新幹線物流の可能性◎
5 国民と国家のための鉄道へ-コロナ・パンデミック以降に向けて◎

* * *

本書で繰り返し述べられているのは、

・官庁組織の特徴。中央本社と地方支社(のようなもの)があり、それぞれ同じ組織を並列で持っていて、支社の部署A部、B部、C部は本社の部署A課B課C課と対応しており、A部B部C部のつながりは希薄
・支社のトップは中央が握っていて短期間で入れ替わり、地方の組織は縦割りで本社とつながっていて決定権がないので、地方独自の施策をとても打ちづらい
・国鉄発足時、GHQの指導で、日本型の官僚組織ではなく、アメリカ型の実務優先組織(地方が主導権を握る)にしようとしたが、結局は両者を重ねた、複雑で肥大した組織になった。それが鉄道管理局という支社的組織
・職員個人個人はまじめである
・公共企業体ゆえに、理事側も職員も当事者意識がない(これは昔から言われていること)
・世の中、誰でも鉄道に対する感想を持っているが、鉄道、とりわけ貨物の本質はわかりにくい

ということだ。それぞれ、経緯と、組織内の実態・雰囲気を述べた上で、国鉄衰退のプロセスを「上下分離のない国鉄の構造的な特異性に議論が及ばず、日本的な官僚機構と現場労働者の狭間で、国家経済視点と競争経済視点の徹底的な議論や、政策整理をおこなわずに戦後の公共企業体の経営状態を皮相的にトレースしていたこと、そしてその対応策を国鉄改革まで引きずってきたことが(原因)」と言っている。

また、分割民営化へのプロセスの問題点と、これからの鉄道のありかたとしては、

・国鉄の分割民営化で、三島会社と貨物会社、とりわけ貨物会社は(そおらく安楽死論なども踏まえて)議論されずに発足し、それが今日の各種問題を浮き彫りにしている
・東海道・山陽新幹線以外の新幹線は、物流にも使うべきである

ということが終盤で強く主張されている。

* * *

個人的に関心があったことは二つ。石井氏はディーゼル車の設計に長年携わったのだが、かつてはDMH17シリーズについて批判的な見解を述べたこともあると思うものの(うろおぼえ)、近年は「ゆえに全国に気動車を素早く行き渡らせることができた」と自画自賛している。第4章がそれに当たるが、そのスタンスはあまり変わらない。「一流」のDD54を引き合いに出して、「地道な国産設計・国産製作を本流としたことはまさに正解だった」と書いている。

もう一つは、総裁評だ。国鉄が大きく転落していく時期の総裁は磯崎叡であり、磯崎は「マル生」をやめさせ、不当労働行為があったと「謝罪」し、労働の能率制を向上させようとしていた人たちのハシゴを外し、左遷した。任期は1969.5.27~1973.9.21。本書で石井氏が財政面で分けた、赤字が徐々に増えていく「第Ⅰ期」から償却前赤字に転落して借金地獄に入った「第Ⅱ期」を股にかけた時期だ。はっきりとは書いてはいないが、好意的な記述はない。

仁杉巌については、土木技術者としての仕事のスケールの大きさを評価している。杉浦喬也に替わったときに常務理事だった石井氏は「『分割民営化』賛成という厳しい道に転じた」と書いている。「転じた」とあるあたりに、石井氏の、当時の動きが見て取れる

* * *

本書で知ったことが二つ。一つは、昭和57年の東北・上越新幹線の大宮暫定開業が、当時総裁室調査役だった石井氏の提案だったこと。もう一つは、首都圏本部長としてJR東日本の経営計画策定にあたらんとしていたころ、九州総局長が辞任してしまったがゆえに昭和61年に九州総局長となり、そのままJR九州社長、という経緯だったこと。前任者が辞めなかったら石井氏はJR東日本の要職に就いていたのかもしれない。そしたらJR九州はまったく異なる形になっただろう。

本書は、とにかく「終章」、これからのJRがあるべき姿こそが石井氏ご本人が書きたかったことであろう。これからJR貨物や北海道で経営の指揮を執りたい気持ちがあるような書きぶり。しかし、90歳。90歳にしてこの本を書き上げるそのバイタリティは恐ろしいとも思う。

ちょっと雑多な感想になってしまった。本書の構成をどうこう言えない。


【関連項目】
『戦後史のなかの国鉄労使』(升田嘉夫著/明石書店)
『巨大組織腐敗の法則 国鉄に何を学ぶか』(屋山太郎著/文藝春秋)
『敗者の国鉄改革』(秋山謙祐/情報センター出版局)





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