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木曽川水系の木曽福島から国道361号を岐阜へ。長峰峠を越えると飛騨川水系となる。そのあたりには国道の付け替えが頻繁にある。目についた廃隧道を三つ、紹介する。

●上ヶ洞5号トンネル

高根第一ダムのダム湖、高根乗鞍湖沿いにある。益田川(5万図/20万図では「飛騨川」とある)がダム湖として幅が膨れる場所、すでにダム湖になった場所の右岸にある。いまは谷側に新道ができている。
位置口はガードレールで塞がれている。「トンネル壁面突起物注意」という中部電力による表記がある。配線用の配管がカットされているので、もう現役の施設はないのかもしれない。下の写真は県道39号、野麦街道側。

トンネル内部はコンクリートを剥がした部分があり、そこには木材が埋め込まれていた。意図的に掘り出したものと思うが、何を目的としたものかはわからない。

●日和田1号トンネル

国道361号近城トンネルの旧道。

前後の坑門が左右対称になっている。

●日和田2号トンネル
廃道をはさんで…

日和田2号トンネル。洞門は後年設置されたものか。

三つの廃隧道、どれも表情が似ている。
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選挙とカルテックスにとても似ている。

力強い支柱に目を惹かれる給油所跡。三菱石油の給油所だ。

こちらは自民党が、三菱のオレンジ色を隠している。取り戻せ、白く塗り込められた壁の下から、オレンジ地に抜かれた白いスリーダイヤを。



給油所としては閉鎖されたが、倉庫として使われている。2013年5月は、7月の参院選に備えて選挙ポスターがあちこちに貼られていた。閉鎖された給油所を見るたびに、防火壁は格好のポスター掲示板になっているのだなと思っていた。

しかし。


日石カルテックスのマークの上に貼るんじゃない。

岐阜県の、とある野天風呂。かつては温泉旅館があったのだけれど、それがなくなり、やがて建物も消えて、いまは浴槽だけがある。有志によりきれいに整備されている。

宿は川を渡った対岸にあった。宿がなくなった今は橋もないのだが、残された浴槽のために篤志家が橋を架けたそうだ。非常に立派な橋だ。それも、キングポストトラスだ。これを架けたのは素人大工ではないだろう。かえって不思議だ。

浴槽が見える位置でカメラを出すわけにもいかないため、写真はこれだけだ。川原に人が写っているが、浴槽ではない。川の流れでタオルを洗っている人なので大丈夫。


国道361号の、木曽福島町と開田村はともに木曽川の支流にある町で、両者の間には峠がある。いまは地蔵トンネルという長いトンネルで抜けているが、その旧道に、この折橋隧道はある。写真は東側の坑口で、坑門は土砂に埋まっている。開口しているかどうかは定かではない。

その前には伐採された樹木が乱雑に積み上げるように捨てられている。土砂の流入で、いずれきちんと埋まってしまうのだろう。


幸いなことに扁額は見える。右端には増田甲子七の署名がある。第一次吉田茂内閣の改造後、運輸相となり、以後、閣僚を歴任した人物だ。

手の届く高さだが、捨てられた樹木のせいで近づけない。こちらには「新開口」とある。新開とはここから10kmほども手前、木曽福島市街の地名だ。

よく見ると、「隧」の字が不自然である。之繞(しんにょう)の位置がおかしい。

 
よく見ると、「墜」を「隧」に彫り直している!


だれか、彫る前に気がつかなかったのか。文字の誤用、混同はかなり以前からあったと見え、「○○に『墜道』と書いてあった」ということで「隧道は墜道とも書く」と主張する人もいるが、それは「独壇場(どくだんじょう・誤)」が「独擅場(どくせんじょう・正)」にとってかわったような話なので、私はその説には与しない。

* * *

反対の西側。

少し堀割を作り、その奥に坑門を配している。こちらは完全に塞がれている。


廃ガードレールを利用した蓋だ。縦に15本並べ、それを水平に帯状にガードレールで留めている。下部はコンクリートのブロックを築いている。


こちらにも扁額はあり、「折橋隧道」とあるかに見える。しかし「隧」の文字部分は苔に覆われて見えない。その下には「開田口」とある。そして、これまた苔で見えないが、おそらく増田甲子七の名前が右下にあるようだ。

2013年9月17日追記:
「墜」「隧」について、平沼義之さんから興味深い資料をいただいた。明治時代の漢和辞典に「隧(ツイ、ズイ)」を「隧(スイ、ズイ。同じ漢字)」と分けて項目を立てた上で「墜と同じ」と書いてあるという。ツイートをソースごと転載すると無関係のツイートも表示されてしまうので、テキストのみを転載する。

(1)
折橋隧道の記事で触れられていた「隧道」と「墜道」の表記のお話ですが、後者が誤記に由来するというお話しにソースはありますか? 実は私も前からこれを調べており、まだはっきりした証拠には辿り着けないものの、誤記ではなかったと考えています。

(2)
例えば、大正11年の田辺朔郎の「とんねる」の序文()の内容などは、それぞれの表現に支持者がいたことを感じさせます。

(3)
また、添付した明治時代の漢和辞典が、「隧」を「墜に同じ」として紹介しているなどをみても、この二つの字は誤用というよりは、わが国に入ってきたと思われる明治の最初頃から混用があったように思います。以上です。 

対して、私が誤字だと考える根拠は、回答としては成り立たないかもしれないのだが、「漢字の使われた方に関する考え方」を根拠としている。

漢字は、音が通じると平気で誤用されてしまう。個人的に身近なところでは、「磯部」の「磯(日本では海の磯)」、これをまったく意味が異なる「礎」「礒(川にある石)」で代用されることがある。異体字も同様に有名ならともかく、「本来の意味」を持つ漢字があり、それが圧倒的に有名な場合は、私は異体字(代用字)は誤り、と考えている。いくら「斎藤さん」が「斉藤さん」と誤記されようと、両者の漢字はまったく異なるものなのである。もっとも、漢字は読み方も形もどんどん変化するものであることは重々承知の上で、書いている。

逆説的な「誤記説」の補強としては、扁額が誤記でないなら修正する必要はない、ということもある。真相は不明である。

こうしたことは「正しい/誤り」という話ではなく、その変化の度合いを把握することが大切なのではないかと認識を新たにした。平沼さん、ありがとうございました。


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