坑門はコンクリートでのっぺりとしているが、開通時ははたしてどういう姿だったのか。 帰宅後「和田口めがねトンネル」で検索したら、造築は山陰本線開通時まで遡ることがわかった。そして、やはり改修されていた。改修前の写真や工事中の写真をアップしたサイトがあるのでリンクを貼っておく。 ・和田口のメガネトンネル ここは余部橋梁に近い。ぜひいっしょに見学を。 PR それにしても、しっかりした土台に据え付けられている。逆三角形をしている端梁に形状を合わせてブロックとコンクリートで作られた土台。その上にワラ。その上に屋根。向こう側は車体に密着させて別の建屋。ここまでくると、ワラ1は天地前後左右6面のうち3面しか生きておらず、最初から建材で建てた方がいいのでは…などと思えてくる。 内部はどうなっているのだろうか。ブロック部分が1階、ワラ1部分が2階に相当するようになっていて、向こう側の建屋から入るとそうなっているのだろうか。極めて興味深い倉庫である。
謎の車両? 工事用台車?の答えがわかった。
* * *
片上鉄道についてはネット上に多数の記事があるので、ここでは私が気づいたことなど。推進軸ははずされていた。整備中なのかもしれないし、不要、あるいはトラブルの元としてはずしてあるのかもしれない。ディーゼル機関車を整備する方々だ、これくらいはお手の物だろう。 また行きたい。 * * *
八東発電所は「八東」だが、この郵便局は「八頭」。どちらも「ハットウ」と読める。八東(はっとう)・八頭(やず)の地名が覚えられないが、どうも沿革からしてこんななので、覚えられなくても仕方なかろう。 ●郡名 ~1896.3.28 八東郡 1896.3.29~ 八頭郡 ●町村名 ~1956.3.14 八東村 1956.3.15~ 八頭村 1959.5.15~ 八東町 2005.3.31~ 八頭町 いちばん下の写真、建屋の手前に端が見えるが…。 |
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