トラス部の手すりは、うまく部材をかいくぐるかのように、幅員を狭めない位置に取り付けてある。 垂直材を持つタイプのワーレントラスだが、「\|/」という形状になる垂直材と上弦の接合部はピンではない。突き当ててのボルトの結合だ。非常に頼りない結合に見えるが、そもそも上弦からの圧縮力を鉛直方向に伝えるためのものなので、剛結していなくてもいいくらいなのかもしれない。 一部の部材には、鋼材の製造所と思われる「(F.)A.H.A.V.(F)」とある。A.H.A.V.とはAachener Hütten-Aktien-Vereinの略だが、詳細はよく解読できない。下記にドイツ語版wikipediaの記事へのリンクを貼る。 http://de.wikipedia.org/wiki/Rothe_Erde 歴史的鋼橋集覧によると、この橋は、平瀬ダムの湖底に沈むという。すでに、かつての国道434号鳥越隧道は通行止めとされている。急げ。 PR 国道2号は岩国市から錦川沿いに遡る。それまでの幹線道路の雰囲気から大きく変わり、センター黄色ラインの、川端を淡々と走る2車線の道となる。これが国道2号かと思うほど、行き交うクルマもほとんどない。まもなく川沿いの道は国道187号として分かれ、そのまま川・鉄道とともに遡る。これだけ豊かな水量の川だが、沿道にはまとまった集落は見えない。 大正十四年 株式会社横河橋梁製作所 大阪工場製作 (2013年6月18日追記) 「鹿野本郷線は、鹿野ー長野山ー広瀬ー出合ー府谷ー本郷か。今の錦ー鹿野線と本郷ー吾味線。県道131号と361号」(要約)と@trz_xxさんからご教示いただきました。(追記ここまで) トラス桁の完成が大正14年だが、この橋の開通は昭和29年? トラス桁は転用かとも考えられるが、先の歴史的鋼橋集覧にも開通年は「1925(1954)」となっている。調査が及んでいないのだろう。錦川町史でも見れば書いてありそうなものだが。 錦町の市街はここから西へ1kmほどだ。 重さ制限2t。極めて小さい。4ナンバーでも無理なものがある。 なんと読むのだろう? 「笠屋○はし」? この橋の奇妙さは、ぜひ実見していただきたい。 根笠橋を見に行こうとしたら、それがある集落への入口にこのポニーワーレンがあった。錦川鉄道の根笠駅から600mくらいのところだ。橋梁名はわからない。 根笠川はこのすぐ先で錦川に合流する。錦川の対岸(左岸)には、いま国道187号が通っているが、かつては右岸のこの橋が、そのルートだったのだろうか。 錦川鉄道沿線は、風景もほんとうにいいのだが、降りて、線路に沿って歩くとさらにいい気持ちになれるだろう。鉄道旅行ではなくなってしまうが。
住吉橋を見るためにコインパーキングに車を入れたら、そこが給油所跡だった。
L字型の敷地で、区画の角に面した位置にキャノピー、その奥に一段引っ込んでサービスルームがある。残念ながらかつてをしのぶよすがはほとんどない。ブランドロゴも注油口もない。 おや? 屋根の三本線は日石カルテックスだったということ? 十数年前の道路地図でもこの位置には給油所のマークはないので、それより以前に閉店したのだろう。 |
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