住吉橋は、広島市内の本川(太田川が最下流でいくつも枝分かれしたうちのひとつ)に架かる、カンチレバーローゼ桁橋だ。ローゼ桁部分が橋脚の左右に張り出し、そこにプレートガーダーが載っている。すぐ北を国道2号の「新住吉橋」が架かっている。写真は北側・西詰から。
ローゼ桁部分をアップするとこう。橋脚から少し張り出した部分があるのがわかろう。 西詰の親柱。左は「すみよしはし」、右は「住吉橋」。どちらも橋梁名だ。親柱は石積で、なかなかの風格がある。床版の南側を歩道としている。 ランガー桁には銘板がある。 昭和28年(1953) 広島県建造 内示(昭和14年)一等橋 製作 株式会社横河橋梁製作所 歩道から、カンチレバー橋ゆえの継ぎ目を見ようとするが、無理。写真上がランガー部分で、部材(アーチ部)の幅が広い。写真下がプレートガーダー。 北側の東詰から、全体と、プレートガーダー部。 東詰は、向かって左にしか親柱がない。道路の線形改良のために撤去されたのだろうか。左はやはり「すみよしはし」。 こちら東詰の北側に、橋の名の元になった住吉神社がある。 そして、「住吉橋記念燈」という燈籠がある。初代の木造橋を記念した燈籠で、そのいわれは写真をお読みいただきたい。 東詰の南側には「碑」と題された碑がある。 住吉橋架橋対策 委員長 故折重将一氏の遺品 は橋台の中央地下 四米のところに とこしえに眠って 此の橋を護る 住吉橋は、おそらく原爆で木橋が焼け落ち、その後、1951年に鉄筋コンクリート桁橋として架けられたがまもなく流失、そして1954年に現在の形で開通した。日本で初めて竣工した鋼製ランガー桁、とのことだ。 非常に平衡感覚が試される撮り方(左に傾いてしまっている)。 美しい橋だ。 歴史的鋼橋集覧はこちら。 土木学会誌昭和29年12月号の該当記事はこちら(PDF)。 PR
第一武智丸、第二武智丸という。よく見ると、船の形をしている。
wikipediaの項目および検索すれば詳細を記したサイトがたくさんあるので、詳細はそちらに譲る。 船体は防波堤なのだが、(おそらく)釣り人用に通路が造られ、安全に歩ける。 2隻はこれくらいの位置にある。見ればわかるとおり、鋼材を骨に、船体をコンクリートで造っている。 船首は鋼鈑で固めてある。律儀に、それに続く堤防はそこを切り欠いてある。 船首を内部から見ると、鋼鈑の裏をコンクリートで打ってある。二つの穴は、錨のためのもの。甲板から管でつながれていたようだが、意図的に削られたか、欠けてしまっている。 甲板、船首から船尾を見る。 船体内部はコンクリートの骨組みがあるのだが… 一部の梁は木材だったようだ。これと並行する部分も同じだろう。 船上に立つと、このコンクリートの塊が本当に浮いていたのか…と不思議な感覚と、これが戦争の落とし子なのか…という思いにとらわれる。もしこれが鋼製だったり、あるいは戦争と関係なければ、感慨もまた違うはずだ。また行きたい。
移動式のガソリン計量器。鉄道模型の情景パーツとしても、昔からある。
・モデルワム ・モデルスIMON(乗工社の引き継ぎ?) ・いさみや ・津川洋行 これが、広島県の県道沿いに置いてあった。バックはあまりにも建物や駐車場のクルマが写り込んだので、他人の家を盗撮しているような印象になるので大雑把に消した。 これは、きちんとここに保管してあるものだろう。石油会社名は読めなかった。 タツノ式ガソリン計量機の製造銘板。型式は書いていない。「タツノ式ガソリン地下安全貯蔵装置」とあり、「貯蔵容量600/計量20」とあるのは、タンク容量が600Lということか。「計量20」とはなんだろう?製造年月は昭和38年9月。銘板は錆のせいか、手前側に膨れている。 この部分が「計量」なのだろうか。いったん20リットルまで組み上げて、そこから給油する…ということだろうか。このホヤおよび中がきれいだったので、これは保存されているのだなと感じた。 ホースとの接続部。チリ漉しだろうか。ホースは残念ながら途中で断裂している。うっかりノズルの写真を撮らなかったのだが、重力を利用して、この高さからクルマやバイクに給油していたのだろうか。 この大きなハンドルで、タンクから上にガソリンを上げたのだろう。 その根元。FOR FILLING 吸入←→FOR LIFTING 揚油 これはタンクへの給油口と思う。根元にはこう書いてある。 HOSE CONNECTING OPERATING FOR FILLING GASOLINE INTO THE YANK 接続口 吸入ホース 脚。方々は固定、片側はフリー。 いまも現役のものは…ないかな、さすがに。
@0916taiさんが昔の写真、としてアップしておられたのが、この垪和郵便局だった。とても美しい建物、現存するかわからないけれど、とにかく行ってみたら、あった。美しいままに。いまも使われているのがわかる。
「垪和(はが)」という地域についてはwikipediaに詳細がある。 郵政書体を真似て、手づくりで木で文字を作ったのだろうか。経年で脱落している部分もあるが、そこもあわせて紺色になっている。その手作業感がとてもいい。また、この角度では、玄関天井の通風用の開口部も、いかにも公共建築らしい。 両袖の部屋は使っていないようだが、かつてはここを住居とした人がいたのだろうか。とても美しいままに、そこにあった。朝日が差し込んでいた。 正面に向かって左手は「火気厳禁」とあるので燃料でも置いてあったのだろうか。いまなら差し詰めゴミ置き場のように見えてしまうが…。 左右からのシチサン的に。 集落に一つ、郵便局があった時代。それはもうノスタルジーの世界だ。
江与味橋(国道429号/岡山県美咲町)の続き。
東北側の角に、こういう建物があった。 中央、縦書きの文字は… 浜尻待合所。バスの待合所だ。 近くにいらした方に聞くと、かつてはここでけっこう人が待つくらいに利用する人がおり、またバスの便もあったそうだ。 商店の建築だ。中は明るかったんだろうなと思う。 近くにあった看板。ここが江与味橋のたもとなので、かつてはここにこれだけの店が…と思ってしまうが、江与味とは対岸、南西側をさらに行ったところの広域地名で、かつては江与味村と言ったが、分割・合併で今に至る。ここ浜尻より人口がある。 13年前に作られておそらくそのままの、でも完成度の高いサイトがある。 旭町江与味のホームページ 待合所の向かいには、いまもバス停があるが、町営のバスだ。福渡駅から美作落合駅を経て久世駅に至るルートのようだ。 |
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