国道2号は岩国市から錦川沿いに遡る。それまでの幹線道路の雰囲気から大きく変わり、センター黄色ラインの、川端を淡々と走る2車線の道となる。これが国道2号かと思うほど、行き交うクルマもほとんどない。まもなく川沿いの道は国道187号として分かれ、そのまま川・鉄道とともに遡る。これだけ豊かな水量の川だが、沿道にはまとまった集落は見えない。 かつての行政区域でいう錦町の中心部に至ると、新出合橋という橋で国道434号が西から合流し、重複区間となる。そのすぐ上流に、この古いプラットトラスが架かっている。 直線的な、意匠のカケラもないプラットトラス。 銘板があるが、この錆びよう。 大正十四年 株式会社横河橋梁製作所 大阪工場製作 親柱。東側左は「出合橋」、右は「錦川」。ガードレールの黄色は山口県の証拠。 6パネル、より大きな引張力のかかる端部の斜材は、その隣りよりも太い。 中央2パネルは斜材がクロスしているが、逆ハの字の部材が貫通していて、ハの字の部材は交差部で切り欠いている。すべてプラットトラスのセオリー通り。 西側。なんと、国道187号の標識がある。ここは国道187号からははみ出す部分であり、どういうことなのだろう? 歴史的鋼橋集覧では「県道鹿野本郷線の出合橋として架橋、新出合橋の完成後も町道の橋として残る」とあるのだが、「県道鹿野本郷線」がいまのどの県道に当たるのかちょっとたどれず、わからない。 (2013年6月18日追記) 「鹿野本郷線は、鹿野ー長野山ー広瀬ー出合ー府谷ー本郷か。今の錦ー鹿野線と本郷ー吾味線。県道131号と361号」(要約)と@trz_xxさんからご教示いただきました。(追記ここまで) こちらにも銘板がある。内容は同じ。 西側の親柱の銘板、左側は「昭和二十九年一月」、右側は「であいはし」。 トラス桁の完成が大正14年だが、この橋の開通は昭和29年? トラス桁は転用かとも考えられるが、先の歴史的鋼橋集覧にも開通年は「1925(1954)」となっている。調査が及んでいないのだろう。錦川町史でも見れば書いてありそうなものだが。 周囲は多少のレジャーポイント的な印象があった。橋の東詰にはこのような店があったし、周辺の雰囲気が、そんな気がした。 錦町の市街はここから西へ1kmほどだ。 PR |
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