倉敷から津山に抜ける国道429号を走っていたら、この美しい曲弦トラスに出会った。朝まだき7時半頃、長細い旭川湖(旭川第一ダムによる)の凪いだ水面に架かっていた。
北東側が浜尻という集落で、対岸の南西側にはなにもない。写真は北東側。1スパンの側径間がある。 左の親柱は「旭川」。 右の親柱は「えよみはし」。 直線的な橋門構がかっこいい。 欄干が跡づけされているが、端柱部分は律儀にこのようになっている。一部のリベットをボルトに置き換えている。 垂直材、斜材は端柱よりも細いので、その内側に欄干がつく。 銘板。右書きで 大阪 松尾鉄骨橋梁 株式会社 昭和拾壱年製作 塗装記録表 塗装年月 2008年3月 塗装会社(有)杉本塗装 塗装材料 下塗 ラスゴンセーフティ JISK5564 中塗 SDマリンセーフティ中塗 JISK5516-2種 L10-734(淡) 上塗 SDマリンセーフティ上塗 JISK5516-2種 L10-734 対岸。側径間は3スパンだ。左の親柱は「昭和二十八年六月一日竣工」、右は「江與味橋」。トラス桁の製造年と17年違う。トラス桁はどこかからの転用だろうか。(●追記あり) なぜ中間の2スパンだけがトラス桁なのか。水がたたえられているのでわからないが、水面下の地形が、トラス桁の下は深いのかもしれない。 付近にあった道路標識。国道429号、岡山県道30号主要地方道落合建部線、岡山県道49号主要地方道高梁旭線の重複区間なのだが、オニギリとヘキサが同じ串にあるのは主要地方道だからだろうか。 ●2014年3月30日追記 おかやまの歴史的土木資産によれば、「旭川ダムの建設に伴って1954年(昭和29年)に約13m高く移され、両側に鉄筋コンクリート桁が増設された」とのこと。トラス桁とコンクリート桁の竣工年の違いはこれで解決した。 ●関連項目 かつてのバス待合所 PR
1000ページを超す本がある。竹書房刊、『日本の駅』、1979年刊。定価4万50000円。ハードカバー、化粧箱入り、さらに段ボール箱入りだ。内容は、日本の有人駅の(おそらく全)駅舎の写真が500ページ超、ということで、4000円以上で購入した。本書は、当時の大著、村石利夫著『国鉄全駅ルーツ大事典』(竹書房刊)も再録されているので、まあ、高額でもいいかと思って買ったものだ。
もともとは、杉崎行恭さんの『駅舎』という本をさがしていた。そこでひっかかったのが、「日本の駅」というタイトルで、竹書房刊で、全駅舎写真が載っていて…という本だった。それは見てみたいと思い、さらに検索すると、どうやら同名タイトルで、1972年に刊行された鉄道ジャーナル社版がある。ありふれたタイトルのため、中身は同じなのか違うのかわからないので、まずは竹書房版を購入した。ところが、購入した竹書房版を見たところ、どう見ても印刷が悪い。特に、わずか16ページだけある巻頭カラーのひどさといったら。何かの再録としか思えない。おかしい、と確信したのは網走駅の写真を見たときだ。旧駅舎が写っている。いや、それはそれで貴重なのだが、網走駅の駅舎は昭和52年末に改築・落成しているのだから、昭和54年刊の本書では、当然そちらが入っていて然るべきである。 そうして、鉄道ジャーナル社版を単純に再刊したのではないか…と思い始めた。とはいえその古書の中を紹介しているサイトなどはなさそうだ。なにしろ「日本の駅」というありふれたタイトルだ、検索しても本書にたどり着くわけがない。そこで、鉄道ジャーナル社版を買った。 これが鉄道ジャーナル社版だ。果たして、中身は一緒だった。そして、やはり、こちらのほうが印刷がいい。 中身はこうだ。 上が鉄道ジャーナル社版、下が竹書房版。まったく同じだ。ただし、竹書房版は一部はアップデートされており、たとえば武蔵野線や三江線(鉄道ジャーナル社版では三江北線・南線)、大隅線(同古江線)などが追加されている。目次等は、写植を切り貼りして挿入した跡がうかがえる。 わかりづらいだろうが、印刷の違い。左が鉄道ジャーナル社版。白飛びが少ない。竹書房版は、1ページ全体のインクの乗りが悪いページが多々ある。とはいえ、どちらも製版時の線数が少ない(いまの新聞よりも悪いだろう)ので、鉄道ジャーナル社版の印刷がいいとはいえ、細部の見え方が違うわけではない。 本書の最大の長所は、駅舎の建築年が書いてあることだろう。それを元にすれば、駅舎建築の傾向がつかめるのだ。長年気になっていた、稚内駅・柏崎駅・武生駅の相似(それ以外にもあり、平屋の駅舎を加えるともっと多い)も、時代性というか規格性というか、そういう面があることがわかる。 上から、 ・稚内駅 駅舎改築 昭和40年9月 ・柏崎駅 駅舎改築 昭和42年10月 ・武生駅 駅舎改築 昭和43年9月 である。他の駅舎の検証も、いつか進めたい。 同じ地域で同じ時期に開業した駅舎が同じ建築になるのはわかりやすい。しかし、国鉄は全国組織で完全な中央集権体制ゆえ、こうしたことが起こる。とくに戦後の建築ラッシュ、そして昭和40年代以降の改築ラッシュ時のことが興味深い。 鉄道ジャーナル社版には「国鉄駅舎100年のあゆみ」と題した、国鉄本社施設局建築課の手になる13ページの記事がある。あまり深いものではないが、「昭和26年に入ると駅本屋の復興も本格的となり、郡山・敦賀・尾張一の宮・浜田・宇和島・徳島などの諸駅本屋が改築された」などというさりげない記述が、おそらく同時代性を担保する。また、「利用債による地方駅の改良」という項には「小さな駅本屋としてすぐれた作品がたくさん生まれている」などと「作品」なる言葉が使われているのも、建築らしくて興味深い。さらに民衆駅一覧表(全52駅+工事中3駅)もある。郷里の新潟駅は18番目とのことだ。 駅舎についての内容が同じで、片や発売時の定価5000円、片や4万5000円なので、どうしても鉄道ジャーナル社版に軍配を挙げてしまうが、竹書房版の『国鉄全駅ルーツ大事典』は、当時は地名への関心もいまほど一般的ではなく非常に貴重な本だっただけに(子どもの頃、高額で買えなかった)、その再録は感慨深いものがある。 竹書房版を売ろうか、それともスキャンするためにバラすか、迷っている。
紀伊半島西部、御坊市の日高川にかかる国道42号の橋梁。流路をカンチレバートラスで、河川敷部分は北側を1スパン、南側を3スパンのポニートラスで跨いでいる。上の写真は西側(河口側)から。上流側には歩道がつけられている。
南側。左の親柱には「昭和三十年○月竣功」(←読めない)、右は銘板などなく単なる隅石である。 歩道を歩くと橋脚が2組見える。これは後述する。 まずは銘板。 昭和30年(1955) 和歌山県建造 内示(昭和14年)一等橋 製作 汽車製造株式会社 吊桁との接合部を見る。道路に継ぎ目がある部分の両脇の垂直材から右が吊桁。 上弦、加減ともピン結合。 北側の右の親柱には「天田橋」。あまだはし、と読む。左は南側と同じく隅石的なもので銘板ナシ。 北側、ポニートラス部分とその向こうにカンチレバートラス部分。 * * * さて、橋脚について。 こういう石積のものが二つと… コンクリート製のものが一つ、ある。 天田橋で検索をかけたら、GNRがトップでヒットした。既に@golgodenka さんが検証していた…ので、詳細はGNRにお任せするとして、土木学会の橋梁史年表で見ると、下記のような変遷を経ているようだ。●は確定、▲は御坊とは書いていないが橋長からしてこの天田橋だろうと推測できるもの。 ●(1)1876-3 橋長(m): 113 幅員(m): 1.8 形式: 木橋 下部工: 特記事項: これ迄は渡船。1876年7月流失。 1887年架替え ●(2)1887年 (1)の記述より。 ●(3)1902-1 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1902-1 橋長(m): 166 幅員(m): 2.7 形式: 木橋 下部工: 特記事項: 場所: 和歌山県 御坊市 河川名: 日高川 出典: ▲(4)1905-3 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1905-3 橋長(m): 幅員(m): 道路 形式: 木橋 下部工: 特記事項: 1912年当時はL=164 b=3.6 板橋。1919年8月,1925年,架替え. 1928年6月2日流失 。1930年12月架設、流失。 場所 ▲(5)1919年 架け替え(4)の記述より ▲(6)1926年 架け替え(4)の記述より ▲(7)1931-11 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1931-11 橋長(m): 186 幅員(m): 5.5 形式: 下路単純トラス橋 l=1x45.7 プレートガーダー 播磨造船所製 木桁橋 下部工: 特記事項: 1953年7月18日一部流失、9月 復旧 ,1954年 ●(8)1955-12-9 橋名: 天田橋 ルビ: あまだ 開通年月日: 1955-12-9 橋長(m): 304.2 幅員(m): 7.58 形式: 下路カンチレバートラス橋 l=3@51.1 単純ポニートラス橋 l=(3+1)x36.5 上部工 汽車製造 下部工: 空気ケーソン基礎基礎 下部 国土変遷アーカイブから、1947年撮影のものと2008年撮影のものを見比べ、GIFアニメを作った。 http://www.bannerkoubou.com/photosharing/image_view.php?data=9074.gif ここから時代と照らし合わせて、石積橋脚は(6)以前のもの、コンクリートは(7)のもの…と推測した。果たして、答えは?
国道311号をクルマで走っていてふと目に飛び込んできた、飛び出したアーチ。走行中の目には、アーチも曲がっているように見えた。そんな複雑なことしないよなあ…?
下に回ってみた。橋の下をくぐる道路もカーブしているためか、目の錯覚がものすごい。アーチが水平方向に曲がって見える。しかし、実際にはそんなことはなく、アーチは直線で、その上に曲線の床版が載っている。 北側の右親柱には「近遠谷」、左には「福定橋」。 南側の左には「ふくさだはし」、右には「昭和59年8月竣功」。 そして、南側には隣接してコンクリートアーチの上に曲線床版が載る橋がある。 こちらもアーチは直線…だと思う。 南側左の親柱には「氏山橋」。そして、なんだろう、この石造は。中辺路なので、熊野古道関連のなにかだろうか。 なお、この橋が跨いでいるのは富田川の支流で、地図では河川名は確認できない(親柱には前述の通り「近遠谷」とある)。すぐ近くでこの支流は富田川と合流しており、そこに別の「福定橋」がある。検索するとそちらが出てくることがあるのでご留意を。
国道168号を十津川からさらに南下し、和歌山県に入る。国道の旧道部分に、このカンチレバートラスが架かっている。天気はよく、通るクルマなどない旧道。それでも、敷屋大橋は美しくそこにあった。
カンチレバートラスは、美しい。 南側の左右の親柱。左「熊野川」、右「敷屋大橋」。 写真を見ていて気づいたのだけれど、南側は側径間といっていいのか、一径間ある。写真の端柱の真下には橋台ではなく橋脚がある。 銘板。 1960年4月 電源開発株式会社建造 建示(1955)一等橋 製作KK駒井鉄工所 材質 SS41 銘板は、反対側にも同じものが付いていた。 この橋でおもしろいのは、碇着桁と吊桁の連結部分に、落橋防止の部材が追加されていることである。写真のように、碇着桁の上弦と吊桁の垂直材とを結ぶワイヤが片側に2本ずつある。 このような形で後付けされている。この垂直材も、鋼鈑を重ねる形で補強されている。 ワイヤーは万が一の時に緊張すればいいからか、触れば揺れるし、上写真のピンを中心に簡単に手で回転させられる。 北側。親柱は左「昭和35年5月竣功」、右「しきやおおはし」。右の端柱には銘板、左の端柱には下記の表記がある。 平成13年度 水力発電施設周辺地域 交付金事業 このすぐ下流に十津川第二発電所がある。電源開発所有・運営で、そのために架けられた橋ということだろう。この交付金事業でなされたのが、この落橋対策だろうか、それとも塗装だろうか。そこまではわからなかった。 |
カレンダー
最新記事
(11/20)
(11/11)
(11/05)
(10/26)
(10/25)
(10/22)
(10/21)
(10/20)
(10/19)
(10/06)
カテゴリー
プロフィール
ブログ内検索
アーカイブ
カウンター
since 2010.7.30
アクセス解析
フリーエリア
|